神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第四部 鋼灰色(スティールグレイ)の嘲り 第二章 3

 

 

       * 3 *

 

 

 夏もそろそろ終わりに近づく八月後半。

 けれども夜明けにはまだ早く、窓の外は星を散りばめた黒だったものが、遠い町並みの境から微かにに藍色に塗り替えられつつあった。

「ふわっ」

 机に向かっていた部屋着の薄緑色のワンピースを着た灯理は、出そうになった欠伸を手で押さえてかみ殺し、慎重に最後の縫いつけを終えた。

 両手でもって広げたそれは、腰を紐で締め上げるデザインの、黒いオーバースカート。灯理自身が身につけるサイズではなく、ピクシードールサイズの衣装だった。

「よし、完成です。まずまずですね」

 白地に赤い線の入った医療用スマートギア越しに衣装の出来を確認した灯理は、早速机の上に座らせていたフレイヤを手に取り、シンプルな白いドレスの上にオーバースカートを着せた。

 槙島猛臣と戦った後辺りから頭の中で描いていて、新しい武器などのことも考えてデザインをつくってきた衣装は、天堂翔機からの招待を克樹から聞いて、一気に仕上げることになってしまった。

 本当はもっと時間をかけて、ずいぶんレイアウトを変えた暗器の取り出しも練習してから実戦に投入したかったが、今回は時間がなかった。

 どうにか出発の当日の今日に間に合わせることができたくらいだった。

「さて、大丈夫でしょうかね」

 人間のそれとはサイズもつくりも違う上、暗器を隠す必要もあるためコツがいる衣装を着せ終え、灯理は目が見えなくても視神経に直接送られてくるスマートギアの視界に、スフィアドールコントロール用アプリと、エリキシルバトルアプリを立ち上げる。

 スマートギアをつけたまま過ごすのはもうすっかり慣れてしまったが、それでも感じる煩わしさに唇を歪ませながら、灯理は最初から変わらぬ自分の願いを想い、唱えた。

「アライズ!」

 机の上から飛び降りるのと同時に光に包まれた身長二十センチの、標準的なサイズのピクシードールであるフレイヤ。

 床に着地したときには、身長一二〇センチのエリキシルドールへと変身していた。

 重複拡張視界用のアプリにより、スマートギアに取りつけられたカメラによる視界と、フレイヤのカメラアイの映像とを高速で切り替え、まるで自分とフレイヤのふたつの地点の両方に目があるような視界で、灯理は衣装の具合を確認する。

「いい出来です」

 ピクシードールとしてのパーツだけの場合や、簡単な布地だけならばそう難しいことはないが、立体的な構造の衣装はアライズによってサイズが変わると、見た目や動きの阻害などの問題が出てくることもある。衣装をデザインするときにはそうした点も考慮していた。

 フリルが多く、レースをふんだんに使いながらもシンプルな白いワンピースと、黒のオーバースカートのコントラストは美しく、もし人間サイズのものをつくることができたら、自分でも着てみたいほどだった。

 フレイヤに軽く運動をさせて調子を確かめ、武器の取り出しなどに不都合がないことを確認した灯理は、衣装の出来に、椅子から立ち上がって大きく頷く。

 ――でも、これではワタシは、勝てませんよね。

 衣装をつくり、意外性のある武器を取り入れ、ドール操作の訓練を積んでも、灯理は自分が決して強いソーサラーになれないことはわかっていた。

 デュオソーサラーであることはルール無用のエリキシルバトルにおいて有利であることはわかっていたが、大きく強さの違う克樹や猛臣にはもちろんのこと、スフィアカップに出場するようなソーサラー相手には、初見以外では勝つのは難しいだろうと思っていた。

 いまのところエリキシルソーサラーの資格は失っていなくても、今後エリキシルスフィアを賭けて戦うとなった場合、特殊な能力は有していても、決定的にバトルのセンスが欠けている自分では、最後まで勝ち残ることが難しいと感じている。

