真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第12話:蚩尤の一族

 

「……蚩尤の名を何故知っている?」

 

 李信の発言に、高順は内心の驚愕を隠すことが出来ずに目を見開いて呆然と呟いた。

 それもそのはず。蚩尤の名を知っている者など、外界の世界に一体どれくらいいるだろうか。

 伝承は伝わっているかもしれないが、この僅かな対峙で高順を蚩尤の一族と看破するなど絶対に不可能だ。結論を下す材料があまりにも不足している。ならば、李信が蚩尤のことを知っていた、と判断するしかないのだがそれも少々納得が行かない。

 数百年昔にある事情により衰退してしまった蚩尤の一族は、外界との関係をほぼ断ち切って生活していた。無論、完全にとは言えないが、それでも彼女達のことを知る者はほぼ皆無に等しい筈である。

 

 蚩尤の一族。

 それの起源は遥か千年以上も昔に遡り、中華の闇の世界で恐れられてきた特異体質を持つ一族だ。

 ただし、一族と言っても実際には血の繋がりはなく赤子を浚っては一族の後継者として育てるのだ。そして弛まぬ日々の鍛錬により、彼女らは人を遥かに超えた世界へと辿り着く。彼女たちは才能があるから蚩尤になるのではない。蚩尤に育てられるからこそ、蚩尤になるのだ。

 ただし、蚩尤を名乗れるものは何時の時代にも一人だけとなる。とある辺境の山に住む十九もの氏族の中から、選び抜かれた化け物達が祭と呼ばれるしきたりの末に、蚩尤の名を受け継ぐことが出来る。元々は、神を降ろすことを目的とした巫女の一族ではあったが、時代の変遷によってこのような異形の変化を遂げていったという。

 

 その十九の氏族を全て李信が覚えているか、といえば記憶が妖しくはなるが、それでも高族という名があったことを朧気ながら頭の片隅から引っ張り出すことに成功した。そして、何より李信が目の前で見た高順と名乗った者の動きは、かつての蚩尤の一族の者と一致はしないもののどこか髣髴とさせるものがある。

 元々が巫女ということもあり、蚩尤の一族の剣技はまるで演舞を行うかのような技術。

 通称―――巫舞、と呼ばれるそれは、十九の氏族ごとに異なる拍子で舞い、独特の呼吸法で自身に荒ぶる神を堕とすという。

 

 さて、時代の闇に潜んでいた蚩尤の一族のことを何故李信がここまで知っているのか。それは実に単純な理由だ。

 彼の妻であり、中華六将に数えられ、智と武に優れた中華最良の大将軍とまで謳われた―――羌瘣。彼女こそが、蚩尤の一族の出身であったというだけである。勿論、彼女はただの一族の者ではない。羌族最強にして最高傑作とまで言われ、狂気と凶気が支配する祭を潜り抜けた本物の蚩尤を打ち倒した剣士。秦国最強と称されたかつての李信でさえも、日々行っていた試合においては負け越している正真正銘の化け物であった。もっとも、李信達がまだ年若かった頃からの数も入っていたための負け越しであり、成人してからの勝敗は常に拮抗していたと言っても過言ではなかったであろう。

 

「蚩尤の氏族から抜けた知り合いがいる。そいつに舞を見せてもらったこともある」

 

 かといって、李信の事情を説明するという訳にも行かない。

 真っ正直に全て話をしたとしても頭がおかしくなったと思われるのがおちだ。

 ある程度内容をぼかして、とも考えたがまさかこんな所で蚩尤の者と会うとは思ってもおらず、肝心の李信自身も頭が回る方ではない。そのため無難な回答となってしまったが、それに訝しい様子で眼を細める高順。しかし、無難な答えだけあり、それを嘘だと決め付けることは出来ない。 

 

「そう……」

 

 高順が世話になっていた高族では里から逃亡した者はいなかったが、それ以外の氏族の状況は詳しく知っていない為実情は不明である。もしかしたら事実逃げ出した者もいるかもしれない。氏族同士の繋がりが希薄だったことが、李信の弁明に少ないながらも信憑性を持たせることとなった。

