神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第三章 2

 

       * 2 *

 

 

「夏姫、入るぞ」

 呼び鈴にもノックにも応答はなかったのに、ノブに手をかけると、抵抗なく回すことができた。

 声をかけながら扉を開けると、鍵でもかけようとしていたのか、扉に手を伸ばしてる夏姫がいた。

「克樹……」

「久しぶり。っていうか、酷い顔してるな」

 僕から目を逸らしてうつむいた夏姫は、泣きそうに顔を歪めてるのもあるけど、いつもは綺麗にポニーテールにしてる髪はぼさぼさで、目の下のくっきりした隈と腫れ上がったまぶたで、いつもの可愛らしい印象が感じられない。

 太股の半ばまで丈のあるTシャツを羽織っただけらしい彼女は、居心地悪そうにちらちらと視線を飛ばしてくる。

「連絡しなくてゴメン。でも克樹、いまは――」

「遠坂から話は聞いてる。あいつを責めるなよ。僕が無理矢理聞き出しただけだから。とりあえず顔洗ってこいよ」

「うん……」

 たぶん帰ってと言おうとしたのだろう夏姫の言葉を続けさせず、僕は彼女をこちらのペースに乗せて話した。

 洗面所があるらしい狭いキッチンの向かいにある扉に夏姫が消えていったのを見て、僕は靴を脱いで遠慮なく部屋に入っていく。

 狭いとは聞いてたけど、本当に狭い夏姫の部屋にはたいしたものはなかった。連絡が取れなくなった先週の日曜以来酷い生活をしていたようで、さっきまで使っていたらしい布団は出しっぱなしで、脱いだ服や、……下着なんかも、畳の上に転がっていた。

「あ、うっ。ちょっと、あの……」

「とりあえず食事でもして落ち着こう」

「うん……」

 さっきよりも髪も顔もマシになって、ボォッとしてたっぽい意識も少し普段に戻ったらしい夏姫。

 部屋の惨状に顔を赤くしてる彼女に、僕はコンビニで買ってきた食事なんかが入った袋を掲げて見せた。

 夏姫が布団を仕舞ったり服などを洗濯機にかけてる間に、僕は教えてもらってキッチンで湯を沸かす。

 五個買ってきたカップ麺のうちひとつは僕の、ふたつは夏姫の腹に収まり、適当にいくつか買ってきたケーキなんかのスイーツも残ることはなかった。ペットボトルのお茶でひと息ついた僕は、卓袱台越しに夏姫の目を見つめた。

「夏姫のお父さんが事故で入院してるって話は聞いた。でも他のことがよくわからない。いまも、意識を取り戻してないのか?」

「うん……。昨日も病院行ってたけど、まだダメで……。他のことは、アタシもよくわかんない」

「わかってることだけでいい。最初から話してくれ」

 話すのをためらうように顔を歪ませた夏姫。

 でも僕は無言の視線で、彼女の言葉を促す。

 視線をさまよわせる夏姫だったけど、無言で見つめられて諦めたのか、重い口を開いた。

「土曜の、克樹たちと最後に会った日の夜、バイトから帰ってきたときに、病院から電話があってね。パパが事故で大怪我して、意識不明だって――」

 夏姫の話によると、ここから離れたところで住み込みで工事現場の仕事をしてる父親、謙治さんが、現場で鉄骨に押し潰されて大怪我をしたのだという。

 いまも集中治療室で治療を受けている謙治さんは、意識を取り戻す見込みもいまは何とも言えず、四肢切断といった怪我はないものの、骨折が多く内臓もやられている上、頭も打っているため、意識を取り戻したとしてもどういう状態になっているかわからないという話だった。

「リーリエ、事故の件を検索」

『うん、すぐやるね』

 話の途中でイヤホンマイクで聞いてるリーリエに指示を出し、夏姫から聞いた会社名や工事現場で検索させる。すぐに出てきた情報を、スマートギアを被った僕は確認する。

 ニュース記事程度の情報しかなかったが、事故があったこと、重体だという人に浜咲謙治の名前を見つけることはできた。

 ただ、続報はないため、どんな状況で、どんな原因で起こった事故なのかはわからなかった。

 リーリエに他にも情報がないか確認を頼み、僕はスマートギアのディスプレイを跳ね上げて夏姫から続きを聞く。

「それで、何か責任を取らないといけないとか、そんな話も聞いたけど」

「うん。なんか、そんな話になってるの。病院で、パパが勤めてる会社の人に言われたんだ。事故はパパが酔ってクレーン車を動かしたことが原因で、工事が遅れることに関する賠償と、壊れた機械とか資材の弁償をしないといけないんだって」