 死んだ人を復活させたいという願いから比べればささやかな、失った視覚を取り戻したいという自分の願いが、決して手の届きやすいものでないことは、灯理にもわかっていた。

「はぁ……」

 ひとつため息を吐き出した後、灯理はフレイヤを歩かせ、窓辺に立たせる。

 天頂近くにはまだ多くの星が瞬いているのに、東の空低くに昇り始めているはずの冬の星座は、藍色に沈んで明るい星がいくつか見えるだけだった。

 フレイヤの隣に並んで外を眺める灯理は、ただただ、悲しい気持ちを抱き、薄手の部屋着の胸を強く拳で押さえる。

 諦めたくはない願い。

 諦めるしかない現実。

 その間で挽き潰されそうになっている灯理は、唇を引き結び、一時的に視覚情報をカットし、耐えることしかできなかった。

「……え?」

 視覚を戻したとき、見えている景色がいつもと違っているように思えた。

 普段は早く寝ることが多いので、夜明けの空を見ることは少ない。

 違いを感じたのは、景色そのものではなく、天頂の黒から町並みに触れる水色まで移り変わる、空のグラデーション。

 灯理自身が要望し、医療用スマートギアにはできる限り高性能なセンサーのカメラを搭載している。それでも頭の中で過去に見た光景を鮮明に思い出すことができる灯理には、普通の人には肉眼と違いは感じないだろう、空の階調が跳ぶところにできる段差が見えてしまう。

 それがいま、見えなかった。

 空は肉眼で見ていたときと同じ、段差はなく滑らかに黒から水色に変化していっている。

 灯理はいま、無限のグラデーションを見ていた。

「まさか!」

 叫んでしまった灯理は、窓枠に手を着き大きく窓を開けてから、思い切ってスマートギアのディスプレイを跳ね上げる。

 けれどその途端に、視界は真っ暗になった。

 ――違う。目が治ったわけではない……。

 ディスプレイを戻し、改めて夜明けの空を見た灯理は、別の違和感を覚えた。

 無限のグラデーションと、有限のグラデーションが、一緒に見えていた。

 ――どういうことでしょう。

 確認するために、一度スマートギアの視界のみにし、それからフレイヤからの視界のみにしてみる。

「これは、フレイヤが見ているの?」

 スマートギアの視界にすると有限のグラデーションに。

 フレイヤの視界にすると無限のグラデーションに。

 理由はわからない。

 けれどフレイヤを通して送られてくる視界は、確かに目が見えていた頃の、記憶にある無限のグラデーションだった。

「これは、エリクサーの奇跡?」

 目が治ったわけではないのだから、エリクサーが自分に使われたわけではないのはわかる。

 フレイヤが見えている景色だけが、自分の目で見ていたときと変わらない、灯理が求めているものだった。

 ずっと焦がれていて、戦いに敗れたら死ぬくらいのつもりで求めていたものが、いまフレイヤを通して手に入っていた。

 いますぐにでもこの風景を描きたい。

 そう思いながら、灯理はフレイヤを窓から乗り出すようにさせ、外の景色を眺めさせる。

 その時――。

 突然大きな音を立て始めたのは、目覚まし時計。

「か、カーム!」

 今日は珍しく帰ってきている母親が隣の部屋で寝ている。

 睡眠時間が短くても寝つきも目覚めもいい灯理は、いつもならば目覚まし時計など仕掛けないが、今日は出発が早いために念のため仕掛けておいた。

 慌ててフレイヤのアライズを解除し、スマートギアの視界に切り替えた灯理は、ベッドの上に置いてある目覚まし時計に駆け寄り、アラームを止めた。

 時計を胸に抱いたまま、しばらくそうして隣の部屋から物音がするかどうか、待つ。

 待って、待って、しばらく待っても物音ひとつしてこないことを確認した灯理は、安堵の息を吐き窓のすぐ側に立っている二〇センチのフレイヤを見る。

「……アライズッ」

 一端カーテンを閉め、小さな声で願いを込めて唱え、灯理は再びフレイヤをアライズさせた。

「――錯覚、だったのでしょうか」

 先ほどまでは確かに無限のグラデーションが見えていたのに、再びアライズしたフレイヤの視界では、スマートギアのカメラと同じ程度の有限のグラデーションしか見えていなかった。

