真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第13話:漢陽郡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西方への入り口となる涼州。

 その地へと足を踏み入れた李信と高順であったが、二人の目的となる場所は、実はそこまで遠方という訳ではない。

 最西端となる郡の敦煌。そこから東へ酒泉、張掖、武威と郡国が置かれている。そして、その武威を囲むようにして西に金城。南西に隴西。東に北地。南東に安定。南に漢陽。そして、安定と漢陽の更に南に武都があり、これら十の郡国によって涼州は治められていて、その郡の中でも漢陽は涼州の中でももっとも人口も多く、繁栄している地域である。その漢陽郡の朧県が李信の目的となる場所であった。

 

 二人の出会いから数日を経てようやく到着した涼州随一の人口を誇る都。

 地方都市ではあるが、数万人が生活を営む大きな城塞都市。

 意外にも街区はきっちりと区切られ、整備された道が縦横に走っている。

 ずらりと軒を連ねた露店や商店からは、威勢の良い掛け声が聞こえ、途切れることなく人々がその前を行き来していた。

 到底地方都市とは思えない活気に満ち溢れ、絶え間ない喧騒に町が包まれている。

 

「へぇ……」

 

 高順の歩幅にして軽く五十を超える大通りとなる道を前にして、小さくではあるが彼女は感嘆の声をあげた。

 その横にいた李信もまた口には出していないだけでこの街の活気に驚きを隠せなかった。

 西方の入り口ということもあり、また洛陽では涼州のことを相当な田舎だということばかり耳にしていたが、実際に目にしてみれば意外や意外、李信達の想像を超える程に繁栄している場所であった。確かに洛陽とは比べるまでもないが、もっと寂れた街を予想していた李信にとっては、目の前の光景は少しばかり予想外な光景とも言える。

 

 もっともこの人の多さはある意味当然であった。

 涼州は北に行くほど異民族との隣り合わせの生活となる。その全てが漢に敵対しているかと言えば、それは異なるものの、危険が多いのもまた事実。その為必然的にその地に住居を構える人間も少なくなっていく。

 そのため比較的中原に近い漢陽郡は、涼州の総人口の実に三割を超える程の民を抱えていた。その結果は、今李信が見ている光景に他ならない。

 

 ざっと李信が周囲を見渡せば、遥か遠方に城壁が聳え立っているのが目に付いた。

 街の周囲を隙間なく取り囲む巨大な壁。その外側には堀が巡らされ、東西南北に一つずつ巨大な橋が架けられている。橋の先には街と外を繋ぐ門が鎮座しており、その門の前では街の中へと入る者達を厳しく審査している兵士達もいる。かくいう李信達も、街に入る際に幾つか兵士達と問答があったのだが、特に後ろめたいこともない二人はあっさりと街に入ることが出来た。

 

「随分とまぁ、物々しい雰囲気がするが?」

「そうだね。確かに涼州は物騒だけど、この様子は少しおかしいかも」

 

 門を警備している兵士達からはピリピリとした緊張感が発せられている。

 その雰囲気に門を通る旅人達は身体を縮こまらせ、機嫌を伺うようにしている者が殆どであった。だが、通りを行き交う街の住人達には兵士達のような緊張は見られず、活気に満ち溢れている。それに若干の違和感を覚えながらも、李信と高順は街の中心へと足を向けるのであった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……北の様子はあまり芳しくないようね」

 

 ふぅっとどこか疲労を滲ませた吐息を漏らし、然程広くはない執務室にて竹簡が山のように積まれた机を前にしている一人の女性の姿があった。椅子に座っているものの、その背丈は相当に高い。軽く百七十を超えている身長は、女性にしてはかなりの長身である。淡い新緑の如く、気持ちの良い髪の色。肩口近くで切り揃えられており、容姿自体もかなりの水準で整っている。とろんっとした垂れ目が人目を惹く、年齢的には二十代半ばくらいなのだろうが率直に言ってしまえば、可愛いという言葉が似合う女性だ。