「いくらくらいになるんだ?」

「まだわかんない。試算してるところだって、この前言われた」

「そっか……」

 謙治さんがどんな性格で、酒に酔って事故を起こすようなことをやる人なのかどうかは、僕は知らない。

 ただ、仕事をしていた工事現場では入居開始予定も出ている高層マンションを建造していて、謙治さんが原因で工期に遅延が発生したとしたら、賠償を払うことになるのは当然だと思える。

 事故の規模や遅延する期間にもよるだろうけど、ずいぶん大規模な高層マンション群のようだし、数千万とか、場合によっては億の金額に乗る請求があるかも知れない。

 少なくとも、いろいろと切り詰めて生活してる夏姫じゃ、どうやっても支払える金額じゃないことは確かだ。

 それまで堪えるように膝の上の拳を握りしめていた夏姫は、ぽろぽろと涙を零し始めた。

「それに、パパが、殺されちゃうかも知れないの……」

「殺されるって、どういうことだよっ」

 思わず大きくなった僕の声に、夏姫は笑ったまま涙を流し、つらそうな目をしながら、言う。

「病院から帰ろうとしたとき、喫煙所でタバコを吸ってる会社の人たちの話、聞いちゃったんだ」

「どんな、話だったんだ?」

「なんかいま、大人の判断が必要だったりして、でもパパの親戚とかぜんぜんわかんなくて、なんかアタシに後見人をつけるとか、そんな話が出てたの」

 もうつらい笑みをしてることもできなくて、顔をくしゃくしゃにした夏姫は続ける。

「請求したお金は、パパの生命保険で賄えばいいって。後見人の人の判断で、回復の見込みなしってことで治療を辞めれば、それでいいんだからって、そんな話をしてたの」

「そんな莫迦な!」

 謙治さんが自発的に入った生命保険だとしたら、受取人は夏姫になってるはずだ。それを会社の人間が横から掠め取るなんてできるんだろうか。

 ――そうか。だから後見人か。

 賠償金が謙治さん個人に請求されるのだとしたら、亡くなった場合、夏姫がそれを支払う義務はないはずだ。でももし親戚が見つからず、後見人が、夏姫が支払うものだ、としてしまったら、彼女に請求が来ることになる。

 法律的にそれで合ってるかどうかはわからない。

 でも金を掠め取ることを考えてるような奴らだ、何かしらそうできるように手配がつくのかも知れない。

 ――そもそも、事故の原因は謙治さんにあるってのも、本当なのか?

 事故そのものにも疑惑を感じるようなことだけど、手持ちの情報じゃ僕は真実を見いだせない。

 所詮ただの高校生に過ぎない僕には、事件の裏側とか、法律的にどうなのかとか、そんなことは判断できないし、知る手段は限られている。

「ダメだよっ。このままじゃ、ママだけじゃなくて、パパまでいなくなっちゃう。そんなの、嫌だよ……」

 顔を両手で覆って泣きじゃくる夏姫を見ていて、僕は逆に、凄く冷静になっていく自分を感じていた。

 ――そうだな。僕はそういう奴だよ、遠坂、灯理。……いや、違うか。

 遠坂と灯理に言われた言葉を思い出し、でも僕はそれを否定する。

 ――お節介とか、そういうのじゃないんだ、これは。

 そう、自分の心に確認しながら、僕は卓袱台を回り込んで夏姫の側に座る。

「僕が、肩代わりするよ、そのお金」

「……何を言ってるの?」

 そんな僕の言葉に、泣きやんだ夏姫は、驚きの表情を浮かべながら顔を上げた。

 ――おまえの泣いてる顔なんて、見ていたくないんだよ、夏姫。

 細い肩に手を伸ばした僕は、彼女の頭を自分の胸に抱き寄せる。

「大丈夫だ、夏姫。僕がいま持ってるお金だけじゃたぶん足りないけど、当てはある。時間はかかるだろうけど、僕ならお金を借りても返せる」

 高校生にしてはかなり貯金がある僕だけど、それくらいじゃ賠償額には足りないと思う。

 足りない分はショージさんに借りればいい。それでも足りなければ、平泉夫人もいる。

 あのふたりなら、事情をちゃんと話して、返済計画まで出せば、お金を貸してくれると思う。返済には十年以上かかりそうな気がするけど、それでも構わないと思った。

「そんなの、ダメだよ。克樹に借りるなんてできないよ。だって、アタシと克樹はただの――」

「夏姫」

 僕の胸から顔を上げた夏姫の名を読んで、彼女の言葉を遮る。

 大きく息を吸い、涙に揺れる瞳を見つめて、僕は言った。

「夏姫。僕は君が好きだ」

「……」

 何かを言おうと口を開いた彼女だったけど、何の言葉も出てこなかった。

 畳みかけるように、僕は彼女に言う。

「僕は夏姫が好きだ。笑ってる顔が好きだ。夏姫の性格が好きだ。学校にいるときの夏姫も、バトルをしてるときの夏姫も、僕の家で、食事をつくってくれてるときの夏姫も、夏姫の全部が好きなんだ。いつまでも僕の側にいてほしい」

