艦娘の艤装は、持ち主の考えによって動く。
だから俺は自身の主砲をル級の顔に押し付け続けながら、ある事をひたすら願う。
轟け!!と。この能面を水面に沈めて、俺に歯向かった事を後悔させる!!と。
だが俺の主砲は相変わらず動かなかった。うんともすんとも言わない。
……これは弾薬が無くなった訳では無いはずだ。
何せ俺は、此処に来るまでの間は砲撃なんて一度もしていないし、ル級に砲撃を放った回数だって片手で数えられるのだから。
……有り得るのは故障くらいか。
撃てない理由が弾切れでは無いなら、原因はもはや故障しか無いだろう。
しかし問題はその故障が何時何処で起こったかになるのだが……、少なくとも接近する直前にはル級に砲撃を見舞ってやった。
つまり故障するとすればル級に近づいていた、あの僅かな間という事になるのだけど……。
……あったか?そんな間に故障に繋がるようなこと……。
俺が必死に原因になりそうな事を思い返そうとした時、不意にル級の砲弾がかすめた右耳がズキリと痛んだ。
……そして俺はある事に思い当たる。
おそらく……右耳を焼いたあの砲弾が、流れで直ぐ後ろにある主砲に当たって、壊れたのだろう。
それなら、俺が気づけないのも無理もない。
何故なら、その時にぶつかった音がしたとしても、その方向の音は焼けた耳では聞こえないから。
俺は、それがどれだけ愚かだと分かっていながらも、ル級から目を放し自身の砲へと目を向けた。
すると予想通りというか、主砲には何かが当たった跡があって、砲の根元が曲がってた。
……艤装の自動制御でも働いて、撃てないとでも判断したんだろうか?
まあ、それを知った事で俺の砲が撃てるようになるわけでもないのだが。
そんな風に目を放していると、視界の端でル級が動く。
とはいっても俺はル級の懐に居る。だからル級は砲撃で俺に攻撃する事は出来ないだろうと高を括っていると、ーーボチャリボチャリと音がして、何も持っていない青白い手がヌッと伸びて俺の首を掴んだ。
「グゥ……!?」
俺の首を掴んだ手に力が込められ、俺の首が絞まる。
そこでふとル級に目線を戻すと、ル級は俺を憎悪の目で睨み付け、そして唸るような雄叫びを上げた。
「オオオオォォッ……!!」
雄叫びに呼応して、ル級の手に更に力が入る。
ル級が握り締める俺の首にル級の指がめり込み、自分の首からブチブチと筋が千切れる嫌な音が聞こえた。
喉元から熱い液体がせり上がり、乾いた口が潤う。
それは嫌に鉄臭くてドロリとしていて、味はそのせいで良く分からなかったが確かに不味いと思える物で、俺はそれが物凄く不快だった。
…………それにしても、まさか深海棲艦……それも戦艦級が己の艤装を棄ててまでも形振り構わず俺を殺しに来るとは……。
「……ぶっ……ククッ…………フグッ」
俺は首を締められている絶体絶命の状況でも、ル級の行いには笑わずにはいられない。
だって、そうだろう?
俺はもう軍船として終わっている。普通に離れて砲撃を撃っていればル級は勝てる。
なのにル級は何を焦ってか、自身までも艤装を棄てて船である事を放棄する始末。
そんなに俺を殺したいのか?邪魔をされたのが憎かったのか?
