真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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涼州の章
第11話:涼州への途


 

 

 

 涼州の歴史は古い。

 紀元前百十年―――前漢の武帝の時代にまで遡る。その時代の皇帝である武帝は、全国を上手く治める為に、それぞれの地方を十三の州に分けて、さらにその地の太守や官吏を監察するために刺史の役職を設けた。北は匈奴、南は西羌と隔たり、幽州に勝るとも劣らず異民族の侵攻が激しい土地である。漢王朝最西端に位置する州だけあり、西域への要衝として位置する重要な場所と認識されているものの、中原の民からは田舎としか見られていないのもまた事実であった。

 

 しかし、異民族の侵攻が激しいとされているが、領地が隣り合わせであること以外にも理由がある。

 その理由の一つを例に挙げてみると、涼州は幾つかの郡にて管轄されているのだが、そのうちの一つである敦煌という郡は、西域へと繋がる絹の道の道中にある都市である。本来は異民族の支配下にあったのだが、前述した武帝の時代に遠征が行われ漢の支配する場所となってしまった。彼らからしてみれば、元々が自分達の土地だったというのに力で奪い獲られてしまったという想いが捨てきれないのだろう。そのため、異民族達は武力を持って漢王朝へと侵攻を繰り返しているのだ。

 

 さて、西域の要衝というだけあって、この地方へ行商へと向かう商人は多い。

 そして、中原を離れるということはそれだけ漢の威光が通用しなくなるということも意味する。 

 この涼州を治める役人としても、異民族への対策に手を取られる事が頻繁な為、つまりは賊の類への警戒がどうしても薄くなりがちとなるのだ。しかも大掛かりな徒党を組んでいるのではなく、幾つかの小さな集団で纏まって略奪行為を繰り返すことによって足取りを追われ難くするという方法まで取っている。他にも漢王朝に不満を持つ者が反乱を起こしたこともある。その戦に参加した者、逃げ出した者などが盗賊に身を窶すことによって、他の州は当然として涼州もまた中華屈指の危険地帯となっているのが現状であった。

 

 

 

 そんな涼州への道中、若干荒れた道を行く複数の馬車が見受けられる。

 ガタガタ、と車輪が音を立て、中に乗っている人間の身体を揺らす。最後尾を行く馬車の中に居たのは、三人の男女であった。

 といっても、年齢は一桁の小さな幼女とその父親。そして、その対角線上にまだ成人前と表現するに相応しい小柄な子供が一人。これから行く涼州のことに想いを馳せているのか多弁に父親に話しかけている幼女とそれに笑顔で答えている父親には目もくれず、もう一人の子供は胡坐を掻きながら瞑想に耽っていた。

 

 白と赤の二色で染められた服を着て、しかしながら相当に旅をして回っているのかその衣服は多少薄汚れている。頭に手拭いらしきものを巻き、艶やかな黒髪を纏めてる。顔立ちは異様なまでに整っており、少年とも少女とも見られる中性的な容姿であった。

 傍らには護身用なのか一振りの剣が置かれていた。この御時勢、少し旅をするのも命の危険があって楽ではない。それゆえに自身を守る為に武器を所有している者が多いとはいえ、その剣は目を奪われるほどに美しい外装であった。もしも売るとすれば相当な価値を持つことになるのは商人である父親の目から見ても明らかである。

 

 その時、ぎゅるぅっと腹が鳴る音が聞こえた。

 誰かと思えば、瞑想をしている子供の腹の音だったのだろう。それに気づいた幼女は、自分が腹がすいたときに食べようとしていた饅頭を取り出すと、躊躇うことなく差し出した。瞑想をしていた子供は、そんな自分よりも幼い少女の気遣いに目を開けて、じっと相手を見つめる。

 

「……良いの?」

「うんっ!!」

「有難う。遠慮なく頂くよ」

 

 感謝を述べた黒髪の子供の薄く笑った笑顔に、幼女は一瞬目を奪われた。

 その笑顔は今まで見てきた誰よりも美しく見えたからだ。だが、我に返った幼女は恥ずかしそうに父親のもとへと戻ると背中に隠れてしまった。そんな自分よりも幼い子供の行動に再度微笑むと、貰った饅頭をゆっくりと頬張る。

 安く売られている代物だろうが、空腹の身ではどんなものも美味しく感じるものだ。空腹は最大の調味料と考えながら、たいした時間もかけずにその饅頭は腹に収まった。

 

