ル級の顔が、主砲が、副砲が、ル級の辺りを旋回する響を、それぞれが別の生き物ように動いて付け狙う。そして響を付け狙う砲が様々な間隔で爆音を轟かせ、放たれた砲弾が音速を越えて響を襲う。
戦艦の砲撃に当たれば、駆逐艦なんて一撃で轟沈する。
運が良くても大破は確実で、それ以降の戦闘なんて不可能だ。
「……ッチ!」
響はその事を良く理解しているせいか、顔をしかめながらル級の砲撃を紙一重で避け続ける。
ル級の砲弾が響の顔を掠める度に髪が一本二本と千切れ飛び、服に擦れれば砲弾の熱で服が焼け焦げて、艤装に触れれば艤装がギャリギャリと悲鳴を上げる。
端から見れば響に勝ち目など無かった。何せ響は、ル級に自身の命をガリガリと削られているも当然だったから。
……だが、響は内心で、これでいいと思っていた。
足下にあるタービンは黒い煙を上げて、明らかに故障している。まだ動いているのが不思議なくらいだ。
身体だって、子供と変わらないのに未だに無理をして身体を酷使している。このままだと、ふとした拍子に意識が飛ぶだろうと確信していた。
早い話、今の響には逃げるなんて余裕は一切無かった。
艤装が動かなくなるのが先か、身体が動かなくなるのが先か。どちらにせよこのままでは、響が迎える先はル級に沈められる事だけは確かだ。
そんな単純な答えが目の前に迫った時、響の選択する答えもまた単純な物だった。
すなわち――――、艤装が動かなくなるよりも身体が動かなくなるよりも早く、ル級と戦闘をして勝利する。ただ、それだけ。
そんな考えを持った時から響は正直、その選択をした自分は馬鹿だと思ったし、あり得ないと……ずっと思っていた。
なにせ響は、勝つ気でいた。
根拠も無く、ただこれまでなんとかなったから今回もなんとかなると……勝てると、そう思っていた。
ただ、一部の響の冷静な所はこのまままともに戦っても勝てる訳がないと理解していて――――、
響がル級の砲撃を避け、偶々ル級の正面に立った時、ル級の主砲と副砲の砲撃がほとんど同時に響に向かって放たれた。
それを響が見た瞬間、しかめていた顔からニィと不敵な笑みを浮かべて、次には自身の主砲を構えて――迫る砲弾など構いもせずにル級の前へと踏み出す。
――――響はこの時を……ずっと待っていた。
砲撃を連続で射つには数秒の時間が必要で、ル級の各砲がどちらも打てない状況であるこの僅かな時間。その一瞬にル級の装甲の薄い所……、人で言う顔や胸部を狙える位置である正面に自分が居る事。
響はそんな、自分だけが一方的に攻撃できるこの瞬間をずっと待っていた。
そして響は、ただ待つだけじゃなかった。
少しずつ、わざと己が身を削りつつ演技までして、ル級に後少しで倒せると――自分は避けるので精一杯だと思わせる事でル級の心に隙を作り、どうしても油断を誘いたかった。
響は身体を少し傾けてル級の砲撃を過ごす。
その時に響の肩にあった、変形して頼りなかった装甲がバキリと音を立てて吹き飛んだ。
(……関係ない。砲だけは無事だ。なら俺のすべき事はただひとつ!!)
