「哀れ過ぎて何も言えないわ」
今の俺の状況に大井は気づいたのか、さっきまでの喧嘩腰とは一変して、憐れむような眼で俺を見て一言そう言った。
まさかの大井からの同情にによって、俺は久しぶりに心を折る事になった。
グラリと揺れる視界。そして全身から力を失った俺は、ゆっくりと体制を崩し、床に両手両膝を着いて力尽きた。
「えっ?響ちゃんどうしたの?」
頭上から、今の状況を理解していない吹雪から俺に残酷な質問がされる。
俺は質問に答える事が出来なく、代わりに壊れた様な笑いが口から洩れるだけだった。
「…そのチビは仲の良いと思っていた姉妹艦達が、今回のカレー大会が有るとも出るとも聞かされてなかったみたいね」
「……あ。ごっ、ごめんね響ちゃん!?私そんなつもりで聞いたわけじゃなかったの!?」
その質問に代わりに答えたのは大井だった。
そこでやっと事態を飲み込んだ吹雪は無意識なんだろうが俺に止めの一言をぶつけてきた。
…そんなつもりって……どんなつもりなんだよぉ。
悲痛な現実、不仲の大井からの同情、吹雪の抉る様な一言というトリプルプレーを決められたら、もう……寝るしかねえじゃねえか……。
俺は絶望に苛まれながらゆらゆらと立ち上がり、のそのそと自分のベットに戻ろうとした。
「哀れ過ぎて何も言えないわ」
すると大井の声が後ろから聞こえた。
ジャリジャリッと、心を砕く音が聞こえた様な気がした。
俺は再び膝を折った。もう立ち上がれそうになかった。
この時俺は思った事がある…なにも、二回も同じ事を言わなくてもいいじゃないか、と。
俺が哀れなのは大事な事なのか、と。
だが思うだけで俺は言い返す事が出来ない。気力が沸かない。
どうやら俺は何か大事な物を失ってしまった様だ。
そんな俺に、吹雪は心配した様な顔で近づいてきた。
「あのさ…響ちゃん」
「なに」
「私思ったんだけど、響ちゃんも大会に出てみたらいいんじゃないかな?」
「……何言ってんだブッキー。そういう事じゃねえんだよ。俺は大会に出られねえから落ち込んでるんじゃないんだよ」
「うん、それは分かってる。でもさ?それなら響ちゃんも暁ちゃん達に内緒で大会に出て驚かせてあげればいいんじゃないかなーって」
「…馬鹿だなブッキー。驚かして何になるんだっての……っ!?」
俺は吹雪の話を馬鹿にしていた。
言っている事が根本的に違うからだ。それにその場しのぎで言っているのがすぐに分かった。
…だか、吹雪の話を否定していると、心の中で悪魔的発想が閃く。
「―――気が変わった……俺も大会に出るわ」
「へ?…本当に出るの?勧めといて言うのもアレなんだけど、響ちゃんって料理できるの?」
「なめるなブッキー。ここに来る前は一人暮らしだったんだぜ?自炊くらい余裕さ」
「そ…そうなんだー…」
その後、吹雪は横を向いてぼそりと「響ちゃんって本当になんだろう」と呟いていたのが聞こえた。
そんな事はどうだっていい。
それよりも大事な事が一つ。
「それよりだブッキー…僕と契約してカレー大会に出て欲しいんだ!」
「ええっと私……?響ちゃん、私料理とかした事ないんだけど…」
「大丈夫だ、問題ない。それより俺が一人で出る事によって『俺=ボッチ』の定義が付く方がヤバイ…後は分かるな?」
「分からないよ」
「つまりぃ、俺とブッキーが出る事によって、俺は暁達以外にも遊ぶ人が居ますよって暁達にアッピルするのよ!」
「うーん…でもなぁ…」
どうも乗り気でない吹雪。
だけど俺はブッキーくらい簡単に落とす事が出来る。
それもほんの数秒でだ…。
交わす言葉は一つでいい。それだけで吹雪は態度を変える。
さぁ、やってみましょうか…説得ってやつを…!
