神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
* 4 *
――いったいどうなってやがんだかな。
警備犬ドールを撃退した後、克樹の持っているシンシアのアクティブソナーで上への階段を確認し、三階に上がってからずいぶん経っていた。
廊下の様子は二階と変わりない。
地味な色合いの赤い絨毯が敷かれ、平泉夫人の屋敷のような煉瓦ではなく、控えめの色合いながら品の良い模様が描かれた壁紙を貼りつけた壁が続き、等間隔に並んだ大きく取られた窓と、時折鍵がかけられた扉があるだけだった。
次の仕掛けがないかと警戒しながらの歩みは決して早くないが、それにしても屋敷のサイズが数十倍になっていそうだと、猛臣は心の中で悪態を吐いていた。
克樹の持つリーリエという人工個性の言葉が確かなのはわかったが、それにしてもスケールが違いすぎるように思える。
――しかし、なんで俺様がこんな奴らと一緒にされなくちゃならないんだ。
門の前で出会ってからもう何度思ったかもわからないことを思い、眉を顰める。
確かに克樹とは戦って引き分け、それなりに情報交換を行っているが、仲間というわけではない。いつか再戦をするつもりだし、そのときは絶対に負けないよう準備もしていた。
シンシアのソナーや近藤、灯理の意外な強さには助けられているが、アライズがひとり一回というルールはおそらくこの人数だから付加されたもの。
ひとりで来ていてアライズに制限がなければ、いままでの障害など難なくクリアできたのではないかとも思えていた。
――それに……。
一番最後を歩く猛臣は、一番前に並んで歩いている克樹と夏姫の背中を睨みつける。
ただひとりスマートギアを被っていない夏姫は、周囲を見回し警戒しながらも、時折克樹に視線をやっている。
克樹は克樹で、スマートギアを被っているのだからそのままでも見えているはずなのに、気に掛けるように夏姫に顔を向けたりしていた。
ふたりの関係は、平泉夫人の屋敷での様子でもそうした雰囲気はあったが、もう隠す必要のないくらい接近していた。
「ちっ」
まともな出会い方をしていなかったのだから、まともな関係が築けるとは思えなかったが、それでも気になった女が他の男と仲良くしているのは気に食わなくて、猛臣は近くにいる近藤や灯理には聞こえないよう小さく舌打ちしていた。
「しかし、次のアトラクションは遅いな」
無言で歩くことに気が滅入ってきて、猛臣はそう声をかける。
迷路、メイドドール、警備犬ドールは現れるまでさほど時間はかからなかったのに、今回は二〇分以上、一キロ近く歩いているが、まだ何も起こっていない。
もう仕掛けはなく、このまま四階の階段にたどり着いて最上階に到着してしまうのかもしれないと思うが、いまも克樹が手に持ってアクティブソナーを使い続けているシンシアからの情報では、百メートル先には階段はない。
人を焦らすような性格をしていない天堂翔機だから、猛臣はいまが次の仕掛けの準備時間だろうと読んでいた。
「確かにね。あと三〇〇メートル進んで、何もないようだったら扉をこじ開けてみよう」
「そんなことしなくてもたぶん、あちらから何か仕掛けてくると思うけどな」
立ち止まって宣言する克樹に猛臣はそう言って、黒いヘルメット型スマートギアで前方だけでなく後方の視界も確認した。
「ん?」
変化に気づいたのは後方。
霧もないのに霞んで見えなくなっている、いままで歩いてきた廊下の先に、何かが見え始めているような気がした。
「なんだろ、あれ」
「どうしたんだ?」
「ちょっと待ってください。拡大してみましょう」
「リーリエ、センサーでわかるか?」
『すぐ調べるね』
立ち止まって振り返った猛臣に気づいて、克樹たちも立ち止まり後ろに現れた物体を確認する。
猛臣もスマートギアのカメラで廊下を蓋しているようにも見える物体を拡大し、よく見てみる。
「……ありゃあ」
「ダメです……」
「ど、どうしたの?」
「リ、リーリエ!」
『速度は遅いけど、加速してる。あれ、ローラーだよ!』
「走れ!」
猛臣の声に、一斉に走り始める。
後ろから現れたのは、廊下をほぼ隙間なく転がってくるローラー。
詳細に観測してみると、微かに傾斜している廊下を、ローラーは徐々に加速しながら接近してきている。
映画などでダンジョンに入ると巨大な岩の塊が転がってくるような仕掛けがあったりするが、まさにそれが、いま廊下を転がってきていた。
「克樹! 階段は?!」
「少なくとも二〇〇メートル先まではない!」
「ちっ!」
走ったことでローラーとの距離は大きくなったが、スマートギアの映像を携帯端末で解析してみた結果、おそらく一キロ前後先で追いつかれることになると出た。
「このままじゃ追いつかれるぞ!」
「わかってる。でもっ」
ジムでそれなりに鍛えている猛臣はまだ余裕だが、早速克樹と灯理の息が上がり始めている。ふたりは一キロどころかその半分もいかないうちにローラーに押しつぶされることになるだろうことは予想できた。
――どうする?