 上手い台詞が思い浮かばなくて、僕は精一杯の言葉で、夏姫に自分の想いを伝えようとする。

 泣きすぎて赤くなってる目よりもさらに赤くなる、彼女の顔。

 僕の顔もまた、彼女と同じ色に染まってるのがわかる。

 好きで、ずっと一緒にいたくて、離れたくない夏姫のためなら、お金を借りることなんてたいしたことじゃない。

 そういう想いを瞳に込めて、僕は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。

 目を閉じた夏姫は、嬉しそうに笑う。

 苦しそうで、悲しそうで、つらそうだった彼女が笑ってくれたことで、僕は安堵を覚える。

 目を開けても微笑んでくれる夏姫に、僕は自分の想いが彼女に伝わったんだと感じた。

「そっか。そうだったんだ」

「うん。僕は夏姫が好きだったんだ」

「ふふっ。なんだろう。こんなときなのに、嬉しい。凄く、凄くうれしい」

 抱き寄せていた僕から離れて座り、うつむいた彼女は赤くなってる頬を両手で覆う。

 久しぶりに見た気がする、夏姫の可愛らしい笑み。

 微かに首を傾げながら笑ってくれる彼女が次に口にした言葉を、僕は理解できなかった。

「だったらなおさら、アタシは克樹からお金は借りられない」

「……何を、言ってるんだ?」

 顔は笑っているのに、夏姫の目はもう笑っていなかった。

 僕には理解できない真っ暗な瞳をした彼女は言う。

「嬉しいよ、克樹。好きって言ってくれて、本当に嬉しい。ありがとうって思う。でも、だからこそ、克樹の力は借りられない。克樹に迷惑はかけられない」

「どういうことだよ、夏姫っ」

 伝わったと思ったのに、夏姫も同じ想いでいてくれてると思ったのに、彼女は拒絶の言葉を発する。伸ばした手を振り払い、さらに僕から距離を取る。

 僕には彼女が考えてることが、わからなかった。

「これはね、アタシがどうにかしないといけない問題なの。アタシの家族の問題なの。だから、克樹にしてもらうことは、何もない」

「家族の問題って……。だったら僕は夏姫と――」

「ダメ。絶対にダメ。そんなこと、アタシは許さない。認められない」

 表情を引き締めた夏姫が、正座をして正面から僕に対する。

「ね? 新しいエリキシルソーサラーが来てるの、知ってる?」

「知ってる。僕はまだ会ってないけど、灯理と近藤が戦って、勝てずに逃げてきた」

「そっか。なら、少しは話を聞いてるかな?」

 夏姫がしようとしてることを、次の言葉を僕は理解した。

「アタシは、エリキシルスフィアを、あの人に売ろうと思う」

「何を言ってるんだっ、夏姫!」

「この問題は、アタシが決着つけないといけないの。克樹にはお願いできないの。あの人が提示してくれた金額じゃ足りなそうだけど、エリキシルスフィアの他にアタシができることがあるなら、交渉してみるつもり」

「そんなことしなくても、僕がっ」

「だからダメだって。アタシが、アタシの力でパパを助けないといけないの。ママのことは、諦めないといけないけど、パパまで失うわけにはいかないから」

 そう言って夏姫は笑った。

「僕は夏姫とずっと一緒に――」

「出てって」

 立ち上がった夏姫が僕の肩をつかんで引っ張り上げる。

 何が何なのかわからなくて、抵抗する気力もない僕は、彼女に押されるままに玄関に向かう。

「どういうことなんだよっ。説明してくれよ! 夏姫!!」

「また、絶対連絡するから。それまでは放っておいて」

 靴や鞄と一緒に外に放り出されて、目の前で扉が閉じた。

「夏姫?! 夏姫!!」

 呼びかけても、扉を叩いても、もう夏姫が答えてくれることはなかった。

 まだ彼女が言ったことを、彼女が考えてることを理解できない僕は、つらいのか悲しいのか、寂しいのかもわからない涙を流しながら、その場にへたり込んでいた。

 

 


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