神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第一章 1
第一章 チェイントラブル
* 1 *
「はぁ……」
ローテーブル越しに深いため息を漏らしたのは、ショージさん。
僕はいまショージさんの家に来て、リビングのソファに向かい合って座っていた。
いつもこの家で家事をやっているエルフドールのアヤノは、ここにはいない。
僕が持ってきたデータを印刷した紙を見た瞬間、ショージさんが呼ぶまで部屋に入らないように言いつけていた。
HPT社のフルコントロールシステムであるAHSで稼働するアヤノは、防犯なんかの理由で視覚情報が会社に保存されている。僕が持ってきたデータは、他の誰にも見られるわけにはいかないものだと、ショージさんが判断したんだ。
「これはいったいなんなんだ? 克樹」
しばらくの間、眼鏡型スマートギアに表示した情報と僕が渡したデータを見比べていたショージさんは、紙束をテーブルに投げ出して睨みつけてきた。
「見た通り、シンシアで取ったデータだよ」
「そうなんだろうが、な……」
僕が今日持ってきたのは、ショージさんというコネでHPT社から貸してもらってる、試作モデルの第五世代フルスペックメインフレームを使ったときのデータだ。
シンシアに組み込んであるそれは、スフィアを介して得られる通常の稼働データと同時に、シンシアの身体の各部に取りつけたセンサーから得られた情報を統合してまとめたものだった。
渡されるときに約束していたデータは週一回、これまでに四回、不要な情報なんかを省いてまとめたものをショージさんにデータで送信していた。
いま紙に印刷して持ってきたのは、送信済みのデータから省いていたもの。
シンシアの、アライズ時に得たものだった。
「いったいこれはなんなんだ?」
「……」
脚の上で手を組み、少し身体を乗り出すようにして細めた目で睨みつけてくるショージさんに、僕は返事をしない。
アライズしたときのシンシアのサイズは、百二十センチを少し下回る程度。スケールだけ見れば、現在実用化されてるエルフドールと遜色ないサイズだ。
渡したデータは、ぱっと見にはエルフドールで取得したもののようにも見える。
でもショージさんは、印刷されたデータを見た瞬間にアヤノを退出させた。普通じゃないことに一瞬で気づいていた。
エルフドールとエリキシルドールとでは大きな違いがある。
それは主に、運動性能。
大人の人間と同等どころか、それを超える運動性能を持つエリキシルドールは、同程度の身長の子供と同じか少し劣るくらいの運動性しかないエルフドールとは、移動速度や腕力が大幅に違う。
「最新の人工筋を使っても、第六世代で予想されてるエルフドールの性能でも、こんなデータは出て来やしない。どうやってこのデータを取ったんだ?」
「言えないよ」
不機嫌そうに額にシワを寄せるショージさん。
いまのところ僕はショージさんをエリキシルバトルや、モルガーナとの関わり合いについて説明する気はなかった。
巻き込みたくない、ってのはもちろんある。
それと同時に、バトルのことを知ったショージさんが、どんな風にそれを扱うのか予測がつかないからだった。
バトルのことが広まるのだとしたら、問題は僕だけに留まらない。夏姫たち他のバトル参加者にも関わることだ。それにモルガーナのことだ、もしエリキシルバトルのことを公表なんてしようとしたら、ショージさんに危害が加わらないとも限らない。
それでも僕はこのデータを見せなくちゃならなかった。
直接のデータではないにしても、エリキシルドールの件については、いつかこの家にバックアップシステムがあるリーリエの稼働データから気づかれるだろう。
先に気づかれて問い詰められるくらいだったら、こっちから知らせて、交換条件を持ちかけた方がいいと判断した。
「去年の年末頃からか? お前が何かやり始めたのには気づいてたよ。これはやっぱり、モルガーナが関わってることなのか?」
「……」
「俺はお前の保護者だ。お前の父親と母親はお前がどうなろうとあんまり気にしないかも知れないが、俺はそうじゃない。危ないことをしてるんだったら止める義務も、権利もある」
「……」
ショージさんの呼びかけには答えず、僕はただ沈黙する。肯定も否定もしない。
苛立ってきたらしいショージさんは、眉をひくつかせながら僕から視線を外し、僕が耳につけてるイヤホンマイクに向かって言った。
「リーリエ。お前も何か知ってんだろ? 説明してくれ」
『おにぃちゃんが秘密にしてることだもん。あたしからは何も言えないよー』
「ったく、てめぇらは……」
ひとつ舌打ちしたショージさんは、ため息を漏らしてあらぬ方向に視線を向け、考え込むように顔を歪ませる。
「やめろ、って言ってもやめる気はないのか?」
「うん」
「危ないことなのか?」
「……」
「いまでなくていい。説明できるようになったら、全部話してくれるか?」
「それは――」