こうした障害は体力がなくなる前、もしかしたらあるかも知れない突き当たりが見えてくる前に対処するのが一番だった。対処が遅れた場合の結末は見えている。
「近藤!」
「試してみるっ」
克樹が名を呼ぶと、内容も言わないのに近藤が足を速めて独走し、少し距離が離れた場所にある扉に取りついた。
「ダメだ!」
ノブをつかんで動かしてみるが、扉は開かない。
手甲をつけた拳を叩きつけてみても、壊れる様子もない。
ローラーはそのままローラーで、映画などに出てくる球体ではなく、横にした円柱。
廊下の隅に寝転がって逃れるという手段も使えない。
傾斜の角度とローラーの加速度から計算したローラーの重量は、エリキシルドールでも止め得るものではない。
他の四人も感じていることだろうが、猛臣は自分の窮地を知った。
――何が死ぬことはないだろう、だ!
敷地に入るときに送られてきたメールの内容を思い出し、猛臣は声に出さずに毒吐く。
推測されるローラーの重量は、運が良ければ瀕死で済むかも知れないが、ほぼ間違いなく死亡するだろうほどに大きい。
空間と同じくローラーも不思議な状態にあるかも知れなかったが、死と隣り合わせの状況でそれを試してみる気にはなれなかった。
息を切らせながら走っている克樹は、まだ考えている途中のようだった。
早くを息が上がっている灯理は、脚の動きがおぼつかなくなってきてもうそれほど走ることはできないだろう。
形が見えていただけのローラーは、いまははっきりと近づいてきているのが見えるほどになっている。
――俺様がやるしかない、か。
そう考えた猛臣は、すぐさま周囲を見、これまでの状況を思い出し、結論を出す。
「中里灯理! お前のドールの武器をできるだけ寄越せ!」
「え? 武器、ですか?!」
「そうだ。止められるかどうかはわからないが、時間は稼ぐ。すぐに渡せっ。終わったら全部買い直してやるからよ!」
「わ、わかりました」
立ち止まった灯理は、ローラーを気にしながらも鞄に手を入れ、おそらく予備だったのだろう、剣やナイフといった武器を差してある細い帯のようなものを取り出し、突き出してきた。
「よし、ちょうどいい感じだ」
受け取ってイシュタルを取り出した猛臣は、武器を差した帯を巻きつけた。
そして願いを込め、唱える。
「アライズ!」
帯ともにエリキシルドールとなったイシュタルを操作し、ナイフを二本抜かせた。
「何するつもりだ?」
「いいからてめぇらは先に走ってろ」
立ち止まっている克樹たちにそう声をかけ、走り出したのを確認した猛臣はナイフを投げて左右の壁に突き刺した。
ドールと一緒に動くことができない猛臣は、追加した武器によっていつもより重くなっているイシュタルを抱え上げ、克樹たちを追う。
背面視界で確認すると、ナイフの刺さった位置に到達したローラーは、それを吹き飛ばして進んでくる。
「よし!」
しかし猛臣は手応えを感じて声を上げる。
計測データから、ナイフに妨害されたローラーは、わずかながら速度を低下させたのが観測されていた。
立ち止まってさらにナイフを壁に突き刺し、またしばらく走ってナイフを突き刺し、ローラーの減速を試みる。ナイフが尽きた後は短刀を使う。
有限の武器を無駄にはできない。
減速できても止められなければいつか追いつかれる。
廊下に果てがあるなら、そのときは押しつぶされることになる。
短刀を吹き飛ばしたローラーは、目に見えるほどに減速していた。
「これならいけるっ」
残った武器はもう少ない。
それでも猛臣は、どうにかローラーが止められそうだと感じていた。
だがその希望は撃ち砕かれる。
『三〇〇メートル先、壁だよ!』
リーリエの声が響き、振り返って見ると確かに遠く、微かに壁が見えた。途中に階段はない。
「くそっ!」
剣を二本、壁に深く突き立てた猛臣は走り、早くも壁にたどり着いた克樹たちと合流する。
すぐ横に扉はあったが、ローラーも目前に迫ってきている。
「止まれーーーーっ!!」
