真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第2話:張譲、李信と出会う

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ときに、張譲様。最近話題になっております噂話をご存知ですかな?」

 

 馬車に揺られながら無感情な眼差しで外を眺めていた少女に、傍に侍っていた初老の男が機嫌を伺うように語り掛けた。

 しかしながら、張譲と呼ばれた少女はそれに微塵も反応することなく馬車の小窓から変わり行く風景をじっと見つめ続けたままだ。

 平時と同じく痛いほどにピンっと張り詰めた空気を周囲に散じている主の態度に、この話題を続けていいものかどうか一瞬悩む老人だったが、その迷いを振り払ったのは我関せずの態度を取っていた張譲であった。

 

 

「どの噂話だ?」

 

 さらさらと、流れ落ちる白金のような長髪の下、見る者に寒気すら覚えさせる絶世の美貌の彼女が、短く事務的に己の従僕へと問い返す。大抵は無反応な主の珍しい返答に、おやっと若干目を見開いた老人は立派に伸びた白い顎鬚を片手で梳きながら口元を緩める。

 

「李海、という人物をご存知でしょうか?」

「さて、知らん―――と言いたいが、聞いたことがあるな。趙忠の親類に因縁をつけられて閑職にとばされた不運な奴だったと記憶している」

 

 服自体が光を発しているのではないかというほどに豪華絢爛な衣装でさえも、張譲自体が放つ不可思議な圧力の前では彼女を煌かせる一助にしかなっていないことに感嘆の溜息をそっと吐く老人。

 これまで主の供として宮中の多くの者達を見てきたが、それでも張譲に比肩する容姿の者を見たことが無い。

 

 細く整った眉。鼻筋は通り、薄桃色の唇が異様なまでに艶かしい。服の隙間から見えるのは雪原の如き日焼け一つない純白の肌。真っ赤に燃えるような真紅の瞳もまた印象的だ。多少吊りあがった目元が勝気なイメージを相手にあたえるかもしれないが、それさえも張譲の美しさを際立たせるパーツにしか過ぎない。惜しむ点を敢えてあげるとすれば、一般的に見て小柄な身体というところだろうか。つまりは、女性としての起伏さも欠けているものの、それ以外はまさしく傾国の美女とでも言うべきか。もっとも―――生憎と相当なことが無い限り、皇位を継ぐ者は女性と決められているため、その心配はないのだろうが。

 

「この御時勢に宦官に歯向かう気概だけは買ってやるが、愚かというしか他にはないな。反抗するならば、何かしらの対抗することを可能とする手段を用意すべきであっただろうに」

 

 

 可憐な雪の妖精染みた彼女ではあるが、その容姿とは裏腹に発する言葉は苛烈で尊大。

 女性の持つ柔らかさ甘さなど微塵も感じられない。真紅の炎を圧縮したかのような瞳でありながら、彼女の放つ言葉は吹雪の如く零下を感じさせた。

 

「それで、それがどうかしたのか?」

「はい。その李海には息子がいるようなのですが、曰く―――神童と評判のようですぞ」

「神童、か」

 

 ふっと鼻で笑った張譲は、一切の興味がないのか視線を馬車の小窓から見える景色から動かそうとすらしていない。

 

「十で神童。十五で才子。二十を過ぎれば唯の人。人とはその程度のもの。真に才ある者など極稀だ……私やお前のようにな」

 

 自分を才ある者と断じれる張譲は、傲慢に思われるかもしれない。

 だが、それは紛れもない事実。彼女には誰もが覆すことが出来ないほどの実績があるのだから。

 

 そして、そんな張譲に認められた老人もまた只者ではないのだろう。

 笑顔で顎鬚をさすりながら、主の予想外の言葉に歓喜を抑え切れずに腰に挿してある無骨な剣の柄を無意識の内に一度撫でていた。

 

