一寸先は闇。
聞こえるのは波の音と足元で唸るタービン音だけ。
そんな中、唯一の手がかりである星を頼りに不安ながら、躊躇いながら海を進む。
もう鎮守府が見えなくなってどれくらい経ったのだろう・・・・・・。
暗闇を進むにつれ胸に巣食う不安や恐怖は少しずつ大きくなっていく。
引き返せっ・・・・・・!
今ならすぐ戻れる。
それに俺が行かなくてももしかしたら如月はあっさり帰ってくるかもしれないぞ?
それより、俺の方が危ないんじゃないか?
なぁ、本当にこの道であってるか?この暗闇の中で下手に進むと鎮守府に戻れなくなるかもしれないぞ?
引き返せっ・・・・・・!!
いいじゃないか、もう戻ろう。
明日如月に上に気をつけろって言えば済むじゃないか。
大丈夫だよ、なんとかなるって。考えすぎなんだよ、アニメでそうだったからってこっちでもそうなるとは限らないんだから。
今、俺にあるのは保身だった。
俺は海に一人で出たことを激しく後悔していた。
何も見えないという恐怖が、戻れなくなるという不安が、孤独に沈んでしまうかもしれない絶望が、冷たい風と共に身を刻む。
そして震えるたびに自分の事が嫌いになる。
俺は一体何のためにでてきたんだ、と。
決して・・・俺は臆病風に吹かれて引き返す為に出てきたんじゃない。
・・・・・・頼むからっ・・・・・・お願いだから自分にくらい格好つけさせてくれッ!!
心の中で何度も唱える。
必死に、言い聞かせるように。
間違ってないから大丈夫だと。
きっと出来ると。
颯爽と現れて助ける事が出来れば誰もが俺を褒め称えるに違いないと。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度でも。
――――それでも震えは止まらない。
――――それでも不安は拭えない。
波の音が言葉を書き消し心を揺らす。
タービン音が警告音に聞こえる。
暗闇がそんな小さな見栄すら飲み込んでしまう。
ふと気づくと手先の感覚が痺れて、薄れて、消えていく様。
手から腕、肩、胸に伝わりお腹、太もも、足先までも消えていく。
残るのは意識だけ、もう・・・後悔だけが残った意識だけ。
目に熱が篭る。星が滲む。
帰りたい。
帰りたい。
来なければよかった。
来なければ――――
そこで、それとは別に冷たい・・・氷のナイフで刺されたかの様な鋭い寒さが心を凍らせる。
あの時、部屋で見えた光景を見た時の様な嫌な予感が頭をよぎる。
それは、もし此処引き返したらあの場所が無くなってしまうかもしれないという恐怖。
ただ楽しかった日常が日常じゃ無くなるかもしれない恐怖。
俺が馬鹿をやれば笑ってくれる友達が、その日をさかいに居なくなってしまう恐怖。
・・・進め。
その恐怖に比べたら今の状況なんて大したことじゃない。
進め。
ここで引き返したらこれまでの日常が消えてしまう気がするから。
進めっ!
仮に道を間違え、迷って、戻れなくなったとしても!
今ここで戻ったら二度と同じ場所に帰ることができなくなるんだからッ!!
それでも・・・・・・
それでも体の震えは収まらない。
この、頼れる物がない、肯定してくれる物がない状況は、自分自身の行いを疑うには十分過ぎる物だった。
何も見えない今、俺は鎮守府を出た時の様に海の上にいるのだろうか?
海吹く風が、俺を何処か知らない所に連れてってしまうのでは?
そもそも俺は存在するのか?
そんな有り得もしない考えまでもが誠になりそうで怖い。怖い。怖い。
駄目だっ!違うことを考えなければっ!
そう思った時、バッグにおにぎりが入ってるのを思い出した。
分かってる。根本的な解決にならない事を。
それでも気を紛らわせたかった。
少しでも他のことを考えて、この恐怖から離れたかった。
暗闇の中、俺はそっとバッグに手を伸ばす。
物を食べてれば気が紛れる。
その間に暗闇を進んでしまえばいい。
そう思ってバッグからおにぎりをひとつ取り出す。
取り出したおにぎりは今日の昼に握った塩むすびだ。
作っている時はなんとも味気ないと思ったが、今この時は本当に持ってきてよかったと思った。
不意に、手からおにぎりがこぼれ落ちる。
寒くて、手が悴んで上手く動かなかったから。
暗くて、何も見えなくて、ちゃんと掴めていなかったから。
手からこぼれたおにぎりがポチャン、と海に落ちる。
落ちた音がする。
あっけなく落ちた。
昼に明日の事を考えながら握っていたおにぎりだ。
そんな事を考えたら息が苦しくなった。
もう限界だった。
暗闇を、何一つ頼る物が無い場所を永遠に進むのはもう嫌だ。
何処に向かってるんだ?どんなに俺が頑張ろうとも無駄なんじゃないか?
きっと沈む。
おにぎりみたいにポチャンと沈む。
渇いた音をひとつ起てて、あっけなく。
抑えてた物が堪えてた感情がにじみ出る。
涙と一緒に、嗚咽と共に湧き上がる。
その場に立っていられなくなる。
嫌だ・・・沈みたくなんかない。
帰りたい・・・もう、何もかも投げ捨てて。
肩に下がったバッグが、あちこちに付いてる艤装が俺をさらに苦しめる。
こんな事なら・・・・・・こんな事を思うのなら艦娘になんかなりたくなかった!