 馬車の中を静寂が支配する。

 気まずい静けさではなく、どこか暖かさを感じる空気がじんわりと広がっていく。

 だが、その時黒髪の子供がピクリっと反応して視線を馬車の後方へと向けた。

 その行動に疑問を覚えた親娘だったが、その行動の答えはすぐに知ることとなる。遥か地平線の彼方から砂煙が舞い始め、徐々に震動と馬が駆ける音が響き渡り始めた。

 

「ぞ、賊だー!!」

「に、逃げろー!! はやく、速度をあげろっ!!」

 

 他の馬車にいる商人達の脅えた声があがり、大恐慌に陥った。

 一人や二人ではない。視認できるだけの人数でも軽く十数名。いや、或いはそれ以上の野盗の集団に、娘は脅えたように父親に強く抱きついた。父親も突如として吹いてきた戦場の匂いに、脅える娘を抱き返すことしかできない。

 そんな二人にちらりっと目を向けた黒髪の子供は、傍らの剣を手に取るとゆっくりと立ち上がる。速度をあげた馬車は激しく揺れているが、それを全く意に介さず―――父親に抱きついている幼女の頭を一撫ですると背を向けた。

 

「時間はボクが稼ぐ。キミ達はそのうちに逃げるといい」 

 

 饅頭の礼だ、と呟きが聞こえたのか定かではないが、黒髪の子供の発言に目を剥いたのは親娘であった。まさか、饅頭一個でそのようなことを言う者がいるとは夢にも思っていなかったに違いない。

 だが、彼らが何かを言うよりも早く馬車からその身を投げ出すと、地面に華麗に着地。

 遠ざかっていく馬車と親娘の声を背中に受けて、黒髪の子供は剣を引き抜くと鞘をその場に突き立てた。

 

 そして、剣を一閃。虚空を断ち切った白銀の煌きが、大地に歪みのない一線を描く。

 それと同時に迫ってきていた盗賊達が、眼前に佇んでいる幼い剣士の姿に馬を止める。その勇敢さを称えてではなく、明らかに彼らの顔には嘲りが浮かんでいた。それも当然であろう。盗賊達は、総勢二十名を超える体格の良い男達。しかも、多くの商人や襲撃した村の人々を容赦なく殺した経験を持つ荒くれ者揃い。それを迎え撃つのは、年齢的には十三か四前後で、身長百四十程度の小柄な子供。誰がどう見ても、結果がどうなるかは火を見るよりも明らかな状況なのだ。  

 

「おいおい、どうした坊主? テメェ一人で通せんぼかよ、勇ましいな」

「いや、見捨てられたんじゃないのか? 最近の商人どもはえげつねぇな」

 

 蔑んだ言葉を投げかけてくる盗賊達に、反論することなく小さな剣士は自分の愛剣の握りを軽く確かめる。

 強面の自覚がある自分達の恫喝に全く恐怖を滲ませることのない相手に、ここでようやく彼らは違和感を抱いた。

 彼らとて、それなりの死地を踏破してきた過去がある。つい先だっては、反乱を起こした者に従って戦争に参加して、殺戮を繰り返した思い出も新しい。化け物染みた連中もそれなりに顔を合わせた経験もあるため、強き者に対しての鼻が利く自信はある。

 しかし、目の前の小柄な剣士からは何も感じない。強さや威圧感といった圧力を肌で味わうことはなかった。

 

 つまりは、ただのはったりか、と判断した盗賊達は舌なめずりをしながら一歩を踏み出す。

 すると今まで泰然としていた黒髪の剣士は、彼らに押されるように一歩後退するとその行動に自分達の推察に確信を抱いた盗賊達は、躊躇いなく眼前の獲物に殺到した。 

 己よりも頭二つ分は高く体格も良い盗賊達に、しかし恐れる様子を微塵も見せずに、黒髪の剣士は凍えた視線を彼らに這わせる。

 

「その線よりこちらはボクと敵対するということを意味する」

 

 短く言い切り、迫ってくる男達を前にしながら悠然と佇み―――そして、彼らが自分の描いた線を越えた瞬間にその目は鋭く細まった。その目つきはまるで猛禽類のように鋭く、暖かみがない。多くの人間を惨殺してきた盗賊達よりもなお、冷たく暗い狩人の瞳だ。

 

「―――ボクは高族が順(・・・・)。キミ達はボクに強さの意味を教えてくれるのか?」

 