 そんな彼女は、目の前の竹簡の一つに目を通しながら頭痛を隠せないように額に手を当てて再度溜息をついた。

 

「はい、傅燮様。不穏な様子を見せている者も少なくはない、と耳にしています」

 

 そして、部屋に響くのは傅燮と呼ばれた女性以外の声。

 部屋の隅に、傅燮と同じくらいに竹簡が積まれた机を前にしてそれを処理している少女のが一人。

 傅燮に似た髪の色。しかしながら、この少女の方がずっと深い緑色の髪であった。長く伸びた髪を三つ編みにして肩からすらりっと下がっている。眼鏡をかけ、竹簡を処理する彼女の眦は少しあがっているのが相手に多少キツイ印象を与える。年齢も十三、四歳程度と随分と下ということもあるが傅燮と比べて小柄なのが、厳しめの印象を相殺して見る者に可愛らしさを感じさせた。

 

「そう……。本当に頭の痛い話ね、賈詡」

 

 困ったように語る傅燮に、賈詡という名の少女は、こくりっと小さく頷くと深く眉を顰める。

 元々漢民族と異民族との関係は良好とは言い難い。漢陽の太守を務める傅燮の政策によってかなりの多くの異民族―――即ち羌族が帰順はしているものの、所詮それは一握りの者達に過ぎない。賢君と知られる傅燮であったとしても、漢民族と異民族との間に築かれた壁は厚く硬いものであった。

 

「……馬騰様に連絡を取ってみますか?」

「そうね。お願いしてもいい? 韓約殿には私から書状を届けておくから」

「はい。承りました」

 

 その会話を最後に執務室に響くのは竹簡を処理する音だけとなる。

 数分も黙々とその作業は続いていたのだが、何かを思い出したのか、傅燮が手を止めて顔を上げた。

 

「そういえば例の方はまだ到着していないの?」

「例の方、ですか?」

 

 傅燮の突然の曖昧な問いかけに、賈詡もまた竹簡を処理する手を止める。

 上司の視線を受け止めながら、一体どのことを言っているのか記憶の中からそれらしき心当たりを探り出そうと頭を回転させた。やがてその膨大な知識の中から、数秒もたたずして傅燮の言いたかったであろう質問の答えを引っ張り出すと、下がりかけていた眼鏡を人差し指でくいっと一度あげる。

 

「李永政殿、ですね。耿鄙殿が言うには最高の待遇で歓待せよ、ということですが」

「そうそう、李信殿と言ったわね。それにしてもあの刺史さんがそこまで重要視するなんてどんな人物だと思う?」

「……非才な我が身としては、思いつきません」

「またまた謙遜して。貴女が非才だなんて言ったら世の中には才ある者なんていなくなっちゃうわよ?」

「……買い被りです」

「あらあら。照れちゃって。可愛いわね」

 

 くすくすっと笑みを零す傅燮に、ほんのりと頬を赤くした賈詡が顔を明後日の方向に向ける。

 上司として尊敬できる相手ではあるが、時折このようにからかってくる傅燮に、僅かに賈詡は苦手意識を感じていた。しかし、大した実績もなかった自分達を召抱えて要職に配してくれた恩は忘れてはいない。

 だが、事あるごとに傅燮は賈詡のことを誉めそやす。時には彼女のことを、今張良、などと呼ぶのだけは勘弁して欲しいというのが賈詡の本音であった。漢の初代皇帝である高祖劉邦を支えた稀代の天才。漢の三傑とまで謳われる大英雄。そんな人物と一緒にされてはたまらないという気持ちがあると同時に、上司にそこまで高い評価をされることを嬉しく思っていた。そして、かの張良のように、友の覇業を助けることが出来るようになりたいと心底願っているのもまた事実。

 或いはそんな気持ちを傅燮は見抜いているのかもしれない。

 

 

「それで、冗談はおいておくけど、凄く気になるのよ」

「確かにそれは否定できませんが……」

 