 

「それにしても、凄いな。二十もの盗賊を、碌な抵抗もさせずに皆殺しか」

 

 改めて周囲を見渡した李信が感嘆する。

 血の海に沈んだ二十名からなる死体を吹き付けた風が、鉄臭くも生臭い血の香りを彼の鼻へと届けてきた。

 賊に襲われている人間がいると慌てて助けに来てみれば、辿り着くまでに襲っていた筈の彼らが斬り殺されてしまったのだから予想外もいいところだ。

 

 改めて李信は目の前で敵意とも殺気とも取れる気配を滲ませている高順の姿に関心の目を向ける。

 今の自分よりも二つか三つばかり年下という若き身でありながらその実力は疑いようもないが、戦意を隠し切れないところはまだまだ青いと評価するしかないだろう。

 

「この程度なら百人いても一緒だよ。それはキミも一緒だろうけど」

 

 平然とそう言い切った高順だったが、その目つきは鋭く厳しい。手合わせをするまでもなく李信の力量を読み取ったのか、臨戦態勢を崩さずにある一定の間合いを取って様子を見ている。チリチリと肌を焼いてくる歳若き蚩尤の一族の気配に、李信は疑問を覚えた。

 

 本来ならば、高順がここにいることは有り得ないことである。

 数百年の時が流れ、李信が知る蚩尤とは異なっているかもしれないが、千年に渡って異常な進化を遂げてきた一族が、そう簡単に良き方向に変わるとは限らない。それを考慮すれば、この時代も李信の知る蚩尤の一族と大きく変化していないはずである。

 それを前提に推察すれば、氏族達が住まう里を降りることが出来るのは極限られた者だけだ。

 祭を潜り抜けた蚩尤。もしくは、それに従う氏族の者。外界の赤子を浚ったり外の情報を仕入れる役目の者。そのような者達だけが、里の外に行くことを許される。

 

 しかし、高順は蚩尤の称号を戴ける世界の住人かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。

 李信が初めて会ったときの妻より、力量は明確に劣る。伸び代こそ計り知れないものがあるが、現状ではあの頃の羌瘣ほどの得体の知れなさを感じはしないというのが本音である。つまりは、高順が祭を潜り抜けた蚩尤という可能性は潰される。

 ならば他の役目を担ったものか、とも考えられたが、それも首をひねざるを得ない。そのような役目を背負っているのならば極力目立つことを避けるはずだ。商人達を助ける為に身を投げ出すなど考え難い。

 

 ならば最後の可能性。

 高順が、かつての妻のように氏族を抜けてきた。

 蚩尤の一族から出奔したとなると、高順がここにいる理由にも納得が行く。

 

 故に高順は李信に敵対する意志を向けているのは、追っ手ではないかと疑っているためだろう。もっとも、李信が追っ手ということはある理由で絶対にないことは高順も理解しているはずだ。だが、蚩尤の一族であることを看破したということは、何かしらの関係性があることは明らか。そのため、警戒を怠らないとすれば筋道が通る。

 

「一つ言わせてくれ。さっき言ったとおり俺は元蚩尤の一族に知り合いがいただけで、特に関係があるわけじゃない」

 

 誤解を解くべく李信は弁解を始める。

 しかし、それは高順の態度に変化をもたらすことはなく、どうしたものかと色々と思考を巡らせる李信だったが―――戦場で鍛え上げた直感が一歩だけ身体を後退させた。

 それと同時に空気を切り裂く音が響く。触れるかどうかの一寸の見切り。間合いを殺し飛び込んできた高順の切り落としが李信の眼前を通過する。避けられたことに驚かず、再び後退して間合いを外した高順が剣の切っ先を李信へと向け、油断のない瞳で筋組織の動きさえも見逃さないように集中力を高め始めた。

 

「危ないな。下手をしたら死んでたぞ、おい」

「よく言う。ボクの剣をここまで軽々と避けたのは、キミが初めてだ」

「そりゃまた随分と狭い世の中で過ごしていたんだな」

 

