神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第二部 黒白(グラデーション)の願い 第二章 2

 

 

       * 2 *

 

 

 綺麗な発音の英語が、ダイニングテーブルの方から聞こえてきていた。

 それを追って発音される英文は、いま聞いたもので、スレート端末には読み上げる文が表示されてるのに、つっかえながらの拙いものだった。

 ――どうしてこうなったんだろう。

 ソファに座る僕は天井を仰ぎ、そんなことを考えていた。

 朝昼兼用になった食事の後、夏姫と中里さんが僕の家に泊まることになり、昨日は慌ただしくてできなかった自己紹介を改めてしたり、黒いドールのことを詳しく聞いたりしていた。その後、僕たちが勉強のために集まってると聞いた中里さんは、手伝うと言い出した。

 いま、ダイニングテーブルでは中里さんが夏姫に英語を、ソファでは僕が近藤に数学を教えてるところだった。

「なぁ、おい。本当にどうするつもりなんだ?」

 中学の基礎からやり直してそこそこはかどってる勉強の途中、ちらりとダイニングテーブルの方に視線を走らせた近藤が小声で僕に耳打ちしてくる。

「どうするって。成り行き上、もう仕方ないだろ」

「そうだろうが、中里さんは一応敵だろ。信用していいのか?」

 英語の発音と和訳を頑張ってるらしい夏姫たちの方に、僕もちらりと視線を向けてみた。

 いまのところあの忍者ドールのソーサラーは不明。

 たぶん近くにいたんだと思うけど、気を失った中里さんに気を取られて探すこともできなかった。

 昨日知り合ったばかりの中里さんのことだって、別に信用してるわけじゃない。

 おっとりとしていて、でもちょっと強引で、小悪魔的なところが見え隠れしている彼女はどうにも拒否し難く、踏み込まれるとペースに乗せられてしまう感じがあった。

 信用はしてなくても扱いづらい中里さんのことは、いまのところは協力体制を維持する他なかった。

「まぁ、あの忍者みたいなドールの正体がはっきりするまでは、ね」

「本当、そういうところは甘いよな、克樹は。お前のそういうとこにオレも救われてるんだけどな」

 二年になって停学が解けて再会したころにはスキンヘッドに近かった頭は、五分刈りくらいまで髪が伸びてきていた。

 長身でぱっと見細身のようだが、全体的に身体の造りががっしりしてる近藤は、暑苦しさを感じさせない涼やかな笑みを浮かべていた。

「なんだよ、それ」

「オレがまだ梨里香を生き返らせる希望を持っていられるのは、克樹のそう言うところがあるからだ」

 優しげに笑う近藤に、僕は眉根にシワを寄せながら視線をあらぬ方に向けた。

「でも本当に、なんでお前はオレのや、浜咲のスフィアを奪わないんだ?」

「前にも言っただろ。こうやって集めるって方法でも大丈夫かどうか試してるだけだって。それにもし願いをひとりしか叶えられないなら、もう一度戦うって」

「いや、そうなんだが、もう一度戦ったりするくらいなら、あのとき奪っておいた方が楽だったろ?」

「別にどうでもいいだろ」

 しつこい近藤を横目で睨みつけるが、黙る気はないらしい。

「オレだってエリキシルソーサラーを辞めたいわけじゃない。でもやっぱり、お前がどうしてスフィアを奪わないのかってのは、ずっと疑問に感じてたんだ」

 そんなに疑問に感じるのか、と僕自身は思ってしまう。

 夏姫にも以前問いつめられたことではあったが、そんなにまでこだわることなんだろうか、と僕自身は感じていた。

 ――いや、モルガーナのことを知らないなら、仕方ないのか。

 夏姫も近藤も、モルガーナとは面識がない。会わない方が幸せだと思うが、あいつが僕なんかの想像よりも遥かに大きなことをやろうとしてるなんてのは、直接会ったことがある僕にしか想像し難いだろう。

