神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第二章 2

 

       * 2 *

 

 

「こっち! こっち! 急いで!!」

 顔を振り向かせて行く道を指し示す、小学生くらいだろう少年は、全力で脚を動かし、走る。

彼の後に着いてくるのは、警官ひとりを筆頭に、数名の大人たち。

 車も通れないような建物裏の小道を駆け抜け、少年は通りに出た。

「てめぇ、戻って来やがったのかっ」

 彼の姿を認めてそう叫んだのは、耳や唇をピアスで飾り立てた男。

 彼の側にはあとふたりの男と、黒く大きなワンボックスカーが一台、それから、彼らの足下に少女がひとり、倒れていた。

 少年に近づこうとしていた男は、遅れてやってきた警官たちを見、慌てて車に乗り込んだ。警官たちが急発進する車に追いすがろうとする間に、少年は少女の元に駆け寄っていく。

 少年よりも年上で、中学生か高校生くらいの、藍色の地味なワンピースを身につけた彼女の上半身を、少年は大きくない身体で抱き起こす。

 ワンピースにはたくさんの白い足跡がついていて、それどころかところどころ、血がにじんでいた。いつもきっちりとポニーテールに結っていた髪は乱れ、どこかしら少年に似ている少女の顔も、殴られ、蹴られ、暴行により酷い状態になっていた。

「……なんで、戻って、らしたのですか」

 高く澄んでいたはずの少女の声は、少年が戻ってくるまでに相当殴られたからか、かすれて息も絶え絶えだった。

「なんでって……。必ず戻ってくると言っただろう! 俺様は約束を守る男だ!!」

「危ないから、逃げてくださいと、言いました、のに……」

「もう大丈夫だ! あいつらはいない。病院に連れて行ってやる。しっかりしろ!」

 励ましの声をかける少年に、少女は優しく笑いかける。

「貴方が無事なら、それで充分です」

「何を言ってるんだっ。莫迦を言うな! すぐに助ける。だからしっかりしろ!」

「いままで、何の取り柄もないわたしに、よくしていただいて、ありがとう、ございました……」

「何を!!」

 少年が文句を言おうとした瞬間、少女は大量の血を吐き出した。

 咳き込んでさらに吐き出される血は、少年の手を、服を赤く染めていく。顔に飛んできた血は熱く感じるほどに熱を持ち、しかしすぐに冷たくなる。

 少女の状態を示すかのように。

 それでも笑っている少女を見つめている少年は、彼女の髪を握りしめるようにして、拳を振るわせた。

「ふざけるな! お前は俺様の召使いだ!! 誰が死んでいいと言った! お前は、俺様が良いと言うまで、俺様の側を離れちゃいけないんだ!!」

「すみ、ません――」

「許さない……。許さないぞ! 主人の命令を破る召使いなんて許せるものか!! 絶対に、絶対に許さない。死んでも俺様は、お前を許さない!!」

 怒りに燃え上がるほどに顔を赤くし、少年は少女を怒鳴りつける。

 それでもまだ微笑みを浮かべている少女は、最期に言った。

「ゴメンね――」

 そして、彼女は目を閉じた。

 

 

 

