真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第10話:李信、涼州へ

 

 

「ほっほっほ。しかし、御嬢様……一介の小僧っ子に将軍位とは随分と大盤振る舞いでございますな」

「そうですわね。私もそう思っていましたが、李信さん……その名を覚えていても損はなさそうですわ」

 

 大通りを埋め尽くす人垣が自然と割れていくことに満足感を覚えながら歩いていく麗羽の背後にいた沮授が、突如としてそう切り出した。主の度量の大きさは知ってはいるが、幾らなんでも先程の勧誘は不自然に過ぎる。

 好敵手として、友として見ている曹操孟徳の知り合い故に自分の陣営に引き込みたいと考えたのでは、と憶測するが彼としてはいまいち納得がいかなかった。如何に強大な力を持つ袁家だとしても名も無き一介の者に将軍職を与えるなど有り得る事ではない。いや、多くの優秀な者を抱える袁家だからこそ、上に立つ者には並々ならぬ才覚を必要とする。

 もっとも相手が最近噂になっている李信永政なる人物であれば麗羽の勧誘にも納得が行くが、沮授はその名前を主の耳に届けた覚えは無かった。しかし、主の対応から見て彼女が前々から李信の名を知っていたのは明らかである。しかも、彼女の―――私もそう思っていた、という発言。

 となれば、当然麗羽に李信について話をした人物がいる筈だ。

 

 そう考えた沮授は、己の横を歩く若い青年にちらりと視線を向けると、その視線に気づいた田豊は特に表情を変えることなく小さく頷く。

 

「お主だったか、田豊よ。李永政を此方に引き込むように御嬢様に進言したのは」

「はい。つい先日に姫に話を通したばかりです」

「時期尚早だったと思うが。案の定、拒否するようだったぞ」

「……まさかこれほど早く機会が巡ってくるとは私も予想外でした」

 

 沮授の厳しい言葉に田豊は、自分でも失敗をしたと理解しているのかやや困ったように頬を掻く。

 外見雰囲気が冷たい印象を与える彼もこのような仕草をするのだと、沮授は意外なものを見たと厳しかった視線を緩めた。

 

「して、噂の李永政なる人物をどう見る? 将軍職を持って迎え入れるに値する人物か?」

 

 緩んだ空気を引き締めるように沮授が言葉を硬く強く、田豊に問い掛ける。

 その質問を受けて考え込むこと数秒。蜥蜴のような雰囲気の青年は、沮授にも負けないほどの力を込めた言葉を口から紡ぐ。

 

「条件を些か変更しなければなりません」

「……ほぅ?」

「将軍職に五百万銭を用意してでも此方に引き込むべきかと」

 

 田豊の発言にギョっと目を見開いた沮授だったが、それも一瞬のことでしかなく、己の白髭を撫でながら好々爺然とした笑みを浮かべた。

 

「五百万銭とはまた随分と高い評価をしたものだな、田豊よ」

「噂話だけでは判断はつきかねませんでしたが、一目見て確信を得ました。アレは敵に回すべきではありません」

「……ふむぅ」

 

 将軍職だけでも過分だというのに、五百万銭も用立てるというまさに破格の待遇の提示を聞けば、誰もが驚き理解に苦しむに違いない。未だ十五、六の小僧をそこまでして自分たちの陣営に引き込む、他の者達からすれば正気の沙汰を疑う筈だ。

 しかも、五百万銭という金額を口に出したことにも意味がある。それはかつてとある人物が司徒の地位に就く為に必要とした金額だ。つまりそれは、李信にはかの三公に匹敵する価値があるという意味に他ならない。

 

「はてさて、沮授殿は反対をされますか?」

 

 どこか試すかのような田豊の物言いに、沮授は深く静かな笑みを零しながらゆっくりと首を横に振った。

 

「いいや、わしもそれには賛同せねばなるまい。あれほどの怪物を見たのは二度目故に動揺を表に出さずに済んだが……」

「……そうですね」

 

 沮授と田豊は同時に背後を振り向けば、その先には眠たげに目を瞬かせている張郃がいた。

 二人の視線に貫かれた彼女は、話を聞いていなかったのか欠伸を噛み殺しながら首を傾げる。

 

「なに見てるんっすかー、二人とも?」

「……いや。お主の目から見て、どうであったか?」

「李信って子のことっすかね?」

「うむ、そうだ」

 

 沮授の問い掛けに、張郃は両腕を組んで考え込むように空を見上げた。

 