 高順と名乗った剣士の発言は、何故か直接脳髄に叩き込まれたかのような不快感と不安感を持って盗賊達にここで初めて奇妙なまでの死臭を感じさせた。ぞわりっと急激に下がっていく周囲の温度。全身の毛穴と言う毛穴が開き、彼らの動きを鈍らせる。

 誰かが、あっと短く叫んだ。改めて眼前の子供を値踏みしてみるが、かつて見た一騎当千の化け物達のような全てを押し潰す圧力を放っているわけではない。だがしかし、そこで彼らは気づいた。確かに高順は強者たる雰囲気を外側に向けて放ってはいない。高順は、放っていないだけでそれの全てを内側に圧縮しているだけだったのだ。それが盗賊達に目の前の子供は自分達の手に負えない怪物だということを気づかせるのを遅らせる結果となった。

 

 ヒュバっと目の前で砂塵が舞い跳んだ。

 盗賊達のもっとも先頭にいた二人の視界を影がよぎり、一瞬後に何かが掠めて過ぎた首に灼熱を感じた。反射的に拭った彼らの指先どころか、腕全てを鮮血が真っ赤に染めあげる。断末魔をあげる暇もなく、頚動脈を切られた男二人が地に沈む。

 

 一度の交差で二人を屠られた盗賊達の喧騒と警戒。

 それを嘲笑うかのように、高順の動きが加速していく。あっさりとこの場全ての盗賊の視界から姿を消し去ると、それに慌てたのが残された盗賊達だ。周囲を見渡すものの影も形も見当たらず、ましてや気配や足音すらたてていない。

 必死の形相で高順の姿を見つけようとするが、数秒もたったころに風を切る音が彼らの耳を打つ。

 土を踏み蹴る鈍い音。彼らの右手から聞こえたそれに反射的に剣を向けるが、それは姿を現した高順の鼻先を掠めるだけに止まった。いや、それは紙一重で敢えて見切った結果なのだろう。そして、その一撃をかわしざま、手に持った剣が左右にいた男の首を奔らせる。パシャっと赤い花が二つ咲き、唖然とする男達の中心へと高順はその身を躍らせた。

 

 身を低く地を滑るような独特の動きに誰一人ついていくことが出来ない。

 そんな高順は、冷静に残された盗賊の人数を確認。まだまだ残っていることに嘆息を一つ。

 

 ―――少し潜るかな(・・・・・・)

 

 胸中にて呟いた瞬間、これまでの比ではない死臭が男達の感覚全てを擽った。

 声にならない悲鳴をあげて、本能がこの場から逃亡せよという指令を喚きたてる。彼らは盗賊だ。物を奪い、人を殺し、女性を犯す。外道を歩む彼らではあるが、だからこそ自分の命を重要視している。故に、次に取った行動はある意味当然のものであり、この場から一目散に逃亡するということであった。

 

 しかし、それを許さぬ怪物がここにいる。

 背を向けた者は、容赦なくその首をあっさりと落とされていく。

 これまでとは異なる突然の動きの変化。先刻までは盗賊達の視界から逃れる変則的な動きだったというのに、それが急激に変化したのだ。直線的な機動でありながら、それを捉えることは出来ない。圧倒的と言う言葉すら生温い、目にも留まらない疾風迅雷。何かが動いたと視認した時には、既に敵の刃が容赦なく盗賊達の急所に叩き込まれていく。

 

 既に半分となった事実に頬を引き攣らせながら、盗賊達は覚悟を決めた。

 一縷の望みをかけてある者は剣を振り下ろし、ある者は剣で突き殺そうとし、ある者は水平に剣を薙ぎ払う。

 だが、それら全ては全く意味を為さない。総勢十名からなる残された盗賊達の凶器はかすることなく空振りで終わる。

 

 ゆらりっと身体がぶれたかと思えば高順の肉体は何時の間にか空を駆け、上方の死角から空を引き裂いて切り落とされる白銀の刃。

 空を滑るように新たに交差した盗賊二人の頭蓋骨に叩き込まれた切っ先が、脳漿と血をばら撒く。そして着地したかと思えば、さらにその小柄な身体が静かに爆ぜる。

  

 果たしてこれを戦いと呼んでいいのかどうか。

 一方的に蹂躙するだけ。絶対強者による完全な狩猟。

 それを証明するかのように、戦いが始まって僅か三十秒―――それで戦の趨勢は決まっていた。

 物言わぬ躯となった二十近い男達。そして、唯一残っている盗賊は腰を抜かし、持っていた武器すらも地面に落としてその場で震えていた。

 