イシュタルを剣を刺したところまで前進させた猛臣は、最後に残った両手剣を床に突き立てた。
直後に、廊下をほぼ隙間なく埋めているローラーが、左右の剣と、イシュタルの両手剣に接触する。
回転を続けるローラーと刃が火花を散らす。
左右の剣は早々に弾き飛ばされ、突き立てた剣で床に裂け目をつくり後退しながらも、イシュタルはローラーに立ち塞がっている。
重量のためかローラーは剣に乗り上げることはなく、下敷きになりそうになるのを両脚と剣で踏ん張らせ、奥歯を噛みしめる猛臣はイシュタルに堪えさせた。
「……止まった?」
突き当たりの壁まであと一〇メートルもないところまで来て、ローラーは両手剣によって縫い止められていた。
「まだだ! 重すぎてこのままじゃ止めたままにはできない。さっさと部屋に入るぞ」
座り込みそうになる克樹たちを叱咤し、猛臣は行き止まりの脇にある両開きの扉の前に立った。
イシュタルが両手剣から手を離すと、床からミシミシという音が微かにしている。何故床が抜けないのか不思議なくらいの重量のローラーが、楔となっている両手剣を押している。
もうこれ以上突き立てる武器はなく、新たに武器なりを突き立てるものを得るためには別のドールをアライズさせなければならない。
時間にもドールにも余裕はなかった。
「どうするんだ? 槙島。オレでも扉は壊せないんだが……。武器ももうないだろ?」
「武器ならここにある」
言って猛臣はイシュタルに指を揃えた右手を掲げさせ、近藤に見せる。
エリキシルドールの金属アーマーをも貫くイシュタルの手刀は、剣のようなものでなくても、充分に武器だ。
より大きなきしみが聞こえ、眉を顰めた猛臣は急ぎイシュタルを操作して手刀でノブの回りをえぐり取った。
「飛び込め!」
扉を蹴り開けイシュタルの腰に腕を回して飛び込んだ猛臣を最初に、克樹たちが部屋に駆け込んでくる。
全員が入ったのを確認したかのようなタイミングで、めきめきという音とともに両手剣を床に埋め込んだらしいローラーが、ゆっくりと扉を塞いで行き止まりに激突した。
「助かった、ね」
「うん……。割と間一髪だった」
へたり込んでる夏姫が言い、かろうじて立っている克樹がそれに答える。
絨毯が敷かれた床に寝転がってしまっている近藤と、壁にもたれかかっている灯理は言葉もないようだった。
『ふぅー。冷や冷やしたぁ。さーすが、猛臣だね!』
「はっ。この程度のこと、たいしたことでもないさ」
人工個性のリーリエだけがくれる賞賛の言葉に鼻を鳴らしながら、震えそうになる膝に力を込めて猛臣は立っていた。
*
もう残り少ないペットボトルの飲み物をみんなで分けてひと息吐き、少し落ち着いた僕たちは周囲をじっくりと観察する。
奥手に外が見える窓がある他は、何もない。
行き止まりの部屋だから外に面してるはずなのに、右側には窓もない。逆の左側も、白い壁があるだけで何もない。
ローラーによって閉じ込められてる僕たちは外にも出られないわけで、この部屋には階段もないから、四階に上がる手段もない。
シンシアのソナーで壁をチェックしてみたけど、隠し扉の類いがありそうな気配はなかった。
「どうするの? 閉じ込めて壁でも壊すしかないってシチュエーション?」
「迷路のときのように、壁を壊して進むのが一番楽な解決方法という感じなのでしょうか?」
「あとアライズできるのは浜咲と克樹だけだろ。壁は……、時間をかければオレでも穴を開けられないことはないかも知れないからな。ここではあんまりアライズを使いたくないな」
一難去って緊張が緩んだんだろう、夏姫と灯理と近藤が話してるのを、僕は無言で見つめていた。
ローラーを止めるためにかなり運動させたのが悪かったんだろう、休憩してる間にアライズが解けてしまったイシュタルを回収し、鞄に収めてる猛臣を見てみる。
たぶん、僕と同じ考えなんだろう。何も言ってこないものの、微妙に難しい顔をしていた。
――この状況は、そろそろイヤだな。
