神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
* 3 *
スピードは猛臣がライトニングシフトと叫んでいた技のときに比べれば遅い。でも本気を出すと言ったあいつの言葉は本当だったようだ。
左右にステップを踏みながら瞬く間に三メートルの距離を詰めてきたイシュタルは、槍のように尖った手刀を繰り出してくる。
『はやっ』
小さく悲鳴を上げながらもアリシアの上体を沈めて躱すリーリエ。
左の水色のテールをかすめて揺らした右の手刀に続いて、左の手刀が突き込まれる。
左手でどうにか裁いて腰溜めから放ったアリシアの拳は、スピードが乗り切る前にイシュタルの手の平で受け止められていた。
何をしたのかはわからないが、明らかにイシュタルの速度と機敏さが上がってる。たぶん、疾風怒濤ほどではないけど、ライトニングドライブって言うのは、常時必殺技を使ってるモードのことなんだと思う。
『リーリエ。「風林火山」を使う。一端離れろっ』
『わかった! ちょっと待っててっ』
腕二本から繰り出される手刀なのに、リーリエはアリシアの手だけじゃなく、足まで動員してどうにか防ぎきってる状態だ。
ライトニングシフトのように突撃に特化してるらしい必殺技と違って、ドールの性能全体をアップさせてるライトニングドライブは、通常の動きでは凌ぐだけで手一杯だ。
『おにぃちゃん、ゴメンッ。ちょっと手伝って!』
『わかった。一瞬だけだぞ。疾風怒濤!!』
防ぐことはできるが、隙間のない攻撃に苦慮するリーリエの応援要請に応えて、僕は必殺技を発動させた。
鋭い右手を、左手をアリシアの手でつかみ取り、イシュタルの身体を引き寄せたアリシアは、上半身を大きく反らす。
「なっ?! てめっ、ふざけんな!!」
猛臣が声を上げるのも仕方ない。
ピクシーバトルではついぞ見たことがない、頭突きでイシュタルを後退させたのだから。
『リーリエ、あのなぁ……』
『ゴメンね、おにぃちゃん。あの子の攻撃速すぎて他に思いつかなかったのっ』
『まぁいいけどな。意味はあったみたいだし』
人間じゃないんだから痛みもないし、さほど意味もないと思うが、イシュタルの首を左右に振らせている猛臣。
ピクシードールの頭部は、スフィアドールの要であるスフィアが搭載されてるだけじゃなく、視覚や聴覚の各部外部センサー、またソーサラーとの通信を行うアンテナなんかが搭載されてる。それはエリキシルドールでも変わらない。
スフィアソケットはスフィア本体とメインフレーム並に強靱だから、よっぽどの攻撃でないと壊せないけど、頭部に大きな衝撃があると大変なことになる。
ひとつは、視界のブレ。
フルコントロールの場合はとくに、自分で頭突きを受けた訳でもないのに衝撃で視界がメチャクチャになるから、ヘタすると吐くほどに奇妙な感覚に襲われる。
公式戦では首筋まで、顎辺りまでなら攻撃対象として認められるけど、そこから上は攻撃が禁止されてるくらいに問題になる攻撃だ。
――まぁ、エリキシルバトルではそんなこと言ってられないか。
ヘルメットの上から頭に手を当ててる猛臣を見つつ、僕は風林火山の準備をする。
それまでの必殺技用プロパティをすべて消し、ショージさんにつくってもらった、アドオンアプリを立ち上げる。
『いくよ、リーリエ』
『来て。おにぃちゃん』
一瞬目をつむり、深呼吸した僕は、目を開けてアリシアとリンクする。
僕とリーリエは、アリシアのボディを通してひとつとなる。
『風林火山!』
声は出さずに、僕とリーリエは声をハモらせて必殺技を宣言した。
「てめぇ、頭突きなんぞくれやがって!! 許さねぇぞ!」
怒声を吐き出す猛臣は、弾かれたような速度でイシュタルをアリシアに差し向けた。
僕とリーリエが、アリシアの視界で一緒にイシュタルのことを見る。
速いのに、遅さを感じるスローモーションのような視界。
肩の上に振り被った右の手刀が迫ってくるけど、それを勢いを殺さずに左手で受け流す。