「化け物っすねー。そこそこ戦場は渡り歩いたつもりっすけど、ありゃ別格っすよ。あと数年もすれば、天下無双を名乗っても誰からも異論は出ないんじゃないっすか」

 

 袁家でも一、二を争う実力の武官である張郃の評価に沮授と田豊の二人は驚くでもなく、なるほど、と静かに呟く。 

 彼らは文官である。文官と言っても、袁家の支柱として名高い二人は、数多の人間を見てきた為、その経験上才ある存在には鼻が利く。だが、やはり武官と文官という畑違いは否定出来なく、細かな力量までは読み取ることができないのは当然だ。そういった意味で専門である張郃に意見を求めたのだが、彼女の評価に驚かなかったのは、単純に李信ならばそれくらいになるであろうと予想がついてしまったからだ。

 

「ふむ……つまり数年以内(・・・・)ならば、お主なら勝てるということか?」

「まぁー、本音を言えばあまり殺り合いたくない相手っすけどねぇ。十中八九勝てるとは思うっすよー」

 

 李信という規格外の化け物を目にしていながら、張郃は平然と言い切った。

 己の力量を過小評価も過大評価もしない張郃儁乂が、自分と相手の力量差を確認し、認識した結果が彼女の口からでた言葉だった。そして、その判断は限りなく正確である。

 

「ただ、あの子はまだまだ成長途中なんっすよねー。見た感じ伸び代も切れることが無い化け物っすから、余裕を見て数年。下手をしたら二、三年以内にはうちの手には負えなくなるかもしれないっすけどね」

 

 現状でも戦えば腕一本は持っていかれる可能性高いっすねー、と眠たげな表情そのままで笑う張郃の台詞に、逆に笑えないのは文官の二人である。袁家最強にして最高の武官の評価に、改めて李信の恐ろしさと強さを確信。

 

 最悪敵に回った場合、張郃に対処して貰うしか手段はないのだが―――まかり間違えば、袁家の支柱であり武の四柱に数えられる彼女を失う結果にもなりかねない。数多くの人材を抱えている袁家ではあるが、流石に張郃級の武官を失うのは大きな痛手だ。やはり何としてでも袁家に引き込むべきだという思いをより一層強くする。

 

「ただ、あくまでも一対一の話っすよー? いざ敵対したとしても、顔良と文醜、菊義と高覧に援護して貰いつつ、うちの自慢の直属兵に包囲させて、審配と逢記に指揮させれば押し潰せると思うっすよ」

 

 李信一人を倒すために、袁家の怪物達を総動員する。

 普通ならば断じて有り得ないことだ。そこには一対一だとか正々堂々などという概念は存在しない。明確で、確実な方法を取る張郃は、武人でありながらも冷徹なまでの現実主義者であった。戦場において一騎打ちこそが、戦の華。そう考える武人が多い中で、彼女の考えは少数派だ。しかしながら、だからこそ彼女は、張郃儁乂は強いと言える。敵は殺せるときに殺す。隙があれば、そこを突く。如何なる手段を用いてでも殺す。如何に効率的に、合理的に殺せるか。眠たげな姿を見せる彼女であるが、その本質は遊びも無く、油断も無く獲物を仕留める狩人であった。

 

 自分があげた者達でかかれば相当な被害を受けるだろうが、李信を討てるのであれば高い買い物にはならない筈と考える根が武人である張郃とは異なり、沮授と田豊はたった一人の敵を相手にそこまでしなければならない状況を改めて省みると、背筋が粟立つのを抑え切れなかった。

 

「まぁー、あんまり気にしないほうがいいっすよ。これは勘っすけど、当分はあの子と敵対することはなさそうっすからねー」

 

 にへらっと笑った張郃は、二人の背中を軽くぱしんっと叩くと足取りも軽やかに前を行く麗羽の後を追った。

 勘、などというあやふやなものを信じるわけではないが、あの張郃がそう言うのなら軽視すべき情報にはならない。戦場で生まれ、戦場で育ち、戦場で生き抜いた生粋のいくさ人。そんな彼女の第六感は、文官二人には理解できないものの、不思議と説得力があった。

 

「麗羽様ー、どこに行ってたんですか?」

「姫ってば、時間が結構ぎりぎりになってますって」

 

 そんな三人の会話に割って入るように、二人の少女が若干慌てて人波の中から駆け寄ってくる。

 一人は、穏やかな表情で黒髪のおかっぱ頭の少女。もう一人は、快活な笑顔を浮かべ、頭に布を巻いた短い髪の少女。そのどちらともが麗羽よりも僅かに年上か同じくらいの年齢に見えた。だが、未だ幼い身でありながらその実力の高さは、佇まいだけで覚ることが可能な筈だ。無論張郃には及ばずとも、あと数年もすれば袁家にとってなくてはならない人材になると、沮授と田豊は推測していた。