考えたってル級の気持ちなど解らない。解るはずもない。
だた俺に解る事といえばーーーー、今まで有った艤装の性能差ってやつが吹っ飛んだって事くらいだ。
ル級は勝ちに急ぎ過ぎて、肝心な選択を誤った。
残念だがル級が今やっているソレは、俺の十八番だ。
薄れ行く意識の中、俺はおぼろげに見えるル級の顔に向かって手を伸ばす。
目には目を。歯には歯を。首なら……首を。
殺意の篭る俺の両手がル級の首に迫ると、ル級は力ませた顔を唖然とさせた。
おそらく俺が、この期に及んで、まだ諦めていないのに驚いたとかそんなのなんだろう。
……間抜けめ。
覚悟を決めたつもりでも常に相手をなめてるから、ちょっとした事で驚く。呆気に取られる。
結局の所、ル級は気付いていないのだろう。
今ある優位、強さといった物は所詮不確かなもので、状況ひとつ変わればそんなものは簡単に吹き飛んでしまう事に。
……俺は違う。
ヤルと決めたらやる。相手が誰であろうが状況や優位なんて関係ない。
それこそ、相手に四又をもがれていたとしても、そんなものは俺の意思とは無関係だ。
ーーーーそんな俺の手は、ル級の首を掴むには至らなかった。
届かなかったのだ。
ル級の体格は大人で、俺は子供。響とル級では腕の長さが違いすぎて、今の状態ではどんなに手を伸ばしてもル級の首を掴むどころか触れる事すら叶わない。
ル級の顔が、ほころんでいくのが分かる。
そんなに俺を殺せるのが嬉しいのか。もう俺に勝った気でいるのか。
まあ、どちらにせよ……アメェ。
俺は首を掴めなかったその手を、即座に動かした。
現状で首に届かないなら、先ずはル級の手を引き離す。
この時、ル級はまだ笑っていた。どうせ駆逐艦の力では戦艦の力に敵わないとか思っているのだろう。だがな……。
俺は全力で、本気でル級の腕を掴む。
するとル級の腕がミシミシと鳴って、同時に「キャアアアア!!」とル級の大きな悲鳴が響いた。
俺の指が、ル級の腕を食い破った。
そしてル級の顔が再び歪み、俺を親仇といわんばかりに睨み付ける。
そんなル級を見て、今度は俺がほくそ笑んだ。
艤装や艦種しか見ないからそうなるのだと。
自分で思うが、俺は……強いぞ?
そりゃあ艤装や艦種では戦艦に圧倒的に劣るだろうが、俺は高所から落ちても無傷だし、浮いてさえいればそれなりに走っても艤装を使って海上を駆ける艦娘にだって追い付ける。
まあ……今は子供の女の子の身体だし、前の半分も力は出ないが、それでも……
お前を殺すくらいの力はあるはずだ。
だからル級、勝ちたいなら……死にたくないのならその手を絶対に離すなよ?
放したら最後、俺はお前を必ず殺すぞ。
「……コフッ!…………グ」
「沈メ!!沈メ沈メ沈メェッ!!」
うめき声に怒号。掴み合いから出る、ミシミシと割れる音にブチブチと切れる音。迫る、殺意に満ちた顔。
地獄の様だと思った。
思わず、俺、なんかやっちゃいました?と言いたくなった。
だが、言葉は出ない。自分の冗談で笑う事も出来なくなった。
ああ、視界が揺らぐ。異様に頭が痛い。
これは首を絞められてるせいで、頭に昇った血がどんどん貯まっているからではないだろうか?……それか寝不足。
もし寝不足のせいだったら、俺は今一度夜更かしを止める宣言をして、今日は早く寝ることにします。
だからさ?もう飽きも来たし、そろそろその手を離そうか!?
ギリリと歯を噛み締めてル級の手を離しにかかる。とはいえ元々全力でやっていてこの様だ。
そこから数秒程の無呼吸運動で、俺の力は自分でも良くわかるように墜ちていった。
震える手足。次第に黒く染まる視界。
……もう自分が目を開けているのか閉じているのかも分からない。
……落ちる。
落ちる。おちる。オチル。堕チル。
ズルズルと、ル級の腕を掴んでいた片腕が落ちていく。もう片方は落ちていく途中でル級の腕に指が掛かってぶら下がった。
頭が……イタイ。感覚が無くなっていく。
……寒い。ただ寒い。
これが死ぬ、ということなのか?
……そんなもんか。
やっぱりというか、想ってた通り大したこと無いな。死ってヤツは。
というより、これ以上痛かったり苦しかったりしない分、普通に生きるよりも死ぬ方が楽だと思える節がある。
それに……頑張ったよな?俺は。
なんだって普通の艦娘じゃ何十分と掛かる距離を数分で駆け抜けて、普通なら助けようの無い艦娘を間一髪で逃がして、駆逐艦では束になってやっと戦いになるeliteクラスのル級相手にたった一人でここまで奮戦したんだから。
やれるだけの事はやった。心残りが無いと言えば嘘になるが、それも死んでしまえば関係無い。
あの逃がした艦娘が逃げ切れるかも、来る直前に出会い二人の艦娘に約束した事も、あの鎮守府でやらかした埋め合わせも、あの日自分に誓った事さえも。
死ぬ最後まで重く心にのし掛かるが、それも死んでしまえば全てが無くなる。
関係が無くなる。
俺は、死に恐怖は無い。
ただ、ああ、そうか。と思うだけ。
だって、誰にだって死は訪れる。それこそ世界中の何処かで今も誰かが……犬や猫……ありんこだって死んでいるのだ。
それが偶々今日、俺だったというだけの話。
そう考えるといちいち誰かが死ぬ度に死を嘆くのだって馬鹿らしい。そうだろ?
