「着きましたっす」
俺達はMrブラウンの案内で連れていかれた建物を見上げた。
昨日の晩もしかしたらと予想していたが、2010年の頃の未来ガジェット研究所と寸分違わない建物というわけではなかった。
二階建てではあり、その他の共通点も見られるものの完全に一致というところまで達していない。
逆にその建物を俺は安心する。
この世界線は、物語を最初から読み直すように、ただ世界線をなぞるように進んできているわけではないという事実をより確信させるものだからだ。
「倫太郎さん。ここはあそこじゃないね」
鈴羽は懐かしのあの場所を予想してきたのだろうか。
心なしか少し肩を落としてその建物を見ている。
「なんすか?」
対照的な二人の姿を見てMrブラウンは少し呆れているようだった。
「い、いやなんでもない」
俺の言葉にMrブラウンは気にする必要はないと感じたのかそのまま歩を進めて鍵を開けた。
長い間使われていなかったせいか扉を開ける際に蝶番がギィと嫌な音を立てる。
使われていない建物特有のホコリの匂いが鼻をつく。
内装は使われていないせいでホコリが積もっているが、どこか壊れていたりしているわけでもなさそうなので一安心する。
「こんな場所でいいんすか?」
Mrブラウンの言葉に俺は頷く。
ここで十全だ。
鈴太郎を巻き込まないだけでも御の字なのにここまでの場所を用意してもらえるとは上手くいきすぎて怖いくらいだ。
しかし、俺に慢心は無かった。
2010年に嫌というほど味わった神様の厭らしさを忘れてはいなかった。
神は一度幸福を見せてから絶望に落としたがるらしい。
加えて今回はやり直しというのは出来ない。
間違えた選択肢を選んでしまったので任意の場所からやり直すという芸当は出来ない。
神との一本勝負。
勝率は1%にも満たない。
零と一の境界線。
「まぁ、掃除から始めましょうか」
私は鈴太郎の面倒見てきます。
鈴羽はそう言うと足早にここを後にした。
「さて、やるか」
「俺もっすか?」
「肉体労働は専門だろ?」
「人を見た目で判断しないでください……実は頭脳派なんすよ」
Mrブラウンのおどけた様子に俺の顔にも笑みが広がる。
二人で掃除を始めることにした。
ゲン担ぎではないが最初に二階から掃除することにした。
窓を開けると鬱蒼としていた空気が開け放たれた窓から一斉に飛び出した。
雑巾の拭き掃除に始まり、箒で掃き掃除、それから一通りのことを終えると丁度昼頃になっていた。
「やっと終わりましたね」
「そうだな。ありがとう」
「礼なんていいっすよ。建物は使ってナンボですからね。それに恩義には報いますって」
「そうか……」
俺達が話していると開け放っていた扉の向こうからヒョイと鈴羽が顔を出した。
「すみません。鈴太郎が寝てしまって……あ、お昼作ってきました」
鈴羽は手に持っている籠を俺達に見せた。
「お、本当っすか。腹減った所なんすよ」
Mrブラウンは嬉しそうに手を叩く。
鈴羽は取り敢えず作ってきた弁当を拭いたばかりの机に上に置いた。
おにぎりから始まり簡単に作れるおかずが数点並んでいた。
「いただきます」
Mrブラウンは丁寧にお辞儀をすると勢いよく食べ始めた。
まぁ、掃除をしたことに加えて食べ盛りの年齢だから無理もない。
「いや、本当に美味しいっすね。岡部さんもマジでいい奥さんを貰ったもんすよ」
「褒めすぎだよ。店ちょ……天王寺さん」
そう言う鈴羽の顔はどこか赤い。
「いや、俺もこんな奥さん欲しいなぁ」
「あげないぞ?」
「いや、今ですね。少しいいなって思う子がいましてね……」
頭を掻きながらMrブラウンは照れくさそうに話す。
「まぁ、一目惚れってやつですね。見た目に似合わずピュアなんすよ。俺」
「本当に似合わないな」
俺がそう言うと、Mrブラウンは苦笑する。
「まぁ、その人は今彼氏はいないらしいんで狙い目って言ったら狙い目なんですけどね」