「ま、待て、待ってくれ!! お、俺は止めようといったんだ!! 盗賊なんて真似止めようって!!」

 

 ガチガチと歯を震わせながら必死に訴えてくる男には目もくれず、高順はゆっくりと彼に近づいていく。

 太陽光をきらりっと反射させる剣を引っ提げて徐々に自分に向かって歩んでくる高順から逃れるように、後ろへと下がっていくもののそれで遠ざかれる筈もない。

 

「た、頼む!! 俺にはまだ幼い子供が―――」

 

 そして、高順は命乞いをする男を無視して、手に握っていた剣を軽く振る。

 目を奪われるような美しい半円を描いた軌跡が虚空を断ち切り、容赦なく男の首を落とした。

 切断面から溢れ出る鮮血が大地に血の海を作り、その中へとパシャンっと音を立てて頭をなくした男の身体が転がり倒れる。軽く周囲を見渡して、生き残りがいないことを確認した高順は、死体の服で己の愛剣の血糊を拭う。 

 

 愉悦も罪悪感もなく、総勢二十名の人間の命を奪った高順には一切の揺らぎがなかった。

 人は人を殺すことを躊躇う種族である。極稀にだが、その箍が外れ、人を殺すことに喜びを見出すものもいるが、そんな者は極一部。例外中の例外だ。それを省みて考えれば、怒りも憎悪も何もなく、これだけの人間を殺すことに一切の躊躇いを持たない高順もまた、実に珍しい類の人種に当てはまるだろう。    

 

 高順が人を殺すことを躊躇しない理由。 

 それはとある目的があるからだ。高順は、自分の強さに疑問を持っていた。

 物心ついた頃より、己を鍛える日々。睡眠と食事以外の時間全ては、全てを鍛錬に費やした。

 それを疑問に思ったことはない。何故ならば、とある辺境の山奥に住まう一族の者全てが同様の生活をしていたからだ。

 ただひたすらに己を鍛え続ける日常の中で、ふとした疑念が小さく心に浮かび上がった。

 自分と同年代の者。幾つか年上の者。鍛錬を指導する一回り以上も年齢が上の者。その誰もが、自分より弱く見えた。一族の者しか知らない高順にとって、自分の強さは一体どれほどなのか。自分の生涯を賭けて追求している強さとはどれほどのものなのか。

 その疑問を晴らすために、とある祭り(・・)が行われる前に一族の者達に戦いを挑んでみれば、結果は実に呆気ないものとなる。誰一人として高順にかなう者はいなかったのだ。そして、高順が属していた高族はその日を境に滅び去った。

 一族全てを皆殺しにした高順は、自分の強さを確かめるべく中華の世へと足を踏み出し―――そしてあらゆる地域を旅をして現在に至る。

 

 

「……駄目だね。やはりキミ達はボクに強さを教えてはくれなかった」

 

 僅かな失望とともに呟かれた言葉は一際強い突風が浚っていき、地面に突き刺していた鞘に剣を納めようとした刹那。

 

「凄いな、お前。久しぶり(・・・・)に見たな、その舞を」

「―――っ」

 

 叫び声を噛み殺し、高順はその場から瞬時に飛びのいた。

 大幅に距離を取り、振り返ってみれば何時の間にいたのか、血の海から少し離れた場所に一人の少年が佇んでいる。高順と同じ黒髪に、頭一つ高い身長。そして、その体格には似つかわしくない長大な矛を背負っている。旅装束なのを見ると、涼州へと向かう旅人なのだろうが、問題は高順でさえも声を掛けられるまでその存在に気づかなかったということだ。久しく感じていなかった緊張感に、高順は何時の間にか乾いていた唇を舐めて濡らす。

 何故かわからない。だが、目の前に突如として現れたこの少年ならば、自分に強さというものを教えてくれるのではないか、という漠然とした予感に襲われた。喜びとも恐怖とも知れない感情が荒れ狂い、自然と口角が緩んでいく。

 

 

「ボクは高族の順。キミは?」

 

 高族、と名乗った高順の発言に、黒髪の少年はぴくりっと眉を僅かに動かす。

 そして、自分はやはりどこまでも彼女(・・)と縁があるのだと不可思議な運命を感じざるを得なかった。

 呆れたように、懐かしむように、少年―――李信は、複雑な感情を乗せて高順へと名乗りを返す。

 

 

「姓は李。名は信―――初めまして、だな。蚩尤の一族」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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