今まで見て下さってありがとうございました。
「し、死ななきゃいけないって……」
鈴羽の言葉に思わず俺は言葉を失う。
言葉の意味が分からなかった。
頭の中でどう鈴羽の言葉をかみ砕いてもその真意は理解出来なかった。
「おじさんしんじゃうの?」
そんな俺の動揺に勘付いたのか紅莉栖が泣きそうな顔で俺の服の袖を握っていた。
「おじさんは死なないよ」
鈴羽は屈んで紅莉栖の目線に合わせて微笑む。
その顔を見て紅莉栖はきょとんとしていた。
「ほんと?」
「うん。ほんと。だから心配しなくていいんだよ。大好きなおじさんはいなくならないから」
「べ、別にそこまで好きじゃないんだからね」
急に気恥ずかしくなったのか俺の服から手を離してプイと目を逸らした。
「可愛いですね。昔の牧瀬紅莉栖もこれくらい可愛げがあったらよかったのに……」
「あいつはあいつで――」
「オホン」
中鉢がややイラついたようにわざとらしく咳をした。
「橋田教授まで何をやっているのですか。鳳凰院凶真にも話さねばならないでしょう。作戦の概要を。文字通り命がけなんですから」
「……そうね」
鈴羽は真顔に戻ると立ち上がった。
その瞳は何かを決めた顔だった。
「倫太郎さん。私の研究室に来てください。そこで詳しく説明します」
「あ、あぁそれは了解した」
俺は鈴羽の後ろを歩いていく。
紅莉栖は中鉢が手を取って先に歩いていってしまった。
なんで自分の研究室でもないのに鈴羽より先に行くんだか……。
「では、説明と行きましょうか」
「どうぞ」
「まず、前提ですが、この世界線的には私達が2000年以前に生きているのがおかしい。だから2000年になった時世界からなかったものと見なされて結果私達は消えるということでしたね」
「そういう話のはずだ」
じゃなきゃフラクタル現象なんて起きるはずがない。
俺が頷くのを見て鈴羽は頷き返す。
「えぇ、そうです。考えてみれば分かることなんですけど、世界は私達を消そうとしているわけですよね」
「ん? まぁそういうことになるな」
「だからですね。世界の思い通りにしてみようかと思いまして」
「と言うと?」
「えぇ、だから死ぬんです」
俺は首を傾げる。
死ぬことと世界線を突破することがどうしてもイコールにならない。
「世界的には2000年になった瞬間、つまり2000年一月一日零時零分零秒の時点で私達が生きていなければいいんですよね」
「まぁ、細かいことを言うのならそうなるのか」
「その瞬間だけ死ぬんです」
「あ」
俺は鈴羽の言葉を聞いてようやく合点がいった。
そういうことか。
世界から見たら俺達が異端かもしれないが取るに足らない存在だ。
別に2000年になった瞬間に存在していなければ世界の整合性が取れたとして何事もなかったかのように世界線が進んでいくに違いない。
俺が鈴羽と中鉢の思惑を理解した瞬間頭の中で声が聞こえた。
世界を騙せ。
そんな声が聞こえた。
誰の声だっただろうか。俺の声に似ていた気もするが過去にそんなことを言った記憶はないので俺じゃないはずだ。
「世界を騙せってか……」
「中々いい例えですね」
鈴羽が驚いたように目を丸くしながらその言葉を口の中で反芻しながら頷く。
「さて、どうですか。これで。私と言うか私達ではこれ以上の案は浮かばないと思うんですが」
「……ないだろうな。これ以上の作戦は」
どちらにせよ俺は俺の命は賭けるつもりだった。
犬死にするつもりはないけれど、例えば二人の為に死ぬことくらいだったら厭わないつもりだった。
「命懸けですよ。万が一蘇生が遅れようものなら私達は現実に帰ってこれません。と言うかそのまま天国だか地獄だかに直行です」
「そうだな……」
「とりあえず今日はこれで解散しましょうか。牧瀬くん協力感謝するわ」
「滅相もありません」
そう言うと中鉢は鈴羽にだけ礼をして研究室を出る。
紅莉栖が俺に手を振ってドアを閉めた。
「牧瀬くんには感謝せねばなりませんね。私達では自分達を殺すことなんて思いつきませんよ」
「多分、あいつは俺が死ねばいいと思いながら考え付いたんだろうな」
「なんでもいいじゃないですか」
鈴羽は笑った。
クルーゼックを説明している時の真面目な顔と違いどこか気が抜けたようにリラックスしている。