右足をすり足で引いてイシュタルの横に構え、アリシアの動きに気づいた猛臣が防御の左手を構えるよりも先に、胸元に右の拳を叩き込んだ。
『上げてくよ、リーリエ』
『大丈夫だよ。もっと来て!』
まだ動きの部分しか一体化していなかった風林火山の段階を上げる。
アリシアの各部のセンサーをオンにし、感度と感知感覚を最大にした。
僕がショージさんにHPT社の試作フルスペックフレームの貸出を願ったのは、強度の点だけが問題じゃない。アリシアを、シンシアと同型の感知型ピクシードールにするためだ。
でもいろんな種類のセンサーを搭載するシンシアと違って、アリシアのボディの各部に搭載する外部センサーは、視覚、振動、圧力といったものが中心。
それらのセンサーと、離れた場所に立つ僕のスマートギアからの情報を統合し、リーリエに接続している情報処理システムで処理して、敵の動きを完全に把握することができる。
それだけじゃなく、リーリエの疑似脳のリソースも使い、敵の行動予測と自分の最適行動を割り出す。
アリシアの動作はリーリエに任せつつ、これまで必要に応じて発動と停止を行っていた必殺技と違い、僕はいま、リアルタイムで人工筋の電圧を制御している。フルコントロールでドールを動かすのに近いそれにより、常時疾風怒濤を発動させてるような状態を維持し、不要な電圧がかからないようにするもしているため、発熱も抑えることができる。
僕とリーリエが同時にアリシアにリンクしてフルコントロールする、アリシアを通して僕とリーリエが一体化するソーサリー、シンクロナスソーサリーが風林火山の正体だ。
ひとりではなく、ふたりいて、僕とリーリエだからこそ実現した必殺技だった。
「てめぇ、何か始めやがったな?! それならこっちももっと行くぜーーっ!」
雄叫びを上げた猛臣。
それと同時に、イシュタルのスピードがさらに上がる。
――こいつ、まだ上があるのか。
速度はもう人間の身体で実現できる速度を遥かに超えてしまっている。
天空色の風と、金色の光の、二体の妖精によるバトルが始まっていた。
*
「すごい……」
夏姫は思わず呟いていた。
アリシアとイシュタルの動きはもう目で追うのは困難なほどに速く、十メートル四方のダンスホールを縦横無尽に駆け、ぶつかり合っている。
スフィアカップの優勝者である猛臣のドールコントロールは素晴らしく、イシュタルの性能が高いことも見て取れた。
克樹とリーリエと、アリシアでは危ういかと思ったが、いま目の前で繰り広げられている戦いは、接戦と言って差し支えないほどのバトルだった。
「頑張って、克樹、リーリエッ」
二体のことを一時も見逃さないように目で追いながら、壁際に立つ夏姫は顔の前で手を握り合わせて祈っていた。
「不安かしら?」
「え?」
そんな声をかけてきたのは平泉夫人。
夫人の方に目を向けると、少し離れた部屋の隅では、椅子に座ってテーブルに置かれたカップを持ち上げて優雅に紅茶を飲んでる灯理と、若干呆れた顔でその側に立つ近藤、それからメイド服姿の芳野がティポットを手にこちらに目を向けてきていた。
「はい。不安、です」
父親が陥った苦境を打ち壊し、夏姫共々救ってくれた大恩人とも言える平泉夫人。
最初に会ったときもそうだったが、喪服のような黒一色の裾の長いワンピースを着、柔らかく微笑んでいる彼女は、克樹の話によれば三十代半ばから後半らしい。けれどモデル並のプロポーションや顔立ちは、二十代でも通りそうだった。そして彼女の放つ雰囲気は、年齢では言い表せない貫禄が感じられる。
克樹とリーリエの師匠であるという夫人に、夏姫は訊いてみる。
「克樹は、勝てるでしょうか?」
「どうでしょうね。克樹君とリーリエちゃんはとにかく戦闘経験が足りないわ。ドールの性能はリミットオーバーセット、必殺技を含めて考えれば同程度。猛臣君はスフィアカップの優勝者で、その後も相当の戦闘経験を積んできてる上に、エリキシルバトルのためにリミットオーバーセットの他にも何かアプリを仕込んで戦ってるわね。克樹君がさっきから始めた何か新しい戦法で、やっと同じ程度と言ったところかしら」