「ふざけるなーーーーっ!!」

 叫び声とともに身体を起こし、猛臣は自分が屋内にいることに疑問を感じて辺りを見回した。

 粗末な応接セットや大きな鏡の前に置かれた簡易デスク、見慣れぬダブルベッドが置かれた、広いが生活感のないこの場所が、ホテルの部屋であることを思い出す。

「夢、か……。くそっ」

 頭を振って夢の残滓を振り払い、額を手で覆った彼は、頭を握り潰すかのように指に力を込めた。

 久しぶりに夢に見た、これまでで一番苦々しく、いまなお怒りが収まらないときの記憶。

 エリキシルバトルに参加をしてからというもの、何度か見ていたが、今回はより鮮明で、あのときの感情までがリアルに思い出されていた。

 ――あいつが悪いんだ。

 土曜に会った、ひとつ年下の女の子。浜咲夏姫。

 夢の中のあの召使いの女と、彼女の面影はどこか似ているように感じられていた。

「くそっ。下らん!」

 そう吐き捨てた猛臣は、シャツを脱ぎ捨ててバスルームへと入った。

 目覚めの悪い頭を熱い湯で流し、水を被ってからバスローブを羽織って身支度を調える。

 せいぜいスレート端末を数枚広げればそれでいっぱいになりそうな狭いデスクの上を見てみると、新しいメールが入っていることに気がついた。

 送信者は、いまこちらで雇っている調査会社。

 スレート端末に手を伸ばし、新たに入った情報の詳細と、リアルタイムでの追跡の要不要を問う内容を確認する。

 八重歯を覗かせながら笑んだ猛臣は、今日の間、居所を追跡して自分が到着するまで報告するよう依頼の連絡を飛ばす。

「さて、あいつは確実だろうし、持っていくか。イシュタルは……、パーツがまだか。こっちだな」

 着替えを終えた猛臣は、応接セットのローテーブルの上に置いてあるふたつのピクシードール用アタッシェケースのうちの片方をショルダーバッグに収め、ホテルの部屋を後にした。

 新たな戦いの予感に、笑みを零しながら。

 

 

          *

 

 

 誰にも気づかれないほど小さくため息を吐いた近藤は、並んで歩く女の子に首を動かさずこっそりと視線をやる。

 半袖となったクリームホワイトの制服を着る彼女は、中里灯理。

 駅から自分の家へと向かう道を、彼女は不満そうに口を尖らせながら顎を反らして歩いていた。

 白地に赤い線の入っているスマートギアで目元が覆われているため、彼女が瞳にどんな色を浮かべて、どこを見ているのかまではわからなかったが、いまの状況に納得してないことだけはありありとわかる。

 彼女を家まで送る帰り道、行きの間に彼女の口から不満の言葉は充分過ぎるほど聞いていたから、いまさら話すこともない。克樹のときとは違い過ぎる態度に言いたいことがないわけではなかったが、言い負かされるのが落ちなので、声をかける気も起きなかった。

 夏姫が登校してこないままの水曜日、先日の土曜と同じく校門の前で待ちかまえて克樹をPCWに誘ってきた灯理だったが、家でやることがあると言われてあっさり振られていた。

 その上克樹からちょうどPCWに用事がある近藤が同行するように言われ、こんなことになっていた。

 ――別に好かれていないのはわかってるから、いいんだけどな……。

 克樹しか見ていないのは充分理解しているが、不満のぶつけ先か、素っ気ないかのどちらかしかない灯理の態度には納得できず、こっそりとため息を漏らしていた。

「それで、克樹さんは家でどのような用事なのか、わかりますか?」

「ん? ……あ、いや、知らない」

 それまでむっつりと押し黙っていた灯理に声をかけられて、我に返った近藤は慌てて返事をしていた。

 前置きもなしに問われても返す答えなどなかったし、克樹からは用事の内容なんて聞いていなかった。いつも家では訓練か新しいパーツの評価と選定、エリキシルバトル関係の情報収集をやってるというのは聞いていたが、灯理の誘いを断った今日の用事については聞いていない。

「たぶん何か訓練でもしてるか、アリシアかシンシアをいじってるんだと思うが」

「そうですか。でしたら今日、校門のところで克樹さんを睨みつけていた方はどなたですか? どうやらお知り合いのようでしたが」

「あ? あぁ、遠坂のことか。クラスの友達だよ。克樹とは幼馴染みらしいが、詳しいことは聞いてない」

 ちょうど克樹と灯理が話しているとき、今日は陸上部の活動がなかったらしい明美が遅れて出て来て、ふたりのことを睨みつけて何も言わないまま行ってしまったことには気づいていたらしい。

 今日一日、明美は克樹に話したいことでもあるのか、視線を送っているのには気づいていたが、不自然なくらい遠巻きにしていて、会話らしい会話は交わしていなかった。

 何かあるのは確実だったが、彼女が避けているのだから、近藤も問いつめることはできないでいた。

「本当にただの友達なのですか?」

「いや……、そういう辺りはよく知らない。つき合ってたりしないのは確かだが」

「そうですか」

 不満をひと通り言い終えた後は質問することを考えていたらしい灯理。

 そんなことを訊かれても、近藤はたいしたことは答えられず、困惑するばかりだった。

 克樹たちと一緒に行動するようになったのは、彼らの仲間として迎えてもらった四月からで、あんな事件を犯してしまった割には友達と言える程度のつき合いはできていると思う。

 しかし細かなことについてはあまり突っ込んで聞ける立場ではないと思っていたし、夏姫や明美の克樹への視線などについては、気づかない振りをしてやり過ごしていた。

 ――なんで克樹の周りには女子がこんなに集まってくるんだ?