「この作戦は一回こっきりしか出来ませんからね。失敗すれば私達はなかったことにされ、成功すれば無事皆と同じように生きていくことが出来る」
鈴羽は目を細めて俺を見る。
そして次の瞬間俺の首に手を回した。
「な……」
突然の出来事に俺は焦る。
分かっているが誰もいないことを確認した。
そして俺も背中を抱きしめ返す。
「倫太郎さんは覚えているんですよね。成功しても」
「あぁ」
恐らく俺のリーディングシュタイナーのことを言っているのだろう。
ただ一人世界線がが変動したことを理解出来る。
記憶を持って世界線を渡れる唯一の存在。孤独な存在が俺なのだ。
「もしかしたら、成功しても私の記憶、秋葉さん達の記憶は戻らないかもしれません」
俺の肩辺りがじんわりと温かく濡れる。
「それでも私は私ですから。秋葉さん達も秋葉さん達ですから。よろしくお願いします。今日だけ、いや、今だけですから。もう明日からは泣き言なんて言わないですから今だけは――」
「いいよ、鈴羽」
俺は鈴羽の頭を撫でる。
サラサラとした髪が手の中をすり抜けていく。
鈴羽も気を張っていたのだろう。
中鉢の手前、教授であるスタンスを崩さず気丈振る舞っていたに違いない。
そうでなければ自分が死ぬという作戦を真面目に言えるわけがない。
きっと中鉢に言われる前に自分で思いついていたのかもしれない。
ただ口に出すのが怖くて。
口に出したらそれをやらなければならないから。
他に案が出るまで待っていたのかもしれない。
あくまで推測なのだが。
「倫太郎さん。好きです。大好きですよ」
「あぁ、俺もだ」
鈴羽は俺を抱く腕の力を一層強めた。
俺も背中に回した手の力を強める。
この温もりを失わないように。
*
どのくらいそうしていたのだろうか。気づくと西日が目に痛かった。
紅莉栖なら相対性理論を持ち出すのかもしれない。
「さて、帰りましょうか。元気貰いましたし」
鈴羽は俺から離れると子供ような笑みを浮かべて立ちあがる。
頬に残った涙拭うと伸びをしていた。
「あ、その前に電話しますね」
研究室に置いてある電話から鈴羽はどこかに電話を掛けた。
「あ、もしもし、天王寺さんですか? 鈴太郎元気にしてますか?」
どうやら相手はMrブラウンらしい。
そう言えば今日も預けてしまっていた。悪いとは思っているのだが。
「中鉢とかに会わせたらきっと悪影響だしな」
それに親の生き死にの話を聞かせたくなかったのが本音だ。
幸いなことに鈴太郎もMrブラウンに懐いていたし、向こうも恩を返すと言って嫌な顔一つしないで受けてくれていた。
俺は友人に恵まれているな。
そう考えただけで少し涙腺が緩む。
年のせいだろうか。
最近涙腺が緩い。
「あ、じゃあもう帰りますんで。本当にありがとうございますね」
鈴羽は受話器を置いてこちらに歩いてくる。
「帰りましょうか……ってなんで泣いてるんですか?」
「少しな」
「そうですか」
鈴羽は手を差し出す。
俺は何も言わずその手を握った。
*
「少しだけ出てくる」
「気を付けて下さいね」
夕飯を食べて鈴太郎と遊んだ後俺は外に出た。
最近よく夜に外出している気がする。
無いとは思うが鈴羽に浮気を疑われるかもしれない。
いや、そんなことはないか。
俺にそんな度胸がないことは一番鈴羽が知っているか……。
足の赴くままに夜の街を歩いた。
最初に来た頃に比べて随分と街明かりが眩しい。
俺はふと足を止めた。
そして上に続く階段を見上げる。
そうだ。
思い立ってその階段を昇る。
意気込んだ割に年には勝てずに息を切らしながら階段を昇り切るとそこには見知った顔がいた。
「おや。こんな時間に珍しい人が」
「こんばんは。ご無沙汰してます」
俺が挨拶すると彼は会釈した。
「ルカ子は元気ですか?」
「えぇ。おかげ様で。よかったら会っていきますか?」
漆原はにこやかな笑みで俺に問いかける。
「是非。お参りをしてからでも」
俺は笑顔でそう返答すると境内まで歩く。
そこで財布を持ってきていないことに気づいた。
全く抜けている。
偶然入っていた五円玉をズボンの中から見つけ賽銭箱に放り込む。
「……願わくば鈴羽達に幸せな未来が待っていますように」
目を閉じて今まで会った人達の顔を思い浮かべる。
自分が犠牲になってもなんて主人公染みたことは言えない。