「勝てない、ということですか?」
「いいえ。わからないのよ、私にも。猛臣君はまだ何か隠してるものがありそうだし、克樹君たちももう少し上がありそうだしね。運、というのとは違うけれど、戦いに何かの分岐点が生まれない限り、趨勢は読めないわ」
「そうですか……」
バトルに目を戻した夏姫は、離れた場所にいる克樹を見る。
戦いに集中している彼は、両手を強く握りしめていた。
対する猛臣は、唇の端をつり上げて笑みを浮かべている。
けれどその剥き出しの奥歯は、噛みしめられていた。
水色のツインテールをたなびかせ、マットに胸が擦りそうなほどの低い姿勢で走り込んだアリシアは、地面から生えてくる木のような急角度の拳を繰り出す。
ポニーテールを揺らして上体を反らしたイシュタルは、しかし回避仕切れずに胸のアーマーに拳をかすめさせ、金色の粉を振りまいていた。
反撃の手刀をステップを踏んで下がったアリシアは躱すけれど、躱しきれずに腕のアーマーの水色の欠片を散らしている。
一時は毎週末のようにローカルバトルに参加していた夏姫でも、これほど実力が切迫するバトルは見たことがなかった。エリキシルバトルで、目で追うのも難しいほどの速度であることだけでなく、ドールの性能もソーサラーの強さもこれほどまでに近いバトルなど、これが初めてなのではないかと思えるほどに。
「克樹君が好きなのね、夏姫さん」
「そっ、それは……、その……。はい……」
克樹にすらまだはっきり言っていなかったが、優しい色を瞳に浮かべて笑む平泉夫人に問われて、夏姫は隠しきれずにそう応えていた。
恥ずかしくなってうつむいてしまう夏姫の肩に手を置き、夫人は言った。
「なら、信じて上げないさい、克樹君を。おそらくどちらが勝っても、あのふたりにとってこのバトルは悪いものにはならないから」
「――はいっ」
頷いた夏姫は克樹に目を向ける。
好きだと、そうはっきり感じることができる彼のことを。
好きだと、そう言ってくれて、夏姫からもそう言いたい彼の事を。
――負けないで、克樹!
心の中で応援の声を送り、夏姫はぶつかり合う二体のエリキシルドールを見据えた。
*
脚部の人工筋から温度警告が出るのと同時に、リーリエはアリシアを下がらせ、イシュタルから離れた。
何度目かの睨み合い。
その間に僕は各部人工筋の電圧を下げて冷却を開始し、処理システムから上がってくるデータをスマートギアの視界に表示して確認していく。
打ち合っている間、僕とリーリエは言葉を交わしていない。
アリシアの中でひとつになっている僕たちの間には言葉は不要だ。
僕はリーリエの次の動きを読めるし、リーリエは僕の考えを言葉がなくても理解する。
それがシンクロナスソーサリー、風林火山の神髄だ。
――やっぱりか。
もう十分近くになるバトルの間に観測できた情報で、僕はあることに気がついていた。
『やっぱり、猛臣はただのフルコントロールソーサラーじゃない』
『うん、そうだよね』
油断なくイシュタルの動きを見ながら、リーリエが返事をする。
『それにあいつの使う必殺技は、僕たちのとは違ってプログラムセットだ』
『そっか。そういうことなんだ』
戦闘には邪魔になるからカットしていた戦闘データのまとめを、リーリエに共有してやる。
電子情報として疑似脳で構成されてるためか、人間を超える反射速度が可能なリーリエならともかく、猛臣の反射速度は時折リーリエを凌ぐほどの反応を見せていた。とくに、防御のときに。
解析の結果から、僕は猛臣がフルコントロールだけでなく、セミコントロールを併用していると判断した。
どういうアプリを使ってるのかはわからないけど、対応しきれない攻撃を、自動反応に任せて防御している。
六本腕に見えたウカノミタマノカミのショルダーシールドも、おそらく同じセミコントロールで制御されてるんだと思えば、納得がいく。
それに猛臣が使う必殺技は、一定の電圧上昇による人工筋の性能強化だ。