 学校内には克樹が近づいてくると避けて逃げるほど嫌っている女子もいるというのに、エリキシルバトルが始まってからか、それとも実はその前からだったのか、意外に身近に視線を送っている女子がいたりする。

 たいてい素っ気なくて、ぶっきらぼうで、女子に卑猥な言葉をかけたり行動をしたりして、人のことは言えないがピクシードールという根暗方面の趣味を持っている克樹。

 そんな彼に、夏姫や灯理など、寄ってくる男子には困らなそうな比較的スペックの高い女子が寄りつくのか、いまひとつ近藤には理由がわからなかった。

 ――確かにあいつは、それだけの奴じゃないんだけどな。

 表面的には感じの悪い克樹はしかし、世話好きで、知り合いのことを放っておけなくて、胸の奥には熱いものを持っていることも、それに負けた近藤は知っている。例えそれが、復讐の黒に彩られていたとしても。

 ――それでもやっぱりオレにはわからん。

 近藤にはふたりが、もしかしたら明美も含む三人が固執するほどの男なのか、よくわからなかった。

「夏姫さんは、本当にどうされたのでしょう?」

「さぁな」

 唐突に話題を変えた灯理に、彼女の顔を見てみると、少し顔をうつむかせていた。

 スマートギアで覆われている目が見えないといまひとつどういう想いで言っているのかわからなかったが、克樹のことで張り合っている割に、彼女の額に浮かぶシワは本当に心配しているように思えた。

「連絡はないのですよね?」

「あぁ。メールくらいは入れてるんだがな」

「ワタシもです。克樹さんに連絡がないのであれば、ワタシたちが連絡しても返事はないと思いますが……」

 確かに灯理の言う通りだと思う。

 灯理と戦ったのはつい二ヶ月前のことだが、決着がついた後、夏姫は戦いのことなんて少しも気にしていないかのように彼女と接するようになった。克樹のことはあれど、女の子同士だからか、ずいぶん仲もいいように見えていた。

 それについては近藤に関しても同じだったが、なんだかんだ言って一番に克樹のことを頼りにしているのは見えていたから、連絡があるとしたら彼にだろうと思えた。

「何か、ご存じではないのですか? 克樹さんからは家庭の事情ということは訊きましたが、それ以上のことは知らないそうですし」

「オレも知らないな。……あー、もしかしたらクラスの奴が知ってるかも知れないんだが、タイミングを見て訊いてみるよ」

「えぇ、お願いします。さすがに、ワタシも心配ですから」

 表情を曇らせたまま、近藤に顔を向けた灯理はそう言って軽く頭を下げた。

 明美が担任教師に夏姫の家に行くよう言いつけられていたのは見ていたが、会えたのかどうかはわからない。克樹にすら話すのをためらっているらしい彼女の様子から、何かを知っているんだろうとは思っていたが、近藤が彼女に問うのは難しそうだった。

「よぉ、近藤誠」

 灯理の家までもう少し、といったところでそんな声をかけ道に立ち塞がったのは、高校生くらいの男子。

「お前は――」

「口の利き方がなってないな。年上に向かって『お前』はないだろう?」

 莫迦にしたように顎を反らす彼のことを、近藤は知っていた。

「お知り合いですか?」

「あいつは、槙島猛臣だ」

 名前を言っても小首を傾げている灯理に、近藤はそれも仕方ないだろうと思う。

「誰なのですか?」

「あいつは、以前行われたピクシーバトルの大会、スフィアカップのフルコントロール部門でオレを倒して――」

 ニヤついている猛臣を睨み、近藤は言った。

「全国大会優勝した奴だ」

 

 


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