どうしようもない僕がブリュンヒルデに恋をした 作:のーぷらん
『少しの手間』で出来る。『いくつかの操作』をするだけ。
人によっては、それが難しいこともある。
頭の中では分かっていたつもりだったが、それを今思い起こしてしまうのはきっと私が本当の意味で理解していなかったからだろう。常識を辿るだけで実感してこなかったなんて、何て視野が狭かったんだろう。
たとえば、イグニッションブースト。
ISの後部スラスター翼からエネルギーを放出、その内部に一度取り込み、圧縮して放出する際に得られる慣性エネルギーをして爆発的に加速するのがこの技術。することはわずかで、瞬時加速したい速度の分エネルギーを出し、吸収、再度出すのみ。気をつけなければいけないのはエネルギーを出す量と吸う量が同じになるかどうかということだ。これが呼吸のように出来る人間もいれば、吐き出す量が多すぎて機体がガタついてしまう場合や逆に過呼吸のように吸いすぎて止まってしまう場合、タイミングが悪くて敵ISの攻撃に自ら飛び込んでしまう場合もある。
「C0037、タイミングが遅い」
土埃をものともせず、戦う少女たちをコックピットから見る。汗のせいで土が顔にまで貼り付いてもそれを払うこともせず、視線は相手に固定されている。ここではISをスポーツやファッションと思う者は一人もいない。そこにいるのは力を求めるものだけだ。さすがドイツ軍といったところか。
特にその中でも異彩を放っている銀の娘に私は指示した。すぐさま、
「はっ、教官」
という返答がくる。機体にはかなりの反動がきているはずなのに少し眉根を寄せただけで動揺せず再度攻め込む。
『教官、強くして下さい』
赴任した当初私に言ってきたときと同じ目をしている。左目には眼帯をつけているため、隻眼ではあるが、その一つの目が弾丸のように真っ直ぐその意志を伝えていた。右目は真っ赤に燃えている。
私は知っている。その眼帯の下の目は、ナノマシンの手術が施されたのだと。適合に失敗したため、彼女のみ眼帯をつけているのだと。彼女は遺伝子識別強化体C0037であるということ。これも赴任した当初渡された資料にあったからだ。
「クラリッサ、瞬時加速は速いが、所詮直線だ。軌道を予測しろ」
「はっ!」
部隊員には名前がある。ある者は軍から、ある者は自ら名前をつけたらしい。「自我に無駄に目覚めている」と苦々しく言う軍人はいるが、むしろ私はほっとしていた。親がいなくても、ナノマシンの手術を受けても、彼女たちには個人としての思いがあることが、同様に親がいない私には嬉しかったのだ。
「では、休憩」
名残惜しいように唯一名無しの少女はISを解除した。自分で付けなくてもいいが、せめて名前を必要と感じて欲しいと願う。彼女のなりふり構わず訓練に励む姿は人間というよりロボットを見ている気分にさせられた。
(お前も、一個人なんだ)
彼女は黒い機体にもたれて指で機材をなぞっている。小柄な体躯は影に見えなくなり、それが彼女の存在を呑み込んでいっているようで私はぞっとした。
たとえば、食事。
休憩の時間に食堂に行く者もいれば、パンに素材を入れてサンドイッチを作ってくる者もいる。ちょっと足を運ぶだけ、手間をかけるだけで済むのだ。だが、眼帯の少女は食事の時間にも黙々と射撃訓練をしているようだった。そもそも栄養バーや水分以外を採っている姿を見たことがない。
本来ならば白磁の瑞々しい肌をしているはずの十代が、げっそりとこけ、乾燥した和紙の肌を晒しているのは悲しく辛いことだ。食事時間が終わると再びその体を日の下に投げ出す。
不思議なことに食べないという行為は、本来隠しておくべき動物的な部分がむき出しになっている印象を与えた。彼女は相手に今日も躍りかかる。
敵意。
殺意。
憎悪。
同じ部隊の者という意識が微塵も感じられず、むしろ負の感情が感じられるのは彼女だけがナノマシン適合を失敗した劣等感があるからだろうか。私が赴任してから部隊長の噂も囁かれるほど上達したが、それまでは出来損ないと言われていたそうだから。いつ追い落とされるかという恐れが彼女を生き急がせているようで、隊の中でぽつんと浮いた存在だった。手負いの獣のように他の者と馴れ合わず威嚇するのだ。
「C0037、ISを解除。トレーニングに参加しろ」
「はっ!」
(また)
背筋が騒ぐ。
声掛けで振り返った彼女の表情は見たことのある色をしていた。『出来損ない』の自分を救った戦乙女のような。無限のあこがれであり、何でも出来るだろう、全能の、彼女の神のような。私だけに甘く微笑み、信じ、一番の恩恵を受けている自分に驕り昂ぶっていく姿に、戸惑った。
(……どうしたものか)
C0037、お前の信じる神はこんなにも頼りなくて単純なことさえ出来ずにいるというのに。
――たとえば、メール。
ドイツから用意された居室のデスクに鞄を下ろすと、カツっと硬質な音がして私は肩を落とした。鞄の中にある音源を出して、未送信BOXを確かめる。
『伊藤英』
