オリ主と第六駆逐艦隊   作:神域の

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EXー4 矢の様に駆ける

 波を裂き、前にひたすら進む。

 艤装の推進力だけでは間に合わないかもと思ってからは、己の足でも海を蹴って、少しでも早くと全力で前に進む。

 

「行ったって、沈むだけ……か」

 

 そんな最中、思い返すのは先程の駆逐艦の一言だった。

 

 沈むだけ。そんな事は分かってる。

 俺だって駆逐艦が戦艦と戦う事が、どれだけ無謀かということくらいは一年間で良く理解したつもりだ。

 

 ……本当なら、せめて鎮守府にいた艦娘と現場に向かうのが賢いのだろう。

 深海棲艦に追われている艦娘だって、最悪もうすでに手遅れの可能性だってある。

 逆を言えば多少向かうのが遅れたとしても、俺一人で行くよりも鎮守府にいた艦娘と共に向かえば、現状よりも戦力は増して安全だし、間に合う可能性だって……、

 

「……はっ」

 

 俺はそこまで考えて、今考えていた事を鼻で笑い飛ばした。

 無意味だった。

 俺は損得勘定で行動するのが大嫌いだから。

 結局、この向かった先の結果がどうであろうと知っていても、俺は今と変わらずかってに動く。

 

 それに、もう決めた事だった。

 ……あの日、どうしようもなかった俺に差し伸べてくれた手があんなにも嬉しいものだと知った時から。

 正直、俺は自分が艦娘になった理由が判らない。

 成すべき使命があるのか、神の様な存在の娯楽為なのかも判らない。

 だけど……、艦娘になって……鎮守府でちょっと生活しただけで、俺は自分がやってみたいと思える事を見つける事ができた。

 まあ、難しい話じゃない。

 差し伸べられた手が余りにも嬉し過ぎたから、柄にもなく俺も誰かに手を差し伸べたくなった。それだけの話だ。

 

 

 

 

 ……と、そんな事を考えていると、不意に電探が遥か先に何か有ると俺に訴える。

 何かとは?

 普通ならそんな疑問も思いつきそうなものだが、この状況に至って俺はそんな事は思わない。

 決まっているのだ。

 この遥か先には誰かが……ル級に追われている少女が、絶望に身を焦がしながら今か今かと誰かが差し伸べる手を待ってるに違いないと。

 

 

 

「……ぅらああああ!!」

 

 先への光景を思い、決意新たに叫ぶ。

 そして限界を超えて悲鳴を上げるタービンに、俺は更に早くと命令を下す。

 タービンから足裏に、焼けるような痛みが走るが、そんなものはどうだってよかった。

 

 それよりも今は一分一秒が欲しい。

 話しに時間を掛けてしまった分、無茶の一つや二つ、無理に通してでも急いで向かわなければ間に合わない。そんな気がして頭から離れない。

 

 故に俺は駆ける。汗や潮風によって顔や首にまとわりつく髪を無視して、少しでも空気抵抗を減らそうと倒れる寸前まで己の体を前に傾けて。

 それでも……それでもまだ足りぬのなら手だって使って波を掻いて、風すら追い抜いてみせる。

 ……間違いなくこの時、俺は誰よりも最速だった。

 

 それから、過ぎる波の光景に変化が訪れるのは時間の問題だっただろう。

 向かう先に点が現れ、それが人の形と成っていく。

 数は二つ。

 それを俺は追われている艦娘とル級だと決めつけて、更にそれに近づいた。

 この時の俺は、少女の危機に間に合ったのだと信じて疑わなかった。

 

 ……まぁ、それが違うのだと直ぐに気づく事になるのだが。

 

 俺が近づくと、追われている艦娘こちらに気付き、進行方向を変えたとたんに転んだ。

 理由は慌てていたとか、疲れから足がもつれたとか……そんな程度のものだったのだろう。

 ……ただ、それだけで俺が違和感を覚えるのには十分だった。

 何せル級は、そんな艦娘に何をする訳でもなく立ち上がって再び逃げるのを待っているだけだったから。

 

 普通ならば、体制を崩して動けなくなった艦娘なんて唯の的でしかない。……なら何で撃たないんだ?