 李信の台詞にピクリっと高順は眉を動かしたが、挑発染みたその言葉に激昂することもなく冷静さを保とうとする。

 完璧に敵と見られたことに内心で困り果てる李信だったが、これは完全に自業自得であった。最初の会話で、蚩尤の一族などと口に出さなければここまで酷い状況にはならなかったはずである。随分と久しぶりに妻とは異なるが、どこか似通った巫舞を見れて郷愁に駆られてしまった結果がこれだ。

 

「キミは強い。キミならボクに強さの意味を教えてくれるかもしれない」

「―――強さの意味?」

 

 そんな李信の思考を遮るように、高順の要領を得ない言葉が口から紡ぎだされる。

 なんだ、それは―――と疑問を口に出そうとした李信だったが、それを聞き返すことは出来なかった。

 高順の瞳が色を無くしていく。今まで発していた戦意が消失し、李信を見ているようで見ていない。虚ろを漂わせた瞳で、ゆらりっと全身を脱力させる。意識を手放したかのような高順の姿に、相対する李信はチッと舌打ちを一度。独特の拍子とともに、身体を軽く上下させる姿はやはりかつての妻を髣髴とさせる。

 

 集中しきれない李信を置き去りに、タンっと正面にて地面を蹴りつける足音。

 しかし、李信の視界には高順の姿を見つけることが出来なかった。

 いや、視界の左端に霞んだ足の残滓を確認。その方向へと意識を向けようとした瞬間、ぞわりっと首筋に感じた悪寒。

 第二刃となった攻撃は、首の真後ろから貫くように一直線に放たれた刺突。身体を捻りながらその一撃を避け、振り返りざまに放った蹴りは空を切る。瞬時に攻勢に転じたというのに、煙のように消え行く様は、まるで幻を相手にしているかのようであった。

 地面を摺って歩く音が、李信の聴覚を狂わせる。視界の端に映る高順の身体の一部が、視覚を惑わせる。周囲に散らばる死体から漂う死臭が、嗅覚を乱れさせる。ありとあらゆる手段と方法、技術を使い、李信を殺めようとする高順の巫舞は、羌瘣とは異なる類のもの。ある意味、自分にとっては非常に面倒な相手であることを僅かな対峙で確信した。

 

 高順の動きは、常人から見れば目にも留まらない速さではあるが、純粋な速度で言えば李信より劣る。

 それなのに何故彼の死角を突けるのか。それは高順が李信の注意を上手く誘導しているからに他ならない。

 聴覚と嗅覚すらも歪ませた高順の攻撃は、李信の予測を僅かにとはいえ上回り、対処を遅らせる。 

 

 正面から突き出された切っ先を咄嗟に首を傾け皮一枚で避けた。

 耳に残るのは本当に僅かな空気を貫く音のみで、人を殺すのに最小限の力しか込めていないことがわかる。

 目前にいた高順の身体がゆらゆらと揺れ、突き出された剣を水平に薙ぎ払う。人を殺そうとしているのに感情も気配を揺るがさない剣士は、人殺しとしては実に優秀であった。やはり朱凶などとは格が違う生粋の殺戮者ということだろう。

 

 自分の頚動脈を断ち切ろうとした剣の腹を拳でかちあげ、真上へと逸らす。

 反射的に放った防御からの流れるような右の拳が高順の顎を打ち抜くものの、それが殴りつけたのは実体を持たない残像でしかなく、既にその姿は李信の視界から消え失せていた。

 

 剣を抜くべきか否か。

 自分に襲い来る攻撃を捌きながら、李信が考えていることはそれであった。

 先に剣を向けられたのだから、斬っても特に問題はない。例え逃がしたとしても、蚩尤の一族である高順が司法に訴えることはないはずだ。それに、現在のところ目撃者はいない。仮に叩き切ったとしてもこの現場を見れば、盗賊と相打ちになったと判断されるのが関の山だ。

 