 

「斗詩さんに猪々子さん。ご迷惑をおかけしましたわ」

 

 二人が心底自分を心配していることがわかっているからか、一応の謝罪を口に出す麗羽ではあったが、反省している様子は全く見せない姿に、斗詩と猪々子―――即ち顔良と文醜という名の袁家において近い将来武の四柱に含められるであろう若き天才達は疲れたように溜息を吐いた。

 

「全く……絶対に時間は厳守するって言ったのは、姫なんだしさぁー」

 

 ぶつぶつと文句を口に出す猪々子を、まぁまぁと宥める顔良であったが、どこか不安そうな色を視線に乗せて躊躇いがちに口を開いた。

 

「その……麗羽様。本当に宜しいのですか?」

「何のことですか、斗詩さん?」

「……ええっと。趙忠様のお誘いを無視して、他の方の屋敷を訪問するというのも、少し拙いのではないでしょうか?」

「何のことかと思えばそんなことですの」

 

 本当にどうでもいいと考えているのか、呆れた様子で嘆息する麗羽に、肝を冷やすのは斗詩である。

 宮中を支配する十常侍が筆頭の一人である趙忠の誘いを無視するなど本来であれば認められないことだ。下手をしなくても無実の罪を着せられて官職を追われることになるのは目に見えている。だが、如何に趙忠といえど、袁紹本初という袁家の当主を罷免することは難しい。趙忠も圧倒的な権力を有しているとはいえ、袁家を敵に回すのは無謀としか言えないというのが現状の為―――今回の誘いは麗羽を自分達の派閥に組み込むことを目的としているのは想像に容易い。

 それを辞謝して、他の者からの招きに応じる。しかもその相手は、趙忠の毛嫌いする人物。

 

「折角の曹騰殿からのお誘いですもの。趙忠さんとは比べるまでもありませんわ」

 

 おーっほっほっほ、と嬉しそうに笑う麗羽の台詞に、顔良は言葉を失った。

 曹騰とは、一昔前まで宮中で辣腕を振るっていた宦官である。簡単に言ってしまえば、華琳の祖父のことなのだが、実はその名は中華全土に広まっている有名な宦官であった。安帝、順帝、冲帝、質帝の四帝に仕え、宮中にて三十余年の日々を過ごし、去った現在でも多くの者達に慕われている有能にして実直な人物。

 

 現在は、完全に引退して洛陽にある屋敷にて隠居しているのだが、未だに彼の下を訪れる者は数多い。

 その曹騰が、孫である華琳との話題にあがった麗羽に、何時も孫が世話になっている礼の意味を込めて屋敷に招いたのだ。そのことに喜びも露にしたのが麗羽であった。曹騰の残した逸話を幾つも聞いていた彼女は、半ば尊敬の念を抱いていた為だ。

 それ故に、麗羽は趙忠の誘いを断り、現在こうして華琳の住んでいる屋敷に向かっているところであった。

 

 生憎と趙忠にとっては、曹騰は邪魔者だったこともあり、半端ではない敵愾心を向けている。

 自分の誘いを拒否して、その曹騰の屋敷に向かうというのが耳に入れば、趙忠は激しく怒り狂うだろう。

 まずいことになるかなぁ、と頭が痛くなる斗詩ではあったが、現状を作り出した張本人である麗羽はすこぶる上機嫌で歩んでいく。それを見た黒髪の少女は、苦笑して己の主の背中を追うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「李信。涼州へ向かえ」

「……おい、いきなり過ぎるぞ」

 

 昼食を終え、張譲の執務室へと帰ってきた李信を迎えた第一声がそれであった。

 あまりにも唐突な台詞に目を白黒とさせた李信へと、張譲は薄い胸を張りながら答えを返す。

 

「異民族の侵入に手を焼いている地域の一つだ。そこの刺史と渡りがついたが、最近は随分と襲撃が多いとのことだ。人手は幾らあっても足りないと泣き付かれたがな」

「……お、遂にか」

 

 珍しく喜色を露にした李信だったが、ようするに漸く用意されたということだ。

 李信永政が本来居る場所。望んだ世界。即ち、生死を賭けて争う戦場が。

 