 

 すると、そんな俺の疑問に答えるようにル級が俺に目を向けた。

 

「ああっ!!そうかよ……クソッタレがっ!!」

 

 ル級の黒い考えが透けて見える様だった。

 俺はまだ、間に合ってなどいなかった。

 結論からいえば、ル級は何時でも追いかけ回している艦娘を沈める事が出来た。

 なのに沈める事をせずに今の今まで必死に逃げる艦娘を追いかけていただけだった、たった一つの理由……。

 

 俺が思った……これからル級がとるであろう先の行動の予想に、ル級は答えを合わせるが如く今さらになって砲身の先を追っている艦娘へと合わせた。

 

 ……つまるところ、余興なのだ。

 ル級はこれから行う……、追いかけていた艦娘を沈める所を誰かに見せたくてたまらない……。

 

 

 ふざけるな!と思った。

 その子は見せ物になる為に必死に逃げているんじゃない!と。

 ……ただ、どれだけ俺が先の光景に怒りを覚えようとも、頭の隅にある思考は冷淡で……このままでは成す統べなく目の先の艦娘が沈むと分かってしまう。

 

「……は、」

 

 目の前の現実に、気が付けば俺の口から気の抜けた声が漏れる。

 それが嫌に自分の耳に残って、先程の予想が本当に起こるのだと思い知らされる。

 助ける為に射線上に割り込みたくとも、ル級に砲撃を当てて邪魔をしたくとも、距離があってどちらも実行するのは不可能だった。

 

 ……ただ、手がない訳じゃない。

 あるにはあるのだ。藁にすがるよりも不確かな、宝くじで一等を引くよりも難しい……前の艦娘を助ける方法が一つだけ。

 

「……チクショウ」

 

 思わず愚痴る。

 正直な所、俺はその方法をやりたくなかった。

 何せまともに考えれば、その方法はやるだけ無駄だと思える無謀なものだったし、そんなものに知らない艦娘の命を賭けるのだ。

 そんな事、やりたいと言う奴がいる訳が無い。

 失敗が常だと分かっていても、それで女の子一人が死んでしまえば嫌でも責任を感じるだろうし、俺はそんな責任を感じたくなかった。

 

 

 

 

 それでも時間が無い。やるしかない。

 此処には俺しかいないのだから。

 

 

 

 

 覚悟を決めて、俺は主砲を構える。

 助ける方法は、ル級が逃げる艦娘に放つ砲撃に、俺も砲撃を放って砲弾同士をぶつけるというシンプルなもの。

 

 ただ、言うのは簡単だが当然の如く、飛び行く砲弾に砲撃を当てるのは至難だ。

 仮に当てたとしても、後の事を考えると砲撃同士をぶつけるだけで良い……という訳じゃなく、その後のル級の追撃を想定すると前の艦娘を素早く連れて逃げる必要だってある。

 つまりは俺が砲撃を放つ時、止まって狙いを定める暇などある訳もなく、今の疾走中の不安定な状態かつ波に揺られながら砲撃を撃つ必要があった。

 

 そして何より鬼門となるのが、追われている艦娘に対しての俺とル級の距離差だろう。

 これは俺よりもル級の方が逃げている艦娘に近い、……といってもピンとは来ないだろうから分かりやすくいうと、

 ル級の砲撃を見てから俺が砲撃を撃つのではとてもじゃないが間に合わなく、

 ル級と同時に俺が砲撃を撃ったとしても、砲弾同士がぶつかるよりもル級の砲撃が前の艦娘に当たるのが早い。

 俺が前の艦娘をこの方法で助けるのならば、俺はル級が砲撃を撃つよりも早く砲撃を放つ必要があった。

 

 ……何㎞も先で後々放たれる直径50㎝にも満たない音速を超える目標を、不安定な体制と足場で狙い、撃たれる砲弾の弾道を予測し、相手が動くよりも早く砲撃を撃つ。

 

 

 ……ギリリと歯を噛み締める。

 助ける方法を思い付いた時、これで良いのかと一瞬思ったが、ル級が何時砲撃を撃ってもおかしくないと、思った事を直ぐに忘れた。

 

 他の方法なんて無い。

 それどころか今すぐにでも撃たなければ思い付いた方法ですら助ける事が出来ない。

 

 ……そう分かっているのに俺は、最後の最後で砲撃を撃つ踏ん切りが付かない。

 撃つタイミングが早かったら?

 そう思うと、どうしたって簡単には撃てなかった。

 外しでもしたら砲弾の装填、再発射に少しの時間が掛かる。その間にル級が砲撃を撃ちでもすれば、俺は成すすべ無く艦娘が沈む所を見る事になるのだ。

 

 チャンスは一度あるかどうか。

 俺が躊躇するほんの数秒で、逃げている艦娘との距離が目に見えて縮まる。

 おぼろげだった姿は顔を判別できるくらいになった。

 それでも……まだ遠い。どうせならもっと近づく事が出来れば、こんな博打を打たなくてもよくなるのに。

 

 そう思った時、逃げている艦娘がパクパクとまるで金魚のように口を開けているのに気が付いた。

 声は当然聞こえない。

 距離が離れているのだ。普通なら声を出しても無駄だと解りそうなものだが、その艦娘は塩水と涙や鼻水で汚れているのも気にせずに何度も……何度も何かを叫んでいるようだった。