「……魔女の思惑に踊らされたくないだけだ」

「魔女? 魔女ってのは誰なんだ? バトルに関係してる奴のことなのか?」

 魔女という単語に食いついてくる近藤に、言わなければ良かったと思う僕が、どう誤魔化そうと思ってるとき、胸ポケットの携帯端末が音声着信を知らせた。

「ちょっと待て。――はい」

 近藤を制して立ち上がり、着信の相手を確認した僕は即座に応答ボタンを押した。

『よぉ、克樹。やっと例のものを引き渡せるようになったぞ』

「本当?! じゃあすぐに取りに行くよ」

『なんだ? 急ぐんだな。送ろうと思ってたんだが。それじゃあいまから持って帰るから、家の方に来てくれ』

「わかった」

 通話を切断して、僕はLDKから出ようと扉の方に向かう。

「どっか行くの? 克樹」

「あぁ、うん。ちょっと出かけてくる」

 夏姫からかけられた声に、振り向いてそう答える。

「ちょっと待ってくれよ。オレの勉強はどうするんだよ」

「あのふたりと英語でもやっててくれ」

 僕のことを追いかけてきた近藤に言うが、心底嫌そうな表情を浮かべていた。

「勘弁してくれよ。女の子ふたりの空間に入り込むのは嫌だ、って」

「だったらリーリエに教えてもらってくれ」

「リーリエちゃんに? できんのか? 勉強なんて」

「リーリエは暇な時間に教科書くらい全部読破してるからな。ヘタすると僕なんかよりよっぽど勉強できるぞ。端末のアクセス許可出せばいいから、それで頑張ってくれ」

 近藤を振り切り、僕は二階に上がって作業室に入る。

 いつ忍者ドールが襲ってくるかわからないから、スマートギアを被り、アリシアやドール用装備も忘れずにデイパックに詰める。

 つい一昨日届いて昨日の夜から使い始めた、平泉夫人お勧めのMW社製スマートギアは、高級品だけあって細かいところまで気を遣っていて、いままでのも不満はなかったけど、装着感が抜群にいい。適当にされることが多いマイク性能、ヘッドホン性能も、オーディオ用高級品レベルだ。

 ディスプレイの性能も外部カメラの性能も、もう行き着くとこまで行き着いてると思ってたけど、鮮明さも高速物体への追従性もかなり上がってるのを、昨日のリーリエとの実験で判明していた。

 懐へのダメージは相当のものだが、平泉夫人にも言われた通り、いまの僕はいつもより収入がいいのでどうにかなる。

 外でスマートギアを使ってると警察に注意されるからディスプレイは跳ね上げておいて、準備を終えた僕が一階に下りていくと、玄関前に夏姫が待っていた。

「ねぇ、ひとりで出かけて大丈夫なの?」

「心配してくれるのか?」

 暗い表情で、微かに揺れる瞳で、僕を見つめてくる夏姫にニヤリとした笑みを返すと、途端に顔が赤く染まった。

「莫迦!!」

「まぁ大丈夫だ。正体わからなすぎてあんまり戦いたくないし、現れたらどんな方法を使っても逃げるよ」

「……それならいいんだけど。でもこの家、アタシたち三人だけにしていいの?」

「四人だよ。リーリエもいる。自由に動かせる身体はなくても、外も中もリーリエが監視してるから、何かあればすぐに警告してくれるさ。それよりも後で泊まりの準備取りに帰るんだろ? 僕は夕方くらいには戻るつもりだけど、ひとりで行くなら夏姫こそ気をつけろよ」

 僕の方はスマートギアのカメラをリーリエに見ててもらえば、前でも後ろでも監視ができるし、僕のとショージさんの家の近くを除けば、人通りが少ない場所を通ることはあんまりない。

 それよりも住宅街を抜けていく必要がある夏姫の家までの方が、襲われそうな場所が多かった。

「心配してくれるんだ?」

「……うっさい。行ってくる」

「ん。行ってらっしゃい」

 吐き捨てながら夏姫の横を通って靴を履き、玄関ドアに手をかけながら振り向くと、少しだけ頬を赤くしながら笑む夏姫が、手を振ってくれていた。

 