 かといって、徒手空拳で相手をするには些か分が悪い。

 武器を抜かねば下手をしたら敗北を喫するのは李信の方である可能性も捨てきれない。

 しかし、懐かしの蚩尤の一族ということと、高順に羌瘣の僅かな面影を見つけ、それが李信の決断を鈍らせる。

 

 ―――ああ、実に面倒な相手だ。

 

 嘆息する胸中とは異なり、李信の表情を一切変えることはなかった。

 確かに厄介だ。真正面から戦ってくる相手の方が余程ましだ。高順のように相手を誘導させる敵と李信の相性はとてつもなく悪い。

 かつて戦場で戦った多くの武将が正面から戦うことを好むものが多かったこともあるだろう。高順のような戦い方をする者は珍しい。故に、このような暗殺者にも似た動きをする相手と戦ったことは数えるほどだ。しかも、随分と戦い方が上手く、こういった者との戦闘経験不足は否めない。さらに戦い難い理由もあるとすれな、状況は最悪だ。

 

  

「―――まぁ、かといってこのままってわけにもいかないか」

 

 轟、と背負った矛を引き抜いて真正面、縦一文字の打ち降ろし。

 小細工、技術全てを蹴散らす力の一撃。爆撃染みた鉄槌が地面を抉り、粉塵を舞い上がらせる。砂塵に空気が揺らぎ、周囲の視界を覆い隠す。突然の出来事に若干の逡巡を抱きながらも高順は、李信の気配を察知して攻勢に出ようとするものの、再度聞こえる物騒な風きり音。

 粉塵を引き裂きながら今度は横一文字に振り切られた矛が暴的でありながらも正確に精密に高順へと襲い掛かる。

 

 身体を低く、その矛の下を潜り抜けた高順の視線と交錯。

 巫舞状態に入り込んでいるが故の生気の無い瞳。変性意識状態に自らを落とし込むことにより高順の感覚は常人を遥かに超える程に活性化されている。人の肉体にかかっている枷を意識的に外すことが可能な蚩尤の氏族の奥義。

 

 地を滑り迫ってくる高順が、足を蹴り上げると地面の砂と血が舞い散って、李信の視界を潰す。

 矛を一振り、視界の邪魔となったそれを一掃する間に、幼い暗殺者の携える切っ先が李信へと襲い掛かる。

 いっそ緩やかにも見える高順の攻撃は、その機会、軌道、ともにこれまでよりもさらに洗練されていた。李信の予見を悉く外してくる技術は、静かでありながら心に強く印象付けられる。攻撃されているのが自分でなければ、李信は感嘆の言葉を贈る事に迷いは無かったであろう。この年齢でここまで到達するには余程の鍛錬を積まなければならなかったに違いない。

 

 視界が晴れたなか緩い速度で踏み込んでくる高順が、するりっと李信の横を素通りし、置き土産とばかりの一閃は左脇腹に容赦なく叩き込まれた。緩急をつけ、相手の意識を乱し、感覚を潰し、巫舞の世界に入った高順の攻撃を李信といえど流石に避けきることは出来ず、己の会心の一撃と為った事に確信を抱いた剣士を邪魔するように高鳴る金属音。

 

 最初から避けるつもりはなかったのか、李信の左手が腰の鞘から瞬時に引き抜き、その刀剣の半ばの腹で自分の剣が受け止められたことに驚愕しつつ、高順が追撃となる一手を放つかどうか迷った刹那の時。

 李信が両手で握りなおした矛が高順を狙い打つ方が遥かに早く、この場からの撤退を余儀なくされる。地面を蹴りつけ、李信の視界から姿を消しつつ距離を取ろうとする高順であったが、突如として背中を襲う悪寒。その悪寒の理由は、即判明する。視界から逃れた筈なのに、李信の矛は正確に自分を狙ってきているのだから。一直線に振り下ろされた一撃を、横に身体を転がらせなんとか回避したと同時に、げほっと咳き込む高順。

 

