真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第5話:李信と水鏡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洛陽の宮中の一画にある執務室。

 仕事以外のことでは碌に人も寄り付かない区画の部屋に、二人の男女がいた。

 そのうちの一人である張譲は、部屋の窓際に置かれた巨大な机に山のように積まれた竹簡の前の椅子に腰を下ろしながら、即座にその書類に書かれた内容をどう判断すればいいのか見極め裁可を下す。あまりの速度に竹簡に目を通していないのではないか疑いたくなるが、それでも部下からは文句や不満の一つもでないことを考えれば、実際にそれらを見事に処理しているのだろう。

 窓から差し込まれる太陽の光が、彼女の白金の髪の毛をきらきらと反射させ、どこか神々しさを感じさせてくる。

 

 部屋にいるもう一人の人物。

 李信はというと、部屋の隅に置かれている椅子に深く腰掛けてどこかぼんやりと天井を見上げていた。両腕を組み、普段よりも気が抜けた彼の姿が気になるのか、張譲は時折ちらちらと視線を李信へと送ってきている。

 何時もの李信ならば、そんな彼女の様子にも気を配ったのであろうが、今の彼は全く反応することがなかった。

 

 微妙な空気が部屋を満たしている中、聞こえるのは張譲が竹簡を処理する音だけ。

 朝から変わらない李信の態度に、流石の張譲も何かあったのかと心配しながらも、なかなか聞けずにこのような均衡状態が暫しの間続いているのであった。

 

 

「……なぁ、張譲」

「ん!? あ、ああ……どうした、李信よ?」

 

 そんな空気を全く読まずに、難しい顔をしていた李信が天井から張譲へと視線を送り話しかけてきた。

 不意を吐かれた彼女は、若干の動揺を隠せずに僅かに返答をどもらせる。冷静沈着な張譲らしからぬ姿に、もしもこの場に他の人間がいたら驚いたに違いない。皆が想像している十常侍が筆頭の一人張譲とは、まかり間違ってもこのように感情を露にする類の人間ではないからだ。

 

 

「先日の話になるが、初心に帰ってある一つの目標をたてたんだけどな」

「ほう。お前が、か? それはなかなか興味深い。して、その目標とは?」

 

 李信の台詞が意外だったのか、竹簡を処理する手を止める。

 言葉通り張譲の赤い瞳は、これから李信が何を言おうとしているのか期待の色に溢れかえっていた。そしてどこか胸を高鳴らせている張譲の顔を見ながら、李信はその目標を何の躊躇いもなく口に出す。

 

「―――大将軍になろうと思ってる」

「そうか。そうかそうか、大将軍か。くっくっく……随分とまぁ、高い目標を持ったな。全く、相変わらず私の想像を超える奴だ」

 

 李信の世迷言を聞きながら、何故か張譲は嬉しそうに笑った。

 李家という下級官吏の子でありながら大将軍を目指すなど、呆れてものも言えないとはまさにこのことだ。例え、どんな奇跡が起きようともそれを成し遂げるのは不可能だ。万が一どころか、億に一の可能性すらない。即ち、皆無。誰もがそう判断するであろう告白を、張譲はあっさりと受け入れた。

 

「とは言っても、中々に困難であるのは疑いようがないぞ? そもそも大将軍とは、何の為にある官職か知っているか?」

「ん? 将軍の最上位ってことじゃないのか?」

 

 張譲の質問に、李信が僅かな疑問を感じながら答えを返す。

 それに対して、勉強不足だなと笑いながら、彼女は首を横に振った。 

 

「元はそうかもしれんが、この国に置いては意味が異なっている。大将軍とは確かに武の頂上ではあるが、基本的に外戚勢力の筆頭がその座を務める。軍の総帥と言えば聞こえは良いが、外戚の者達が我ら宦官と対抗する為の地位なのだ」

 

 つまりは、今の大将軍の戦場は、外ではなく内。

 血で血を洗うような、死体で大地が埋まる阿鼻叫喚の地獄絵図が舞台ではなく、謀略と策謀溢れる宮中こそが生きる場所。

     

「ようするに、だ。お前が考えている大将軍とは少し異なっているのではないか?」

 