 

          *

 

 

「ようこそいらっしゃいました、克樹様」

 僕がノブに手をかけるよりも先に扉を開けたのは、アヤノ。

 試作型百四十センチタイプのエルフドールのコントロールシステムであるAHS(アドバンスドヒューマニティシステム)、というよりショージさんの家を管理しているAHSの端末であるアヤノは、前回見たときと変化がないようにも思える。

 でもよく見ると柔らかに笑むアヤノの表情は、前回見たよりも自然で、たぶんフェイスパーツが新しいものになってるし、それをコントロールしているAHSのバージョンも、上がっていそうな感じがあった。

「こちらで少々お待ちください。我が主はまもなく帰宅する予定ですので」

 応接間に通されて、僕の家よりか数ランクは上等そうなソファに座ってひと息吐く。

 電話があったときはまだ会社にいたらしいショージさん。ちょっと早く着きすぎたみたいだった。

 淹れてもらったお茶に口をつけ、笑みとともに礼をしてアヤノが応接間を出ていった後、早速リーリエが発したのは、文句だった。

『なんでおにぃちゃんはあの灯理って人を信用するの?!』

 ここまで移動してくる間は映像資料を見せてたから静かだったし、歩いてる間はあんまり喋りかけてこないリーリエだけど、座った途端にこれだった。

 仕方なく僕は跳ね上げてたディスプレイを下ろして、イメージスピークで返事をする。

『別に信用してるわけじゃないけどね』

『だったらなんで家に泊めるの? 夏姫とか誠みたいにおにぃちゃんが一度倒して仲良くなった人じゃないんだよ? 家に泊めたりしたら、どうなるかわかんないよっ』

『それはそうなんだけど、まぁあの流れじゃねぇ……』

『そういうとこはおにぃちゃんは甘いよっ。言わないといけないことははっきり言わないとダメなんだから! 何となく灯理はおにぃちゃんのこと狙ってるみたいに見えるし、本当は夏姫だって家に泊めるのイヤだけど、まだマシだからなんだよ?』

 ――あいつにもこんな風に言われてたなぁ。

 言い回しとか怒り方が百合乃に似ていて、リーリエの言葉に思わず噴き出しそうになる。

 でも同時に、寂しさも感じる。

 百合乃の脳情報を使ったリーリエには百合乃の記憶はなく、性格とかしゃべり方とかは凄く似てるけど、別の存在だ。

 百合乃に会いたくないと言ったら嘘になるけど、でも僕はもう彼女との別れを済ませてる。エリクサーで彼女の復活を願うことはない。

 それでも時折リーリエから感じる百合乃の影に、何とも言えない気持ちになることがあった。

『聞いてるの? おにぃちゃん!』

『あぁ、うん。聞いてる。中里さんのことは四日くらいのことなんだ、様子を見よう。いまも家の方は監視してるんだろ』

『うん、もちろんっ。普通に勉強してるだけだけどね。っていうか、誠がまだ高校受験の問題の正解率低いんだよぉ。時間かかりそう……』

 人工個性であるリーリエは、一度に複数の視覚を操るくらいのことは普通にできる。実際には高速で切り替えてるだけらしいんだが、僕から見ればいくつもの目で同時にものを見てるようにしか思えない。

『まぁ、もう少しの間頑張ってくれ。明日は僕がやるから。ほら、BGM代わりにこれでも聴いとけ』

 そう言った僕はファイルエリアを開いて、ダウンロード購入した音楽アルバムの共有設定を入れてやる。

『わっ、エイナのだ。聴く聴くーっ』

『近藤の方、おろそかにするなよ』

『わかってるよーっだ』

 早速リーリエが再生を開始し、僕の方にも聞こえるようになったエイナの歌声。

 この前エイナが現れたときに宣伝されて、ライブ会場で中途半端にしか聴けなかった曲が僕も気になって、すぐ後にダウンロード購入していた。

 僕以上にリーリエが気に入っていて、他のことをしながら聴いてるみたいだから、すでに再生回数が凄まじいことになっていた。同じくエイナ好きの夏姫とも、話に花を咲かせていたりする。

