あぁ、俺はもう駄目だ。
何もしたくない。やる気が出ない。引きこもりたい…そう、貝のような頑丈な殻に包まれて。
そんなアサリやシジミのような人生に憧れを懐き……ませんわ。俺はそんなに安っぽくないわ。
もっと高級感のあるホタテとかシャコ貝とか…ってあれ?シャコ貝な人生ってヴィーナス?
俺は女神だったの?
いや俺、ヴィーナスじゃないですかヤダー。
そんなこと考えてたら、大井がなんかこっちに来ていた。
あー現実に引き戻されたわ…やだなぁ面倒くさいなぁ、絶対に嫌味を言ってくるよ。
あーやだやだ。
「チビ、何やってるのよ。暇ならさぼってないで、鍋の灰汁でも取りなさいよ」
「あら?……てっきり俺は嫌味の一つでも垂れてくるもんだと思ってたんだが?」
「言わないわ。…よく考えれば仲の良い相手に、向こうに行け、なんて言いづらいだろうし」
俺は言葉を疑った。
あの大井が、俺を…目の敵にしているであろう俺に、気づかいの言葉をかけているっ!?
なんだ!?何があった、デレ期?デレ期なのか!?
確かにゲームでは、大井はケッコンカッコカリすると提督にデレるらしいが、あるのか!?ゲームだけでなく、この大井にもデレって奴がっ!!
「――それに、よくよく考えれば白髪チビに何かを求めるのが間違ってたわ」
……やっぱ、無ェわ。
ある訳なかった。だって大井だもん。
俺、ナイーブ入って少し頭の働きが鈍くなったのか?…しっかりしろ俺、現実をよく見ろ。
これは気づかいじゃない、喧嘩言葉だ。
俺は調理場にうつ伏していた体をユラリと持ち上げ、大井に目を向けた。
「…分かってるなら俺に仕事を押し付けるんじゃねえ。それにテメエも随分とまぁ暇そうじゃねえか。俺は他のチームの動向探ってくるから、大井は鍋でも混ぜてな。陰湿な魔女の様にな」
具体的には、イッヒッヒッ…!と不気味に口角を吊り上げて笑ってほしい。
「は?私が暇?馬鹿言わないで、私は今から北上さんに肉じゃがの経過報告に行くのよ!それにさっきの一航戦の暴走は一体誰のせいだと!?」
「んなん俺じゃねえ!!俺は何も悪くねぇ!!俺は何もやってない!!むしろやってたのは――――」
そこまで言って俺と大井は、息を合わせた様に同時に同じ方向へと視線を向けた。
そこには隣のブースでカレーを作ってる暁達と楽しそうに談笑している吹雪の姿が。
アレだ…あれが食欲魔人を招き入れたのだ…。
アレがッ…!アレが混悪ッ……!!
気付けば俺は吹雪の方へ歩いていた。
大井も歩いていた。
そして俺達の接近に気が付き、途端にあたふたし始める吹雪。
そんな吹雪に、大井はニッコリと微笑み、手を肩に優しくポンと置くと吹雪の耳元で何かを囁いた。
「私は少し席を外すわ。吹雪、鍋、お願いね?…もし北上さんの肉じゃがにこれ以上何かあったら、片舷20門、全40門から発射される九三式酸素魚雷を全弾ぶち込むから」
吹雪は何を言われているのか理解していない様で「へ?」と言って固まった。
大井は「それじゃ」と言うと、スキップをしながら北上さんの方へと向かって行った。
吹雪は今の状況に困惑しながらも、ぎこちない笑顔を浮かべてこちらを見ている。
分かる…分かるよ吹雪。
吹雪は今、突然の事に頭が追い付かないんだよね?
それで俺に、言葉にしないながらも助けを求めていると。
だけどね吹雪――――
俺は、大井が手を置いた肩とは違う方の肩をポンと叩き、首を横に振った。
「ブッキー…俺が今まで、このパターンで助けた事があるか?ないだろう?じゃあもう駄目さ、諦めよう。後、俺これから暇を潰しに行かなければならないんだ。だからブッキー肉じゃがよろしくね」
「え?え!?ちょっと待って!どういう事なの!?大井さんも響ちゃんも急にどうしたの!?」
「それより……もし肉じゃがに何かあったら…ブッキーにも何かあるかもね。……フフフ」
「何するつもりなの!?」
理不尽だと騒いでいる吹雪を華麗にスルーして他のチームの所に行こうとすると、ふと暁と目が合った。というより睨まれている。
そういえば、暁達とはここ最近まともに話してない。
まぁ暁達はカレー大会に出るのを隠していたので当然っちゃあ当然なんだが。
だがだ、俺が睨むなら分かるが睨まれるってどういう事だ?