「なぁ、ブッキー。どうして悩む必要がある?俺がブッキーの立場だったら、ここは参加するの一択だと思うんだが」
「どうして?」
「そんなの決まってる……考えてみろ。カレー大会に出るって事はカレーを作るって事だろ?それなら、カレー作ったら味見してほしいとか言って赤城さんに会える口実が出来ると思うんだけどなー」
「駆逐艦、吹雪!カレー大会に出撃します!」
赤城の単語を出せばあら不思議、簡単に首を縦に振るブッキーマジちょろい。
そんな訳で、俺は新しい仲間を加えた事で気分は上場だった。
後、必要なものは何だろう?料理は、漫画やらバイトやら一人暮らしをしていたおかげで、それなりに自信がある。
材料も前日に何とかできるだろう。
「あのさ響ちゃん」
そんな事を考えていると、横から真面目な顔をした吹雪が声を掛けてきた。
「どうした?」
「あの、実はカレー大会には加賀さんと瑞鶴さんも出るみたいなの」
「へー。でもまあ、どうせなら多い方が楽しそうじゃん」
「うん。それでね私達も出る事になるとね?…その」
吹雪は言いづらそうに部屋の片隅を気にしている。
俺はこの時、吹雪が何を言いたいのか理解できた。
早い話、俺達がカレー大会に出ると、第五遊撃部隊のメンバーで大井だけが大会に出なくなる訳だ。
そんな状況が、まるで大井を仲間外れにしている様に吹雪は感じているのだろう。
…俺も同じ事を思っていたから良くわかる。
正直、大井の態度こそ未だに気に入らないが、決して仲間外れとかにしたい訳ではないのだ。
というより俺は、なんだかんだ言っても大井と仲良くやっていきたいと思っている。
…今思い返しても、出会いこそ大井の印象は最悪だったが、関係が悪化した一番の原因は俺が手を出したことにある。
その事については本当に悪かったと思っていて、何度大井に謝ろうとしたか判らない。
ただ、大井と会うと最初の険悪感が尾を引いて喧嘩腰に話してしまい、売り言葉に買い言葉。
気が付けば一年…もう一年だ。
部屋が同じになった時も、少しは関係が良くなるといいな、なんて思っていたりもしたが、結局は会話らしい会話は無し。挨拶も無し。交わすのは罵詈雑言と舌打ちという負のスパイラル。
だが、そんな俺にもチャンスというのは有るものだ。
第五遊撃部隊で大井だけが大会に参加する予定の無い今、この状況を利用すればごく自然に大井を大会に誘う事が出来るのでは?そうすれば少なくとも今よりはましな関係になるのでは……。
「響ちゃん」
「わかってる。わかってる…ちょっと待って」
俺が何も言わないのを心配した吹雪が不安げに俺を見ていた。
ここで吹雪が大井を誘うというのも有りだったが、それでは根本的な解決にはならない。
もし俺が仲良くしたいというのなら、待たずに、人任せにせずに、仲良くしたいという態度を見せ、こちらから一歩踏み出す事が大切なんだ……。
俺は落ち着くために一度深呼吸をした。
大丈夫…今の状況は、これまでの関係に終止符を打つチャンスなんだ……ここで何とかできないと、多分もう絶対に顔を合わせるたびに嫌な思いをする…そんな関係のままだろう。
……よし、いける。今なら普通に誘う事が出来る様な気がする。
そう思った俺は、心配する吹雪をよそに、静かに立ち上がって大井達に近づいた。
俺が近づくと、北上さんと楽しそうに話していた大井は、途端に嫌そうな表情をして俺の方を向いた。
心臓がバクンバクンと跳ねる。
俺は何に緊張しているというんだっ!!
ただ大井に「なんか第五遊撃部隊の殆どが大会に出るみたいなんだけど、もしよければ一緒に出ない?」と軽く聞けば良いだけなのにっ!
分かっていても、開いた口から次の言葉が出てこないまま時間だけがゆっくりと進む。
そして、俺が何も言わないからか?大井の機嫌は見ていても判るくらいにどんどんと悪くなっていく。
このままじゃマズイ。それだけはすぐに理解できた。
こちらから近づいたんだ…待たせるのは悪手だっ…言うんだ…早く、早く!!
「なあ大井さん?第五遊撃部隊でカレー大会に出ないのはアンタだけみたいなんだが――――――今後一切誘われそうも無さそうだし、可哀想だから誘ってやろうか?」
俺が喋り終わった途端に空気が死んだ。
…ははっ、やっちまった。
これじゃあ喧嘩を売っている様なものだ……。
いつもそうだ。謝りに行っても、気が付けば喧嘩を売ったり売られたりしてる。
ほんともう……ドウシテコウナッタ。
目の前では大井が、親の仇を見るような眼で俺を睨みつけている。
と思ったら、大井は勝ち誇った顔をして俺に言った。
「はっ…誘われなかったのはアンタじゃない」
言葉のリバーブローが俺の心に突き刺さった。
ブーメランだって事は知ってた。
口から勝手に言葉が出てた時に、俺自身でも思ってた。これ大井の事じゃなくて俺じゃんって。
もちろん、俺が悪いという自覚はある。俺から喧嘩を売ったのだ、普通ならここは俺が謝るところだろう。
「うるせえな…なんだかんだ言ったって、現にテメエはこの部隊の中で唯一大会に出ねえ…つまりハブじゃねえか!!」