 

 艦娘の口が、何度も同じように動くのが見える……。

 

 ……けて?……た……けて。

 

 

 

 

 

 

 

「たすけてぇ……!!」

 

 

 

 

 

 

 ドカンと音がなった。

 

「……ぁ」

 

 逃げている艦娘の叫びがおぼろげに聞こえた瞬間、俺の右肩の方から、やけに渇いた爆音が響いていた。

 音のした方を向けば、俺の頼りない主砲が火を吹いていて、……そして、視界の隅に映った小さな塊。

 

 ……やっちまった。

 

 直後、俺がそう思うのに時間はいらなかった。

 気が付けば俺は砲撃を撃っていた。義憤で、無意識のうちに。

 慎重にいかなくては、集中しなくては、全身全霊でもって狙い打たなくては……そうしなくてはいけなかったのに、そう分かっていたのに、気が付けば俺は『なんとかしないと』というあやふやな気持ちで、がむしゃらに砲撃を撃っていた。

 

 ……そんな自身の苦し紛れに行ってしまった行動に、俺は脱力し、思わず足がぐらついた。

 だって、がむしゃらに撃った砲撃が当たる訳が無い。そう思ってしまった。

 それでも……それでも俺はまだ、思い直して前に向けて駆ける。

 

 終わってない。

 俺が装填してから再発射可能までの間、ル級は砲撃を撃たないかもしれない。そうすれば、もう一度撃てる。

 ……そう必死に自分に言い聞かせ――途端に、視界にいたル級の主砲が爆ぜた。

 そして……黒く、遠距離感で豆粒のように小さく見える砲弾が飛び出して、弧を描いて逃げる艦娘へと真っ直ぐ向かう。

 

 ……現実は何時だって非情だ。

 

 

 

 

「クソがああああ!!」

 

 分かっていた事だ。現実には、アニメやマンガのようなご都合主義や、突如現れる強力な助っ人なんていない事くらい。それでも俺は、叫ばずには……止まる事はできなかった。

 

 逃げる艦娘を助けるのは、もう無理だ。俺がル級の砲弾をどうにかするのは不可能だし、あの艦娘が砲撃を避けるなんて事もできなさそうだ。

 正直、助けられないのにル級に近づくのは自身の危険が増すだけで、俺に得なんて何一つ無い。

 まともな思考を持っているなら、この状況は逃げる選択が正しい訳で……それは俺も重々解ってはいるんだ。

 

 ……解ってはいるが、それで?

 

 助けられないからといって、今尚必死に逃げている艦娘に背を見せるのか?

 無念から涙する艦娘にあれだけ啖呵を切って、助けられなかったと無傷で港に戻るのか?

 敵が強いからと、臆病風に吹かれて逃げ出すのか?

 

 ……まさか。そんな醜態を曝すのはご免だ。

 それならいっその事、此処で死んだ方が良い。

 

 絶望的な状況。誰かに託される思い。自分よりも強い敵。

 これから先、戦っていれば何度も同じような出来事に立ち合う事になるだろう。

 その度に屈して、諦めて、逃げ出したら……俺は壁にぶつかる度に先に進む事は出来ないし、逃げる過程で今まで得てきた大切な物だって奪われていくのだろう。

 

 そう思うと本の一瞬だけ、逃げる艦娘に鎮守府に居る皆が重なって見えた気がした。

 

 

 

 

 そんなのが見えてしまったら……尚更諦められる訳が無いだろう!?

 

 片足を、今よりも素早く前へ。

 後ろに残った足で、今よりも海を強く蹴りつけて前へ。

 無駄な動きもなく、最短距離を駆け抜けて更に前へ!!

 

 既に逃げる艦娘を助けられないという事は、俺の諦める理由にならなかった。

 俺にだってクソにも劣るがプライドがある。

 謝る時は土下座したって良い!喉が渇けば泥水も喜んで啜ろう!小さな女の子に頭があがらなくても構わない!!

 だが、自分の心にだけはどうしても嘘をつきたくなかった。

 俺は、情けない姿を皆に晒して馬鹿だと笑われつつも……、仲間を見捨てず強敵にも屈しない格好良い主人公でいたかった。

 

 

 

 

 自分の心に従い、ただ早く前へと、疲労で動かすのも辛い足に無理やり力を込めて気力で駆ける。

 すると、足からブチリと何かが切れるような音と共に脚に激痛が走り、世界が……ゆっくりと傾いた。

 

「……ラァッ!!」

 

 転ぶ!と思った瞬間、俺は咄嗟に拳を握り、間髪入れずに海を殴りつける。

 そして海を殴った反動で崩れた体制を建て直し、脚の激痛を無視して、更に一歩前へと踏み出す。

 

