境界線上のクルーゼック   作:度会

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ただいま

「鈴。これを見て何かを思い出すことってあるか?」

 

俺は意を決して鈴羽にIBN5100を見せる。

 

倫太郎と一緒にテレビを見ていた鈴羽はこちらを振り向く。

 

俺達が1975年にまで遡ることになった原因。

 

SERNに対抗する唯一無二の道具。

 

鈴羽はそれをIBN5100を見るとこともなげに頷く。

 

「倫太郎さん。いや――……」

 

 

勿論だよ。岡部倫太郎。

 

 

「なっ……!!」

 

今なんと言った?

 

確かに俺は昨日夢の中で阿万音鈴羽と会話をした。

 

しかし、あれはあくまで俺の過去の記憶が鈴羽を夢に出しただけのはずだ。

 

「……って、やっぱり、もう似合いませんか」

 

俺が戸惑っているのを呆れていると受け取ったのか鈴羽は照れた笑みを浮かべて頭を掻く。

 

「いえですね……。記憶自体は最近、本当に最近戻ったんですよ。店長を見た時に」

 

あの特徴的な風貌は時空を超えても忘れるわけがないですよ。

 

ははは。

 

鈴羽は自分が言ったことが面白かったのか一人で相好を崩す。

 

「けど、髪があったせいで最初は誰だか分からなかったんですがね」

 

「まぁ、確かになぁ……」

 

俺は曖昧に相槌を打つ。

 

本当はそれだけではないはずだ。

 

俺はある種の確信を持っていた。

 

鈴羽が一人で1975年に戻っていた場合、雨で壊れたタイムマシンで強引に帰った鈴羽の最期を看取ったのは誰であっただろうか。

 

俺達にあの自らに吐きかけるような、心を抉るような呪詛を届けてくれたのは誰か。

 

考えるまでもない、MRブラウンだった。

 

俺達がいる世界線ではなかったことになっている世界。

 

俺だけが識っている世界。

 

しかし、他の人間が全く知らないわけではないはずだ。

 

俺はたまたま『リーディング・シュタイナー』と呼ばれる力が強かっただけで、人間誰しも持っているものだとは薄々感じていた。

 

他の世界線であったことは別に全く無くなったわけじゃないということを。

 

全ては意味があったこのなのだと。

 

まぁ、鈴羽自身は意識しているということはないのだろうが。

 

「それにですね。昔私言いましたよね。あたしの記憶が戻ったら私はどうなるんだろうって」

 

そう言えばそんなことを言っていた気がする。

 

あの時俺は明確な答えを出してやれなかった。

 

自信がなかったから。

 

どんな鈴羽でも鈴羽には変わりない。

 

その程度の気休めしか言うことが出来なかった記憶がある。

 

「どうやら、私の杞憂だったようで。一度夢か何かで昔の自分と話したことがあるんですけど、結局私は私のままでした」

 

「そうなのか」

 

「はい。まぁ、阿万音さんの記憶を辿ればこれがIBN5100だって言うことも、これが私達の当初の目的だったということも分かりますよ」

 

「当初の……?」

 

どういうことだろうか。

 

その言い方ではまるで新たな目的があるかのようではないか。

 

「どういうことだ?」

 

「ん?えーとですね。倫太郎さんは実は気づいているんでしょう?」

 

鈴羽はじっと俺を見つめる。

 

「なんの話だ?」

 

「なんの話でしょうねぇ……。とぼけなくても結構ですよ。この世界が歪に歪んでいるということに」

 

そこで俺は押し黙った。

 

「私は生憎そのリーディング・シュタイナーなんて世界線を見ることが出来る便利な能力なんてありませんから今どの世界線にいるかは分かりませんが、考えてみればこのまま私達が生き続けた場合、タイムマシンなんて便利なものがあれば話は別ですが、恐らくこの時代にそんなものを作ろうと思い立つ倫太郎さんではないでしょう。

つまり未来で生まれて過去で死ぬなんて矛盾は起きるわけがないんです。

倫太郎さん、一つ聞かせて下さい。今、私達がいる世界線はαなんですか?それともβ、はたまた――」

 

「α世界線だ。まゆりが死ぬ世界線にいる。俺達が何らかの方法でまゆりが死ぬはずだ。このIBN5100を手に入れてSERNと関わることのない2010年を過ごそうとも何らかの方法でまゆりは死ぬ」

 

俺は頭を力なく落とす。

 

言葉にすればするほど絶望が忍びよってくるようで。

 

俺の言葉を聞くと鈴羽はなるほどと何かを考えていた。

 

「まさかまだα世界線にいたなんてね……てっきり、私達が何もそういうことを考えずに生きていられる世界線だということを期待していましたがそうもいかないようですね」

 

「それに……このままだと、秋葉が2000年に亡くなるんだ」

 

「――っ!!」

 

そこで鈴羽は初めて息を飲んだ。

 

2010年では言い方は悪いが鈴羽と秋葉は面識すらない赤の他人だった。

 

俺だってフェイリスの父親と気づかなければ他人だったのだ。

 

自分の理解の及ばない所で誰か知らない人が死ぬのは日常茶飯事だ。

 

気にも留めることはないと思う。

 

しかし知ってしまったらそう簡単にことは進まない。

 

どうして死ぬと分かってしまった知人を見捨てられようか、俺には出来なかった。

 

「2000年て……あともう数年ですね」

 