無視。響は自身の装甲の有った所なんて見向きもせずに、足を広げ重心を落とし砲撃の体制をとった。
狙うは急所。一撃必殺。
「…………オラァ!!」
そして少女の姿に似つかわしくない掛け声と共に、ル級の主砲と比べて一回りも二回りも小さい響の主砲がドカンと音を響かせ、ル級に向けて鉄の塊を炎と一緒に吐き出した。
響が砲撃を避けて反撃を起こすまでの間、僅か二秒弱。
この動きは、響が鎮守府で夜な夜な行ってきた特訓とほとんど変わらない動きだった。
身体を反転させて攻撃を避け、即座に狙いを付けて撃つ。
艦娘となって一年ちょっと、その間に何千回と想定して行ってきたこの動き。それこそ雨の日だって寝不足の日だってそれなりに行ってきた動きだ。
だからこそ、身体が限界だろうと艤装が壊れていようと、その刹那の響の動きに淀みなど一切無く、響の放った砲弾は真っ直ぐとル級に吸い込まれるように飛んで行き――、
「!?」
ル級は避ける事も身構えることも出来ず、ただ驚いたと言うように目を見開き、そして砲撃が直撃して硝煙に包まれた。
響はその様子を確認すると、力無くゆっくりと崩れ落ちて海面に膝間付く。
「ぐっ……ぐぅぅ」
響の限界を迎えた身体に、自身の砲撃の反動がまるで全身を切り刻まれるに等しい苦痛に変わって襲いかかった。
その痛みは、普通の艦娘や人なら絶叫を上げて気が狂うほどの物だ。
響はそんな痛みから来る悲鳴を、歯を食い縛って飲み込みこそしたが、そこから先へ……身体を動かすことが出来なかった。
(……クソッ!!動け動け動け動け動けェッ!!)
そんなガタガタと震えて自分のものでないように錯覚させる自身の身体に、響はかなぐり捨てるように命令を下す。
……まだ……終わって無い。
一撃必殺を狙った攻撃ではあるが、それでもル級を……戦艦を駆逐艦の豆鉄砲一発で仕留められるなんて思っていない。
というより、響は今のような攻撃でル級にやっと傷を負わせる事が出来るのではと、そう思っていた。
なら、うずくまっている暇なんて無い。動ける内にル級に次の手を打たなければ沈められるのは此方なのだから。
響は気持ちを切り替える為に、息を深く吸って……吐いた。
身体の痛みは消えはしない……が薄くはなった。……なら、まだ立てる。……戦える!
「……うおおおおっ!!」
逸る気持ちに雄叫びと、響はガバリと立ち上がる。
その目線の先で、硝煙から現れたル級が大した傷を負わず、変わらぬ態勢で響を見ていて、砲の先を響に向けていた。
響は今、最悪の手前だった。
誰よりも疲弊して、窮地に立たされて、負ければ自分だけでなく助けた少女までもが命を散らす。
それでも抗おうと決死の行動から相手を寄せ付けない機動を見せても、単純な性能差の前にはそんな物はまるで意味を成さない。
誰もが嘆いても当然な状況だった。
なんで?どうして自分がこんな目に?そう言って、普通ならその場でうずくまって何も出来なくなるのが当たり前だ。
それでも尚、響はこの期に及んでまだ諦めない。
(……手は、まだ残ってる。……死地へ。死地へ向かって活路を切り開く!)
バシャリと、響が踏み出した一歩が海面を打つ。
響の意思に呼応するように、壊れかけたタービンがまだ動くと言わんばかりにけたたましい音を上げてまた動き始める。
響が向かうのはル級の方。
火力が足りないのだ。ならば近づいてやればいい。それこそ、首根っこを両の手で押さえ付けられる位置までずっと近くに。そうすれば、流石の戦艦と言えど駆逐艦の豆鉄砲も脅威だろう?
響の考えは何処までいっても分かりやすく、それでいて狂っていた。
近づけば自身の火力は補える。それは間違いない。だが、その行動が必ず報われると決まった訳でもなく、それと同時にル級の砲撃を避けづらくなるのも確かだ。
だが響はそんな事を承知で前へ、ル級の側へ、死の淵へ進む。
この時、響には時間を稼いで何時来るかも分からない援軍を待つ……なんてことは決して考えなかった。
なにせ響は……もう十分過ぎる程知っている。
苦しい時に、辛い時に、極限の状態の時に逃げの考えを持っていると、動きが鈍り、足元を掬われて取り返しのつかない所まで転げ落ちて行くことを。
そして……どんなに苦しくても、辛くても、諦めずに立ち向かう事でしか手に入れられない……替えの効かない確かなモノが有る事を。
だから……響は、この期に及んでまだ笑う。
この先は最悪だ。
ル級に近づき過ぎれば必然的に、次に狙われたら避けようとする事すら出来ずに被弾して沈む。
……けど、もしその最悪を乗り切ってル級の懐に潜り込んだとしたら……?