「…響」
「どうした暁?目がキィィってなってるぜ?…ビームが出そうなの?」
「でないしッ!!それよりも……それよりもよっ!響は聞こえた?他の鎮守府の響は大人しいって。なのに…何でうちの響は破天荒なのっ!?お姉さんとして顔から火が出ると思ったじゃない!!」
「もう諦めようぜ。それより、言うのが遅れたが俺も大会に出る事にしたよ」
「もうレディは諦めてるからせめて問題を起こさないでよ馬鹿響!!というより言うのが今更過ぎるでしょソレ!!」
「あっはっはっ、それともうひとつ―――暁……今回の大会の優勝は俺が貰うっ!」
俺はキリッと格好をつけて言いたい事だけ言った後、一度も振り向く事なくその場から歩き出した。背中越しに手を振るというモーションもつけて。
……決まっている。今日の俺も最高にカッコいい気がする……!!
きっと暁から見れば、ライバルが決勝で待ってるぜ…!!って言って去っていくという熱い展開と被って見えているのだろう。
そんな事を考えていると後ろから暁が「私達だってこの日の為にたくさん練習してきたんだからっ!!絶対に負けないわ!!」と叫んでいるのが頭に響くほど聞こえた。
…暁、俺はそんなに離れてないよ。まだ数メートルだよ、歩き始めたばかりだもの。
まぁ、そんなこんなで俺は何処からちょっかいを出していこうか悩んでいると、早速
見つけた彼女は調理場に伏せっていて、俺の見立てではあれは寝ているな。
そんな彼女の頭には黒いうさ耳のようなカチューシャ付いていて、その隣には連装砲ちゃんと呼ばれるよく分からないナマモノ?も一緒に寝ている。
もう皆さんお分かりだろう、寝ているのは島風でした。
「…なんともまぁ、よくもこんな所で寝られる子って」
ぼそりと呟いた俺は、忍び足で島風の傍に近づいた。
近づくと島風の寝息がスピスピと聞こえる。
その姿は年相応の少女といったところで、とても可愛らしかった。
「うん、これはアレだな」
そんな島風を見ていると思うのだ。
どうやったら愉快に起こす事ができるのか。
取りあえず俺は、
「……、」 鼻をむんず
「スピっ………………んむぅ…?」
「………、」 手をぱっ
「……、……すう…すう」
軽いジャブ替わりに島風の鼻を摘まんでみたが…何というか面白みが無い。
なんかこう……今しかできないような、ナウな起こし方を……。
そう思った俺は辺りを見回した。すると隣のブースの誰もいない調理場に茶色の球体が!
すると脳内で悪魔が囁く。
やれッ……!!と簡潔に。
気がつけば俺は悪魔の囁きに従って茶色の球体を手に取っていた。
その球体に近くにあった刃をスッと入れ、その切れ目からバリバリと茶色の皮をはぎ取っていく。
内側から現れる綺麗な白色。
更に俺はおろし金と小皿を手に取って、またゆっくりと島風に近づいた。
ステンバーイ、ステンバーイ。
島風の寝顔の前に小皿を置き、その真上におろし金と白くなった球体を構える。
そして……
「いい夢見ろよBoy……」
捨て台詞を吐き、シャリシャリシャリ!!と高速で、俺は球体をおろし金に擦り続ける!!
削られた球体はペースト状になってボタ…ボタリ…と小皿の上に降り積もる!!
そして、球体を擦ると俺にも変化が訪れる。
目が痛い。
突き刺す様な痛みが目を襲い、涙が溢れ出てくるのだ。
だがこれは覚悟の上だった。
俺は悪魔に魂を売った艦娘…これくらいなんてことはないのだ。
そして、10秒もしない内に俺の手から球体は消え、小皿にはその成れの果てが山の様に積もる。
「よし、こんなもんだろ」
俺はやりきった達成感を噛みしめ、手に着いた汁を水道でサッと流した。
島風の顔を見ると、さっきまでの穏やかな表情とは違い、なんともまあ愉快な表情(苦痛に満ちた表情とも言える)になっていた。
きっと島風は大冒険的な夢を見てるに違いない。今ちょうど死に関わるトラップに引っかかった所かな?
やりきった満足感を胸に、島風がいつ起きるのかと眺めていたら、島風が寝苦しそうに呻きながら薄目を開ける。
「ギャアァァァァ!!」
途端に響き渡る断末魔。
島風は叫び声を上げると共に、椅子ごとひっくり返り、目を押さえながらもんどりうった。
「目が、目がぁぁ!!」
ムスカかな?