安心に浸っている夏姫たちには言わないが、僕はそう思っていた。
どの仕掛けも、全部天堂翔機がつくったアトラクションだ。奴が楽しむための遊びだ。
これはエリキシルバトルじゃない。
いくら呼び出され、多人数で挑んでいるからと言って、天堂翔機の言いなりに障害に立ち向かっていくのは気分が悪い。
エリキシルバトルに戦闘方法に関するルールはないし、猛臣が金の力で戦っていたように、いままでのアトラクションもモルガーナが認めるならエリキシルバトルなんだろう。
だけどもう、僕はいまの状況に嫌気が差していた。
『たぶん違うと思うよ? この部屋に、何か仕掛けがあるんじゃないかなぁ』
不吉だから僕は、そしてたぶん猛臣も言わなかった言葉を、僕のスマートギアのスピーカーからリーリエが言った。
「こんな何もない部屋でどんな仕掛けがあるって言うの? リーリエ」
『んー。たぶんだけど、こういうの好きなんじゃないかな? 定番の仕掛けだと思うよ』
僕と思いを同じくしてる様子の猛臣が、同じように悲しいような、辛いような表情で固まる。
「そういうこと言うと本当になったりするだろ。やめておけよ」
「そういうものなのですか? ですがここにはやはり何も――」
近藤の言葉に灯理が応えている途中で、どこからかガコンッ、という大きな音がした。
小さくなったものの音は止まらず、重々しい音が連続でしている。
何の音かは室内からじゃわからないが、強いて想像するなら、大きな歯車と歯車がかみ合って回転しているような音。
真っ先に天井を見上げた僕は、繊細な細工が施されたそこに何の変化もないのを確認する。
次に見た左手の壁にも、変化は見られない。
……いや、あった。
一番左の窓と左の壁までの距離が、縮まっていた。
左の壁がゆっくりとだけど、僕たちに迫っていた。
変化に気づいた僕たちは一斉に右の壁に走った。
いまの速度のままなら、壁が僕たちを押しつぶすまで一〇分以上の時間がかかる。
でも逃げ道はない。
入ってきた扉はローラーで塞がれ、部屋には階段もない。
ひとり窓に走った近藤は拳を窓に叩きつけるが、割れない。ただの窓ガラスにしか見えないのに、金属質の音を立てて弾かれる。
次に走ったのは迫ってきている壁。
「ダメだ、オレじゃ壊せない」
ただの壁にしか見えないのに、近藤の拳でヘコみすらつくれない。
たぶんこれは、エリキシルドールを使って壁を壊すか、止めるかしかないってことなんだろう。
――もうなんか、イヤだ。
そう思った僕は、大きくため息を吐く。
「ここはアタシが!」
「……いや、やめよう」
「やめるって、ここでギブアップでもするつもり?!」
「違う」
鞄から取り出したヒルデをいままさにアライズさせようとしている夏姫を押しとどめて、僕はアリシアを出して床に立たせる。
「克樹がアライズ使って言うの?」
「それも違う。えぇっと、説明するよりやった方が早い。夏姫、ヒルデをアリシアの前に立たせて、手を握り合わせてくれ。シンシアとやってるときみたいに」
「え? うん。いいけど……」
わかっていない様子の夏姫は、言われた通りにヒルデを床に立たせて、リーリエのコントロールで伸ばしてるアリシアの両手と握り合わせる。
「何をするつもりだ? 克樹」
「……できるのですか? こんなこと」
「まさか、てめぇ……」
近藤もわかっていないらしいが、灯理と猛臣は半信半疑ながらも僕の意図に気づいたらしい。
「たぶん、できると思う。もうなんか、全部イヤになったからね。夏姫、そのままアライズしてくれ」
「うん……、わかった」
わかってはいるようだが、心配そうにしている夏姫に笑いかけて、僕はアリシアとヒルデの側から少し離れる。
徐々に迫りつつあり、ひとつ目の窓を隠し始めた壁を一瞬見た後、大きく息を吸い、目を閉じた夏姫は、目を見開いてから唱えた。
「アライズ!」
無事に光に包まれたアリシアとヒルデ。
弾けた光の中から現れたのは、思った通りエリキシルドールに変身した一五〇センチのヒルデと、一二〇センチのアリシア。