「ただし、お前に部下はつけられない。涼州へと向かうのはお前だけになるが、異論はないか?」

「いや、構わんぜ。むしろ、つけられても困る」

 

 戦も経験したことがなく、ぬくぬくと洛陽で育った兵士など全く役に立ちはしない。

 言葉に出したとおり、邪魔になるのは目に見えていた。それに下手に兵を付ければその中に、趙忠の手の者が紛れ込まないとは限らない。それを考えれば、李信一人の方が身軽に対応できる。

  

 張譲の私兵を供にするという手段も考えられるが、李信と一緒に涼州へと赴けばその分、彼女の身辺の警護が甘くなる。ただでさえ李信が洛陽を離れるのだ。万が一の事態を考えれば、兵士を減らすわけにはいかない。

 

 それを認識していた李信は、だからこそ一切の不満を見せはしなかった。

 そんな彼へと張譲は、手に持っていた竹簡を放り投げる。

 放物線を描いて手の中に納まったそれと、張譲を順番に見比べながら李信は素直に疑問を口に出す。

 

「なんだこの竹簡は?」

「涼州刺史へ渡しておけ。相手にされなかったならば、この張譲の名前を使え。さすれば大抵の無茶も通る筈だ」

「……わかった。涼州に着いたら渡しておけばいいんだな?」

「ああ。一応は話は通してあるが、末端の者にまで行き渡っているかはわからん。その点は気をつけろ」 

 

 淡々と、だがどこか寂寥を滲ませている張譲だったが、ふぅっと嘆息すると椅子に深々と倒れこむようにして身体を沈ませる。

 

「お前のことだ、今すぐにでも出立するつもりなんだろう?」

「ああ。良く分かってるな、流石は張譲」

 

 嬉しそうに、一切の曇りのない笑顔を見せる李信が少しばかり憎らしい。

 自分がこんなにも、もどかしく思っているというのに、肝心の彼は既に心ここにあらずといった様子なのだ。

 可愛さあまって憎さ百倍。とりあえずその顔面を一度引っぱたきたくなる衝動を必至に抑えながら張譲は平常心を保つように心がける。

 

「出立の前に、私の屋敷へ寄って行け。既に旅の用意をさせている。それに、お前が前々から欲していた例の武器―――用意しておいたぞ」

「おっと、出来たのか。感謝するぜ、張譲」

「別に構わんよ。しかし、あんな武器を扱えるのか、お前は? どう見てもお前の体格で扱えるとは思えん代物だが」

「涼州までの道すがら、使いこなせるようにはしておくさ」

「そうか。お前がそう言うならば、出来るんだろう。くれぐれも無駄にはするなよ?」

 

 ああ、と短い返答をして李信は背を向けると、ひらひらと片手をあげる。

 

「じゃあ、ちょっと行って来る」

「ああ。行って来い。息災でな」

「お前こそ。次会うときは墓の下とかだったら笑えんぜ」

「ぬかせ。お前こそ戦場であっさりと散ってくれるなよ?」

 

 互いに皮肉な言葉を贈りながら、それが両者の別れの言葉となった。

 扉を閉めて去っていった李信へと、張譲は普段ならば絶対に見せることのない愛情を込めた優しげな視線で見送っていた。

 やがて数分もそうしていた張譲であったが、どこか疲れたように天井を見上げる。

 ここ数年常に一緒にいた李信が傍から離れたことに、まるで半身をもぎ取られたかのような寂しさを覚えた。だが、これは李信が望んだことであり、己が認めたことだ。元々は戦場を用意してやると言ったのは彼女の方だ。今更それを後悔するなど愚かにも程がある。

 

 それに、張譲はある種の確信を抱いていた。それは、李信が近い将来に洛陽に戻ってくるという未来予知にも似た確信だ。

 これから彼が生きるのは戦場。強き者でもどんな些細なことで命を落とすか分からない。しかし張譲は、李信は絶対にそうならないと信じていた。必ずや、その名を轟かし、再び自分の下へ戻ってくるだろうと信じて疑わなかった。

  

 

「……李信。次にお前と会う時を楽しみにしているぞ」

 

 

 部屋に響く張譲の独白。

 しかし、彼女の独白はどこまでも空虚に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 李信永政。

 後の世にて、天下無双の飛将軍と称されることになる彼の歴史。

 その第一歩は、動乱の地涼州から始まる。

 

 

 

 

 

 

 




少し最後は急ぎでしたが、とりあえず洛陽編は終了です。
次回からは涼州編。誰が登場するかは、上手い事予想してください……わかりそうですが。

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