そこで言葉を区切るとMrブラウンは鈴羽の方をチラリと一瞥した。
「なんとなく雰囲気が鈴さんに似てるんすよ。別に外見がどうとかでなくなんて言うんですかね……雰囲
気?」
「自分が殴った相手と似ている人を好きになるって変わってますね」
鈴羽が皮肉めいた口調で呟くと、Mrブラウンは笑った。
「あれは、仕方ないじゃないっすか。初対面にしては強烈でしたけど」
鈴羽はぺこりと頭を下げた。
「ま。二人を見ていて決心がつきました。明日告白でもしてきます」
「そうか。何もアドバイス出来なくてスマンな」
「いいっすよ。岡部さんから最初からアドバイスを貰えるなんて思ってないですから」
冗談とも本気と取れる口調に今度は俺の笑いが引きつっていた。
*
昼食を食べ終わると、俺は秋葉の会社に向かった。
鈴羽は家に帰り、Mrブラウンは仕事があるらしく三人は別々の方向へ向かった。
一応ここの社員となっているので、まっすぐと社長室に向かうことにした。
アポは取ってないがこの時間は確か空いていたはずだ。
「秋葉社長はいますか?」
社長室の前にいる復帰したばかりの渡井さんがその言葉に顔をあげた。
「あら、岡部くん。秋葉に何か用?」
「ええ、まぁ」
「今ならいるわよ」
渡井さんはそう言う扉をノックして俺が来た旨を伝える。
「入ってくれってさ」
俺は渡井さんに向かって一礼すると社長室に入った。
秋葉は書類を難しい顔をしながら判子を押している。
「よう。どうした。岡部がこの部屋にわざわざくるなんてさ」
「少し頼みたいことがある……」
「ふむ。聞こうか」
そう言うと秋葉は、今見ていた書類を脇に置いた。
俺はこれからすることを秋葉に話した。
俺の言葉を聞いてから秋葉は少し考えるように目を閉じていた。
「勝算はあるのか?」
「勝算?」
「言い方が悪かったか。生きてかえってこれるか?」
「まぁな。出来ないとは言わない」
秋葉は俺の答えに満足した様子ではなかった。
「しかし……まぁ、お前が欲しがったIBNはそういう理由があったんだな」
「言ってなかったか?」
「忘れた」
秋葉はおどけるように肩をすくめる。
「何を言っても聞かなさそうだな。全部ことが終わったら倍は仕事をしろよ」
「あぁ」
なら好きにしろ。
そう呟くと秋葉は書類に目を落とし始めた。
俺は一礼をして社長室をあとにする。
扉を開けると、渡井さんが耳を澄ませていた。
「なにしてるんですか?」
「え?ほら、なんというか気になるじゃん」
あはは、と笑顔で渡井さんは誤魔化していた。
気恥ずかしさか顔に朱が差している。
「それで、どうするの?」
「何がですか?」
「とぼけないでよ。何かやろうとしてるでしょ?」
「そうですね……」
少し地球の未来の為にでも戦います。
その言葉をどう受け取ったかは分からないが、渡井さんはフッと微笑んだ。
「そう。なら頑張ってよ。るかもそっちの子も小さいんだから」
そうですね。
そう答えて俺は会社を後にする。
「……地球の未来の為か」
家に戻る道中自分の言ったセリフを思い出していた。
我ながら薄ら寒いような台詞だ。
これでは、まだ厨二病と誰かに言われてもしょうがない。
地球の未来を救うなんて大それたことをしようなんて思ってない。
子供の未来を守るなんてかっこいいことを言えるわけでもない。
一つの命を救うのは無限の未来を救うこと。
昔親に連れていって貰った遊園地のヒーローショーで俺が言われた言葉。
あれから暫くしてテレビの中にいるような悪役はいないことに気がついた。
けれどヒーローもいなかった。
当然この世界にもヒーローなんて無償で命を張ってくれるお人よしなんかいない。
そもそもSERNと対峙しようがしまいがほとんどの人には関係ない。
赤の他人から見たらただのエゴだ。
偽善でもいい。
だから少しでもヒーローの真似事でもしようかと思う。