僕のように細やかに必要な制御を行っていないため、発熱も消費電力も分が悪いはずだけど、いまのところ熱による性能低下は感知できていない。熱に強い特別製の人工筋を使ってることは明らかだった。
僕とリーリエもシンクロナスソーサリーなんていう反則染みたことをやってるけど、猛臣もレギュレーションなんて無視したことをやってるのは確かだ。
『たぶんあの肩と足の刃も飾りじゃない。警戒してくれ』
『わかった』
ウカノミタマノカミのことを考えるなら、刃も稼働してくるはずだ。警戒しておくに越したことはない。
「克樹ー!! これから全開でいくからな! 着いてこいよ!!」
そう猛臣が叫ぶのと同時に、肩を突き出して構えたイシュタルがアリシアに突進してきた。
これまで見た突進を超える速度。
『望むところだよっ』
聞こえないのに猛臣の声に応えて、リーリエはアリシアの身体を斜めにすることで突進を避ける。
「なっ?!」
避けたと思った突進の追撃は、肩の刃からだった。
突き出た刃が肩のアーマーごと伸び、ワニの口が獲物噛み砕くように、アリシアの肩に食らいつく。
アリシアをしゃがみ込ませて逃れたリーリエは、イシュタルの腹に正拳を叩き込む。
『ひゅーっ』
感心した声を上げるリーリエ。
避けられるはずがないと思った打撃は、腰のアーマーが動いて防いでいた。
伸びてきたイシュタルの蹴りをローキックで止めるものの、足の刃が顎(あぎと)となって襲いかかってきた。
太股のハードアーマーをわずかに削り取られて距離を取るものの、間髪を置かずにイシュタルが接近してくる。
肩と腰と脚の可動ポイントを予測に加えた僕は、自分が笑ってることに気がついた。
――バトルって、こんなに楽しいものなんだな。
これまで以上に深くアリシアとリンクし、リーリエの動きを最大限に活かせるようリアルタイムで人工筋の電圧を調節しながら、僕は初めての感覚に笑い出しそうになっていた。
これまで、僕は百合乃やリーリエにバトルを任せっきりにしていた。
灯理と対抗するためにシンシアを使い、フルコントロールソーサラーとなったけど、周りには自分よりも遥かに強いソーサラーばかりで、僕にとってピクシーバトルは、最初の頃から苦痛と劣等感を感じるばかりのものだった。
リーリエとともにアリシアとリンクし、たぶん最強だろう猛臣と戦っていて、僕は初めてピクシーバトルが楽しいものなんだと気がついた。
――負けたくない。
その想いが強くなっていく。
エリキシルバトルだからとか、夏姫のためとかそんな想いよりも、いま目の前にいる猛臣に負けたくないという想いが、どんどん膨らんでくる。
それと同時に、歯を食いしばりながらも笑ってる猛臣の気持ちが、いまの僕にも理解できるようになっていた。
『決着をつけるぞ、リーリエ!』
『うんっ!!』
突進してくるイシュタルに、リーリエは自分からも突進する。
飛び込みの正拳突きは稼働してきた腰のアーマーに防がれる。
伸びてきたイシュタルの肩が頭を砕く前に、リーリエは腰の後ろから抜いたナイフで刃を粉砕した。
膝蹴りとともに迫ってきた脚の刃を、砕けたナイフを突き刺して止め、右手をマットへと伸ばしたリーリエ。
拾い上げた短刀が、下がって避けようとするイシュタルの首筋へと迫る。
――勝った!
そう思った瞬間だった。
『あっ!!』
アリシアが突然その動きを止めた。
リーリエの声を聞くまでもない。
スマートギアの視界の隅に表示されていたのは、稼働時間警告。
アリシアのアライズ時間は、いまこの瞬間に尽きた。
「なんだかわからねぇが、俺様の勝ちだ!!」
叫んで猛臣はイシュタルの両手を組んで高く上げ、アリシアの頭に振り下ろす。
「な、んだと?!」
イシュタルの拳がアリシアの頭部を叩き潰す直前、その動きも止まっていた。
あちらの稼働時間も、いまこの瞬間に尽きたらしい。
ほぼ同時に二体のドールのアライズが解け、身長二十センチのピクシードールへと戻る。
思ってもみなかったバトルの結末に、誰ひとり声を発することができなかった。