(……いくら戦艦といっても、あの装甲と主砲が足されたバカでかい物を器用に振り回せるなんて、とてもじゃないが思えない。……みてろ。今に引き返せばよかったと後悔させてやる……!!)
ル級と響の距離は、既に一キロにも充たない。
ここから先は撃たれれば瞬きをする暇も無く砲弾が届く、……常人では近づくことも許されない修羅の道。
響はそんな道を僅かな勝機の為だけに詰める。
決して狙われてはいけない。射線に入ってはいけない。
集中を切らさず、相手の動向を読み切って常に一手先を取り続けろ。
でなければ死ぬ。あっさりと、羽虫の様に、無様に散って死ぬ。
……とはいえ、仮にそれが出来たとしても、その先に在るのはやはり死なのかも……。
そんな不安、迷いを絶ち切っているかのようにバシャリと、波を打つ音が再び響く。
響がもう一歩前に、更に死地に進んだ音が響く。
響は死を恐れない。痛みでは止まらない。
その程度では響が止まる理由に値しない。
……そう、それが喉元にナイフを突き付けられていたとしても……、直前に他の誰かが刺し殺されているのを見ていたとしても……、既にナイフが喉を抉っていたとしても……!!
この響は止まらない!!止まるはずが無い!!
何故なら、ずっとそうやって生きてきた!
損得勘定で動いた事は一度たりとも無く、常に自身の心に従って生きてきたからこそ……!!
ル級の砲が、再度音を轟かす。
響はそれを知っていたかのように全く同じタイミングで、重心を片側に向ける。
その刹那、響の顔の真横を灼熱を纏った砲弾がかすり、響の右耳を焼いた。
その耳からは音が全て消えた。もう響は、その場所に自分の耳が在るのかも分からない。
分かるのは痛みだけ。痛みだけがズキズキと響に激しくある事を訴える。
死んでしまう……沈んでしまう、と。
引き返そう、今ならまだ逃げられるかもしれないと。
(……死んだら……その時はその時。後の事は知らん!そんな事よりも今は前っ……!!)
だが、響からすれば痛みは今さら。横を通り過ぎた、あの……当たれば死ぬであろう砲弾すらもよく有ること。
だから響は、逃げの……保身の思考に耳を一切貸さない。
響の心は痛みでは決して迷わない、恐怖では絶対に変わらない。
為すべき事を為す。響はそれだけを考えて動く。
まるで……その心は鋼で出来ているかのよう。
(……ナンダ?)
そんな迷い無く攻める響の姿に、ル級は此処で初めてある疑問を感じた。
ル級からすれば、駆逐艦など一方的に刈れるただの獲物だった。
事実、ル級は卯月をその圧倒的な実力……威圧感、恐怖によって徹底的に追い詰めていて、何時でも卯月を沈める事の出来る状況を取っていた。
直ぐに沈めなかったのは、卯月をいたぶりたかった。……そして響の予想通り、助けに来た艦娘の前で卯月を沈める事で艦娘の絶望する顔が見たかったから。
ル級の黒い願い。
それはこの後、思わしくも簡単に叶うことになった。
……そう、半分だけ。
ル級が卯月を追いかけるのに飽きはじめた頃に、ふと現れた白い駆逐艦の艦娘……響。
今思えば此処からル級の思惑が全て狂いだした。
一人だけかと思い、大勢の絶望する顔が見れない事を残念に思いながら卯月を沈めようと砲撃を撃てば、不思議と撃てば当たる筈の距離にも関わらず砲撃を外し、卯月を沈める事に失敗をした。挙げ句、助けに来た響の……駆逐艦の体当たりを受けて、あろうことか後ろに思いっきり吹っ飛ばされる。
苛立ちながら響を沈めようと砲撃を撃ちまくり、徐々に追い詰めたと思えば、不意に響の動きの質が変わり逆に砲撃をくらう始末。
……そして今。
その獲物であるはずの駆逐艦の艦娘は、ル級の砲撃を知っているかのように瞬きせずに寸で避け、睨み殺さんが勢いで臆する事無く真っ直ぐとル級に向かう。
(……ナンナンダ?コレハ?)
