俺が病院に着くと秋葉が手術室と書かれた部屋の前の椅子に座っていた。
遠目から見ると項垂れているようにも見える。
「秋葉!」
俺の声に気がついたのか秋葉は項垂れていた頭を上げた。
「おお、岡部。病院の方は岡部に一度連絡を入れたが繋がらなかったらしく俺の方に入れてきたらしい」
じゃあ、後は任せた。
そう言うと秋葉はよれていた背広の襟を正し、どこかに電話をしながら足早に去っていった。
渡井という単語が聞き取れる。
恐らくここに来てしまったことで今日の仕事の予定に変更が生じてしまったのだろう。
他人のことなのだから無視してしまえば済むはずなのに……
秋葉らしいと言えばらしい。
そのらしさのおかげで俺はこうして間に合うことが出来た。
今度フェイリスが生まれる時は俺も何か恩返しが出来たらな。と俺は漠然と思った。
「そうだ鈴羽」
俺は赤いランプの灯った手術室を見つめる。
医学に明るくない俺では分からないがどの位手術に時間を要するのだろうか。
それから俺はどの位待ったのか分からない。
一時間だったか三時間だったかそれとももっとかかったのか。
どちらにせよその時間が永遠のように感じられた。
幾度足を組み変えただろうか。
赤く灯っていたランプは色を失った。
手術室の扉が開く。
俺は思わず中を覗きこむ。
看護師さんと目が合った。
彼女は俺と目が合うとにこやかに笑った。
その時ようやく室内にけたたましく響く泣き声に気づく。
泣き声など耳触りだろうと思っていた。
それは勘違いだったようだ。
その泣き声を聞けば聞くほど涙が止まらない。
男の子だった。
俺の血を受け継ぐ子供。
「あ…れ?倫太郎さん泣いてるんですか?」
「なっ……馬鹿を言うな」
俺は鈴羽に指摘されて顔に血液が集まる。
服の袖で涙をごしごしと拭くと得意気に鈴羽の方を見る。
「ふはは。ほら、どこらへんが泣いてるというのだ」
俺の気丈な振舞いがおかしかったのか鈴羽は少しクスリと笑った。
とりあえず俺は一度退散することにした。
何かと生まれたばかりだとやることがあるらしい。
俺はいそいそとその場を後にすると公衆電話に向かう。
2010年ではレトロ扱いされて最早探すのすら難しいのだが、この時代はそこら中にある。
自前のテレホンカードを入れると最早暗記している番号を押す。
トゥルルルルと受話器から音が流れる。
相手方が取るのが早かったようで一小節終わる前に相手が電話口に出た。
「はい。秋葉」
「あ、秋葉か!」
「おう。俺だ。どうだった?」
「それが……」
「それが……?」
「男の子だった」
俺がそう言うと電話口で祝う声が聞こえた。
声から察するに渡井さんも近くにいたらしく、良かったですね。という声が聞こえた。
二人共子供が生まれるには二年後位か。
「おう。良かったな。岡部。俺は少しこれから用があるから切るが、向こうさんにもよろしくな」
そう言い残してガチャリと電話が切れた。
俺が電話をし終わると看護師さんが俺を探しているようだった。
「あ、ご主人様ですよね?」
「え?まぁはい」
「赤ちゃんご覧になれますよ」
こちらへどうぞと俺は看護師の後ろを付いていく。
案内された部屋には沢山の赤ん坊がいた。
この病院にはこんなにも赤ん坊がいるのか。
俺は素直にその事実に驚く。
看護師の指の指すままに俺は赤ん坊を見た。
俺の子供か……
正直嬉しい。嬉しいのだが実感が湧かない。
俺は自分の子供をある程度堪能した後鈴羽の病室を訪れた。
麻酔が効いているのかスーと規則正しい寝息を立てて寝ていた。
俺は鈴羽が寝ているベッドの横の椅子に腰かける。
寝息を立てる鈴羽の顔を見る。
相変わらず目鼻立ちがすっきりしていて俺には本当に勿体ないくらいの美人だ。
俺は自然と鈴羽の手を握っていた。
ありがとう。
ただそれしか言えなかった。
「んあ?あ、倫太郎さん」
どうやら起こしてしまったようでまだ寝ぼけ眼だが鈴羽はこちらを見て微笑む。
「すまない。起こしてしまったようだな」
いえ、別に構いませんよ。
目を擦りながら鈴羽は言った。
「それにしても男の子でしたね」
「あぁ、名前は前に決めた通りか?」
えぇと鈴羽は頷く。
「『鈴太郎』二人のりんたろうに囲まれるなんて私は幸せですね」
恥ずかしそうに鈴羽は身をくねらせる。
そんな鈴羽の仕草を見て俺は微笑む。