けれど皆には幸せになって欲しいと思う。
これから何があっても。
何が起きても。
「終わりましたか?」
「えぇ。ありがとうございます」
「こ、こんばんは」
「ん?」
俺は声のする方に目をやる。丁度漆原の足にくっつくようにしてルカ子がいた。
今位の年だと男か女か本当に判別がつかない。
尤も昔もそこまで判別出来たわけでもないが。
「可愛いでしょう。男に生まれたのが勿体ないくらいですよ」
漆原が俺の視線を目で追いながらそう付け加えた。
「ルカ子。頑張れよ……」
大した言葉も掛けられずに俺は頭を撫でた。
もう風呂に入っていたのか少し髪先が湿っていた。
ルカ子は何をされているかよく分かっていないようでされるがままにされていた。
「それじゃ、行きますね」
「これからどこか行くんですか?」
「えぇ。今夜中に少し回っときたい場所がありまして」
「そうですか……。それではどうかお気を付けて」
「ばいばい」
漆原は笑って手を振って俺を見送る。
「あ、ねぇ。おじさん」
「ん? なんだ」
「またね」
「……またな」
俺はルカ子に手を振って今度こそ階段を降りる。
またね。か。
ルカ子は子供ながらに何かを感じたのだろうか。
それとも何かを思い出したのだろうか。
「次は秋葉の所か」
俺はもう暗記してしまった秋葉の携帯に連絡を入れた。
数コールもしない内に向こうから声が聞こえた。
『どうしたんだ。こんな時間に』
「いや、今家にいるのか?」
『なんだ藪から棒に。いるぞ』
「フェイリ……留美穂ちゃんは起きてるのか?」
『まぁ、もうそろそろ寝かせようかどうかってとこだな。代わるか?』
「いや、今からそっちに行っていいか?」
俺の言葉に秋葉は驚きの声を上げた。
『何かあったのか?』
「いや、久々に顔を見たくなった。今柳林神社にいるからそこまでかからないと思う」
『分かった。大したもてなしは出来ないが待ってるぞ』
秋葉はそこで電話を切った。
これまでのことを振り返りながら俺は秋葉の家に向かう。
家に着いたのは九時前だった。
俺は相変わらず大きな秋葉の家を見上げながらインターホンを押す。
「来たか。寒かったろ。入れよ」
秋葉はこの時間に来た俺になんの恨み言も言わずにドアを開けた。
「しかし、留美穂に会いたいとかいきなりどうしたんだ?」
「いや、色々とな。お前と話とかなきゃならないことがあってな」
「ほぅ。それはまた後で伺うとしようか」
秋葉はそう言ってドアを開ける。
そこでは奥さんとフェイリスが二人して遊んでいた。
奥さんは俺を見ると軽く会釈をして、フェイリスは俺を見ると一瞬呆けたような顔をしている。
「……あ。りんたろうくんのおとうさんだ! なにしにきたの?」
どうやら俺のことを思い出したらしくなんら警戒心もなく近寄ってきた。
昔のニャンニャン言ってた時も可愛かったが無邪気なのも悪くない。
「そうだな。留美穂ちゃんに会いに来たのかな」
「おい、岡部。お前何を言ってるんだ」
冗談じゃない力で秋葉に肩を掴まれる。娘の手前、手加減しているのかピリピリと痛む程度の力だった。
どこまで親バカなんだよ。
「いいじゃないですか。折角岡部さんが来てくれたんですし」
奥さんの言葉で秋葉は手を離した。
「るみほにあいにきてくれたの? なんで? やくそくでもしたっけ?」
「してないよ。ただ元気なのが見たかっただけ」
「へんなおじさん」
フェイリスはそうとだけ言ってまた奥さんの方へ戻った。
「結局お前は何がしたかったんだ?」
フェイリスに触れることもなくただ見ているだけの俺に秋葉は困惑したような顔を見せていた。
俺としては顔さえ見れれば良かったので特に問題はなかった。
「目的は達成したさ。次はお前に話がある秋葉」
「お? やっとか。向こうで聞くよ」
秋葉は部屋を出てある扉を指差した。
「さて。なんだまた改まって」
「毎回ことながらお前に頼りっぱなしで申し訳ないと思うが――」
俺は今回の計画クルーゼックの概要を全て話した。
最初、『死』 と言う言葉に面喰らっていたようだが話を聞くにつれて顔が真面目になっていった。
「――というわけなんだ」
俺が話終わると秋葉は深いため息を吐いた。
そして校長の話が終わった学生のように肩の力を抜く。
「毎回ながらお前も大変だよな。まぁ、過去に戻ってきた未来人だからしょうがねぇのか」
