どうしようもない僕がブリュンヒルデに恋をした 作:のーぷらん
「千冬、……本当に、ピザ、好きなんだね」
「……ああ」
英の目が私の背後を素早く通り抜けた。通信機のカメラ映像で見える範囲はそんなに広くはないだろうが、私もつられて後ろを眺める。
今日作る料理のために慣れない買い物をしたせいでキッチンを掃除する時間がなかった、自分で料理を作るのは苦手だから、というのは言い訳に聞こえるだろう。私の背後にひっそり佇むダストボックスの横には、赤やら黄色やら自己主張を激しく振りまく宅配ピザの箱がどっしりと鎮座ましましていた。
そっと通信機の角度を調整して私と私の手元しか見えないようにする。
「僕のノート見て、すぐ『ピザが作りたい』って、言ってたし……」
英にしては珍しく呆れ顔である。ただ、それには理由はあるのだ。何が作りたいか聞かれてノートをめくったとき、製作時間が一番長いものを選んだらピザだったから。だからピザが格別好物という訳ではなく、むしろ。
「……まぁ、好きだからな」
誰といるのが好ましいだなんて言ってやらないが。
(英なんか、せいぜい勘違いしてればいいんだ)
私は笑い声混じりの英の指示に若干腹を立てつつ強力粉と薄力粉をふるいにかけた。そのままドライイーストというこれまで使ったことのないものを入れる。一人なら絶対に使い切れないし面倒だと思う食材だ。英の「料理って遠まわしに作る方が楽しい気がする」と言うセリフに納得しなかったら、既製品の生地を買おうと提案していたところだ。
時間をかけて、あえて面倒な方法で作る。なんて非効率的でぜいたくな時の使い方だろう!そのことにお互い納得済みで付き合っているということが、お互い少しでも長く一緒に過ごしたいという願いを体現していると感じられて非常に幸せな気分になった。
「それで5分くらい、こねるんだ。僕もてつだえればいいんだけど……つかれるだろうけど、がんばって」
「……5分くらい、どうってことない」
(英なんか、)
穏やかな気持ちと思考がぴたりと止まる。
体だけは力いっぱい使って白い粉に手を入れた。
女扱いされることにはまだ慣れない。困ってしまう。何よりも、本当にこいつは私のことを好きで、今私たちは恋人同士なのだと思えるから。
急に何を話したら良いか分からなくなる。だが、黙っていると胸の奥が痒いようなもどかしい気持ちにさせられて、耐え切れず私は口を開いた。
「…………一夏は元気にしてるか?」
「織斑くんはげんき。バイトもがんばってくれてるよ?」
不思議そうに英は首をかしげた。連絡をしているんじゃないのか、というポーズだ。
「一夏とは毎日連絡を取るようにしてはいるが……実際に会っている訳じゃないからな」
まさか静寂回避がこの話題の第一の目的だとは言えまい。「心配なんだ」と言葉にすると、微妙に演技臭くなった気がして表面がすべらかな淡い白になった生地に目を落とす。ただそれも一瞬。
「千冬は……」
途中で止まった声に視線を上げる。
心なしか悲しげな英がそこにいた。「織斑くんが、心配なんだね。いいおねえさんだ」と続けたが、文面とは裏腹に浮かない表情だ。
「どうした?」
「……なんでもない、よ」
そんなふうに言われると困ってしまう。彼が俯いて髪の毛がシャッターのように顔を隠した。
「何でもないことはないだろう」と思った通りに口に出す。隠しだてされるのは好きじゃない。ましてや英に隠し事をされるのも、そういう顔をさせるのも、大嫌いなのだ。そんな思いは絶対させない。確信できる愛なんて私にはまだつかめないが、それだけは確かなこと。
「私たちは恋人なんだろう?何でも言えばいい」
「……あまり、気にしなくていいんだけど、その、聞き流してくれればいいんだけど、弟なんだって分かっているんだけど」
「いいから言ってみろ」
遠慮されると腹がたつ。強い口調で言う私に、英は躊躇したあと早口で理由を言った。
「織斑くんには毎日連絡するし心配するって聞いたら嫉妬、したんだと思う」
「……」
今度はこちらが黙る番だった。
「もう、こねるのはいいから、ラップかけて日あたりいい場所に置いてくれる、かな?」
「あ、ああ」
二人そろってぎこちなく動いた。今は作業があるのがありがたい。
「次はどうしたら良い?」
「えっと、生地を発酵させるんだ」
「はっこう?」
「生地をそのまま、置くんだ……30分くらい」
「……」
「えっと、トマトソース、その間に作ろう……?」
「あ、ああ」
だが、トマトソースはものの5分程度で出来てしまった。「これで完成だよ」と言われて戸惑ってしまう。
嫉妬されて、好きだと告げて、恋人宣言した。
(本当に恋人同士)
まずい。どっどっと耳元で心臓音が聞こえる。意識するとどうしていいのか分からない。顔に熱が集まらないように祈りを込めつつ布巾で台を拭く。
さっきも話題に困って一夏の話をするとこうなって。じゃあ、何を話せば無難なのか。長い時間一緒にいたいと思ったのは本当だが、いざとなると平静を装うことだけで精一杯でちょっとしたことで恥ずかしくて逃げ去りたくなる自分が情けない。
「千冬、手際いいね」
「ん?」
「思ったより早く作り終えそう」
ほら、そう言ってまた悲しそうな顔をするから。それでも好きとか感謝の気持ち以外お前は私に言おうとしないから。
「次はいつにする?ドライイーストなんぞ私一人では使い切れないからな。それを使った料理が良いな」
恥ずかしくたって気持ちを届けるんだ。お前の気持ちが陰ることがないように。
「!次は明後日あたりが空いてるけど、千冬は?」
「私も空いてる。明日に買い物しておけば良いものを教えてくれ」
英は『花のがく』という意味があるそうだ。だが、彼の笑顔はがくではなく、大輪の花がほころぶようだった。
倍にまで膨らんだ白い生地が目に入る。暖かい日の光の中で心地よさそうに大きくなっていた。
私は、流れに従って彼と恋人になった。恋なのか、愛なのか、まだはっきりとはしない。ドイツと日本にいる私と彼では実際に会うこともそうそう出来ないし、私の知名度で遊園地、水族館、動物園など普通のデートをすることは困難だろう。
だが、今日みたいに遠回りでものんびり絆を作っていけば私は彼を愛するようになる。この気持ちは時間をとれば膨らんでいく。
(そのときには)
絶対にはっきりと好きだと言おう。その後の彼の笑顔を早く見たい。
私は生地を押してガスを抜きながら、未来に思いを馳せた。