 その場に崩れ落ちそうになる虚脱感に耐えようとするものの、身体に衝撃が奔った。李信の鋭い前蹴りが高順の肩口に叩き込まれ、まるで馬車に跳ねられたかのように小柄な身体が弾け飛んだ。数メートルも離れた地面に激突、ごろごろと転がっていき動かなくなる。

 

 しまった、やりすぎた―――と、思わず頬を引き攣らせた李信だったが、心配無用とばかりに地面に倒れていた高順は、身体を起こすと吹き飛ばされていながらも手放さなかった剣を杖代わりに立ち上がった。だがしかし、呼吸は荒く身体は小刻みに震えている上に、額に脂汗まで滲ませている。  

 

 李信の蹴撃の威力は手加減していたということと、自分から後方へと飛んだこともあり致命的というには程遠い。

 問題は、激しく乱れている呼吸の方だろう。幾ら生死の境目があやふやな境界での戦いだったとはいえ、僅かな対峙でここまで呼吸を崩すなど有り得ないが、李信はすぐにその原因が巫舞による影響だと確信した。

 

 人間の身体能力を超えた力を発現させることが可能な蚩尤の一族特有の奥義である巫舞。

 それを何の見返りもなく使用できるか、といえばそうではない。独特の呼吸法と拍子によって突入できる巫舞の世界は、呼吸の長さと深さ(・・・・・)でそれぞれの力量が表される。深く巫舞の領域に潜れるものほど化け物染みた能力を発揮できるが、その反面呼吸が深い者ほどその世界へ止まれる時間が短い。逆に呼吸が浅い者ほど長時間を維持できる。それが一般的な蚩尤の巫舞ではあるが、極稀に現れる天才―――そういったものは長く深く巫舞の状態を保つことが可能だ。それを知っている李信の眼から見て、高順は才能という点では問題ないだろうが、まだ若い。そして巫舞が解けた以上、自分の身体の限界を超えた能力を引き出した反動として碌に身体が動かなくなるのは必然。

 

 矛の切っ先をピタリと高順の喉元に突き付けると、李信はじっと高順を見つめる。

 高順もまた、李信の視線から逃げずに睨み返す。

 

「勝負ありだな。もう少し巫舞に関しては鍛錬が必要だが、たいしたもんだ」

「……」

 

 ぜぇぜぇ、と必死になって呼吸を正常の状態に戻そうと苦心している高順だったが、例え普段通りだったとしても反論の言葉を口に出すことはなかったであろう。正直な話、目の前にいる少年はあまりにも強すぎた。高族の里にいた誰よりも強い。いや、戦ったとしても相手にもならない筈だ。まるで巫舞の領域に入った者と戦いなれている印象を受ける。それは疑問に思うところだが、先程言っていた元蚩尤の一族と知り合いというのも、案外嘘ではないのかもしれないと高順は考え始めていた。

 

 こんなことなら盗賊と戦った時に巫舞を使うべきではなかった、と今更悔やんでも結果が覆ることはない。

 それにあの時巫舞を使わなかったとしても、恐らくは同じ結果になったことは想像に容易い。

 

 高族の隠れ里から外界に出て中華を旅して回った身として、自分の力量が上位に位置していることは理解していた。しかし、自分がここまで為す術なく敗北を味合わされた相手は初めてである。理不尽なまでの強さを誇る、己より僅かばかり年上の少年に、今は我が身の命すら握っている彼に―――本音を言えば見惚れてしまった。荒唐無稽で滅茶苦茶で、どこまでも不合理で不条理で、しかし全てを押し通す程の理不尽なまでの強さ。それは、高順が求めて止まないものに他ならない。

 

「……ボクの負けだ。キミの好きにするといい」

 

 殺されるかもしれない、という恐怖などない。

 むしろ逆だ。ここまで理想的な武の到達者に殺められるならば、それに歓喜すら感じてしまう。  

 自分はこの男の経験となって生きる。そのことに深い陶酔感すら抱き、知らず知らずのうちに口元が緩む。そんな高順に呆れつつ、李信は矛を引き寄せると溜息をついた。

 