ル級はこんな艦娘を知らない。
そもそも戦艦相手に、真っ正面から突っ込んでくる駆逐艦なんて見たことも聞いた事もない。
……ただ、ル級は思う。
これじゃ……これじゃあまるで……、私が獲物のようではないか……と。
「アア゛ッーー!!?」
ル級の中に怒りが湧いた。
そんな事があっていいはずが無い。
自身は戦艦だ。暴力の塊だ。それが一回りも二回りも劣る駆逐艦の獲物であるはずが無い。
……殺す。
殺して……沈めて証明する。
獲物は自分ではなく目の前の存在なのだと。
ル級の主砲が再装填され、響を撃つ為にもう一度砲を向ける。
……当たる。これは外す筈が無い。
ル級は今度こそは確信する。次は無様に響が沈むのだと。
何せ状況が違う。
先程は近距離とはいえ数百メートルと間が空いていたが、今度は目と鼻の先。
少し手を伸ばせば、その艦娘に触れる事の出来る、外す事の方が難しい、そんな……
(……ア?)
ふとル級は響を視た。
さっきは数百メートルも離れていたはずだった。
主砲の再装填には十秒と時間は掛かっていないはずだった。
……なのになんで――――、
――――ナンデ、コノ駆逐艦ガ、スデニ目ノ前ニ居ルンダ……?
些細な疑問だった。
ル級にとって、砲撃を撃つ事は代わり無いのだから、どうだっていい些細な疑問。
そう、狙いは既に定まっている。撃てば沈む。
……ダカラ殺セ。トニカク殺セ。殺セッ!!
「…………」
ル級が砲撃を撃つよりも早く、響の手が静かにスルリと伸びて、ル級の砲に触れた。
ル級の砲は、度重なる砲撃によって高熱を帯びていて響の手をジュウと焼いたが、響は顔色ひとつ変える事無く向けられた砲を押してずらすと、
ズドン!!と鼓膜を引き裂くような音が鳴って
放たれた砲弾が虚空を飛んで、海へと落ちた。
「……覚悟しろ」
それは会話ではなく呟き。
そんな静かに紡がれた言葉が……、本来なら絶対に聞こえない筈の声が、ル級の耳に確かに届く――――。
(……ナンナンダ……コレハ)
再三に渡るル級の疑問を他所に、響はまた一歩……ル級の砲、装甲の内側へ……つまりはル級が砲撃を絶対に行えない所へ足を踏み入れる。
此処でル級は初めて……本当の意味で響を見た。
それは、もうボロボロだった。立っているのも不思議なくらいに。
服は布切れ。見える肌には傷や火傷に痣。艤装はガラクタと化している。
それでも尚、ソレは闘志を燃やし、光も届かぬ……深海を思わせる瞳を此方に向けていた。
(……アア、ソウダ)
そんな響を視た途端にル級はソレを思いだした。
遥か沖にある、深海棲艦が制海権を握る場所の奥、最奥。
そこは自分よりも遥かに強い深海棲艦が蔓延る場所であり……そんな魑魅魍魎の中でも最も異質で、最も強く、そして……どんな艦種にも属さない絶対的な深海棲艦が存在しているのをル級は知っていた。
『鬼』
それも唯の鬼じゃない。
圧倒的な力とカリスマで魑魅魍魎を束ね、どれだけ自身が傷付こうと引く事を許さず、憎悪と残酷性を持ってして敵を殲滅する……鬼の最上位『鬼姫』。
間違える筈が無い。
見た目こそ艦娘だが、コレはどうしようもなく鬼姫だとル級は確信する。
そんなル級が呆けた一瞬。
その隙……決定的なチャンスを響が見逃すはずが無い。
撃ってくれと、沈めてくれと言っているようなものだ。
なら、その願いは叶えてやらなければならない。
響はその一瞬で自身の砲身をル級の顔に押し当てる。
零距離。
これなら絶対にル級を沈められる。響にはよく分からない確信があった。そして、その為なら自身の爆風で自滅することだって厭わない。
響は躊躇わない。躊躇うはずが無い。
なぜなら、今ここまで歩んだ血路は全てこの時の為だけにあったのだから……!!
……そして、
「……あれ?」
――――響の砲は鳴らず、代わりに場違いな戸惑いが響の口から飛び出た。