秋葉は笑った。
こんな話を聞いても邪険に扱わない器の大きさは凄いと思った。
「それでだな――」
俺の言葉を秋葉は手を前に出して制する。
「待て待て。分かった。とりあえず病院を用意して、俺達には心の準備をしておけってことだな。新しいお前らを祝うための」
秋葉は得意げに笑うと俺に向かってそう言った。
「病院はあそこなら何かと融通が利く。えーと大晦日から元旦か……面倒だな」
独り言のようにブツブツ言いながら秋葉はもう目の前にいる俺が見えないかのようにメモ帳に何かを書き込みどこかに電話を掛け始める。
俺は頭を下げるとその部屋から退出した。
部屋を出る瞬間にチラリと見えた秋葉の顔は仕事と同じくらい真剣な顔をしていた。
「さて、帰るか」
こっちに来てから意外と人と付き合っていない事実に少しショックを受けつつ我が家に戻った。
「っと、ここがあったか」
俺は自分の隣を部屋をノックした。
「あいよー」
呑気な返事と共にMrブラウンが顔を出した。
Mrブラウンは俺の顔を見ると一瞬目を丸くしたがすぐに相好を崩す。
「おう、どうしたんすか? 部屋は隣っすよ」
「分かってるって。そこまで耄碌した覚えはないですよ。ただ、一言言っておきたくてですね」
「なんすか。改まってこっちも緊張するんすけど」
「ありがとう。そしてこれからもよろしくな」
俺はMrブラウンの返答も待たずに自分の部屋に逃げ帰るように入った。
なんだか面と向かって言うのは気恥ずかしい。
「あ、お帰りなさい。随分と慌てて帰ってきましたね」
丁度玄関に鈴羽がいた。
「ん、いや、そうだな。ただいま鈴羽」
「お帰りなさい」
*
「本当に鈴太郎は何もしなくて平気なんだな鈴羽」
「えぇ。多分。元々居ない者から生まれたとは言え、ちゃんと1992年に生まれてますからね。私達と違って生年月日が過去にある以上バグではなく手違いとして世界は判断するでしょう」
「そんなものなのか」
「世界だってそんなに暇じゃないですからね。それにそれは私が研究したんですから信じて下さいよ」
「分かった信じる」
俺達は患者服を着ながらそんなことを話していた。
不安を紛らわすように。
時刻は1999年12月31日午後11時を回った所だ。
さっきトイレに言った時鏡に映った俺の首が一瞬ゼリー状になっているのが見えたことから順調に事態は進行していると言えるだろう。
秋葉が配慮したのかそのフロアには誰もいなかった。
シンと静まりかえりただ寒さだけそこに残っていた。
「やはり餅は餅屋と言った所ですね。死ねばいいと言った所で私にはどうすればいいか見当もつきませんでした」
「どうするつもりだったんだよ……」
俺の質問に鈴羽は沈黙で答えた。
そしてさり気なく目を逸らしていた。
「まぁ、いいさ。秋葉のおかげでなんとかなりそうだ」
秋葉は病院には来なかった。
もう成功するものだと考えてパーティの準備をしているらしい。
「あと、留美穂が鈴太郎くんと遊びたいって言ってな」
そんなことを言いながら鈴太郎を預かってくれたのだ。
中鉢も何故か来なかった。
研究者として被験者を危険に晒すと言うことに耐えかねたのだろうか。
今ここにいるのは秋葉が手配した初老の医者と俺達だけだった。
「そろそろ最終説明と致しますか」
俺達の前に立った男の医者がそう言って女医が紙を渡した。
それは同意書のようなものでサインを書く欄が開いている。
「私達も秋葉さんの願いじゃなければこんなことしたくないです。下手すれば私達は人殺しになってしまう」
「だから同意書ってわけですね」
「……ご了承頂きたい」
「勿論です。わざわざすみません」
鈴羽はそう言ってすぐにサインをして女医に返す。俺もそれに釣られてサインをした。
サインした後、俺は内容を読み返した。
専門外なのでよく分からない単語が羅列していて意味が分からなかった。
「簡単に言うと仮死状態にするんですね。そして日をまたいだ瞬間に蘇生措置を行うってことです」
「時間との勝負ですね」
「そうですね。確実とは言えません。それに何等かの障害が残るかもしれません。それでもよろしいんですね」
「えぇ」
鈴羽は医者の言葉に緊張した面持ちで頷いた。
「それでは参りますか」
医者が手術室と書かれた部屋に俺達を招いた。