 静かになったリーリエに、聴くともなしにエイナの歌声を聞きながら、お茶をひと口飲んで僕は考える。

 ――みんなが言ってることも、わかるんだけどね。

 リーリエや近藤が言ってるように中里さんは信用ならないと思うし、夏姫の心配もわかる。

 でも僕はいまのところ、彼女に戦いを挑もうという気にはなれなかった。

 僕たちもそうだけど、出会ったとき以降は動かしてない彼女のエリキシルドール、フレイヤ。ゴスロリ調の衣装を見る限り、戦い慣れていないことは明らかだ。

 アニメに出てくる登場人物みたいに、布地を使った衣装を施してるピクシードールはバトル用のにもいるけど、動きの邪魔にならない程度にするか、平泉夫人の闘妃のように計算された形のものばかりだ。

 邪魔になりそうなフリルとか襞がついた衣装で全身を覆ってしまっているフレイヤは、どう考えても戦いに向いた形じゃない。たぶんピクシードールではない、普通のドールのつもりであの格好をさせてるんだと思う。

 彼女自身が言った通り、ピクシーバトルをやったことがないなら、戦って彼女のスフィアを奪うのも難しいことではないだろう。

 ――でもやっぱり、引っかかるんだよな。

 いまのまま中里さんのスフィアを奪い取ったりしたら、どうしてモルガーナが彼女にエリキシルスフィアを渡したのかがわからなくなりそうな気がしていた。

 ピクシーバトルの経験も、スフィアドールの知識もなかったはずの彼女に、たぶん貴重なエリキシルスフィアを渡したモルガーナ。

 何となくそこに、エリキシルバトルの秘密があるような、そんな予感がして仕方がなかった。

 顎に手を添えながらそんなことを考えてるとき、頭を突かれた。

 顔を上げてみると、目の前にいたのは苦笑いを浮かべてる音山彰次こと、ショージさん。

 スマートギアの集音マイクをオフにしてるのに気がついて、僕は慌ててポインタを操作してモードを切り替える。

 集音マイクがオンになるのと同時に、外部スピーカーから流れだしたのはエイナの歌声と、リーリエの鼻歌。

 それもちょうど流れていたのは、ライブ会場で聴きそびれた「想いの彼方の貴方へ」。言いたくても言い出せない、片想いをする女の子の歌だった。

 途端にショージさんの顔が、微妙な表情になった。

「ちょっと待って」

 慌てて操作をミスって、どうにか歌のサビから終わりに近づいた辺りで外部スピーカーをオフにすることに成功した。

「操作ミスった。ゴメン」

「あぁ」

 僕の目の前のソファに座り、音もなくアヤノが注いだお茶を飲むショージさん。

 その表情はまだ歪められていて、何か凄く不機嫌そうだった。

「どうかしたの?」

「いや……」

 濃紺のスーツ姿で、ジャケットを脱いだだけのショージさんが何を考えているのかは、わからない。

 それでも凄く不快に感じてることがあったことだけは確かだ。

「ただ、エイナみたいな、人工合成の歌が嫌いなだけだ」

 眉と眉の間に深いシワをつくってぽつりと言うショージさん。

 嘘吐け、と言いそうになって、辞める。

 斜め下の方に視線を逸らすショージさんの瞳に浮かんだ、怒ってるような、嫌がってるような、けれどもそうしたものとも違う、わずかに揺れてるようにも見える色に、僕は何も言えなくなっていた。

 僕にとってスフィアドールに関わらず、オタクの師匠とも言うべき人である彼は、エイナのようなエレメンタロイドではないけど、声優なんかの声をサンプリングしてつくった人工合成ボイスの音楽は、ひと通り好きで持っていたはずだった。

 ――エイナだけ、何かあるのかな?