 この痛みは筋肉痛や肉離れと同じで、体を限界以上に酷使した代償だろう。ただ、痛みは筋肉痛なんかとは比べものにならないくらい酷かった。

 そうまでしているのに俺と艦娘との距離は全く縮まらない。そして、ル級の砲弾だけが艦娘へと迫る理不尽差。

 

 ……それでも。

 

 

「ぐうぅ……!?」

 

 足の激痛を引き金に、前へ進む度に全身から激痛が走り続ける。体の彼方此方からブチブチと嫌な音が響く。

 既に俺の体は限界を越えていた。息をするのだって苦しかった。

 おそらく、今立ち止まってしまっても此処に来るまでに会った艦娘は俺を責める事はしないだろう。

 他の鎮守府の出来事なんて俺に影響がある訳でもない。あの子を助けるのは無理だ。艦娘が沈む所なんて見たくないし、見捨てたって俺に責任が無い事は解っているんだ。

 

 

 ……それでも、俺は前を向き続けた。

 逃げる艦娘から、邪悪な笑みを浮かべるル級から、一人の女の子の生を終わらせる凶弾から、決して目を反らさない。

 進む為に、転ばないように確実な一歩を踏み出す。

 

 ただ地道に、今出来る事をひとつひとつ積み上げていく。

 報われないと知っていても、投げやりにならずに地道にこつこつと。

 

 俺は、最後の時が訪れたって止まらない。

 

 

 

 

 

 ——ル級の砲弾が、逃げる艦娘に迫る。

 俺はル級の砲弾を必死に追い続けたせいか、辺りの光景がゆっくり動いているように感じていた。

 ゆっくりと動く物の中には自分自身も含まれていて、その中でただひとつ、ル級の砲弾だけが頭ひとつふたつ抜けた速さで艦娘へと向かっている。

 

 ……もう、数秒もしない内に……逃げる艦娘に砲撃が直撃する。

 

 そう解ってしまう事実が無性に悔しくも、俺はこれから起こる出来事を、追いかけながらただ見ている事しか出来なかった。

 

 

 だからだろうか?

 この期に及んで、達の悪い幻覚が見えたのは。

 

 それはル級の砲弾よりも一回り小さい……俺が先程、がむしゃらに撃った砲弾だった。

 俺の砲弾は、適当に撃ったにしては真っ直ぐとル級の砲弾に向かって進んでいて、このまま行けばル級の砲弾を相殺出来るのでは、と思ってしまう。

 

 ……あまりにも都合の良い話だ。

 

 計画性が無い故に、失敗だと初見で切った物だった。

 まさかそんな物が、此処に来て現れるだなるなんて思っても見なかった。まあ、来たところでル級の砲弾に当たる確率なんて万分の一にも満たないのだろうけど。

 

 そう。分かってる。

 分かってはいるが、この土壇場に来て俺は自身の放った砲弾を見た時、俺はそれを無駄な物だったと思いたくなかった。

 

 あれは、俺の思いだから。

 ただ一心に、助けたいと思った行動の形だから。

 

 ……だから俺は、それに願いを掛ける。

 願いを掛けたところで結果が変わる事はない事は知ってはいるが、それでも俺は願わずにはいられなかった。

 

 

 一度だけで良い。

 一度だけで良いから奇跡よ、起こってくれ。

 

 

 

 

 

 見つめる先で、ル級の砲弾と俺が撃った砲弾が、俺の祈りに答える様にゆっくりと交わっていく。

 ……ただ、そこに音は無く、何事も無かったかのように離れていく二つの砲弾。

 

 ――そして、ル級の砲弾は逃げる艦娘へと向かい、

 

 

 

 

 

 

「キャアアアア!!?」

 

 

 逃げる艦娘の真横に水柱を立てて、波の中へと消えていった……。

 

「…………、」

 

 俺は足を動かしながらも、その光景を唖然と見送った。

 願っていながら、両の砲弾に何の変化も無いから……失敗したと、前の艦娘は沈むのだと、助けられなかったと……そう思っていた。

 

 だけど、その後に続けて聞こえてきたボシャリと音のなった方を見て、俺の考えは間違っていた事に気づかされる。

 

 それは遠目からでも伺える、波間に出来た波紋。その波紋は、俺が撃った砲弾が着水した場所だった。

 俺はその場所を見た瞬間、着弾地点が本来の弾道から僅かにずれている事に気がついて……知った。

 

 思いは、無駄じゃなかった事。

 音は無くとも、目には映らずとも……俺の砲弾はたしかにル級の砲弾に当たっていて、ほんの僅かにだけれどル級の砲弾の軌道を曲げていた。

 

 

「……っ」

 