「全員壁の方に。ヒルデも下げるんだ。リーリエ、わかってるな?」
『うぅーん。大丈夫かなぁ』
「やってみるしかない。部屋の真ん中で四つん這いになるんだ」
『わかったぁ』
夏姫以上に不安そうな声を上げるリーリエだけど、僕の指示に従って部屋の真ん中辺りでアリシアを四つん這いにさせる。
フレイとフレイヤのデュオアライズを見て以来、可能性だけなら考えていた。
試すタイミングも、試して大丈夫な場所もなかったからやったことはなかったけど、たぶんできる。
できてしまう。
スフィアコアが引き起こす奇跡は、そういうもののはずだから。
「いくぞ、リーリエ」
エリキシルバトルアプリを立ち上げた僕は、スマートギアの視界に現れた音声入力待ちの表示を見ながら、自分の願いを込めて唱える。
「アライズ!」
小柄な、小学生くらいの女の子程度の身長のアリシアが、再び光に包まれた。
これまでで一番強い光。
強い光の影響を最小限にできるはずの、スマートギアのダンパー機能でもどうにもならないほどの光が放たれ、僕は目を開けていられなくなった。
少しして目を開けると、そこにいたのは四つん這いで、水色のツインテールを床に垂らしている女の子。
ただし、その身長は推定七メートル二〇センチ。
ヒルデのアライズによってエリキシルドールとなったアリシアを、さらにアライズさせるダブルアライズによって、アリシアはいま巨人と言ってもいいサイズ、ジャイアントエリキシルドールとなっていた。
『うわっ、狭い! あ、おにぃちゃんがちっこい。すごい! おもしろいよ、これ!!』
声は僕のスマートギアから出てるからいつもと変わらないが、リーリエの声とともに動くアリシアを見ると、何だか自分が小さくなったような錯覚を覚える。
「……こんなこと、できるのか」
「でかいな」
「ど、どうすればいいの? これ」
「本当にできるのですね……」
唖然としてるみんなを見て、アリシアは笑ってる。
『あははっ。みんなも小さぁい。おもしろーい』
「そんなことよりリーリエ、あっちの壁を蹴飛ばせ!」
『うんっ、わかった!』
天井までの高さは三メートル近くあるが、それでもアリシアの背中が着きそうになってるように見える。
膝立ちも無理なら、立つなんてもっての外の状況で、リーリエはアリシアを操り、少し向きを変えて右足で迫ってきている壁を蹴飛ばした。
ズンッ、という音とともに、壁は元の位置まで戻る。
また動き出すかも知れないと思って見てても、何かが空転する音が微かに聞こえてくるだけで、動き出す様子はない。
『これで良し、っと。この後はどうするの? おにぃちゃん』
エリキシルバトルアプリの表示を見てみると、アライズ可能な時間は五分とない。
普通のアライズならバトルしてても一〇分くらいは保つはずなのに、やはりダブルアライズはエネルギー消費が大きいらしい。
――でもこれだけあれば充分。
「そのまま立ち上がれ、リーリエ」
『え? でも、天井壊れちゃうよ』
「構わない。いつまでも天堂翔機の遊びにはつき合っていられない。あっちがあっちのルールで僕たちを縛るって言うなら、僕たちはそのルールをぶっ壊すだけだ。天井を壊して四階に上がる。それでどうにもならないなら、屋敷を全部破壊して天堂翔機を引っ張り出す。やれ! リーリエ!!」
『わ、わかった』
左手を天井に当てたアリシアは、右足を身体に引き寄せてつま先を床につける。
まだ上半身は前屈みにしたままだけど、このまま身体を縦にすれば、おそらくエリキシルドールなら破壊可能な天井は、四階に繋がる穴が空く。
力加減を確かめるように、リーリエはアリシアで天井を押す。
上から埃が降ってくるけど、それも少しの間だけ。
『よし、行くよ! 破片に気をつけてね。せーのっ!』
『止めろ! 音山克樹!! そんなものに暴れられてはフェアリーランドを張ってあっても屋敷が壊れるわ! これでも想い入れのあるワシの家なのだ、壊してくれるな』