 とくに理由は思いつかないけど、そうかも知れないと思う。

 HPT社の技術部長であるショージさんは、モルガーナと対面したときに行ったライブなんてのは技術の発表も兼ねてるんだ、希望すれば最優先で行けるはずだ。

 かなりの人気で、僕もちょっと聴き惚れるほどのエイナの歌声を、ショージさんが嫌う理由は見つからない。

「そんなことはいい。とりあえずこれだ」

 小さくため息を吐いて、ソファに置いた大きな鞄から小さめのアタッシェケースを取り出したショージさん。

 開いた中に入っていたのは、接続端子がたくさんある金属製の、ピンポン球をひと回りくらい小さくした球体と、それを納めるための頭蓋骨に似たプラと金属の複合物、それから人の背骨のように少し湾曲した金属製のフレームだった。

 スフィアと、スフィアソケットと、メインフレーム。

 ピクシードールにとって最も重要と言えるパーツたちだった。

「スフィアは別になくてもいいだろうし、スフィアソケットも規格品だからいいが、メインフレームは壊したりしてくれるなよ。まだ試作品で、これを含めて四本しかないんだから」

「もちろん」

 開いたままローテーブルの上を滑らせてこちらに寄せられたそのパーツをじっくり眺めてから、僕はアタッシェケースを閉じて持ってきたデイパックに納めた。

 顔を上げてみると、ショージさんはもうさっきの複雑な色の瞳はしてなくて、微かに笑みを浮かべていた。

「でもずいぶん開発に時間かかったんだね。他のところはもう出てきてるでしょ」

「まぁな。エルフドール用のを優先したってのもあるが、うちがつくる第五世代のフルスペックフレームだからな。ヴァルキリークリエイション並とまでは行かなくても、時間がかかった分、試作品の出来はかなりいいぞ」

 唇の端をつり上げて笑うショージさんに、僕も笑みを返した。

 スフィアドールの第五世代で拡張された規格はいろんなものがあるけど、何より変化したのは第四世代までは同一だったスフィアの変更だった。

 処理速度やドールの運動性能の向上なんてのも目玉だけど、開発者にとって一番注目されたのは、データラインの大幅な増量だ。

 第四世代までのスフィアドールでは、人工筋の制御やセンサーの取りつけに必要なデータラインの本数は人型のドールを組み立てるだけでいっぱいいっぱいで、余裕はほとんどなかった。

 実際現在も標準サイズは百二十センチのエルフドールでは、充分な筋力を得るためにはかなりの本数の人工筋を使わないといけないのに、データラインの本数不足により、比較的効率の悪い太くてパワーのあるタイプのものを使う必要があった。

 ピクシードールではそんなに不足することはないけど、手の指なんかは親指と人差し指と中指は独立して動かせたけど、薬指と小指は連動してしか動かすことができない。

 スフィアカップの地方大会優勝者と準優勝者に贈られた特別なスフィアを含め、第五世代のスフィアではそうした問題が大幅に解決されてる。

 この前戦った闘妃が使っていたコントロールウィップも、ピクシードールの手の平に電源とデータラインの端子を取りつけて実現した、第五世代ドールならではの武器だ。

 僕が持ってる機動ユニット「スレイプニル」は、ピクシードールを乗せる乗り物だけど、第四世代までだと、普通の人にとってはただのラジコンで、ドールと一緒に動かすことはできない。リーリエの場合アリシアと同時にリンクすることで一緒に動かせるけど、第五世代フレームを使えばドールを通してそういったものも扱えるようになったりもする。

 バトル用のピクシードールではそれほど恩恵が得られる拡張ではないけれど、ピクシーを含むスフィアドールの活用場面はいろんなところに広がってる。

 エルフドールは小柄であっても人型で、遠隔操作が可能だから、局地環境での活用はすでに始まってる。いまのところ一般人が気軽に買える価格ではないにしても、今後価格が下がってくれば人間がやっているかなりの仕事をスピアドールが代行できるようになると言われてたりする。フェアリードールやピクシードールも、人が入れない場所での活動なんかに広く利用されている。