こんな思いをするのならあの時に何も知らないまま沈んでいればよかった!
そして、そのままバッグを外し海に投げようとすると頬に何かが当たる。
何かは小さくて、温かくて、俺の頬をピトピトと、ペタペタと優しく触れる。
何かが頭を撫でる。スリスリと。
そこから熱が灯る様に感じた。
冷たかった心に熱が灯る様な・・・・・・。
「・・・・・・そういえば、一人じゃなかったな・・・・・・」
俺の言葉に――『妖精さん』は笑ってくれた様な気がした。
暗くて見えないけれど俺は笑ってくれている様に感じた。
・・・・・・俺は、ここまで一人だと思っていた。
何も頼る物は無く、ただ一人で暗闇をさまよっているのだと。
でも、そんな事は無かった。
妖精さんは同じ暗闇の中を俺の為に見張ってくれてたのだろう。
俺は思い違いをしていた。
俺は一人じゃなかったんだ。
誰かが居る。すぐそばに居る。
それだけでさっきまでの孤独や焦り、恐怖が嘘のように消えていく。
勿論、全部じゃない。全部は消えない。
・・・・・・それでも、さっきほどじゃない。
涙は止まったし、また前に進もうって思えるようになったんだから。
「・・・・・・ありがとう・・・妖精さん。もう少しよろしくね」
妖精さんの姿は見えない、声も聞こえない。
それでも俺は先程のような不安は感じない。
そこに確かに居てくれているから。
もう一度進む。
前に、力強く進む。
見えなくても、聞こえなくても、俺は独りじゃないから。
肩や頭に在る小さな重さを感じつつ、先を思って突き進む。
帰る・・・・・・俺は帰る。
明日皆を引き連れて、堂々と、意気揚々と帰る。
空を見上げると鎮守府を出た時以上の星が光っている。
大丈夫。何とかなる。きっと皆で帰って来れる。
それから何時間経っただろう?
時々妖精さんに声を掛けながら、妖精さんに頭をパシパシ叩かれながら海を進んでいた時、目の前に暗闇より一層暗い塊が見えた。
塊はデカイ。俺の背丈を軽く超える。
塊は動かない。その場にただあるだけだ。
懐中電灯で照らすと深海棲艦に見つかる可能性がある。照らすのは最後の手段だ。
となると・・・・・・。
「触ってみるしかないよな?」
俺のつぶやきに妖精さんは答えない。
きっと塊の正体が見えているのだろう。
俺はこの数時間で分かった事がある。
それは妖精さんがイタズラ好きだという事。
移動してる時も髪を引っ張られたり、服の中に入られたりした。見張って?と思ったが言わなかったが。
・・・つまりだ、これの正体は無害な物に違いない。
妖精さんは俺がビビってる姿が見たいだけなんだ。
けどそうは行かない。
分かりやすい妖精さんの性格を分析した俺にとって、妖精さんが何の行動も取らない塊にビビる必要はないんだ!
そして、手をしゅっ、と出す。
スカッ、と手が虚空を切る。
肩と頭に乗っている妖精さんがバタバタする・・・・・・。
畜生!見えないんだよ!距離感分かんないんだよっ!!
結局俺は手を前に突き出したままゆっくり塊に近づくチキンプレイをする事になった。
塊はヌメっとした。
手に何か付いた。匂いは磯臭い。
この時俺は塊の正体に検討が付いた。
塊に爪を突き立てる。ヌメっとしたそのすぐ下は固い。
・・・やっぱり、これは岩だ。
海の上に岩がある。それはつまり、この付近が浅いという事になる。
そして俺が目指していた島の付近も岩礁が多いらしい。
当たりだ。
俺は間違えずに島にたどり着いたんじゃないか?
なら、このまま島に上陸しよう。
岩礁に潜んでいるより、陸地にある茂み等に隠れた方が見つからないだろう。
それからさらに数十分、俺は砂浜にたどり着いた。
砂を踏むとぎゅむ、といった感触が足に伝わる。
そこから少し歩き、砂の上に膝を落とし手を地面につける。
手に伝わる砂の感触を逃さないように砂を握り締める。
・・・よかった。たどり着いた。
沈まなくてよかった。
しばらくそのままの状態でいたのだが、ずっといると深海棲艦に見つかるかもしれない。
なので立ち上がり手を払って隠れる場所を探すことにしよう。
その場所から少し歩くと海に近い場所に茂みがあるのを発見した。
この茂みから海が見える、かつ向こうから見えない場所を懐中電灯で下を照らして屈みながら探す。
勿論、海側に光がもれないように。
すると、丁度いい場所がすぐに見つかった。
今のところ、上手くいってる。
今のところ、全部思った通りになっている。
後は・・・・・・如月を助けるだけ。明日、敵艦載機を打ち抜くだけ。
反攻作戦の開始は昼だった。
今起きていても意味がない。
だから、俺は寝ることにした。
助けるときに寝不足で失敗しました、なんて嫌だしな。
今日は疲れた。暗闇を移動するのがこんなに辛いなんて思わなかった。
体を横にして茂みに身を寄せると眠気が急に襲って来る。
「・・・もう、絶対こんな事しない」
今日で懲りた。
やっぱり俺は前線にいたい。
そうすれば・・・俺が一人で出歩かなくても皆を助ける事ができるから。
戻ったら提督に言ってやろう。
俺は、艦隊の盾なんだって。