 その事実に胸から何かがこみ上げ目頭が無性に熱くなった。俺はそんな思いを振り払う様に目を拭い、一瞬視線を下げてこれから先を考えた。

 何せ、これで終わりじゃない。

 砲弾をどうにかしたところで、今度はル級から前の艦娘を連れて逃げなければならないのだから。

 

 ……考えれば、俺のやっている事は博打というよりは身投げと変わらない行為だ。

 ひとつの事が上手くいっても、残りの何処かでひとつでも失敗すれば、此処までの努力が全て無駄になって自分の身にまで危険が及ぶのだから。

 考えれば考えるほど、リスクとリターンが見合ってないとつくづく思う。

 

 ――それでも。

 

 

 俺は激痛で上手く動かない体に更に力を入れて、海を蹴って更に前へ進む。

 

 

 ――――それでも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今の俺なら、どんな難関だって問題じゃないな!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――

 

 その日。響と眼帯を着けた艦娘……天龍がオンボロの鎮守府から飛び出したその頃。

 海上では遠征を終えて、後は帰還するだけだったはずの艦娘……卯月が、恐怖で涙を流しながらも何で自分が深海棲艦に追われているのかを必死になって考えていた。

 

 今日は……そう。

 朝、遠征に行く前の朝会で天龍が、朝の挨拶を早々に「カレー大会を開いてた鎮守府から艦娘が一人来る」と続けた。卯月を初めとする駆逐艦の艦娘は、天龍の言葉に大層色めきだった。

 何せ卯月達の居る鎮守府は、常に戦力不足で全員で出撃する事など殆ど無く、何時誰が沈んだっておかしくは無かった。

 特に天龍と、その横で卯月達を微笑ましそうに見ている艦娘……龍田は、その戦力不足から毎日どちらか片方……又は両方が、何か有った時の為に夜も寝ずに起きている事を卯月は知っている。

 だから艦娘が増えると知った皆が騒ぐのは仕方の無い事だった。戦力が増えれば天龍と龍田の負担が減ると、そう思った。

 だから卯月は、皆に聞こえる様に「これなら天龍ちゃんも龍田ちゃんも楽できるぴょん!良かったぴょん!」というと、天龍は苦笑いを浮かべて「あー、今日来る艦娘は此処に配属される訳じゃなくって研修に来るだけだから楽にはなんねえなぁ。……それよりも、今日は近くの港に荷物を運ぶ任務もあるから、チビ達はそっちをしっかりやってくれた方が俺的には楽になるな」と答えてくれて…………、

 

 卯月は、遠征なんてものは遠足や散歩となんら変わりの無いものだと思っていた。というのも、卯月は遠征を何回も行っていて、その全てが特に問題無く遠征を終えられていたのが理由だ。

 それに、数少ない深海棲艦との遭遇戦になっても心配なんてしていなかった。

 

 というのも味方には、体が大きくて口も大きい深海棲艦を簡単にやっつけてしまう天龍や竜田といった凄い艦娘がいるんだから!!と、そう思っていた。

 

(なんで!?なんでなんでなんでっ……!?)

 

 でも、現状は思っていた事と違う。

 鎮守府へ帰還途中に出会ってしまった赤黒いオーラを放つ二隻のル級、その存在が卯月のこれまでの価値観を崩壊させた。

 

 これまで多くの深海棲艦と戦って勝ってきた竜田は、ル級を一隻相手に足留めさせるのに精一杯だった。

 竜田と同じくらい強い天龍は、今日鎮守府に来る艦娘を待つためにこの場に居ない。したがって龍田が相手を出来ないル級は、前に出て戦っている竜田を気にする様子もなく真っ直ぐと卯月達の方へと向かって来る。

 

 普段はニコニコとしていて大きな声なんか出さない竜田が、かろうじて足留めしているル級を睨み付けながら「逃げてっ!!」と声を荒げて言った。

 そんな様子を卯月は、茫然と立ち尽くして他人事の様に眺めていた。

 目の前で起こる光景が、卯月には現実離れして見えたから。

 いつもなら自分達の何倍も大きい深海棲艦を何隻も簡単に倒してしまう……まるでテレビアニメのヒーローみたいに強い……自分の憧れの一人である竜田が、自分達よりもちょっとだけ大きいだけの人の姿をした深海棲艦たった一隻に苦戦してるなんて。

 

 信じられなかった。信じたくなかった。

 

「――何してるの卯月ちゃん!?早く逃げなきゃ!!」

 

 だから……目の前に迫るル級に、卯月は気付くのに遅れた。

 一緒に遠征に来ていた艦娘が、卯月が逃げていない事に気がついて声を上げる時には、卯月とル級の距離はお互いがお互いの存在をハッキリと区別できる距離まで近づいていて……卯月は、ル級を見てしまった。