 傅燮の台詞に賈詡も同調する。

 別に上司の言葉だから頷いた訳ではなかった。涼州の刺史である耿鄙は、仕事に然程熱心という人物ではない。部下の程球に仕事を完全にまかせっきりになっており、肝心の彼は刺史としての仕事をしてはいなかった。そんな彼が先日突然、傅燮に普段とは異なる真剣な表情で伝えてきたことがあった。それは―――近いうちに訪ねてくる李信という人物を厚遇して取り立てよ、という内容だ。

 

 それが何故か。理由は、と軽く問いただしてみたものの、耿鄙はそれについて詳しく話そうとはしなかった。

 相手は刺史ということもあり、それ以上突っ込んだ話を聞くことはできなかったが、その命令に疑問を抱いたのは傅燮だけではなく賈詡や他の者達も同様であった。洛陽上層部の権力者の子弟へ対しての箔付けかとも予想されたが、生憎と李信なる者の名を調べたが官位においてその名は見たことがなかった。或いは中央の者達から見れば御荷物同然の涼州への島流しかとも考えたが、それにしては耿鄙の態度がどこかおかしかった。まるで何かに脅えているかのようにビクビクとしており、李信のことをくれぐれも無碍にしないようにと何度も念を押していたのだから、何かがある、と疑うなと言うほうが無理な話だ。

 

 ちなみに御荷物同然とはどういうことか。

 涼州は羌族の反乱に悩まされてきたこともあり、漢朝は金城郡に護羌校尉を設置して反乱の予防、対応にあたらせているのだが、軍事にかかる莫大な費用が王朝の経済を圧迫する大きな要因の一つとなっていた。涼州を放棄するべきか否か何度も論議されるほどなのだから、その負担の大きさは想像に容易い筈だ。

 

 異民族との戦に明け暮れ、中原と比べて遥かに命を落とす危険がある涼州に―――しかも、あの張譲のお墨付きの人物がやってくるなど、一体どんな事情があってのことなのか予想すら出来ない。

 これが刺史や他の官位を受けてならまだ悩む。しかし、前もって挙げたように特にこれといった地位も持たずに訪れるというのだから、二人の頭を悩ます結果となっていた。

 

「あの……傅燮様。今宜しいでしょうか?」

 

 二人が未だ見ぬ李信のことを考えていると、部屋の外から声が可愛らしい声がかかる。

 

「ええ、大丈夫。入りなさい、董卓」

「はい。失礼します」

 

 恐る恐ると執務室に足を踏み入れてきたのは賈詡と同年代の少女であった。

 白髪というよりは、銀髪というに相応しい肩口まで伸びた美しい髪。紫水晶を連想させる瞳が、どこか困惑しているかのように揺れている。人形染みた非現実的な容姿は、見る者の心を刺激して保護欲を沸き立たせ魅了する。

 触ってしまえば消えてしまう儚さ―――それが董卓という名の少女の印象であった。

 

「この時間に来るなんて珍しいわね。何か問題起きたの?」

「は、はい。い、いえ……その、問題という訳ではないのですけど」

 

 はっきりとせず、どこかおどおどとした口調で傅燮に答える董卓であったが、その対応が何と答えればいいのか迷っているようにも見えた賈詡はそんな友人を援護したくなるものの、良くしてくれるとは言え上司の会話に割り込むことも出来ずに心配そうな視線を向けることしか出来なかった。

 気が弱く、内向的で自分に自身を持てない董卓に、ハラハラとしながらも見守る賈詡の視線に気づいたのか、安心させるようにぎこちない笑みを返すと、自分の中で漸く纏まったのか董卓は口を開く。  

 

「その、門の前で衛兵の方と言い合いになっている方が二人いまして……その方々が言うには耿鄙様にお会いしたいと」

「刺史殿に?」

 