BGMすらなかった屋敷に、どこからともなく嗄れた声が響いた。
スピーカーでも仕込んでるんだろう、リーリエの動きを止めたのは、天堂翔機だ。
「そんなこと僕の知ったことじゃない。これ以上貴方の遊びにつき合っていられない。まだ続けるなら屋敷を瓦礫に変えてでも、貴方のエリキシルスフィアを奪いに行くだけだ」
『そんな強引な方法があるか! ちゃんとワシの指示通りに――』
「エリキシルバトルにそんなルールはない。貴方の指示に従う理由なんてない。もし屋敷を壊されたくないって言うなら、ここで貴方のゲームは終わりだ。僕たちはゲームをクリアする」
『ぐっ』
どこに設置してあるのかはわからないが、どうせカメラは天井辺りだろうと目星をつけて、僕は斜め上を見ながらそう宣言した。
言葉を詰まらせた天堂翔機は、そのまま何も言ってこなかった。
「リーリエ、やれ!」
『わかった! 前座は終わりだっ。階段を出す。そこでおとなしく待っとれ!』
そう言った瞬間に、動かなくなった左手の壁の一部が変化し、扉が現れた。
近づいて開けて見ると、その向こうにあったのは上り階段。
僕たちは、強引な手段ながらも、天堂翔機の仕掛け屋敷をクリアした。
●用語一覧
・スフィアドール
人工筋やフレーム、バッテリなどのパーツで構成される人型ないし獣型の遠隔操作ロボット。身長一二〇から一四〇センチ程度のエルフ、四〇から六〇のフェアリー、二〇センチ程度のピクシーの三つのサイズが規格化されている。
スフィアと呼ばれる制御装置が特徴で、その制御装置により以前のロボットでは不可能だった走る、跳ぶと言った動作だけでなく、戦うと言った行動が可能となった。無線ないし有線で、動作を細かく指定して動かすフルコントロール、コマンド指定で動かす蝉コントロール、AIなどのコントロールシステムで動かすフルコントロールの主に三種のどれかで運用される。
・スフィア
スフィアロボティクス社が開発・製造しているスフィアドール用制御装置。人の小脳のような機能を持ち、外部からの情報の入出力やスフィアドールの制御を行う。スフィアの登場によりモーターによるロボットは旧式化し、人型ロボットと言えばスフィアドールというほどになった。
スフィアの中核であるコアは鉱物結晶と思われる物質であるが、スフィアロボティクス以外では同等のものの開発や製造ができていない。
スフィアドールに組み込むパーツは必ずスフィアロボティクスに承認を得る必要があり、第五世代規格で外部機器が使用可能となり、第六世代では内蔵パーツの緩和が予告され、第七世代では人型ないし獣型に限定されていた形状の自由化が噂されている。
魔女モルガーナが深く関与して生み出されたと思われる物体。
・エルフドール
第五世代規格では標準身長一二〇センチのスフィアドール。各社の日進月歩の努力により、現在一四〇センチモデルまでが実用化されている。第六世代規格では使用パーツの緩和により、一五〇センチサイズが標準化され、ビジネスシーンや一般生活に普及していくと目されている。制御は主にフルオートが主流。
現在のところ安いものでも国産高級車程度の価格であるため、個人所有している人は少ない。音山彰次の家でメイドをしているアヤノはあくまでHPT社の開発機の実用テストとして運用されているだけである。
・フェアリードール
身長四十から六十センチ程度の、人型ないし獣型スフィアドールとして販売されている。完成品として大量生産されているものが多いため、スフィアドールの中では比較的安価で、制御はコンパクト化したフルコントロール、もしくはネットと接続して大規模フルオートシステムで行われる。
主にペットドールや動く人形としての用途で販売されているが、第六世代では大きなパワーの出せるパーツが使用可能となるため、警備業務の補助としての利用が期待されている。
・ピクシードール