鈴羽が遠くを見るように窓の外を見ながら言う。

 

「倫太郎さん。覚えてますか?阿万音さんというか私が昔言っていた話。世界線は2000年と2010年に大きな変動があるって」

 

俺は頷く。

 

「α世界線では2000年には何も起こらず、2010年に倫太郎さん達が電話レンジ……でしたっけ?という疑似的なタイムマシンを偶然作ってしまったことと牧瀬紅莉栖がSERNに入ったことでディストピアが構築されました」

 

鈴羽は朝刊の中に入っていたチラシの裏側を使って図を描く。

 

マーカーがキュキュと小気味良い音を立てる。

 

「このまま私達が何もしなければ秋葉さんは亡くなり、推名まゆりも死ぬ。そして、私達は生きていないにしてもこれから数十年後にSERNがディストピアを構築します。だけど、今私達にはこの未来を知っているという大きなアドバンテージがあります」

 

鈴羽は茫然としている俺を見る。

 

その瞳は何かを信じているような瞳だった。

 

俺は2010年に来る前の鈴羽を見たことはないが、このように何かに期待を寄せて未来から来たのではないだろか。

 

「あれ……おかしいですね」

 

鈴羽は自分が書いた図を見ながら頭を傾げた。

 

「何か矛盾でも見つかったのか?」

 

もし、矛盾があるならばそれは綻びかもしれない。

 

世界線という名のどうしようもなく残酷なまでに理路整然とした神の意思の綻び。

 

しかし、俺の期待は数秒で裏切られた。

 

「いやですね。私が一人で1975年で帰った時って私はどうなりました?」

 

「どうって……」

 

「倫太郎さんは私が一度一人で過去に行った世界線を見ていますよね?でなければ、推名まゆりと私が共に死なないように同じ一日を繰り返すはずがありませんから」

 

「た、確かにそうだ。……鈴羽。いや、鈴は記憶を失い2000年に自殺した」

 

自分が自殺したと聞いた鈴羽は驚いたような、やはりそうだったのかと頷く。

 

「まぁ、その私はなかったことにされましたから良いですが。つまり、私は未来で生まれ過去で死んだことになりますね?」

 

俺は頷く。

 

「それは、何故か。タイムマシンという存在があったからですよね」

 

タイムマシンなんて無ければそもそも過去に帰れないですからね。

 

そう言って鈴羽は笑う。

 

「私が疑問に思ったのは、岡部倫太郎という存在が2010年に存在しない以上、未来ガジェット研究所も、はたまた電話レンジも存在しないわけですからここにいる私達の存在は矛盾そのものですね」

 

「そうだな……」

 

「――私が考えるに、このままだと私達は世界線に消されます」

 

「消されるとは物騒だな」

 

「いえ、消されるで正しいんです、倫太郎さんと私は普通の人間の輪から外れているんですよ?そんな存在を許すほどこの世界は甘くないと思います。

もし、仮に倫太郎さんがあの日、タイムマシンオフ会の晩、私を捕まえることなく私が一人で故障していないタイムマシンで帰ったとしても私は2000年に何かしらで死んでいるでしょうね」

 

俺は鈴羽の淀みない口調に下を向く。

 

駄目じゃないか。

 

結局は世界に負ける。

 

「でもですね。逆に考えると私は2000年までは生きていたんですよ?いつ死んだかは分かりませんがそれでも生きていました」

 

「何が言いたいんだ…?」

 

鈴羽の言いたいことの真意は掴めなかった。

 

「いえ、気にしないでいいです」

 

今はね。

 

鈴羽はそう言うと、また表情を険しくする。

 

「それより、今はSERNをどうするかです」

 

俺はその単語を聞いてハッと現実に引き戻される。

 

「そうだ。鈴って――」

 

「父さんのように完璧に扱えるわけじゃありませんけどね」

 

鈴羽は肩を竦めた。

 

父さん。

 

その言葉を聞いてダルを思い出す。

 

2010年の俺の相棒であり、SERNにハッキングをしたスーパーハッカーだ。

 

そして、鈴羽の父親。

 

鈴羽が自らの父親の話を出したことで記憶がよみがえったことを改めて実感した。

 

「まぁ、ここじゃ当然出来ませんが、ある程度しっかりした所ならば或いは……」

 

自信なさげに鈴羽は呟く。

 

「それに多分英語だから平気ですけど、万が一フランス語で何か重要なことが書かれていた場合読みとれませんよ?」

 

「そのことに関しては心配ないだろう?」

 

俺の笑みから悟ったのかなるほど。そう鈴羽は笑った。

 

「店長、いえ、天王寺さんを使うというわけですか」

 

「MRブラウンも翻訳する程度なら受け入れてくれるだろうさ」

 

だといいですね。

 

鈴羽も平気だろうと思っているのか笑顔で答える。

 

「それより倫太郎さん」

 

鈴羽はそう言うと俺の肩に顔を置いた。

 

必然的に抱き合う形になる。

 

突然の事態に俺は無様に戸惑う。

 

「え……あ?鈴?」

 

「いえ、気にしないで下さい」

 

 

――ただいま。岡部倫太郎。そして、これからもよろしくお願いしますね倫太郎さん。

 

 

「あぁ。これからもよろしく頼む」

 

俺は鈴羽を強く抱きしめた。

 

この感触を忘れないように。




そう言えば、これは40話で終わるんで、あと十話くらいですね。

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