 現在の漢の状況を嘲笑うかのように、張譲は両手をあげるその姿はまるでお手上げだと無言で語っているかのようであった。

 事実、この国の未来は危ういと彼女は考えている。ここ数年、出来る限りの方策を打ち出してはいるものの、絶対的に協力者の数が少なすぎる。十常侍の大多数は趙忠派なのを加え、外戚集団、その他の官僚。各地方の役人、それら全てがもはや民を食い物にするだけの害悪にしか過ぎなくなっている。さらには異民族の侵攻、国の財政の逼迫。むしろ好転する要素が全く持って見つからない。如何に張譲といえど、現在の状態を覆す手段は持っていない。破滅への歩みをほんの僅かに遅延させるだけで精一杯なのだ。

 

「私の協力者という立場にいるお前では、絶対に為り得ない官位ということだ。それとも―――」 

  

 熱く煮え滾った真紅の瞳で李信を射抜きながら、張譲は笑みを静かに深くする。

 それはどこか三日月を連想させる狂ったような笑みだった。

 

「―――宦官(わたし)と敵対すればなれるやもしれんぞ?」 

「必要とあればな」

 

 漢という国の頂点に近き怪物の重圧を一身に受けながら、李信はあっさりと言い切った。張譲がその気になれば、李信など一声で事実無根の罪を着せられ極刑に処せられるだろう。それなのに、微塵も怯えることのない彼の姿に、ほぅっとやけに扇情的な吐息を漏らして十常侍の筆頭は笑いながら机を軽く何度か叩いた。

  

 

「くそっ。ああ、まったくお前と言う男は私の期待を良い意味で裏切ってくれる。この私を前にして、平然とそう言い切るお前の気概。決して曲がらず折れず朽ちずの鋼のような精神力。そのどれもが、眩しくて仕方がない」

 

 李家にて出会って早数年。

 その時に比べ、外見は随分と成長した李信と全く容姿が変わらない張譲。

 だが、彼女のうちにある気持ちは全く変化をもたらしていなかった。

 李信永政という怪物の主に値する存在に足れ。その意思だけは常に彼女の心にある。

 

 それだけを目標に、野望を胸に抱きこれまでの道を歩いてきた。

 

「くっくっく。我が心の臓を騒がせるこの感情を何と表現すればいいのか。男を知らぬ生娘のように心が熱く、身体が火照るぞ。人の心とはまったく不可解で摩訶不思議なものだ」

「いや、生娘のように……というか、お前生娘だろう」

「―――空気を読め、馬鹿者がっ」

 

 

 李信の突っ込みに、張譲が唇を尖らせる。

 些か言葉尻が強くなったが、それも無理なかろう話だ。

 むしろこれは客観的に見れば李信が悪い。

 

「悪い悪い。てか、まぁ……敵対するつもりは今んところないから安心しろよ」

「……今のところというのが気になるが、仕方ないか。元より、そういった約束だ」

 

 やれやれ、と机に両肘を突き白魚の如き両の指を絡めさせ、その上に顎を乗せる張譲。

 真紅の瞳が、一瞬とはいえ寂しさに揺れるものの、それを相手に気取られる前に一度瞳を閉じる。次に開けた時には、普段の張譲らしく傲岸不遜な力強い瞳へと戻っていた。

 

 張譲の出来うる限りの自由を李信へ与えるその返礼として、李信は張譲へと力を貸す。

 そこに主従の関係はない。あくまでも二人は協力者。対等の立場として、彼らは付き合っている。  

 当然、そのことは他の者には知られていない。知っているのは張譲の従者である孟陀くらいだろうか。そして二人以外がいるところでは李信も張譲へ対して敬意を示して対応する。仮にも十常侍である彼女に、普段の本来の李信の態度を取っていたら問題がありすぎるためだ。下手をしたら張譲が軽んじられる結果になる怖れも考えられる。もっともそれが、李信が張譲の寵愛を受けているという誤解の原因になっているのだが、わざわざ否定するつもりは毛頭なかった。

 