 傅燮の返事に、董卓は頷いた。

 だが、何故そんなことを一々報告に着たのか傅燮は内心で疑問を感じる。

 涼州刺史ほどの権力者ともなれば、彼に取り入ろうとするものはそれこそ掃いて捨てるほどいるのだから、それを知っている董卓が今更そんな些細なことを報告しにくる筈がない。 

 それが顔に出ていたのか、やはり董卓は困ったように表情を曇らせながらも続きとなる言葉を紡ぐ。

 

「その……今回の方は、何と言いますか、普通の人とは違う(・・)んです」

「―――へぇ」

 

 董卓の発言に、傅燮は興味深そうな色を瞳に浮かべた。

 漢陽太守として辣腕を振るってきた彼女ではあるが、はっきりいってこの涼州は優秀な人間が少ない。正確には、優秀な文官、となるが。それ故に、傅燮は太守の権限を使ってまで董卓や賈詡といったまだ若く実績も然程ない人材を部下として取り立てていた。そうでもしなければ仕事を回せないという切実な問題もあったのだが、賈詡は文官としての能力は超一流。董卓は賈詡には及ばないものの一流と断言しても構わないのだが、それ以上の才として人を見抜く力とでも言うべきものを持っている。

 そんな彼女をして、違う(・・)とまで言わしめる相手。優れた人材を欲している傅燮としては、聞き逃せない情報であった。

 

「あの……傅燮様? その、もしかして、ですが……例の方では?」

「その可能性もあるかと思ったんだけど……。董卓、訪ねてきたのは二人だったのよね?」

 

 賈詡の指摘に、傅燮もそれを考慮していたのか、確認するように董卓へと改めて問い掛ける。

 

「はい。男女二人の訪問者みたいでしたが……」

「来るのは李信殿一人って話だったし、可能性は低いと思うんだけど」

「ですが、もしかしたら予定を変更したという可能性もあるかもしれません」

 

 賈詡の意見に、それもあるかもしれないと考え直した傅燮は、思考すること数秒。

 椅子から勢いよく立ち上がると、その拍子に机に積まれていた竹簡が幾つか床に落ちて音を立てる。

 それを気にすることなく、パチンっと両手を叩くと、董卓と賈詡を順に見ながらにこりっと笑顔を浮かべた。

   

「うん、よし。とりあえず董卓、その者達をここに連れて―――」

 

 傅燮はそこまで言ってから突如口を閉ざすものの、一秒もたたずしてその続きを二人に告げる。

 

「やはり、私達の方から行きましょうか」

「―――す、少しお待ちください。傅燮様自ら、ですか?」

「ええ。もしも李信殿だったら、衛兵達の対応を謝罪しないといけないもの」

 

 賈詡の呆れたような驚いたような視線に、満面の笑顔で答える傅燮。

 

「もし違っていたとしても、董卓が御眼がねに適うほどの人物。どちらにせよ損はないと思うのよ」

「確かにそうですが。ただたんに仕事の息抜きに見に行くというわけではないのですね?」

「……も、勿論よ」

 

 じっと眉に皺を寄せて見てくる賈詡の冷静な一言。

 それに僅かに声を震わせる傅燮だったが、賈詡の視線から逃れるように顔は明後日のほうを向いている。

 間に立つ董卓はおろおろとどうすればいいか迷っている様子だったが、そんな沈黙が部屋を支配する中、賈詡は深々と溜息を吐いた。

 

「わかりました。確かに根を詰めすぎるのも効率が悪いですしね。このあたりで一息いれましょうか」

「流石賈詡。話がわかるわね」

 

 喜びを露にした傅燮がぐりぐりっと賈詡の頭を撫で付ける。

 それに面倒くさそうにしながらもなすがままの賈詡だったが、拒絶しないのだから本当に嫌がっているというわけではないのだろう。一通り撫できった傅燮は満足したのか、撫でる手を止めて執務室の扉から外へと出て行った。その背を追うのは、董卓と賈詡。向かう先は、この城の入り口。途中で幾人かの官僚と通りすがったが、その度に礼を尽くされたのだが、それも当然。