身長二〇センチを標準とするスフィアドール。動く人形としての用途よりも大きいのは、ピクシードール同士を戦わせるピクシーバトル用としての用途。規格化されたパーツによりオリジナルのピクシードールを組み立てることができ、スフィアロボティクスによりピクシーバトルのローカルバトル大会が行われているため、一般向けでは一番熱いスフィアドールとなっている。
ちなみにエリキシルバトルにピクシードールが使われる理由はあまり明確にはなく、エルフドールでもフェアリードールでもアライズは可能である。ただしエルフドールは高価で、フェアリードールはパーツの自由度が少ないためにピクシードールが利用されているというのが大きい。
・フルコントロール、セミコントロール、フルオート
スフィアドールを制御する方式には主にフルコントロール、セミコントロール、フルオートの三種が存在する。
フルコントロールは専用アプリを使用してスフィアドールの動きを細かに制御するもの。セミコントロールは動作をコマンドベースで制御するもので、あらかじめコマンドを細部まで設定することによりフルコントロールと変わらない動きをさせることも可能。フルオートはAIなどのシステムにより制御するもので、フェアリードールやエルフドールではコンパクトなシステムを内蔵したり、汎用性の高い動作を要求される場面ではネット経由で専用システムによる制御が行われる。
リーリエやエイナなどの人工個性による制御も一般的にはフルオートシステムに分類されるが、彼女たちは別途フルコントロールやセミコントロールのアプリを通してドールを制御している。
・セミオート
槙島猛臣が開発したフルコントロール、セミコントロール、フルオートを統合したスフィアドールの制御方式。
主にフルコントロールをベースに人間では対応し切れない動作をオートでサポートしたり、防御などを一部自動化するなどの制御を行える。
使い手にあわせたチューニングが必要であるため一般化するのは困難であるが、学習機能を組み合わせることで一般化することも不可能ではない。
・アドバンスドヒューマニティシステム AHS
数多く存在する大規模フルオートシステムの中でも最も有名なもので、ヒューマニティパートナーテック社がサービスとして提供している。
開発を行ったのは克樹の叔父の彰次で、以前からヒューマニティシステムというフルオートシステムをつくっていたが、人工個性であるリーリエの脳稼働情報を取り込むことでより人間に近い反応を行えるようにしたもの。
料理や車の運転などの人間でも決して簡単ではない動作を行うことも可能で、人間の表情や仕草などを学習してドールの持ち主に配慮した行動もできる。他社の追随を許さないほどに完成され、いまなお成長し続けているシステム。
・ソーサラー
スフィアドールの所有者、ないし制御を行う者を呼ぶ俗称。正式な名称ではないものの、スフィアカップなどの公式の場でも使われるほどに一般的。主にピクシーバトルを行う者に対して使われる。
一説にはスフィアロボティクスを創設した天堂翔機が使い始めたと言われるが、その意図は不明。
・スフィアロボティクス SR社
スフィアドールパーツの開発、製造会社であると同時に、スフィアドールのパテントを管理し、規格を施行している会社。ロボット関連企業としては現在最大手であり、日本発祥の会社ながら世界中に支社を持つ大企業。
スフィアドールに組み込むパーツはすべて同社に申請し、認可を受ける必要があるため、すべてのスフィアドールパーツを知る立場にある。
モルガーナの強い意向を受けて天堂翔機が創立した企業であり、収益よりもエリキシルバトルを行うために立ち上げたと言える会社となっている。
・ヒューマニティパートナーテック社 HPT社
克樹の叔父、音山彰次が技術部長を務めているロボット関連企業。現在はAHSやドールパーツ、エルフドールなどで有名であるが、スフィアドール登場前からロボット関連企業として続いていた会社。
日本国内ではスフィアロボティクスに次ぐ規模まで成長しているが、その規模は国内だけでも半分に満たないほどに小さい。