 それを考えたら遥か昔、李信がまだ少年だった頃の始皇帝へ対する態度はとんでもないものであった。

 当時は秦の脆弱な若王とはいえ、下僕であった李信からしてみれば雲の上の存在。言葉を交わすことはおろか、顔を見ることさえなかったはずだ。そんな嬴政(えいせい)へ対して、どれだけの不敬な態度をとったことか。お前だの、真名には及ばずとも重視される名を呼び捨てで呼んだり、果てには殴りつけたりもした。今思えば、百回は首を斬られる重罪ではなかったかと若き頃の自分に呆れてしまう。そんな関係でありながらも、李信将軍と始皇帝は支え支えられる終生の友であったのだから、世の中分からないものである。

 

 自分も大人になったものだと考えながら、しかし、敬語等を使用するとき背中がむず痒くなるのを見るに、やはり根っこは変えることが出来ないのだと苦笑しかできない。

 

「……さて、と。どうしたものか」

 

 本当に困った様子の李信が一人ごちる。 

 中華六将と謳われた彼の前世とも言うべき人生は、筆舌に尽くし難い。戦災孤児の身でしかなく、幼くして親を亡くす。別にその程度はあの時代ならば有り触れたことだ。だが、後ろ盾も碌にない脆弱な若王だった頃の始皇帝とともに王弟の反乱を制圧し、その論功にて下僕の身から、平民となる。そしてそれからは激動の人生の連続だ。常に戦場の最前線にて剣を振るい続け、名のある武将を屠り、死地を踏破し、飛信隊の信の名は中華全域に轟いていった。

 そして百人将、三百人将、千人将、三千人将、四千人将、五千人将を経て―――やがて将軍へと至る。

 

 息を吸うかのように戦争があまりにも当たり前のように行われてきた暴乱の時代。

 それはあまりにも辛い人生ではあったが、それでも李信は己の武力で道を切り開いていった。

 しかし、今生きているこの時代()は、あの頃と当然異なる。秦の頃よりも平和になったのは実に有り難いと思うのだが、その反面―――武官としては手柄を立てにくい。あるのは異民族の侵攻か、小さな反乱といったところだろうか。はっきり言って、過去のように手柄をあげて上にあがるのは非常に難しい。

   

 この場に軍師として、妻としても尽くしてくれた河了貂がいれば案の一つや二つ出してくれただろうが、居ない者に縋ったとしても事態が好転するわけもなし。同じく妻であり、中華六将の一人でもあった智と武に優れた羌瘣ならば、こんな時代でも頭角を現すことができるかもしれない。

 

 自分の開いた掌をじっと見つめ、李信は再度深い溜息をついた。

 

 かつての自分がどれだけ恵まれていたか今さながらに実感できるのも、虚しい話だ。

 優れた副官。李信のことを誰よりも理解していた軍師。無茶無謀を繰り返していた自分についてきてくれた部下達。

 彼らがいれば、例えこの国であっても、その名を轟かせることが出来る自信があった。そんな彼ら彼女らは、今の李信の下には誰一人としていない。自分がどれだけ周囲に助けられてきていたのか、それが実に身に染みる。

 

 が、重ねて言うが無いものねだりをしていても仕方がない。

 己にあるのは戦場で培い、積み重ね、到達したこの武威。そして河了貂をして、感情抜きにしても軍師としてはお前とは戦いたくない―――とまで言わしめた、策も罠も何もかもを第六感のみで打ち破っていく中華最強と称された本能型の将軍としての技量のみ。

 

 

「まぁ、考えても仕方ない」

 

 

 思考をあっさりと打ち切ると、李信が軽やかな動作で椅子から立ち上がる。

 

「む、どうした?」

「難しいことを考えるのは俺の柄じゃないしな。とりあえず飯を食ってくる」

「……もうそんな時間か。良ければ一緒にどうだ?」

「悪いが、街で美味い店を見つけてな。最近はそっちに顔を出してるんだ」

「……そうか」

 

 少しだけ肩を落とした張譲には目もくれず、部屋から出て行こうとする李信。

 そんな彼を見送っていた彼女が、ふと思い出したように口を開いた。

 

「そういえば、李信よ。良くない噂を聞いた。最近洛陽の街で死体が見つかっている、とな」

「あまり言いたくないが、珍しいことじゃないだろ?」

 