――そんなことないよ。わたしはだれかがしんでしまったらかなしいし、あなただってほんとうはだれかがしんでしまったらかなしいはずだよ。
……にしても、俺もいよいよ終わりだな。
何たって首を絞められ過ぎて頭がパッパラパーになって、幻聴が聞こえるんだもの。
自分自身、今まで好き勝手に生きてきたからろくな死に方しないんだろうなー。とは思っていたが、まさかこんな死に方になるとは。
もう、笑うしかねえよ。あっはっはっ。
――げんちょうじゃないよ?
…………まじっすか、じゃあ御迎えか。
――おむかえでもないよ。
……まさかっ!?もう一人の僕……!!
――えっと、あたらずともとおからずってとこかな。
そうなのかー。で、もう一人の僕。
――わたしのよびかたはそれでけっていなんだね。
んな事はどうでもいいんだよ。それよりもだ、何でもう一人の僕は今になって俺の頭の中に沸いたんだい?
俺はね?こうやって呑気に考え事をしてるけど、実は今、ル級に九割方殺されてて忙しいんだよ。
ーーしってる。それでね?わたしはその事であなたにききたいことがあるんだ。
こんな時に……って、まあいいか。どうせ最後だ。
いいよ、言うだけ言ってみな。
――うん。じゃあいうよ?……あなたは……このまましんでも、しずんでしまってもいいの?
……うん、まぁ。良くは無いけど、出来る限りの事は尽くしたししょうがないね。
――しにたくないって、もういちどみんなとあいたいっておもう……?
正直、死ぬとかはどうでも良いが、皆とは会いたいよ。
――そっか。……じゃあさ、もしもだよ?みんなともういちどあうほうほうがいまあったとしたら、あなたは
やるよ。それが万分の一の確率でも。
どれだけの苦痛や困難があったとしても。
……あるんだろう?
そんな言い方をするって事は、今からでも俺のくそったれな現状を打開する方法が。
……もしそうなら早く教えてくれ。今ある意識だって薄れてきてるんだ。今の自分の状態だって分からない。
だから……手遅れになる前に早くしろ!!
――わかった。といってもあなたはなにかをするわけじゃない。
ただ……ねがって。
みんなにあいたいって。
ぜったいにまけたくないって。
……それだけ?
――うん、あとはわたしが、あなたにちからをあげる。
そのちからはつよく、きよいきもちをもってないとつかえないから、あなたはいまのきもちをつよくねがっていて。
……願って何とかなるなら初めから何とかなってると思うけどな。
――しんじられないのはわかってる。だけどこのままじゃ、あなたはしずんでひとりぼっちになってしまう。
……だから、おねがい。
…………ひとつだけ良いか?
なんでお前は俺を気に掛ける?
俺はお前に何かした覚えはひとつも無いんだがな。
――それは……あなたがおぼえていないだけだよ。
きっとじむてきにやっていて、こころにとどめていないだけ。
けど、わたしはずっとおぼえてる。
しんぱいしてもらったこと。いろんなものをもらったこと。ちからをあわせてつよいてきとたたかったこと。たたかいにかって、みんなでよろこんだこと。
そして……しずかであたりまえの……しあわせだったにちじょうを。
このちからだって、あげる……なんていったけど、ほんとうはあなたにもらったものをかえすだけなんだ。
…………お前は。
――ふふふ。やっときがついたかい?
わたしはすぐにわかったのに、あなたはぜんぜんきがつかないから、てっきりわすれられてしまったのかとおもったよ。……って、そんなことをいってるひまもないか。
……そうだな。
――だいじょうぶ。かんむすはひととはちがうからね。おもいがつよさにかわるんだ。……だから、ねがって。
……ああ。
――うん。そんなかんじ。
俺は冷たいモノを全身に感じながらも暖かいモノに心が生まれるのを感じつつ、そして刻一刻と意識が薄れる中、声に言われた通りただ願う。
ひたすら願う。
勝ちたいと。皆の所に戻るのだと。
――あなたならへいきだよ。きっと……ぜったいにかてるよ。だから……
――がんばれ司令官。
ーーーー
ル級の手の中で、響は口と鼻から血を垂れ流しながら、力無く項垂れていた。
目は虚ろ。それは目が見えているのか、何処を見ているかも分からない。
(……モウ、目ヲ閉ジルチカラモ残ッテナイカ。)
響は既に死に体だった。
だがル級は、そんなものは関係無いとばかりに両手に全力で力を入れ続ける。
……もう何度、この目の前の存在に驚いた事か。
ル級は短い間で、この響という存在を嫌という程思い知った。
この響は規格外なのだと。
この響が目の前に居る時は、気を緩める隙など毛ほども無いのだと。
この響は、どれだけ自分が疲弊しても、どれだけ相手が優位にいて強大でも、一瞬にして状況をひっくり返す事ができる異端者なのだと。
だからこそル級は手を一切緩めない。
今、自分がすべき事は、眼前の悪鬼を確実に海の底へと沈める事なのだと。
(……ソレモ、タダ沈メルダケデハ駄目。ソレナラ二度ト動カナイヨウニ、首ヲ折ッテシマイマショウ……!!)