部屋のガラスの外は薔薇園や噴水が薄暗く見える。朝に散歩でもすると爽やかに朝を迎えられること請け合いだ。気休めの思考をしつつ、ガラスに手を当てると目の前の華やかな光景が信じられないくらい冷たかった。そこに映っている自分をぼんやり眺めると、両足を踏ん張って仁王立ちしているようなりきんだ顔をしている。
「ふふっ」
おかしかった。今にも泣きだしそうな顔をしているのかと思ったのに、案外私は強いのではないかと錯覚しそうな顔をしている。C0037のこと。日本に残した一夏のこと。これからの私と、あの男のこと。こんなに心配し困っているのに、随分平気そうじゃないか。
自嘲の勢いのまま、ボタンをタッチして文章を打ち込んだ。
『遅くなってすまない。料理のことで相談したいから空いているときに通信を頼む。
番号:××-×××× 織斑千冬』
……おかしくはないはずだ。いや、最後の
(何だ、簡単なこと……)
どっと力が抜けて、椅子に腰を下ろした。きっとあいつのことだから、色々考えて返信してくるだろう。また悩まなければならないことから解放される。
しかし、てっきり一週間メールをしなければいけない気になっていたが、彼のことをどうでもいいと思っているのならばメールする必要はなかっただろう。では好きかと言われると、連絡しなくてもいいとほっとしているから違うような。ただ、私は今日本での騒ぎで疲れているから
「ちーちゃん、つーしんだよぉ」
取り留めのない思考を遮る声に顔を上げた。外は暗い。何度変更しようと思っても出来なかった束の着信ボイスが暗いのも気のせいではないだろう。伝えることが不満と言う気持ちをありありと表していて、一体どこの誰からの通信チャネル申請かと思いつつ、画面を見る。
『伊藤英』
驚愕で手に力が入り、
「あ」
回線が開く。途端に彼の顔と、
「千冬!」
という声が響いた。……『響いた』というのは文語的表現ではない。
「どうしたんだ、そんな大きい声を出して……連絡が遅くなって、怒っているのか?」
かつてない程、彼が声を張っていたからだ。私の意識を回復させる気付け薬にはなったが、すぐに心配になる。穏やかな話し方や照れた声色しか聞いてこなかったのだ。その彼が声を張り上げるだなんて理由は想像するに難くない。すなわち、私の落ち度だ。
「え?!……いや、全然。あの、連絡してくれてものすごく嬉しかった」
急に初めの勢いはどうしたのか、ぼそぼそとした声で言われても信じにくい。
(英はいつも、全力で私のことを慕っていたのに)という不満が出てきて、自分の甘えすぎていたところに愕然とする。なんて身勝手。
「その、本当にすまない……」
ただ謝ろうとしただけなのに、ありえないほど沈んだ色がにじむ私に英も困ったのか、静寂が降る。これまで彼との会話で静けさが訪れることなど数あったが、こんなに嫌なものは1つもなかった。沈黙が重さとなり、私の心臓を締め付けだした頃、彼は口を開いた。
「ごめんなさい……」
ぱっと見ると空気中に映し出された彼は泣きそうな顔をしていた。謝ったのは私なのに。
「連絡しづらかったのは、わかるんだ……いつまでも待つつもりで、むしろ、連絡されただけで嬉しくて、でも、僕がキス、しようとしたのは」
混乱し続けているようで必死に気持ちを伝えられる言葉を探そうと空をさまよっていた目がやっと私を捉えた。
「千冬のことが、好きだからです」
二度目だ。
何で苦しそうに言うのか。
何で私は彼にこんな想いをさせているのか。
「嫌な思いさせて、怖がらせてごめん」となおも言い続ける彼を見ていると罪悪感で一杯になる。耐えられないんだ。その場に彼といたなら私は何としてでもその想いをせきとめようとして口をふさぐなり、叩くなりしただろう。でも、今届けられるものは。
「謝るな。私は全然嫌ではなかった……」
私の言葉だ。
予想通りぴたっと彼の口が止まる。
分かっていた。これを言ってしまったからには、引き返せない。次に言う言葉は決まっているのだ。この後で普通の料理やテレビや日常の話題なんて出てくる訳ない。運命のように宿命のように定められた流れが私の中にはあって、それを悟ってしまった。
私がどう彼を想っているのか、彼とどうなりたいのか、はっきりした形なんていくら探っても出てこない。でも、少なくとも私が今彼とのつながりを失くしたくないという意識だけは堅く存在している。言わなければ彼は二度と連絡しないと言ったはずだ。あるいは私に線を引いたはず。だから、後悔などするはず、ない。
先程とは違う物音のない空間で、私は覚悟を決めた。
「私は英のことが好きだから。
自分でも確信は持てないが、好きだしそばにいてほしい。こんなわがままな私で良ければ、一緒に付き合ってくれ」
呆然としてどこか哀しげにも見える表情の英に言える言葉なんて他にない。
「ありがと…これから、よろしくお願いします…」と目を潤ませてつぶやく
憂いの1つが取り除かれ、満足した心地を味わいながら、ぐずぐず泣く英をからかった。それから、しばらく次に作る料理の話をして、――彼が「もう開店準備しなきゃ」と気付くまで話し続けた。
おそらく言いたいことが読者様たちには多くありましょうが、私も驚いています、とだけ。
またこの作品は未だ未完結で最終話ではありません。しばしのご辛抱を願います。