 李信が何を今更と言った表情で聞き返す。

 確かにその通りだ。洛陽はかなりましになったとはいえ、貧民外などは犯罪が横行しているのが当たり前の場所だ。それこそ張譲が言った死体が見つかることなどそう珍しいことでもない。

 

「―――貧民外の方ではなく、洛陽の街の中で、だ。しかもそれなりの官位の者達ばかりが連続して殺されているらしい」

「それは、物騒だな」

「ああ。で、だ。どうにも殺された者達は趙忠派から抜けようとしていた節がある。他の派閥に行かれるよりは、という苦肉の策だとは思うが」

「おいおい、そこまでするのか?」

「趙忠の糞爺ならやりかねん。見事なまでに証拠がないから何とも言えんがな」

 

 忌々しそうに吐き捨てる張譲に、李信は遥か昔のことを思い出した。

 

 かつて秦という大国を王である嬴政(えいせい)と二分した勢力。呂不韋によって暗殺者を差し向けられた時や王弟を殺される原因となった反乱の時。犯人ははっきりとしていたのに、王である嬴政(えいせい)でさえもその権政の強さ故に呂不韋を裁くことが出来なかった。つまりは、張譲でさえも迂闊に手を出すことは出来ないほどに趙忠一派は漢という国に巣くっているのだろう。

 

「殺された者達の致命傷となる傷は鋭利な刃物であったり、毒であったり、鈍器であったりと凶器に関しては共通することはない。だが、誰一人として殺された現場を見たものはいないのを考えるに、相当な腕前の刺客と推測される」

「刺客、か。物騒な話だ。それでお前は大丈夫なのか?」

「流石に趙忠の奴も今私を殺せばどうなるかわからないほど蒙昧ではなかろう」

 

 現状、この国の政治を動かしているのは十常侍だ。

 その中でも、張譲の働きは群を抜いているのは政敵である趙忠でさえも渋々ながら認めていることだ。彼女がいなくなればどうなるか、趙忠一派の勢力が増すのは当然だが、果たして張譲一派は抵抗することなく消えるだろうか。答えは否、だ。

 張譲の勢力は、趙忠に比べると人数が少なくはあるが才ある者が非常に多い。しかも、その殆どが彼女に心酔しているということもあり、もしも張譲が暗殺でもされれば弔い合戦よろしく、趙忠一派に攻勢を仕掛けてくる可能性が高い。

 そうすれば宮中は今よりもさらに混沌とした状況になるのは火を見るよりも明らか。下手をしなくても国の政治が立ち行かなくなるのが目に見えてわかっている為、趙忠も張譲には直接的に手を出すことは出来ないのだ。

 

 そして、此方の方が大きな理由となるのだが―――ようするに李信の存在が張譲へ敵対する者達への大きな抑止力となっていた。

 

 張譲を害すれば、その犯人はほぼ間違いなく趙忠派だと確定する。

 となれば、李信が報復に動くことは必至。自分から虎の尾を踏むような行為を己の命を第一に考える彼らがするわけもない。

   

「そうか。まぁ、念のため出来るだけ一人になるのは避けろよ。俺か孟陀の爺さんを傍に置いておけ」

「ああ、わかってる。私とてまだ死ぬわけにもいかんしな。忠告は素直に聞いておこう」

 

 李信の言葉に、張譲は何故か嬉しそうに笑って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 少し早めの昼食を、と考えていた李信だったが張譲と話しこんでいたのがまずかったのか、宮中から洛陽の街に出てきた時には既に正午を回ってしまっていた。

 数年前に比べ随分と活気を取り戻した街並みを見て、ここにはいない張譲のことをたいしたものだと胸中で称賛する。

 私腹を肥やすことしか考えていない趙忠一派を相手取り、洛陽をここまで立て直した張譲の手腕は並外れたものだ。文官としての能力は皆無に等しい李信でさえも、それが一体どれだけ難しいことなのか理解できる。

 遥か昔の秦の時代に居たとしても並々ならぬ傑物として名を馳せることが出来たであろう。張譲という女性は李信にそこまで思わせるに値する怪物であった。  

 