 人型か、四つ足の動物型にしか使えないという制限がスフィアにはあるため、活用方法には限界はある。それでもスフィアドールの開発は急速に進められているし、市場規模も日増しに巨大になっていた。

 すでにいくつかのメーカーが第四世代のものより多くのデータラインを使用できるピクシードール用フレームを出してきてる中で、今日ショージさんから受け取ったのは、第五世代で拡張されたデータラインのすべてを使える、まだ数社からしか出ていないフルスペックメインフレームだった。

「そいつは何に使うつもりだ? リーリエのアリシア用に使うのか?」

「うぅん。ちょっともう一体ピクシードールが必要になったから、アリシアとは別のタイプのを組み立てる予定だよ」

「必要なパーツがあったらこっちでも準備できるぞ。無償で試験してもらうんだからな、それくらいは都合つくぞ」

「大丈夫。もうパーツは手配済みだから」

 上半身を乗り出して話をしていたショージさんは、「そっか」と言い、いつもの調子でふんぞり返るようにソファに背中を預けた。

「データはちゃんと提出しろよ。こっちもリーリエのサブシステムからデータは取るが、お前の方でまとめたレポートを出してくれないと会社に言い訳が立たない」

「もちろん、ちゃんと週一回は出すよ」

「いまのところピクシードール用のフルスペックフレームはデータが出揃ってないし、利用方法を含めて発展途上だからな。データはあればあるほど良い。とくにリーリエが扱った場合のデータは貴重だしな。さっさと組み立てて試験に入ってくれ」

「わかってる」

「……まぁ、やっと第五世代の規格がこなれてきたところだってのに、もう第六世代の話が出てきてるがな」

「第六世代? どんな内容になるの?」

 そう問うてみると、難しい顔をして考え込んだ後、ショージさんは顔を寄せてきて話し始めた。

「まだオフレコなんだがな、これまで認められてなかったかなりの種類のパーツが組み込み可能になる」

「その辺の噂くらいはネットに出てるけど、第五世代の正当進化だって話だし、そこのところは普通だよね」

 スフィアドールを人型や動物型に制限してるのは、主にスフィアに認識できるパーツの問題が大きい。

 データラインに接続し、ボディの一部として制御できるのは、SR社に情報を提供して認証を受けたパーツに制限されてる。認証されるパーツは人型ないし動物型に関わるものと、第五世代からは外部機器なんかだ。

 何にせよ本体自体は人型か動物型に制限されることになってる。

 その制限をどうにかしようとおかしなことを個人でやってる人もいるし、制限のないスフィアを開発しようとしてる企業もあるけど、成果が出てるって話はとくに出てきたことがない。

「そうなんだがな。その中に油圧や空気圧の機械式人工筋も入ってくる予定だそうだから、ついに百五十センチのエルフドールが実現されることになる」

「百五十センチって、じゃあ……」

「あぁ。いままでと違って、専用の器具や設備を用意しなくても、人間の代わりとして仕事をするエルフドールが登場してくることになる。ただまぁ、登場当初は高級外車どころか小さい家が買えるくらいの値段になりそうだから、すぐには普及しないだろうし、法整備の方も間に合わないだろうと言われてる。普及には五年どころじゃ済まない時間が必要だろう」

「そりゃそうか」

 いまでも個人でエルフドールを買って家政婦代わりにするより、人間の家政婦を雇った方が遥かに安いなんて言われてるくらいの価格と維持費なんだ、新しいものが出てきてもすぐには手に入るような価格になるわけがない。

 それに試作型のアヤノでは料理なんかもつくれたりするけど、衛生の問題だとかスフィアドールが人に食べ物を提供する場合の問題とかは、法律の壁に阻まれていて、できるとしてもやっちゃいけないことになっていたりする。その辺りの法改正にはあと最低で十年はかかるだろう、なんて話も出ていたりした。