 

 それは血が通っていない様な青白い肌に、生きてはいないと思わせる程の表情の無い顔。

 けれど、その代わりなのかル級の艤装には生き物の歯や口に見える部分が所々に見られ……何よりその艤装は良く見るとまるで生きていると言わんばかりに脈動している。

 そんな生きている者と生きていない物をひっくり返した様な不気味な存在が静かに、確かに自分のもとへ近づいて来ている。

 

 卯月はゾワリと、身の毛がよだった。

 ル級にたいして、卯月は恐怖を感じた。それは高い所が怖いとか大きいから怖いという単純なものではなく、夜中に街灯のない裏道を一人で歩くような……眠ろうと瞼を閉じた時にピチョンと雫が落ちた音を聞いた時のような……そんな言い表せない恐怖を。

 

 

 卯月は、恐怖に刈られて逃げ出した。

 あれは近づいてはいけないモノだ。だから早く逃げないと。

 本能がそう言った。

 

 それから逃げて。

 

 皆と逃げていて。

 

 後ろでドカンと、体が震えるくらい大きな音が鳴って。

 

 直ぐ近くに自分よりも高い水柱が立って、転んで。

 

 怖くて震える体を無理やり立たせて、卯月は泣きながら必死に逃げた。そしてまた転んで。

 

 

 

 

 気づけば、卯月は一人になっていた。

 

 

 

 

 一緒に逃げていた仲間は居ない。必死になって逃げている内に、卯月は一人はぐれてしまった。

 帰り道だって分からなかった。卯月は艦娘としての経験が、あまりにも足りなかった。

 だから卯月は、ただ必死に……ル級に捕まらないように逃げて……どうしてこうなったかを一生懸命に考えて、

 

 ――海は、怖い所なんだ。

 

 ……天龍が毎日、口癖のように自分に言っていたのを卯月は思い出した。

 

 

「――だから海の上だけじゃなくて、普段からちゃーんと俺とか竜田の言うことを聞けよ?」

「えーっ。海が怖いなんて天龍ちゃんは臆病だぴょん。卯月は海なんて平気だもーん!」

「ったく……そんなこと言ってると、大変な事になっても知らないぞ?」

 

 

 いつも、鎮守府で天龍としていた……そんなやり取り。

 卯月はあの時、海の何が怖いかなんて全然分からなかったが、今なら天龍の言っていたことが痛いほどよく分かった。

 

 海は怖い所だ。

 天龍が言っていたよりもずっと、ずっと怖い所だ。

 こんな事になるならもっと、もっとちゃんと話を聞いているんだった。

 

 後悔から、卯月の目には涙が溢れて止まらなかった。

 それだけじゃない。

 

 寝坊してしまった事。失敗して嘘をついた事。戸棚にあったお菓子を食べてしまった事。勉強が分からなかった事。好き嫌いをしてピーマンを残してしまった事。

 

 卯月の中で、鎮守府での出来事が走馬灯のように思い返される。そのどれもが後に怒られたり、皆に迷惑を掛けてしまった事ばかりだ。

 

 

 

 

 

 

「――うわあぁーーんっ……!!」

 

 卯月は逃げて、泣き叫び続けた。

 

 ……きっと、皆が居ないのは……誰も助けに来てくれないのは……卯月が皆に迷惑を掛けたから、皆が卯月のこと嫌いになったから……。

 

 そして、ル級から逃げ続けている内に、いつしか卯月はそんな事を思い始める様になってしまった。

 心が、折れようとしていた。

 何処に、何時まで逃げれば終わるかも分からない鬼ごっこに、卯月は、これならル級に捕まった方が楽になれるのでは?と思ってしまった。

 

 そんな気の緩みから、卯月はまたしても転んでしまい、そして海の上でうずくまった。

 ……もう立てない。立ちたくない。

 だって皆は、もしかしたら自分がいない所で自分の悪口を言っているかもしれない。いい気味だと笑っているのかもしれない。それなら……、

 

 卯月は海を見た。

 青い海の先の底。

 これから自分は深海棲艦に殺されて、この海に沈んでいくんだ。

 ……この、暗い暗い海の底へ。

 

 卯月に、後悔が無いと言ったら嘘になる。

 死ぬのは怖いし、一人ぼっちは嫌だ。卯月自身は鎮守府の皆が大好きだし、できることなら皆と楽しくずっとずーっと暮らしていきたい。

 それでも……皆に迷惑を掛けるのはもう嫌だった。影で悪口を言われたり、笑われたりしてるのは死んでしまうよりも怖い。

 

(……皆、ごめんね?卯月はもう、皆に迷惑かけないからっ……)

 