真っ直ぐに僕の瞳を見つめてくるショージさんに、僕は即答できなかった。
バトルはそう遠くないうちに、早ければあと数ヶ月くらいで終わる。終わった後、説明できるような状況になっているのか、僕にはわからなかった。
「約束はできないけど、説明できるようになったら」
「そうか、わかった。……ちっ、『貴方も当事者のひとりよ』、か。くそっ」
「え?」
「なんでもねぇよ。それよりも、今日の用事はこれだけじゃないんだろ? 何がほしいんだ?」
「うん。ちょっと待って」
さすがはショージさん、察しがいい。
僕は胸ポケットから携帯端末を取り出して、事前に用意しておいた情報を送信した。すぐに受信して眼鏡のレンズに表示させたショージさんは、呆れたような声を上げた。
「いったい何だよ、こりゃ。ソーサラーの教習所でも開くつもりか?」
「そうじゃないけど、できる?」
「そりゃまぁ、できるにはできるが、時間はかかるぞ」
「うん。ゴメン。お願い」
嫌そうな顔をしながらも、拒否はしないショージさん。
僕が頼みに来たのは、スフィアドールをコントロールするアプリのアドオンモジュール。もちろんエリキシルバトル用の。
かなり特殊で使い道が限定されるものだし、細かいところまでつくり込まないといけないものだから、多少プログラミングの知識と経験がある程度の僕じゃ完成させられなかった。
「それからもうひとつ。この前借りた試作のフルスペックフレーム、あれをもう一本貸してほしんだ。払い下げられるのがあったら、購入でもいいけど」
「アリシアに使うのか? それとも新しいドールでも組み立てるのか? シンシアみたいなセンサー特化型とか特殊なタイプならともかく、普通のバトルピクシーならフルスペックまでは必要ないだろ?」
「でも、必要なんだ」
「んーっ」
頭を掻き、ショージさんはうなり声を上げる。
「もう近々市販モデルが発売されるし、データラインが必要なだけだったらそっちでいいんじゃないのか?」
「強度が足りないんだ」
市販品と試験用とでは主に強度が違う。
データラインなんかはよほど仕様に問題がなければ同じだし、普通のピクシーバトルでメインフレームが破損するなんてシチュエーションはそんなに起こるものじゃないから、市販品の強度で不足することなんてまずない。
でも今後さらにアリシアを、リーリエを強くしようと思ったら、市販品の強度じゃ不足する可能性が出てきていた。
「わかった。再来週には試験もだいたい終わるから、一番状態がいいのを貸してやるよ」
「ありがとう」
礼を言って、僕はさっさとソファから立ち上がる。
これ以上ショージさんと話していたら、どこでボロを出すことになるのかわかりゃしない。
「なぁ、克樹」
「何?」
「お前がいまやってることは、前にうちに来た夏姫ちゃんとか、……あのときの、エイナのライブのこととかも関係してるのか?」
「……」
「はぁ。そっか。わかった。説明できるようになったら、全部話してくれよ」
「うん。説明できるようになるとは、限らないけどね」
ソファに置いてあったデイパックを担いで、僕は険しい顔をしてるショージさんに見送られてリビングを出た。
*
「さて」
ショージさんのとこから自宅に帰ってきた僕は、作業室に入ってフルメッシュチェアに身体を預けた。
デイパックからピクシードール収納用のアタッシェケースを出して開き、アリシアを机の上に立たせると、早速リンクしたリーリエが僕の顔を見つめるように笑みを浮かべさせた。
アリシアに笑みを返して、僕はスマートギアを頭に被る。
今度貸してもらえるフルスペックメインフレームを使った、アリシアの全面リニューアル用パーツを早々に選定しなくちゃならなかった。
『やっぱり、新しい戦法を使うんだ』
「うん。これから先、どんな敵を相手にするかわからないし、いまのままで、戦えるかどうかも予測がつかない」
『そうだね……』
灯理と決着をつけてからは、もう一ヶ月近くが経っていた。
いまのところ新たな敵が現れる様子はない。
でも灯理のときだって前触れなんてなかったんだ、いつ次のエリキシルソーサラーが現れないとも限らない。
エリキシルバトルも中盤戦に入ってそこそこ経ってるんだし、今後現れる相手はそれなりにバトルを経てきた強敵になるだろう。
アリシア、シンシアの性能アップはもちろん、僕とリーリエがもっと強くなる必要がある。それと同時に、普通とは違う手段も考える必要があると感じていた。
何しろエリキシルバトルはスフィアカップのようなルールのある戦いじゃない。それに、最後に戦う相手はどんな奴になるのかもわからない。
平泉夫人にすら手も足も出ない僕とリーリエじゃ、この先勝ち残れるかどうか不安だった。
ショージさんにお願いした新しいアプリも、フルスペックメインフレームも、アリシアの強化と同時に、新しく思いついた戦法のために必要なものだった。
『大丈夫。あたしは絶対に負けないよ』
「頼りにしてるよ、リーリエ」
『うんっ!』
かけられた声にそう答えると、リーリエはアリシアに満面の笑みを浮かべさせた。