完全に止めを刺す。
でなければこの鬼は、手を離した瞬間に息を吹き返してしまいそうな気がする。
そんな事をル級が思っていると、響の垂れ下がった片腕が揺れた。
「……ッ!?」
瞬間、ル級は息を飲んだ。
この鬼は何をしても死なないのかと、生きた心地がしなかった。
とはいえ響の腕が揺れた理由は、そこを見れば単純だった。
響の腕を、法被と鉢巻きをした手のひら程のヒトがよじ登っている。
それは妖精さんと呼ばれていて、いろんな形で艦娘に力を貸している存在だというのをル級は知っていた。
(……羽虫カ。紛ラワシイ)
ル級は脅かされた腹いせに、一瞬、妖精さんを叩き落とそうかと考えて止めた。
どうせ共に沈む運命なのだから、放って置いても良いかと、そう思った。
そんな合間にも妖精さんは、響をよじ登りながら時折ル級を睨んでは上を目指す。
そうして響の頭の天辺にたどり着いた妖精さんは、これ見よがしにル級の方を向いて腕を組み、堂々と胸を張った。
ただル級はというと、そんな妖精さんなど既に眼中に無いと言わんばかりに、未だ変わらずに響を沈めんとばかりに首を絞めている。
妖精さんは相手からなんの反応も無いことに少し寂しさを覚えたが、直ぐに自分の使命を思い出して気持ちを切り替えた。
わたしの使命は、沈んでしまう艦娘を助ける事だ。
妖精さんは組んだ腕を解いて、両手を合わせて静かに祈る。
すると次第に妖精さんの体が淡く輝いて、ゆっくりと辺りに溶けて消えてしまった。
(……ハア?)
ル級は、妖精さんが何がしたかったのかまるで分からなかった。
ル級から見れば、妖精さんは、響の体を登って消えただけだったから。
そして、不可解な出来事は更に続く。
ル級の目の前を桜の花びらが舞ったのだ。それもひとつやふたつではなく、それこそ自分を取り囲む様にして、いくつもの桜の花びらが舞っている。
(……ドウシテ……?)
宙を舞う桜の花びらを見上げてル級は思う。
何せ今は夏だ。此処は海の上だ。どう考えたって桜が舞うなんて事は普通はあり得ない。
そう、あり得ない筈なのにーーーー今度はガシリと、再びル級の腕が掴まれる。
(……アア)
この時、ル級は全てを察した。
そうだ。
最初に追い掛けていた艦娘を沈められなかったのも、私が苦労をしているのも、
あの妖精もこの辺りを舞う桜の花びらも私が艦娘を憎しむのも全部、全部全部ッ……!!
「オマエノ、セイダアアアッ!!」
「…………、」
ル級が再び憎悪の視線を向ける先で、それもまた、未だに首を絞められつつも静かにル級を見つめていた。
さっきの死に掛けの艦娘とは明らかに変わった、暗い瞳の奥底に消えない光を灯すーー白い帽子に銀色の艤装を身に付けた白銀の艦娘ーーヴェールヌイ。
そんなヴェールヌイは、艤装を失い、身を守る事の出来ないル級にもう一度と自身の主砲を向ける。
(……さっきは駄目だった。主砲が曲がって砲撃が撃てなかった。……だけど、今は違う。女神で艤装どころか服も体調も、全てが良くなった上に、今の姿の俺ならっ……!!)