「張譲様にそこまで評価されていたとは。爺は嬉しゅうございますぞ」

「……他の人間に比べれば、だ。あまり良い気になるなよ、爺」

「ほっほっほっほ。肝に銘じておきましょう」 

 

 自分の鋭い言葉にも臆さずに微笑を浮かべる老人に、彼女は機嫌を損ねたのかふんっと再度鼻で笑う。

 そんな様子の主に、従者である老人は剣を撫でる手を止めると、今度は真剣な表情で張譲を見据える。

 

「ではこのまま宮中に戻られますか?」

「……」

 

 無言を返す張譲に、老人はそれが了承を得たと判断し、馬車の御者へと声をかけるべく腰を浮かそうとしたその時―――。

 

 

「―――良かろう。その李海の屋敷へと案内しろ」

 

 口調は静かであったが、有無を言わさない力強さを伴って張譲は言葉を発した。

 

「……おや? 如何なされましたか?」

「気が変わっただけだ。今日はどうせ宮中に戻っても仕事はない。むしろあの趙忠の糞爺の顔を見なくてすむのならば時間を潰していたほうがまだましだ」

「……お気持ちは分かりますが、口に出すべきではないかと。趙忠様の()もどこにあるかわかりません」

「ふん。たかが長く生きただけの老害どもが。何を怖れることがある」

 

 現在この洛陽にて専権を振るっている権力者の一人を相手にどこまでも強気な張譲に、感心すればいいのか諌めればいいのか迷った老人だったが、幾ら言っても聞き入れないだろうであろうことは幼少の頃よりの付き合いでわかっている。

 頭痛を隠しきれずに自分のこめかみを指で押さえる彼に、ようやく外の景色から視線をずらして視界に入れた張譲は、万人を魅了するように口角を僅かに吊り上げて笑う。

 それは女性らしさとは無縁ながら、人の魂までも惹き付ける危険な笑みであった。

 

 

「私の前で話題を出したのだ。ならばその李海とやらの屋敷がある場所は把握しているな?」

「……勿論です」

「それは良かった。もしも把握できていなかったら先程の言葉を撤回せねばならぬところだったぞ」

 

 それは才ある者という評価のことであろうか。

 主を失望させなかったことに内心で安堵しつつ、馬車を李海の屋敷のある場所へと向かわせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 宦官、という名の魑魅魍魎溢れる洛陽。

 煌びやかで活気に溢れるのは表通りだけで、少しでも裏道に入れば絶望が溢れていた。

 親が子を売り、子が親を裏切る。僅かな食料の為に他人から略奪するのが当然―――否、そうしなければ生きていけないほどの貧困に支配されていた。

 

 それの原因が、宦官と呼ばれる王の宮廟に仕える官吏の者達である。

 本来ならば有り得ないことだが、彼らは皇帝に取り入り政治的な権力を持つようになってしまった。特に霊帝と呼ばれる皇帝の時代、十常侍と呼ばれる宦官の集団が絶大な権力を握り、宮中を支配していたのだ。

 

 宦官と言っても、それは大きく二つに分けられる。

 まず一つ目は去勢を施された男性官吏。禁中―――すなわち天子が住む宮中のことを指す。その禁中で働くものは万が一のことを考え、自ら去勢を行わなければ宦官として勤める事は出来ない。

 そして二つ目が、単純に女性の官吏のことを指す。と言っても、ただの侍女ではなく、古くから漢に仕えている由緒ある家系の者のみで受け継がれてきた官吏である。漢において、皇位を受け継ぐ者は女性が殆どであるため、同性であれば間違いもおきないだろうと考えられたからだ。そのため時代、皇帝によって違いはあれど、男性よりも女性の宦官の方が強い権力を持っているというのが一般的であった。 

 

 さて、この時代において専権を欲しいがままにしている宦官の頂点、それが十常位。十常位とは、張譲と趙忠を筆頭として封諝、段珪、曹節、侯覧、蹇碩、程曠、夏惲、郭勝の十名で為った宦官の集団であり、彼らの権勢はもはや国の頂点たる霊帝さえも凌駕してしまっていた。