「んで、百五十センチタイプのエルフドールが実現する頃には、たぶん第七世代の話が出てきてるはずだ」

「第七世代ぃ?」

「そうなんだ。いまもまだ第六世代の規格を詰め切ってないってのに、完全に噂の段階だが、そんな話も出てる」

 呆れたように息を吐き、ショージさんはそだの肘掛けに肘を突いて顎を乗せた。

「どうなるって話なの?」

「まだぜんぜんわからん。ただ、噂では、スフィアをスフィアドール以外に使えるようにする、って話は出てる」

「それは、かなり凄いことになるね」

「まぁな」

 これまでの制限が取っ払われることになれば、スフィアの利用価値はスフィアドールに限らず、運動を伴う様々な機械に組み込めるようになる。

 それなのに、ショージさんの表情は暗い。

「人間と変わりない義手や義足の実現はもちろん、工場とか宇宙船とかのロボットアーム、介護補助用の運動補助フレームなんかにも使えるし、その手の開発はいまもやってるんだが、な……」

「どうかしたの?」

「んー。まぁ、もし第七世代が制限の解放だったとして、一番最初に使われるようになる分野は、どんなところだと思う?」

 睨みつけてくるというのとは違う、でも力の籠もった視線を僕に向けてくるショージさん。

「やっぱりショージさんも言ってた介護とか義手とかそういう方面、かな?」

「開発は進むだろうが、それはずいぶん先だな。まず最初に使われ始めるのは、たぶん軍事産業だ」

「……軍事産業?」

「あぁ。スフィアの制限が解除されても最初のうちは開発費が嵩むし、法律の改正も追いつきゃしない。だが開発費をある程度無視できて、その手の開発については法律の制限も緩い軍事産業は、真っ先にスフィアを使うようになるだろう。戦車や戦闘機の運動制御もスフィアを使えばこれまで以上に細かなことが可能になる。完全に無人で、人が乗ってるのと変わらない遠隔操作が可能な兵器が、一番最初に第七世代の利用例として登場するだろうな」

「それは、そうかも知れないけど……」

「そんなこと言っても、いま俺たちが開発してるようなものも、すでに軍事産業では利用されてるんだがな。人工筋やフレームなんかは、そのままじゃないが、技術的にはすでに多くのところで利用されてる。だが、俺たちが造り上げてきたスフィアドールってものを、そのまま戦争の道具にされるってのは、あんまりいい気分ではないな」

「そうだね」

 深くため息を吐いたショージさんは、顔を少し俯かせた。

 確かに最初のうちスフィアドール用に主に使われてた人工筋なんかは、あっという間に様々な分野に使われるようになってることは知ってた。フレームなんかも、とくにエルフドール用の強靱なものは、素材技術が兵器に利用されているって話をどこかで見たことがある。

 利用方法の一環なのだから仕方ないっちゃ仕方ないし、別になければないで、兵器なんて他の技術で造られるだけなんだろうけど、望まぬ方向に自分が携わった技術が使われるのは、確かにあんまり気分が良くないだろうと思った。

 ――これも、モルガーナの意図してることなのかな?

 スフィアとスフィアドールに関わることは、そのほとんどがあいつの意志が介入してるんだと思う。スフィアの利用方法の拡張もまた、あいつが意図してることなのだろうか、と考えてしまう。

 ――そう思えば……。

 モルガーナのことを思い出して、僕は顎に手を当てて考える。

 ――中里さんのあれも、あいつが関わってるんだよな。

「ねぇ、ショージさん」

「なんだ?」

「神経情報送信型のスマートギアって、もう実用化されてるの?」

「神経情報送信型ぁ?」

 突然何を言い出したんだ、みたいにショージさんは顔を歪ませる。

「うちでも医療方面のとこと協力して進めてるが、臨床試験に入ってるのは確かスフィアロボティクスだけだったんじゃないか? 適正の有無で使える人と使えない人がいるとかなんとかで、実用段階にはほど遠い代物だったはずだが」