 ――錯覚だったとしてもいい。やっぱり、ワタシはあのグラデーションが見える目がほしい。

 アライズを解除したフレイヤを充電台の上に寝かせた灯理は、ふらふらとベッドに近寄り、突っ伏して肩を震わせる。

 現実が厳しいのはわかっている。

 もうそう遠くなく終わるだろうエリキシルバトルの間に、自分が一番強くなれないことも理解している。

 それでも、灯理は諦められそうにないと感じていた。

 他の誰の願いを押しのけることになるとしても、灯理は自分の願いを諦めたくないと、そう思っていた。

 

 

          *

 

 

 駅前ロータリーの真ん中に目立つように立てられた時計は、まだ六時を過ぎたところだと言うのに、陽射しは昼のように強かった。

 僕たちが通ってる高校の最寄り駅には、もうお盆休みも終わったからか、まだ夏休み中なのに制服の男女や、サラリーマンなんかが絶え間なく階段へと吸い込まれて行っている。

 小さなイベントも開けるような広場もある駅前の、できるだけ影になってる場所に逃げてるけど、暖まったアスファルトから発せられる熱気は、もううだるほどの暑さになっていた。

 一番駅に近い僕は、小さくジャンプしただけでも絶対中が見えるミニスカートにスパッツを合わせ、可愛らしいキャミの上に半袖の上着を重ねた、相変わらず活発なポニーテールの夏姫と一緒に到着して、若干遅れて近藤がやってきた。

 まだ来ていない灯理を待つ間、自分で背負ってるリュックよりも大きく重いスポーツバッグを持ってもらってる近藤は、げっそりとした表情を浮かべている。

 肩から提げたボストンバッグとそんなに大きくないトートバッグと、意外と荷物の少ない夏姫は、まだ少し不安そうに顔を曇らせて、ここに来るまでもそうだったけどこっそり僕の手をつかんでいた。

「おはようございます」

 そう長く待つことなく、タクシーでやって来た灯理は、思ったよりも大きなカートを引いて夏姫より大きなトートバッグを肩に提げ、さすがにこの時期だから生地も薄手で飾りも少なめだけど、白に藍色を組み合わせた少し古風な感じのロリータファッションで現れた。

「よし、じゃあ行こう。暑いし」

 時間はまだ余裕はあるけど、じりじりと上がってきてる気温に早く涼しいとこまで行きたかった。

 重そうな荷物を担いだ近藤が先行し、さすがに手を離した夏姫と並んで駅の改札へと向かうエスカレーターに足をかけようとする。

「あ、あの……、克樹さん!」

「ん?」

 呼ばれて振り向くと、唇を、肩を微かに震わせている灯理が、白地に赤い線が引かれたスマートギア越しに、僕のことを見つめてきていた。

 たぶんいまの彼女は、真剣な眼差しを僕に向けてきている。

「どうかした?」

「それは……、その……」

 何か言いたそうに口は開くけど、灯理はためらうようにして、何も言わない。

 ――何かあったんだろうか。

 僕が天堂翔機に呼ばれたように、他の誰かからアプローチがあったり、身内や身近な人に何かあったのかと思ったけど、一心に僕のことを見つめてくる灯理に、他のことに気を取られている様子は見られない。

「大丈夫? 灯理。調子でも悪い?」

「そうでは、ないのですが……」

 僕と一緒に振り向いた夏姫が一歩近づいて心配する声をかけるけど、灯理は僕から視線を外して、迷うようにうつむく。

「――いえ、何でもありません。行きましょう」

「灯理? 僕に何か――」

「大丈夫です。何かあったときには、ちゃんと言います」

 そう言って無理をしてるような引きつって見える笑みを口元に浮かべる灯理。

 絶対に何か言いたいことがあるのはわかってるのに、唇を引き結んだ彼女は、もうこれ以上問うても何も言ってくれそうにない。

「うん。行こう」

 先に行ってしまった近藤を追って、僕たちもエスカレーターに乗り、改札を目指した。

 

 

 


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