ヴェールヌイは、自身の願いを確かめるかのように、辺りに爆音を轟かせた。
「キャアアアアアッ!?」
砲撃の攻撃を零距離で受けたル級が悲鳴を上げる。
あまりの衝撃で後方に吹っ飛ばされ、ヴェールヌイの首を掴んでいた手がほどかれる。
そして砲撃を受けたル級の顔は、陶器を思わせるように大きくひび割れた。
血は出ない。ただ、ひび割れたその隙間からぽうっと揺らめく炎のような物が見える。
「…………ごほっ」
そんなル級を見て、ヴェールヌイは軽く喉を気にしつつも思う。
やはり、深海棲艦は人ではない。
だから俺は、躊躇う事無く追撃を行うべきだ。
……ル級が艤装を持っていない今なら楽に勝てる。あのひび割れた所にもう一度砲撃を当てれば、間違いなくル級を沈める事が出来る。
「フーッ、フーッ、フーッ」
ル級は撃たれた顔を庇いながら息も絶え絶えに立ち上がる。
ヴェールヌイはそんなル級を黙って見ながら、油断無く自身の主砲をル級に向けた。
(……大丈夫。今度は間違いなく撃てる。それで……終わりだ)
ヴェールヌイには絵も知れぬ確信があった。
そしてそれは決して間違いではなかった。
砲撃を当てれば戦いの幕が降りるーー筈だった。
「……ハァ。なんか……もういいや。飽きたよ俺は。だからさ、お前もお家へお帰り?しっしっ」
「フーッ、フーッ」
ヴェールヌイは何を思ってか、砲撃を撃たなかった。
そんなヴェールヌイに、ル級は反応を返す余裕も無い。
ただ……ル級はヴェールヌイに言われた事は十分に理解した。
見逃すと……そう言ったのだ。
おそらくル級が艤装を持っていないから余裕だとか、ヴェールヌイはそんな事を考えているのだろうと、ル級はそう思った。
許せない屈辱だった。怒りで体が震えて、熱くて燃えてしまうと錯覚する程に。
出来る事なら、あの生意気な艦娘を今すぐに沈めてやりたいと思った。
だが、ル級は自身の感情に従って、ヴェールヌイに向かって行くことはしなかった。
「…………」
それは見逃すと言って尚、砲撃の構えを解かず、僅かな動きも見逃さないと言わんばかりに瞬きすらしないで視線を送るヴェールヌイの存在。
決してル級を舐めている訳ではない。むしろル級が何かしらの行動をとった瞬間に砲撃で撃ち抜くと言わんばかりの態度は、とてもではないがル級を舐めているとは到底思えない。
ル級はそんなヴェールヌイを見て、冷や水を浴びせられた気分になった。
そう。
冷静に考えればル級は今、艤装を失ったという点で明らかに不利だった。
それならこの場は、ヴェールヌイの言葉通りに一度帰還して、装備を整えてからこの屈辱を晴らした方が良いのではないか?
「フ、フフフフフ……」
結局、ル級は最後までヴェールヌイの考えが分からなかった。
何故、自分を見逃すのか。後ろを向いた瞬間に砲撃で沈めるつもりなのだろうか?
(……ソレハ無イワネ。沈メルツモリナラ今砲撃ヲ撃タナイ理由ガ無イ。)
ル級はあれこれと考えて、最後に……考えるのを止めた。
解る筈が無い。
目の前の存在は明らかに自分とは違う存在なのだから。
ただ、それでもル級はひとつ、心に決めた事がある。
(……コノ艦娘ハ必ズ、暗ク……冷タイ海ノ底ニ沈メテヤル。……ドンナ手ヲ使ッテモ必ズ……海ノ底ニ沈メテヤルッ……!!)
「……行ったか」
ヴェールヌイは、ル級が海の向こうに去っていくのを最後まで見送った。
あの時、ヴェールヌイが砲撃を撃たなかったのは、単に砲撃を撃つのが嫌というだけ。
抵抗の出来ない相手に、一方的に攻撃をするのが嫌だった。
あそこでル級を沈めたとして、それは小さな艦娘を追い掛け回したル級となんの違いがあるのだろうと、そう思ってしまった。
多分、いや……この選択は多分ではなく間違いなく間違った選択だとヴェールヌイは思っている。
おそらくあのル級とはもう一度戦う事になると感じていても、今よりも苦戦を強いられると分かっていても、そのせいで自分が沈む事になったとしても……。
「……というより今はコレだよなあ……ハァ」
桜が舞うその向こうから、天龍と他の艦娘が此方に近づいてくるのが見える。
それを見てヴェールヌイは、ル級なんかよりも今の自分を天龍……そして後に暁達にどう説明すれば良いのか考えて憂鬱になった。