・メカニカルウェア社 MW社
スマートギアなどのマンマシンインターフェースの開発、製造を行っている会社。元々はキーボードやマウスを製造、販売していたアメリカの企業で、BCIデバイスにシフトして高級品から低価格品、一般向けから軍事向けまで様々な製品を販売している。
克樹や平泉夫人が使っているスマートギアは同社のものである。
・BCIデバイス
スマートギアなどの脳波を受信して入力を行うマンマシンインターフェースのこと。作中では主にスマートギアが一般的であるが、手のひらを置くだけでキー入力からポインタ操作まで行えるBCIパッドなど他のものも存在する。
・スマートギア
BCIデバイスの一種で、ディスプレイ、ヘッドホン、マウス、キーボードなどを統合したマンマシンインターフェース。
ヘッドギア型を中心に、ヘルメット型や眼鏡型などが存在する。ヘッドマウントディスプレイに外部カメラを搭載し、現実の視界を見ながらコンピュータのウィンドウを表示し、手を使わずに脳波でポインタ操作やキー入力、慣れるとアプリを使用して口を使わずに喋れるイメージスピークなどが使える。
比較的使うのが難しいデバイスであり、すべての人が使っているわけではないが、高価なものの作中世界では普及している。ただしたいていの国ではスマートギアを被っての歩行や運転は禁止されている。
・エリキシルスフィア
約三年前に開催されたスフィアドールの公式戦であるスフィアカップの地方大会にて、優勝者と準優勝者に配られた第五世代準拠のスフィアの中で、エリキシルバトルに参加を表明した者のスフィアのことを区別してそう呼ぶ。
エリキシルスフィアを搭載したスフィアドールはエリキシルバトルアプリに願いを込めて「アライズ」と唱えることにより六倍のサイズに変身が可能で、エリキシルスフィアを通してフェアリーリングという外部の人間から存在を見えなくする魔法が使えるようになる。
エリキシルスフィア以外のスフィアでも同様のことが行えるのかどうかについては、作中ではとくに言及されていない。
・エリキシルバトル、エリキシルバトルアプリ
エリキシルバトルは命の奇跡を起こせる水エリクサーを得るためにエリキシルスフィアを持つソーサラー同士が戦うバトルのこと。エリキシルバトルアプリはエリキシルバトルに参加を表明したソーサラーにエイナから配られた専用アプリ。
アプリに願いを込めて「アライズ」と唱えることにより、エリキシルスフィアを搭載したドールが変身する。
・アライズ、デュオアライズ、ダブルアライズ
通常、エリキシルバトルに唱えることによってドールが変身するのがアライズ。灯理や克樹が行っている、フレイとフレイヤ、アリシアとシンシアなどエリキシルスフィアを搭載したドールと非搭載のドールを接続して行うアライズがデュオアライズ。二体のエリキシルスフィアを搭載したドールを接続し、片方ずつアライズさせることにより通常の六倍のさらに六倍、三六倍のサイズに巨大化させるのがダブルアライズ。
ダブルアライズを使えば他のエリキシルドールを簡単に倒せそうではあるが、巨大すぎて動きが緩慢になる上、アライズの持続時間も短縮され、充分に攻撃力を持った小さく素早いエリキシルドールに対しては対応し切れなくなってしまうため、むしろ弱体化する。建造物破壊には便利だという程度のもの。
・リミットオーバーセット
克樹や猛臣が使っている一種の必殺技。人工筋に通常よりも大きな電圧をかけることにより、一時的にスピードとパワーを増すことができる。
通常は破損の可能性が出てくるレベルまで電圧がかからないようリミッターがかかっているが、それを外すことにより必殺技として使用している。
大きな電圧をかけるため、スピードやパワーが高まるのと引き替えに、寿命が著しく短くなり、発熱で使用後の反応が鈍くなる。大きすぎると新品の人工筋が一瞬で劣化して交換が必要となってしまう両刃の剣。