願わくばこの三人の幸せがいつまでも続けばいいと。
*
――1992年7月25日
「何故貴様が俺の隣にいるッ!!」
「気にするな。これも運命石の扉の選択なのだ」
俺と中鉢はこの日二人揃って病院にいた。
理由は簡単だ。
今日は紅莉栖が生まれる予定の日なのだ。
鈴羽が出産して暫くしたある日のこと中鉢が一人尋ねてきたらしいのだ。
というのも俺は仕事をしていたので鈴羽からの又聞きだ。
中鉢は普通に遊びに来たようで少し世間話をして帰ったらしいがその時自分の妻も妊娠していることと病院を鈴羽に漏らしていた。
それを聞いた俺がこのまま指を咥えて見ているのは変な話だ。
幸い紅莉栖の誕生日には見当がついていたのでその日に病院に行ってみると案の定そわそわしている中鉢に出会って今に至るのだ。
「ごめんなさいね。牧瀬くん」
「いえ、経験者の橋田助教授がいて下さるだけで心強いです」
「待て。鈴は生んだ側だ。手術室の前で待っていたのは俺だ。だから経験者は俺になるのではないか?」
「貴様は、橋田助教授を奪っておきながら……うるさいわ!」
そう言うとムスッとした顔で椅子に深く座りこんだ。
ふむ。中鉢も慣れてくると随分と扱いやすい奴だ。
しかし、流石にナーバスになっている時期だろう。
やりすぎた。と少し反省した。
「大丈夫だ中鉢。意外に女の人は強いぞ」
俺の激励ともとれる台詞が意外だったのか中鉢は一瞬目を丸くしたが、おう。と言って俺から視線を逸らす。
「しかし、よく寝ますねこの子」
鈴羽が我が子を見る。
先程からすやすやと寝息を立てている。
鈴太郎はあまりぐずらなかった。
そのせいで何か病気ではないか?
とさえ二人で疑ったほどだった。
医者に見せたが病気でもなんでもないとのことだった。
しかし、俺が紅莉栖が生まれる瞬間に立ち会うとは……。
過去に跳んだとはいえ、まさかこんな状況になるとは思ってなかった。
「おい、鳳凰院」
「なんだ中鉢」
「少し聞かせろ」
「なんだ。暇つぶしの相手か?」
「嫌なのか?」
「いや、別にそういうわけではないが」
「そうか。なら答えろ。貴様は未来から過去に来て、未来を変えるということをどう考える」
その問いに俺は一瞬言葉に詰まる。
「どういう意味だ?」
「この間とある洋画を見てな。主人公が過去に跳ぶという話だったのだが、その時両親の未来をうっかり変えてしまいそうになった。その結果家族で映った写真の中の主人公の兄が消えそうになっていたのだ」
貴様はこれをどう考える?
中鉢はそう聞いてきた。
その映画なら確か俺も2010年に見た記憶がある。
確かにそんなシーンはあった。
中鉢は俺が答えないのを無視して話を続けた。
「助教授の論文や貴様の論文を読んでいる内にふとある推論に至ったのだ」
二人は未来から来たのではないのかと
その言葉に俺は極めて無表情を貫く。
俯いている為に表情は見えない。
「特に貴様の書いた論文は荒唐無稽で何を言っているのか皆目見当もつかない器具を用いて時空転移を可能とする試みのはずだったが、携帯電話というのは実際に出現した。このままだといつか42型という特大なテレビが出来るかもしれないそう考えた」
中鉢の言葉を聞きながら俺は別の事を考えていた。
中鉢というのはただのイカれた科学者ではなかったのか。
@ちゃんねるに書きこまれたジョンタイタ―の理論を模倣しただけのインチキ科学者ではなかったのか。
姿は違えどそこには牧瀬の血を感じた。
「そこで鳳凰院。貴様に聞きたいことがある」
「なんだ?」
「貴様らの体はなんともないのか?」
あぁ。俺は即答した。
どう見たって俺も鈴羽も健康体そのものだ。
「ほら……」
そこで俺の言葉が止まる。
手が一瞬ゼリーのように崩れたのだ。
慌ててもう一度見ると何事もなかったかのように俺の手はそこにあった。
「どうかしたか?」
「い、いやなんでもない」
そうか。そう言って中鉢が手術室の方を向くと丁度ランプが消える。
俺達三人に緊張が走った。
部屋の中から元気な赤ん坊の泣き声が聞こえた。
その声を聞いていの一番に中鉢は駆けだす。
俺も次いで扉の中に入る。
そこには看護師に抱き抱えられる牧瀬紅莉栖がいた。
正確には紅莉栖と名付けられる前の赤ん坊が。
俺は先程の不安を忘れ、ただ目の前の光景に微笑んだ。
おめでとう。
そして初めまして。
クリスティーナ。