「蚩尤の一族ってことで苦労したってのはわかるが、まだ若い身空でそんなことを言うもんじゃないな」

 

 李信の軽い物言いに、高順は意外とばかりに眼を見開いた。

 殆ど問答無用で命を奪おうとした自覚はある。だが、李信を見れば、特に高順を咎めようという様子はない。これまで見てきたどんな男とも違う目の前の武人に、次に抱いた感情は興味となった。

 

「で、だ。さっき言ってたのはどういうことだ?」

「……うん? 何のこと?」

「強さの意味がうんたらってやつだ」

「―――ああ。そのこと」

  

 李信の質問に、得心がいったと高順が頷いた。

 そして、高順は己の境遇を語った。幼い頃から高族として、蚩尤となるために日々の鍛錬に明け暮れたこと。そして、その過程で気づいた疑問。疑念。強さとは何なのか。自分が全てを手放してでも求めている強さの意味を知りたかった。そのことを淀むことなく、嘘をつくことなく李信へと話している高順は、自分がおかしくなったことを自覚する。まだ会って間もない少年に、しかも今の今まで命のやり取りをしていた相手に相談事を持ちかけるなど普通に考えれば有り得ない。だが、自分を軽々と一蹴した相手。そんな彼ならば何かしらの求めている答えを教えてくれるのでは、と淡い期待をしてしまった。

 

 李信は黙って高順の話を聞いていたが、全てを聞いた後に深い溜息を吐く。

 

「―――強さの意味? そんなのわかるか」

 

 そして、ある意味高順の期待の斜め上を行く答えを遠慮なく言い放った。

 

「強さなんてものは人によって受け取り方が違うだろう。武の道を極めんとした馬鹿も知ってるが、あれも碌な人間じゃなかったしな。それに自分が求める強さなんてやつは、自分が死ぬときにでもようやくわかるもんじゃないのか?」

 

 どこか呆れた表情で、高順へとつらつらと告げていく李信。

 だが急に神妙な顔になると、ああ違うか、と短く呟く。

 

「訂正するが―――自分が死ぬときでもわからない、な」

 

 遠き過去を思い出しながらの李信の台詞は、懐古の念に覆われていた。

 秦国の大将軍として、戦乱の時代を駆け抜けた身。確かに自分の強さに関して様々な想いを抱いたことは数知れない。力不足に嘆いたことは両手の指で数え切れない。それは、まだ若かった頃は当然として、大将軍となった頃にも多々あった。病によって命を落とす寸前まで、自身が満足する答えなど出した覚えはない。

 

「……じゃあ、強さの意味は?」

「知らん。自分で探せ」

 

 自分よりも遥かに強い少年の言葉に、高順はいつしか聞き入っていたが、己が捜し求めていた答えの問いへのにべもない返事に、乾いた笑みを浮かべた。どすんっと地面に倒れこんだ高順は、仰向けになった状態で空を見上げる。どこまでも続く蒼天が目に眩しい。雲一つない空を見上げていると、何となく自分が悩んでいたことが馬鹿らしく思えた。里から飛び出し、強さを追い求める日々。それに没頭するあまり何時しか周囲が見えなくなっていたのかもしれない。

 

 そんな高順の姿は見下ろしながら、李信は矛を背に戻す。

 既に戦意はなくなっているのは確認済みだ。生憎と気の利いた言葉をかけることは出来なかったが、相手は歳若いとはいえ小さな子供でもない。一から十までを説明しなくても立ち直ることはできるだろう。それにこれ以上の慰めの言葉など、李信は持っていない。このあたりは、かつての友が上手かったと、ふと昔を思い出す。

 

 兎にも角にも、高順の呼吸も戻りつつあるため、放って置いても大丈夫と判断した李信は、涼州へと向かう為に北へと足を向ける。

 随分と長い期間かかったが、なんとかあと二、三日で辿り着くことが可能な距離まできたところだ。

 特に大きな問題もなくここまできたが、まさか最後の最後でこんな状況に巻き込まれるとは想像もしていなかったが、無事涼州へと到着できることに安堵の溜息を漏らしたが―――その時、李信の足を引き止めるものがあった。地面に倒れこんでいた高順が片手で李信の足首を掴んでいたのだ。 