「年が明けたら皆で餅でも食べたいですね」
冗談かそれとも場を和ませる為に敢えていったのか医師はそんなことを言って笑った。
初めて手術室を見る。
薬品の匂いがする気がする。
いよいよか。
俺は覚悟を決めた。
「それじゃベッドに横になって下さい」
俺は言われた通りにベッドに横になった。
隣には鈴羽もいる。
恐れはなかった。
「倫太郎さん」
横を見ると鈴羽は微笑んだ。
いつもと変わらない様子で。
その顔には色々な思い出があった。
俺の手を鈴羽がそっと握った。
その様子はさながら過去に跳ぶかのように。
片道切符の時間旅行。
今度は世界を跳ぶのだ。
チャンスは一度きり。
俺は――。
*
真っ暗だ。
何もない。
無と言う表現が正しい。
上も下もない。
真っ黒。真っ暗。
聴覚も触覚もない。
ただ意識だけしっかりしていた。
目は開いているが眼前には黒が広がるばかり。
なにをしているのだろうか。
そもそもここはどこなのだ。
体は頭と切り離されてしまったかのように動かない。
そんな時だった。
ふと前に何か見え出した。
最初はうっすらとだったが、徐々にその輪郭がはっきりしてくる。
その姿に見覚えがあった。
ダイバージェンスメーター。
確か、2010年に鈴羽が持ってきたもの。
俺がリーディングシュタイナーで唯一知覚出来るもの。
その数字が今せわしなく動いていた。
デジタルで表示される七つの管がせわしなくその数字を変える。
ピシッ……。
変化は突然起きた。
七つの内の一つにヒビが入り始めた。
そしてそれは伝播するように他の管にもヒビを入れていく。
そして……割れた。
ダイバージェンスメーターは割れた。
それは割れると元からそんなものなかったかのように世界は暗闇に戻る。
「――ッ!」
メーターが壊れると同時に頭が割れるように痛んだ。
しかし、俺はその痛みの中漠然と理解していた。
間違いない。
壊れる瞬間に一瞬見えた数字は俺の脳裏に焼き付いている。
世界線は変動したのだ。
そう認識すると少しずつ世界が光を取り戻してきた。
「……さん」
聴覚も戻ってきたようだ。
誰かの声が聞こえる。
懐かしい声だ。
俺の意識は急激に引き戻された。
「はぁ…はぁ…」
俺は病室で寝ていた。
見知らぬ天井が俺の上にはあった。
咄嗟に手を見る。
ある。
手がある。
顔を触る。
顔がそこにはあった。
そして改めて周りを見回す。
「おい。まだ寝惚けてるのか」
秋葉に頬をはたかれた。
「いて」
そこには、漆原夫妻にルカ子、秋葉夫妻にフェイリス、そして紅莉栖がいた。
「あ、おきた。おじさんがおきた。よかった」
紅莉栖は俺の顔を見ると途端に泣き出した。
それも一目を憚らず。
わんわんと。
「誰だ、うちの娘を泣かしたのは!」
カーテンがシャッと開き中鉢が現れた。
なんだいたのか。
「また、貴様か。うちの娘を誑かせおって……」
「ふん。この鳳凰院きょ――」
俺は悪態と寸での所で呑み込む。
カーテンの向こうには……鈴羽がいた。
鈴太郎を抱いて頭を撫でていた。
俺の視線に気づいたのかこちらを向いて笑った。
「久しぶりですね。倫太郎さん」
「久しぶりだな、鈴羽」
鈴羽の周りには中鉢やMrブラウンがいた。
皆俺の様子を見て笑っていた。
結局試みは成功したらしい。
後遺症もなく世界線は変動したらしい。
それを知覚する術は俺には無かったのだけれど。
不思議なことに皆が俺との出会いを覚えていた。
リーディングシュタイナーは誰でも持っているものだからなのかもしれない。
皆が帰ると俺達は三人だけになった。
相変わらず鈴太郎は寝ているので実質二人だ。
秋葉曰く昨日フェイリスと遊び過ぎたらしい。
一応念の為一日は入院するという運びとなった。
西日が病室を朱く染める。
成功したのだ。
鈴羽にあんな思いを抱かせずに済んだのだ。
それだけで涙が出るほど嬉しい。
「ねぇ、倫太郎さん。あなたはなんて名前なんですか?」
「え?」
鈴羽は笑っていた。
俺も真意を理解した。
―俺の名前は岡部倫太郎。
――そしてお前の名は。
岡部鈴だ。
鈴羽は笑った。
その幸せを噛みしめるように。
これで一応物語は終わりになります。
それでは、見て下さった方、感想をくれた方、お気に入りに入れてくれた方本当にありがとうございました。