 何せ、傅燮は漢陽太守を務める実質上の頂点。その彼女のお気に入りである賈詡は県丞の任を受けている。そして、董卓はこの県の長であり、統治権を持つ―――県令であった。

 

 まだ十五、六にしかならない小娘二人が仮にも県の一、二の官職を戴いているのにも理由がある。

 本来ならばそれほどの要職は、中央から派遣された者達で埋められるかもしれないが、とくにこの地方―――涼州は異民族の侵入が日常茶飯事の出来事。そんな場所を中央の者では抑え切れないということもあり、要職はこの地方の豪族によって代々選出されていた。

 そしてこの董卓は異民族、特に羌族の顔役の多くと交流を交わしているということも重要視され、異例の大出世である県令の職につくことができていた。勿論それに加え、傅燮の推薦と後ろ盾も大きかったであろう。県令の地位を狙っている者もいたが、不正を許さない傅燮のもとでは旨みが少ないと判断した者が多かったというのも、反発が少なかった理由の一つかも知れない。

 

 三人はさして時間もかからずに城門へと到着する。

 そこで見たものは、門を封鎖する衛兵数人と、その前に平然と佇む二人の少年少女。

 その二人を目にした瞬間、傅燮は真剣な眼差しで様子を窺いながら足を止める。

 

 風が吹く。

 無風であった筈のこの場所で、濁流の如く強い疾風が傅燮の身体を強かに打ち据えた。

 その風を受けた彼女は、身体中の血液が沸騰したかのような熱に全身を震わせる。

 これは、一体なんなのか。傅燮本人でさえも理解に及ばない不思議な予感に絶頂にも似た快感で背筋を粟立たせた。

 

「―――董卓」

「へ、へぅ!?」

 

 強張った傅燮の声がやけに大きく響く。

 思わず奇妙な返事をしてしまった董卓が頬を朱に染めるが、そのことを気にも留めず傅燮は視線を逸らさずに見つめ続ける。

 

「特大の大当たりよ。よく教えてくれたわね」

「い、いえ」

 

 普段とは異なる傅燮の姿に、知らず知らずのうちに董卓は息を呑んだ。

 それと同様に、賈詡もまたその場から自分でも気がつかないうちに一歩後退していた。チリチリと全身の肌を焼いてくる異質なまでの圧迫感。これまで県丞という立場故に多くの者にあってきたが、ここまで本能が喚きたてるなど滅多にあることではない。下手をしなくても馬騰や韓約といった英傑級なのは見ただけで理解できてしまった。いや、果たしてそんな枠組みに当てはめてもいいのだろうか。

 

 己の友である董卓の覇道において必ずや障害になる。絶対に排除すべきだ、と理性が告げてきた。

 決して敵対してはならない。敵として相対すれば、問答無用で潰される、と本能が悲鳴をあげた。

 

 背反した二つの感情に、心の天秤を揺らされながらこの場から動けなくなった賈詡を尻目に傅燮が一歩を踏み出す。

 

「こんにちは。刺史の耿鄙殿に用があると聞いたのですが?」

 

 にこり、と相手に警戒させない微笑とともに傅燮が少年―――李信へと話しかける。

 突然の来訪者に、衛兵と李信は訝しそうにするも、傅燮だと気がついた衛兵達は慌てて彼女の前から横に避けると拝礼した。兵士達からしてみれば雲の上の存在なのだからこのような対応も当然である。

 李信はというと、新たに現れた傅燮が只者ではないと瞬時に悟った。周囲の兵達の対応もそうだが、洛陽でも見てきた官僚と比べて明らかに格というものが違っている。上に立つ者としての格。他者を圧倒する圧力。常人とは一線を画する雰囲気を自然と放っている。

 

「お初にお目にかかります。手前は李信。字は永政と申します」

「―――永政、殿。申し送れました。私は傅燮。漢陽の太守を勤めております」

 