 たいした能力も持たずとも、ただ彼らの親族だからというだけで、官位に取り立てられ、自分たちの望むがままに民から搾取を繰り返し私腹を肥やし続けている。

 それを咎めるものもいたが、如何に正しいことを訴えても逆に処罰されるのが常であり、それ故に見てみぬ振りをする者ばかりというのが現実となっていた。

 

 能力も正しく評価されずに、宦官の思うが侭に罷り通る政治。

 そうなれば当然、彼らに阿って官職を得ようとするものが出てくるのも当然である。

 そういった口だけの者達が多く増えてくれば、国が正常に動かなくなっていくのも目に見えており、漢の腐敗はある意味当然の帰結とも言えた。

 

 

 そのことに胸を痛めている者達も多くいるのだが、例え高らかに不正を訴えたとしても水面下で行動したとしても、それを見逃すほど宦官の勢力は甘くない。

 そして、仮に不正が表沙汰になったとしてもそれを揉み消すことが可能というのもまたこの時代の現実であり、つまりは早い話が漢という王朝は―――詰んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 何を考えているかわからない無感情な瞳で、馬車の小窓からコマ送りになっている風景を眺めていた張譲の思考を邪魔するように、徐々に速度を落としていき、ガタンっと車体を小さく揺らし完全に停車する。

 

 「到着したようですな」

 

 従者の言葉に、そうか、と短く頷いて張譲は馬車からゆっくりと降りると、ツンっと少しだけ濁った空気が鼻をつく。

 周囲を見渡せば、それなりに大きな家や屋敷が見られるものの、よく見てみれば道端に寝転がっているものも数多く見受けられる。いや、張譲の馬車を見て関わりあいを避けようと逃げ出した者も考慮すればかなりの人数に達するであろう。

 

 貧民街とはまだ遠いものの、それだけ洛陽の住人達が辛い生活を強いられているということだ。

 宮中の者達が私腹を肥やせば肥やすほど、そのあおりを受けるのが民である。その一部は恩恵に預かれるだろうが、大部分が搾取されるだけの存在でしかない。 

 

 

「ちっ……宦官の老害どもが。奴らの影響がここまででているか。このままでは長くは持たんぞ」

 

 舌打ちを一度。

 張譲は不機嫌な雰囲気を隠そうともせずに目の前にあった屋敷へと歩を進める。

 屋敷とは言っても、彼女の生活している場所とは雲泥の差だ。敷地面積だけを見ても倍どころか、十倍の差はあると思われる。もっとも、一官吏の李家と代々漢を支えてきた一族の張譲とではこの程度の違いは当然と言えるが。

 

 

 入り口を抜け小さな庭の途中まで差し掛かったところで、張譲は歩みを止めた。

 庭の至る所に見られる木々に視線を縫いつけられたからである。

 もっとも、良い意味ではなく―――所々の部位が剪定に失敗したのか禿げ上がってしまっていたのだ。

 一箇所や二箇所ではない。庭にあるほぼ全てが、そうなのだから、相当に不器用な人間がやったのであろうか。

 

 

「これは随分とまぁ、碌でもない人間が剪定したようだな」

「職人がしたのではありますまい。もっとも素人が行ったにしても些か……」

 

 主従の駄目出しも至極当然。

 はっきりと口に出す張譲と、言葉を濁す老人との違いは、性格の差を表しているようだが。

 しかし、このようなはっきり言って些細なことに時間を取られている暇も、張譲にはなかった。仮にも宮中を統べる十常侍の筆頭の一人。仕事が無いとは口に出したが、実際は幾らでもあるのだから。

 さっさと本来の目的を済ませようと、彼女は止めていた足を一歩踏み出そうとして―――。

 

 

 

 ―――ジャリっという砂を踏み締める音を聞いた。

 