でも悲しきかな、俺は言われたら黙っていられない性格で、謝罪の言葉よりも喧嘩の言葉が先に出ていた。
いつものパターンだ、そしてここから言い合いが始まる。違いなんて大井が先か俺が先かしかない。
「ああっ、ウザったい奴!!私は出れないんじゃなくて、出ないの。姉妹艦にハブられた何処かのチビと違って、私は大会に興味が無いの。分かる?」
「………」
普段の俺なら間髪入れずに言い返していたはずだった。
ただ…今回の言い合いで違った事は、大井の言葉のクロスカウンターが強すぎた事だ。
俺は言葉に詰まって何も言えなくなった。
「えー?折角だし大井っち、カレー大会に出てみればいいじゃん」
そんな時だった。さっきまで聞いていただけの北上さんが不意にそう言ったのは。
北上さんの言葉に過剰に反応した大井は、グリンと勢いよく振り返り、北上さんの手を取って言った。
「もちろんっ、北上さんとですよね!?」
「ううん、響と吹雪と。こうやって誘ってくれてるんだしさ?ねえ、響?」
「ええ、まぁ……ハイ」
急に話を振られた俺は何とも間の抜けた返事を返した。
というより、自分で言うのも何なんですが、北上さんはよくさっきの俺の言葉をそう捉える事が出来ましたね……実際はその通りなんですが。
ちなみに北上さんは、俺の返事は気にした様子も無く普通に大井に視線を戻していた。
「それに私…大井っちの作ったカレーを食べてみたいな!」
そして北上さんが大井にそう言うと、大井は何度も何度も頷いて最高の笑顔で言った。
「はいっ!お任せください!!私が腕によりをかけて北上さんの為に愛情たっぷりの特性カレーを作って大会で優勝しますっ!!……うふふふ」
この時俺は、たいそう綺麗な手のひら返しを目撃した。
あまりの清々しさに、俺はその前に話した数十秒前のやりとりが嘘の出来事の様に思えた。
「…えーと大井、お前さっき大会に出ない興味無いって言ってたよな?」
「は?何言ってるのクソチビ、私はそんな事一言も言ってないですけど。ね?北上さん」
言ったって。
その証拠に北上さんは、大井の問いに答える代わりに「あはは…」と力無く笑っているじゃないか。
俺は大井の変わり身様に呆れていると、北上さんはハッとして俺の方を向いた。
「そんな事よりさ、響は大丈夫なの?」
「何がです?」
「大会の参加受付だよ。確か今日の午前中までじゃなかったっけ?」
「……マジっすか」
「うん。マジマジ」
北上さんは相変わらず飄々とした様子で俺に爆弾発言をかました。
…それって積んでませんか?カレー出られなくないっすか?
まさか、大会に出る為に俺はイカれたメンバーを集めたというのに!?
俺は大会に出られないのでは?という不安から、同じく今回参加予定であるブッキーと大井に顔を向けた。
すると同じ様に不安になったであろう大井が、俺の両肩を大層な力で掴んだ。
「ちょっと!?それじゃあ何、私が北上さんに贈る愛情たっぷりの特性カレーはどうなるのよ!?」
「うるせえええ!!まだ大丈夫だよっ!!…1時だし、ごねれば活ける…たぶんきっと
自分で言ってて果てしなく不安になった。
これでは俺の崇高なる目的が果たせない。
俺は同じ様に精根尽き果てた大井と共にその場で生きた屍と化した。
だがそんな俺達に一つの希望が舞い降りる。
「受け付けは確か3時までだから大丈夫だよ響ちゃん」
後ろから優しく掛けられた吹雪の一言は、俺もFXで有り金全部溶かした表情をしていた大井をも復活させるには十分な希望があった。
…そうか……!まだ終わってなかったんだなッ…!
まだ間に合う、それは俺が再び立ち上がるには十分すぎるほどの意味を秘めていた。
「それならこんな所でグズグズしてられねえな!ハラショーブッキー!!」そして俺は部屋の窓を開けて、「ちょっくら逝ってくるわ!」
部屋から勢いよく飛び出した。
ふわりと浮遊感が一瞬だけ体を包む。
浮遊感が無くなると体は下へと落下を始める。
徐々に地面が近づいてくる。
実際は窓から落下までの間は一瞬の出来事なのだが、一つのミスが大怪我に繋がる事から極度の集中状態にある俺は、その出来事をスロー再生している様に錯覚させた。
そして地面に対して、俺は両手両足でカエルの様に着地して着地時の衝撃を4つに分散、着地の体制を活かしてのクラウチングスタートで地面を素早く駆けた。
[響が出て行った後の部屋で]
「…あの、響ちゃん窓から出て行ったんですけど……?」
「あー響だからねぇ…」
「あの、この部屋3階なんですけど」
「あのチビは紐無しバンジーが好きなのよ」
「あぁ……睦月ちゃんと夕立ちゃんが前に言ってた事、やっぱり本当なんだ…」
「それにしても良かったねえ大井っち。響にカレー大会に誘ってもらって」
「!?」
「いやー安心したよ。最初、大井っちと響が同じ部屋で大丈夫かなーって心配してたんだけど仲良くできてるみたいでさ!」
「ちょっと北上さん!?冗談でもそういう事言うと、北上さんでも怒りますよ!?」