なんて冗談は置いといて、擦りきった玉ねぎの目の前で目を開けたんだ。
そりゃあ玉ねぎだって目にダイレクトアタックするさ。
取りあえず俺は、島風による壮大な前振りにこう言わざるおえなかった。
「バルス!!」
「――いや、何やってるのよ」
不意に横の方から声が掛かる。
何事かと思い、そちらに振り向くと五航戦がいた。
「何やってると言われれば、島風が寝てるので親切心で起こしてあげようかと」
「響の親切心って何よ……目の前で玉ねぎ擦るのはシャレになってないでしょ……」
「だって…目の前であんなに幸せそうにしてたら、その幸せを破壊したくなるじゃないですかぁ!!」
「悪魔かっ!アンタはっ!」
取りあえず聞かれた事に答えると、瑞鶴は突っ込みと共に頭をスパンと叩いてきた。
艦隊結成時の顔合わせの時は、一航戦の護衛艦ってだけで目の敵にされていた感じだったが、最近は俺のボケに結構乗ってくれたり突っ込んだりしてくれる。
仲良くなったよなぁ、ホント。
そんな事を思っていると、翔鶴が傍に来て瑞鶴にたしなめる様に話かける。
「駄目じゃない瑞鶴、響ちゃんを叩いたら可哀想でしょ?」
「…え、だって翔鶴姉聞いたでしょ?響の奴、今ろくでもない事言ったんだけど」
「もう!瑞鶴ったら…ごめんね響ちゃん、痛くなかった?」
ペコリと頭を下げる翔鶴。
正直、ふざけ合いでガチで謝られても困る。
そんな事されたらこちらだって真面目に対応せざるおえないじゃないか!
「いえいえ、ちゃんと加減してくれてるので大丈夫ですよ?」
「ありがとう響ちゃん。それとね、今度響ちゃんに会ったら言いたい事があったんだけど」
そう言って、翔鶴は一度頭を上げて真っ直ぐ此方に向くと、
「この間は瑞鶴を助けてくれたみたいで……本当にありがとう、響ちゃん…!!」
今度は深々と頭を下げた。
困った。
このクソ真面目な空気、どうすればいいか分からねえッ……!!
何でもいい、何か…何かないのかッ……!!
俺は辺りを見回した。
しかし有ったのは頭を下げっぱなしの翔鶴、顔を真っ赤にする瑞鶴……あ。
「ぐすっ…うぅ…」
気付けば、地面に目を泣き腫らした島風が、何かを訴えたそうにこちらを見ている。
「ヤベェ…忘れてた」
不意に思った事が口からポロリと漏れる。
島風は、俺の声が聞こえたのか「響ちゃんのバカうわーん!!」と、泣きながら全速力で去っていった。
……流石に放置は、やりっ放しは不味かった。
とはいえ追いかける事も出来ず、俺は翔鶴の相手をすることに決めた。
すまねえ島風。社会に出ると子供の相手より大人の相手の方が必要なんだ……すまねえ、すまねえ!
「そんな、頭を上げてくださいよ。俺は出来る事をしただけですから」
「でも、それで響ちゃんは大破になったって」
「大丈夫ですよ!慣れてますしピンピンしてますし!妹さんに怪我が無くて良かった!これで良いじゃないっすか!」
「うん…本当に、本当にありがとう響ちゃん……!!」
「翔鶴姉やめてよっ!恥ずかしいから!響もそんな事は良いから島風を追いかけなさいよ!」
……そうなんだけど、どこまで行ったかだよなぁ。
そう思っていると、去っていったはずの島風が何故かこちらに向かって歩いて来ていた。
「響ちゃん、どうして追いかけてきてくれないの…?」
これはあれか、構って欲しいのか。
子供にはよくある事だ。俺もあった。
構って欲しいのに真逆の行動をとって後々後悔するんだ……懐かしい。
「あれだよ?今から行こうと」
「もういいもんっ!響ちゃんのバカッ!!」
俺が言い訳するよりも早く、島風は調理場に有った物を掴み、的確に俺に投げつけてきた。
そのスピードは中々速く、急に投げたという事もあって、普通の艦娘なら避けるのが精一杯といったところ。
だが俺は普通ではない。
島風が手を動かした時、危険を瞬間的に察知した俺は、瞬時に島風が何をしようとしているのかを把握。
そして投げられた物をすぐに掴めるように態勢を変える。
護衛艦は伊逹じゃない。これくらいできなければ艦隊を守るなんて出来ない。
そして、俺は投げられた物を余裕で片手でキャッチする。
その時、世界がゆっくりと動いた。
掴んだ物から何かが零れるように垂れた。
垂れた液体は投げた勢いをそのままに、俺の手をすり抜けて眼前に迫る。
本能が危険信号を放つ。これはヤバイ。
この時の俺は、迫る液体が顔に掛かるまでの刹那の時間の間にこの液体が何なのかを思い出した。
あれ?調理場に置いてあった小皿って――
俺の思考はそこまでだった。
思い出すと同時に液体が目に飛び込み、尋常じゃない激痛に俺は両目を覆いその場でのたうち回った。
「ギャアアアアア!!目がっ!!目がああッ!!」
「ベーっだ!!」
俺はこの時、目を殺す様な痛みと島風が遠くに駆けていく足音を聞きながら思った。
食べ物で遊ばない様にしよう、と。
響 両目大破!