 ……だから、卯月は後ろからくる存在を受け入れようとした。

 そうすれば、もう皆に悪口を言われたって、笑われたって……平気だもん。そう思った時だった。

 

 

 …………ぁぁ……。

 

「……ふぇ?」

 

 卯月は、どこか遠くから声を聞いた気がした。

 それは何処からかは分からない。気のせいだったかもしれない。

 何せそれは一瞬で、今はもう、波の音と後ろから迫るタービン音しか聞こえなかったから。

 それでも卯月は、その声で本の少しだけ希望を持った。

 

 ……多分、天龍か竜田が自分を怒った声なんだと、そう思った。

 だって今、自分は竜田が言った「逃げて」という事を守れてないのだから。

 

(……天龍ちゃんが、言う事を聞くようにって言ってたんだぴょん……!だからっ!約束を守って逃げなくちゃ!……そうすればきっと、皆が助けにきてくれるはずだもんっ!!)

 

 そう思うと、少しだけ力が湧いた。

 そして卯月はまた、鎮守府での日々を思い出した。

 怒られた事があった。

 迷惑を掛けてしまった事があった。

 

 ……でも、それだけじゃなかった。

 

 天龍に、皆に内緒でお菓子をもらった事。

 竜田に、誉められて頭を撫でてもらった事。

 皆と、夜にトランプで遊んで楽しかった事。

 

 卯月は、鎮守府での思い出をひとつ、またひとつと思い出す度に心から力が湧いてくる気がした。

 

 卯月は、鎮守府が大好きだった。

 どれだけ皆から嫌われていたとしても、卯月は鎮守府の皆が大好きだった。

 だから卯月は、もう一度でいいから皆に会いたいと願った。そして出来る事なら、これまでで自分が悪かった事を皆に謝って、もう一度皆と鎮守府で暮らしたい、そう思った。

 

 疲れて棒のように感じる足に、卯月は湧いた力を入れてフラフラと立ち上がる。そしておぼつかない足取りで、卯月は後ろから迫るル級から再び逃げる。

 

 皆に会いたい。

 それだけを一心に願って。

 

 すると、そんな卯月の目に何かが写り込んだ。

 何かは恐ろしい速さで卯月達の方へと向かっていき、卯月は直ぐにそれが何かが分かった。

 

 ……艦娘だ。

 天龍でも竜田でもない知らない艦娘が、黒煙を上げながら、まるでロケットのように此方に突っ込んでくる。

 誰かが自分の事を助けに来てくれたんだ。そう思った卯月は必死に、「たすけてっ!!」と何度も声を上げた。

 転んでも直ぐに立ち上がって、何度も、何度も「たすけてっ!!」と叫んだ。

 

 その言葉に、前の艦娘が答えるようにドカンと主砲を撃つ。

 そこから放たれた砲撃は卯月の頭の上を通って……、次に後ろからその何倍も大きい音が鳴ったと思ったら、卯月の隣に何かが飛び込んで大きな水飛沫を上げた。

 

「キャアアアア!!?」

 

 そんな突然の出来事に、卯月は驚いてまたしても転んでしまう。

 

 早く立ち上がって逃げなくちゃ。そんな事を思った卯月の目に次に飛び込んでくるのは、物凄い速さで卯月の横を通り過ぎる……さっきの艦娘の姿。

 

「……え?」

 

 思わず卯月は、自分を助けに来てくれたんじゃないの?と通り過ぎる艦娘を目で追いかける。

 けれどその艦娘は卯月の心配をよそにスピードを落とす事なくル級へと向かって行き――、

 

「――死ねぇ!!」

 

 そんな叫びと共に、ル級にタックルをぶちかました。

 とんでもない速さからのタックルを食らったル級は、勢いよく後ろに倒れこんで、そしてル級が立っていた場所で肩で息をする艦娘はフウと息を吐いてボソリと、「……どうやって止まろうかと悩んだけど、これなら一石二鳥だ」とつぶやいた。

 その言葉を聞いた卯月は理解する。

 

(……多分、スピードの出しすぎで一人で止まれなくなっちゃったんだぴょん……)

 

 この艦娘は本当に自分を助けに来てくれたのだろうか?という卯月の不安を、前の艦娘は特に気にする事もなく、ここで初めてその艦娘は卯月のもとへとゆっくりと近づいた。

 

 背は卯月より少し高い駆逐艦であろうその艦娘は、急いで来たのか酷い汗だくで、着ている服が体に張り付いて、その下に着ている下着が透けて見えた。

 肩まで届く白い髪も、服と同じように顔や首にまとわりついている。

 そして先程、ル級とぶつかった所である肩部分は、衝撃で腕がダラリと下がっていて、腕に付いている装甲も酷くひしゃげている。

 