 傅燮の名を聞いて、李信と高順の纏う雰囲気が僅かに揺らいだ。

 かなりの重役かと踏んでいたが、まさかの漢陽郡における頂点に立つ者の登場とは、予想以上の事態であった。

 

「貴方のことは耿鄙殿から聞いています。我らに御力添えをして頂けるとのこと。感謝の念に耐えません」

「いえ。そのように言っていただければ助かります。それで刺史殿はこちらに?」

「残念ですが、耿鄙殿は他の県へ行かれています。ですが、御安心を。貴方のことは耿鄙殿より任されておりますので」

「―――そうですか。ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願いします」

 

 にこやかに話をする二人であったが、李信の隣で退屈そうに欠伸を噛み殺す高順に視線を一瞬だけ向ける。

 文官である傅燮だが、数え切れない修羅場を潜ってきた経験から、この少女もまた尋常ではない怪物だということは自然と悟ることができた。少なくとも、どちらか一方でさえも、この場にいる全員掛かりでも相手にもならないほどの化け物であろう。

 なんとしても自分の陣営に引き入れたくなる気持ちを必死で抑えながら、表面上はその内面を微塵も感じさせない笑顔で話を続ける。

 

「長旅でお疲れでしょう。本日はゆっくりとお休みください。詳しい話はまた明日にでも」

「お心遣い痛み入ります」

 

 傅燮は近くにいた衛兵に、李信達を客室に案内するように言う。衛兵は緊張しながらも、二人を先導して城の中へと消えて行った。

 兵士達の緊張は、何も傅燮や董卓、賈詡がいるばかりではない。李信と高順という二人の武の化身を前にしていた為というのもあるだろう。あの二人の力量は、兵士達でさえも向かい合えば理解出来る筈だ。恐らくは一合も持たずに自分達が屠られるということは彼らとてわかっていた。だが、門を守る役目を忘れず、この場から逃げることなく留まっていた行動に傅燮は一種の感動さえ覚えていた。

 

 とりあえず酒の差し入れでもしてあげるべきか、と考え込む傅燮の横で難しい表情で今はもう背中も見えなくなった李信達へと厳しい目を向けた賈詡が、一度身体をぶるりっと震わせて口を開く。

 

「……宜しいのですか、傅燮様?」

「いいのよ、賈詡。貴女の言いたいことはわかってるけどね」

「……」

 

 李信という人間はあまりにも危うい。

 あんな化け物染みた存在を自分達の懐に入れてしまう危険性は計り知れない。

 ましてや傅燮や賈詡からしてみれば、李信の狙いも目的も不明だ。何の為にこの涼州まできたのか、それさえわかれば対処もできようが、現状では全くの手詰まり。もしも此方の弱味を握ろうとする間者であったならば彼を止めることが出来る者はいないだろう。その程度のことは傅燮が気づいていない筈がない。

 それなのに何故こうも容易く李信を懐に入れてしまったのか。理解に苦しむ賈詡であったが、そんな彼女を愛おしそうに見ながら傅燮はたおやかに笑った。

 

「多分だけど、彼は敵じゃないわ。私の勘だけどね」

「―――勘、ですか」

 

 勘などという根拠も何もないあやふやな答えに、賈詡が渋面を作った。

 

「ええ。でもね。感じたのよ、風を」

 

 両手を広げて、蒼天を見上げた傅燮が眼を細める。

 

「この終わりのない争乱の地に吹いた―――新たな風を感じたの」

 

 もしかして彼が何かの切っ掛けになるのかもしれないわね―――そう言った傅燮の笑顔は何故か賈詡が知る限りもっとも美しく見えた。そんな上司にこれ以上何も言えることもなく、賈詡は口を閉ざすのであった。

 

  

 

 




この時期馬騰はまだ勢力築いてないとか、傅燮は太守にいない、とか他にも色々突っ込みどころありますが、二次創作設定でお願いします。

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