 とりあえず無視して歩いていくと、ずりずりと引き摺られながらそれでも気合で手を離さない高順だったが、流石に地面が背中を擦って痛いのか非難の目を向けてくる。

 

「……普通は足を止めない?」

「普通は足首を掴まん」

 

 高順の問い掛けに平然と切り返す李信に、それもそうかと納得しかけるが、慌てて上体を起こすとその場で座り込み頭を下げた。

 礼を尽くす姿に、李信は仕方なく足を止める。下げていた頭をあげて上目遣いに見上げる高順はどことなく可愛らしい。

 

「キミの答えは理解した。でも、ボクはボク自身が願って求めた目的を簡単に諦めることは出来ない」

「まぁ、当然だろうな」

 

 高順としては、一族全てを皆殺しにしてまで求めようとした願いだ。

 李信なりの考えを聞いたが、頭では納得できても心まではそれに応じようとしないのは当然ともいえた。

 

「ボクはボクなりに自分の答えを探そうと思う」

「……それで良いんじゃないか?」

 

 己の内心を訥々と語っていく高順に、李信は相槌を打つ。

 高順が出した結論に口を挟むほど、自分は立派な人間ではないと知っているからだ。

  

「だから、これからはキミについていく」

「―――はぁ?」

 

 そして、高順が口にした台詞に思わず間の抜けた返答となったのは致し方のないことだろう。

 

「待て待て。どこをどうしたらそんな考えになる?」

 

 李信の疑問は当然である。

 高順の思考が全く読めずに、難しい表情でその疑問を晴らすべく問い掛けた。

 

「キミは強い。強すぎる。少なくともボクが知る限り中華最強の男だから」

「……だから?」

「うん。だから、ついていく。一緒に行く。それだけ。キミとともに歩めば、答えが見つかる―――ような気がする」

 

 高順のあやふやな答えに、李信は言葉もない。

 どうしたものかと悩む李信だったが、そんな自分をじっと見つめてくる相手の姿に本日幾度目になるかわからない溜息を吐いた。

 どことなくかつての妻の面影がある高順を無碍には出来ない。しかも氏族こそ違うものの、蚩尤の一族という共通点まである。ここまでくれば、実は高順は李信の血筋ではないか、と疑ってしまうが―――前世を生きたのは今より数百年前も昔。流石にそんな偶然はないか、と考え直すとガシガシと頭を強く掻く。

 

「まぁ……好きにしろ。ただし、給金はだせないからな」

 

 諦めたように李信は高順の提案を受け入れた。

 それを聞いた高順は出会ってから初めてとも言える純粋な笑顔を浮かべると、頭に被っていた手拭いに手をかけそれを取る。

 サラサラと纏めていた黒髪が零れ落ちた。太陽光を浴びた髪が長旅で汚れていながらも美しく照り輝く。薄く細く形作られた眉に、程よい大きさの目。鼻筋が通っており、よく見れば肌もきめ細かく艶やかだ。まだ成人する前の年齢の若さが放つ瑞々しくも健康的な魅力。

 高順の素顔を見た李信は、呆然と目を奪われた。それは高順が可愛らしかったからではない。何故ならば髪を下ろした高順は亡き妻に似ているなどという話ではなく、面影を色濃く残していたからだ。

 

 そんな李信の心の葛藤など知らず、高順はもう一度頭を下げた。

 そして、躊躇いなく逡巡もなく、彼女(・・)は言葉を紡ぎだす。

 

 

「改めて名乗る。ボクは高族が順。李信―――ボクはキミの為の剣となろう」

 

 

 

  

 

 

  

 

 

 




高順さんは皆さん気づいていたと思いますが、ボクっ娘です。

《現在の飛信隊》
李信>>>かなり脳筋
高順>>>凄い脳筋

本日のア○トークでキングダム芸人が何気に面白かったです。

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