 

 

 さんさんと照り輝いていた太陽が急激に雲に覆われる。

 突如の気候の変化は暖かだった空気を冷やし、この場にいた二人に寒気を覚えさせた。

 空を見上げれば、暗雲が立ち込めるている。黒い雲の中で稲光を発するそれは、劈くような轟雷の音となって耳朶を打つ。

 

 現実味を帯びない変化の中で、一歩一歩ゆっくりと態と音を鳴らして近づいてくる足音。

 まるで伝承にある幽鬼の如く、だが確かに現実にいるのだという不可思議な圧迫感を伴って、一人の少年が姿を現した。

 

 李家の屋敷と入り口を繋ぐ庭の半ば。

 そこに、在るのは小柄な少年。

 張譲や老人のように綺麗に整えられた髪とは正反対で、短く伸ばしただけの黒い乱れ髪。一般の者が着るような安い生地で出来た衣服。顔立ちは整っている部類に入るのだろうが、やけに鋭い眼光がそれを台無しにしている。身長は少年と言う言葉に比例して、そこまでは高くない。百四十程度の背丈の張譲より僅かに低いだろうか。張譲達の目から見ても、少年の外見だけみれば、精々が十歳。大きく外しているということは無い筈だ。 

 

 しかし、しかし、だ。

 張譲は息を呑んだ。呼吸をすることさえ忘れた。

 心の臓さえ鼓動を止めてしまうのではないかという錯覚に襲われた。

 

 年齢にはあまりにも似つかわしくない威厳。それは風雨に打たれて幾星霜。打ち付けられ、穿たれ、それでも数千年に渡って変わらずそこにあるような霊木にも似ていた。一切の隙の無い立ち振る舞いに、霊木とは正反対の鋼のような強固さも併せ持つ。

 王の威光のように、ひれ伏せさせるのではなく、逃げ出させるのでもなく、全てを忘却させるに値する圧倒的な武の極限。それが小柄な少年の身体のうちに圧縮されていた。

 

 

 だが、それとは別の印象もまた受ける。

 ここに居るはずなのに、ここに居ない。少年という身体を持っていながら、それが仮初でしかないような存在感。

 まるで固体のようでありながら、気体の如く不明瞭。

 

 それはまさしく、人を外れた人。

 人では到達できない武の―――いや、暴の化身。

 

 関わってはならない。逃げなければならない。戦ってはならない。

 これは意思を持った天災だ。人では歯向かうことも、防ぐことも出来ない災厄だ。

 息をひそめ、それが過ぎ去るのを待つことが人の取るべき行動である。

 現に、張譲の従者である老人は、まるで凍りついたかのように指先一つ動かすことが出来ていない。

 

 

 だが―――。

 

 

 

 

「―――はっ。ははははははははっっ!! あはははははははははははっ!!」

 

 

 

 張譲は高らかに笑った。

 それは、尋常ではない笑声であった。

 嘲笑が入り混じった、だがそれの対象は相手ではなくまるで自分に向けられているかのようで。

 まるで初めて玩具を与えられた子供のように、真紅の瞳を爛々と輝かせて、ただただ面白いモノを見つけたと歓喜を爆発させて射抜くように少年を睨みつける。

 

 主が笑っていると言うことを信じられないのか老人の目が大きく見開いた。

 長年従者として過ごしてきた彼にとって、張譲が声をあげて笑うなど前代未聞の出来事だったのだから。

 

 

 本当に楽しそうに笑っている美貌の麗人を眼前にしながら、全くの揺らぎも見せない少年に、ますます笑みを深く、声を高くする張譲を尻目に、彼は胸元の位置で包拳をして一礼。 

 

 

 

 

 

「当家にようこそおいで下さいました。手前は姓を李。名を信。字を永政と申します。以後お見知りおきを」

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

  




宦官のこととか字は成人してからとかありますが。
そこらはどうぞよしなに!

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