 けれどその艦娘……響は、そんな自分の姿すら気にする事もなく、未だに立ち上がっていない卯月の前で身を屈めると、

 

「ほら、あそこで寝てる馬鹿が起きる前に、とっとと此処から逃げようぜ」

 

 まるでなんて事の無い様に卯月に微笑み掛けて、無事な方の手を卯月の前に差し出した。

 

「――うっ、……うぅ」

「はは……泣かない泣かない。もう大丈夫だから。……ほら、立って?」

 

 その差し伸べられた手を見て、卯月は初めてこの艦娘は自分の事を本当に助けに来てくれたんだと実感した。

 

 ……ずっと怖かった。

 心の何処かで卯月は、やっぱり誰も助けに来てくれないかもと、一人ぼっちで死んでしまうんだと思っていた。でも!!

 

 卯月は手でグシグシと顔を拭って、差し出された手に手を伸ばした。

 

「あー……うん」

 

 その時に響は苦笑いをして、それでも卯月が自分の手を取るのを待った。

 そして、後少しで互いの手を繋ごうかという所で、卯月がガクリと体制を崩してその場で狼狽えた。

 

「……あ、あれ?」

「どうした?」

「あのね?……立てなく……なっちゃったぴょん……」

「…………」

 

 そんな卯月の言葉を聞いた響は手を伸ばした状態で一瞬固まり、次にハァとため息を吐いて考える。

 

(……腰が抜けたんだろうな)

 

 卯月の先程までの状況を考えれば無理もない事だった。

 ずっと追われてたのだ。それも何時沈んでしまうかも分からない状況で。

 

 とはいえ響は、卯月の心境が理解出来るからといって、そんな卯月を受け入れられるかと聞かれたら無理だと答えるだろう。

 それは響も既に限界だったから。

 

 寝不足。炎天下の中での長距離移動。身体の限界を越えた加運動。

 ここまで身体を酷使した代償に加え、先程ル級とぶつかった衝撃で既に響の体はボロボロだった。

 タービンもまたオーバーヒートを無視した使用で黒煙を上げた状態で、何時動かなくなってもおかしくない。

 そんな今の状態で立つことのできない卯月を連れて、ル級から逃げられるか?なんていうのは考える事すら無駄な事だ。

 

 だから響は、卯月に伸ばしている手を当たり前のように引っ込める。そして、引っ込められた手を見て唖然とする卯月に、

 

「あっ……」

 

 代わりにと言わんばかりに、響は卯月の頭をわしわしと撫でる。

 

「しょうがない。嬢ちゃんは向こうに向かって真っ直ぐ逃げな。それこそ……這いつくばってでも」

「へっ?でも……その……えっと」

 

 卯月は響の名前を知らない。

 だから、まるで自分は逃げないと言っている響に、どうするつもりなのかを聞こうとした所で言葉を詰まらせてしまう。

 そんな卯月を察して、響は言った。

 

「ーー俺は、」

 

 ーーザブリと、音がした。

 

 響は卯月から目を離し、自分の外れた肩を慣れた手付きではめ直し、手の感覚を確かめながら音の鳴った方を睨み付けて言葉を続ける。

 

「ーーアレから時間を稼ぐから」

 

 響の目線の先で、ル級が立ち上がろうとしていた。

 それを見た響は、内心で悪態を付いた。

 

 それは……響の装甲は折れ曲がり、ぶつかった衝撃で全身が悲鳴を上げているというのに、ル級は何ともない様に立ち上がって此方を見ているからだ。

 

 明確な差が見て取れた。

 それでも響は逃げる気にはならなかった。

 

(ここで諦めるなら初めからそうしてる。二人で逃げられないなら、どちらか一人……俺が残ってコイツを逃がす。それしかないだろう)

 

 響の体調は最悪だ。

 意識はぼーっとするし、視界はチカチカしている。

 全身はずっと痛いし、我慢をしないと手足がガクガクと痙攣する。

 

(……格好つけたけど、これは案外あっさり沈むかもな……)

 

 そして響はそんな事を思った瞬間、ひとつ、ある有名な台詞を思い出して……場に相応しくなく不敵に微笑んだ。

 言いたくなったのだ。

 このシチュエーションで言わなかったら、俺はこの先一生後悔するッ!!そう思った。だから、

 

 

 

 

「ーーああ。時間を稼ぐのはいいが……別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」

「……?」

「……ハハ、元ネタ知らないと分からないか」

 

 響の言葉を聞いてキョトンとする卯月を見て、響はせめて、ツッコミのひとつでもあれば面白いのにな、と笑った。

 そして身体の痛みを無視して響は一歩、また一歩と前に出る。

 

「……いくか!!」

 

 

 

 

 響の向かう先で、立ち上がったル級もまた、響達を水底に沈める為に此方に近づいている。


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