 優れた政治力。地位。己の目的の為に邁進する意志の強さ。揺らぐことのない精神力。何よりも、李信を前にして臆することのない姿は、嘘偽りなく心が惹かれる。

 或いは、彼女を主としてこの時代を生き抜くというのも悪くはない。いや、現状ではそれがもっとも最善の選択肢に違いない。

 

 だが、それを最後の一歩で決断することが出来ない。

 まるで楔のように心に打ち込まれたあの出会い。

 

 未だ十二歳という若さの小さな覇王。

 曹操孟徳という名の未完の大器。彼女との出会いが、李信の選択を鈍らせている。

 彼を支え続けてきた本能が、直感が、心をざわつかせ訴え続けていた。

 ともすれば、アレは李信の願い、望む存在に到達できる可能性を秘めている、と。

 

 そんなことを考えながら彼が最近気に入っている食事処の暖簾を潜ると、既に空いている席を見つけるほうが難しかった。

 昼時を回ってしまっているのだから、これも仕方ないか、と店内をぐるりっと見渡す。

 

「いらっしゃいませぇ。申し訳ないですが、今は満席でして……少々お待ち頂く事になりますが宜しいでしょうか?」

 

 店員が、客へと注文の品を配りながら李信へと問い掛ける。

 この店で食べようと考えていただけに、今更他の店に行く気もない李信が返答しようとした瞬間―――。

 

 

「―――良ければワシらと相席せぬか?」

 

 

 喧々囂々と騒ぎ立てている室内に鈴の鳴るような声が響いた。

 それが自分へと語りかけてきた物だと瞬時に悟った李信は、声の発生主へと視線を向ける。

 

 そこにいたのは、小さな少女。

 張譲よりも更に低い背丈だが、何故か薄ら寒い気配を漂わせている。文官が着る様な白い服であったが、服の縁が金色に彩られた特殊なものだった。両の手は黒い手袋に覆われ、右手には白扇が握られている。腰近くまで波打っている長く美しい蒼い髪がサラサラと揺れていた。黄金に輝く両の瞳が、李信を値踏みしているかのように薄く細められている。人間離れした美貌の持ち主を何人か知っているとはいえ、少女もまたこの世のものとは思えない人を狂わせる魔性を匂いたたせていた。

 彼女の放つ気配もまた、歪。張譲を氷、曹操を炎と例えるならば、彼女は幽玄。ここに在って、ここに無い。流れる水の如く、空に浮かぶ雲が如く。掴みどころが無い、浮世離れした雰囲気の少女が一人。

 

 いや―――もう一人。

 

 そんな少女のすぐ傍に、少女よりもさらに小さな子供が一人。

 先端が折れ曲がった三角帽子を深く被り、少女に似た青い髪が帽子からはみ出ている。どこか怯えた翡翠色の瞳が今にも泣き出しそうに揺れていた。隣に座っている少女に、身体を半分隠すようにして李信を恐る恐る窺っている様は、産まれたばかりの小動物を連想させる。

 

「心配しなくても良いぞ、鳳統。ワシの見立てが間違ってなければ、こやつは平時においては女子供には甘い類の人間よ」

 

 ほっほっほ、と少女らしからぬ笑みを浮かべて、三角帽子をかぶった子供―――鳳統へとあやすように語りかけた。

 それでも極度の人見知りなのか、鳳統の態度が変わることは無く、それに苦笑した少女は李信へと振り返る。  

 

「是非御一緒願いたいのじゃがのぅ。かの十常侍筆頭の張譲殿の懐刀―――李永政殿よ」

 

 己の名前を言い当てられ、長年の経験から何やら面倒臭そうなことになると判断した李信の目つきが若干鋭くなる。

 視線の圧力だけとはいえ、その只ならぬ気配に、ツゥっと少女の頬を一滴の汗が滴り落ちるが、それでもなお笑みを絶やさぬ少女は、さらなる言葉を紡ぐ。

 

「我が名は―――司馬徽。字は徳操。さて、その物騒な気配はおさめてくれんかのぅ? お主のような化け物を相手するには、ワシのような老骨には骨が折れる」

 

   

 口元に浮かべた笑みと、そこから覗く八重歯がキラリっと光る。

 それが奇妙なまでに李信に強く印象付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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