「そうなんだ」

 ――だとしたら、やっぱり中里さんは、あいつに見出されてあれを提供されたんだ。

 それがどういう意図なのかまでは僕にはわからない。

 でもたぶん、彼女はモルガーナに何かの能力とか適正を認められてあのスマートギアを与えられ、実験か何かのために利用されてるんだ。

「突然どうしたんだ? 医療用スマートギアなんて」

「いや、ちょっとね……。知り合いでそれを使ってる人がいたから、さ」

「ほぉー」

 なんでか目を輝かせ始めるショージさん。

「そろそろ帰らないと、夕食の時間もあるし」

「なんだ、夕飯は食べて帰るのかと思ってたんだがな」

「いや……。いまはちょっと、家に人がいるから……」

 ニヤニヤした笑みを浮かべてソファを立ち上がったショージさんは、側に立って僕の肩に腕を回してくる。

「なんだ? 女の子と同棲生活でも始めたのか?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

「この前来た彼女じゃないよな? なんだ、二股か? やるじゃないか、克樹」

「いや、違うから……。帰るね、ショージさん。フレームありがとう」

 ショージさんの腕から逃れて立ち上がった僕は、さっさと応接間の扉へと向かう。

『またねー、ショージさんっ』

「おう、またな、リーリエ。克樹、今度来たときに報告しろよ!」

「嫌だよ」

 僕はそう言い捨てて、急いでショージさんの家を出た。

 

 

          *

 

 

「じゃあまた明日な……」

「できるだけ早く帰ってくるから」

 げっそりした顔の近藤と、にっこり笑った夏姫は、玄関で僕に手を振り、出ていった。

 勉強ができると言っても教えるのが上手いわけじゃないリーリエにしごかれ、近藤はかなりの精神的ダメージを負ったらしい。口調も性格も小学生か、ともすると幼稚園児くらいに感じることもあるリーリエに勉強のダメ出しをされれば、そうもなるだろう。

 まだ夕方にもなってない時間だけど、今日はこの後空手の道場があるとかで帰って行った。

 夏姫は当初の予定通り、泊まり用の装備を取りに帰るのと同時に、夕食の材料を買い出しに行った。

 近藤のことはともかく夏姫の買い物にはつき合おうかと思ったけど、家に中里さんだけ残しておけないってことで、ショージさんの家から帰るのと入れ違いになる形で僕は家に残ることになった。

 LDKのソファに座り、しばらくの間スマートギアで調べ事とかしながら、夏姫が淹れたコーヒーの残りに牛乳をぶち込んですすっていると、中里さんが入ってきた。

「二階の準備、終わりました」

「あぁ、ゴメン。僕がやらないといけないのに」

「いいえ。泊めてもらうのですから、当然です」

 ギアのディスプレイを跳ね上げて言う僕に、彼女は微笑んで見せた。

 最後に帰ってきたのはいつだったのかも憶えてない両親の寝室の掃除なんかをしていた中里さん。ソファのところまで来た彼女に遅れて入ってきたのは、アライズしたフレイヤだった。

「なんでまたフレイヤをアライズしてるの?」

「エリキシルドールの方がワタシよりもよほど力がありますし、家の中とは言えひとりになるので、用心のためです」

 言いながら中里さんは、ためらうことなく僕の隣に、膝と膝が触れそうなほどの距離で座った。

 僕たちから少し離れた場所に立つフレイヤは、膝上丈くらいのスカートをした、白を基本に黒で彩られた服を身につけてる。スカートの裾とか肩口とか袖のところとか、他にもいろんなところにフリルやレースとかで飾り立てられた服は、可愛らしさを兼ね備えつつも、どこか近寄りがたさを感じる微妙なデザインだ。

 スフィアの冷却器を兼ねる細い黒髪は量が多いタイプで、アクセサリで飾り立てられた髪の長さは、足首近くまであり、絶対戦闘の邪魔になるってくらいあった。

 小柄で、子供くらいの身長なのに、雰囲気だけなら大人のように感じるフレイヤは、物憂げな表情をしている。

 そんなフレイヤなのに、何かこだわりでもあるのか、それとも単純に消費電力が高いのか、衣装ではっきりとはわからないけど、どうやらFカップバッテリを搭載してるっぽかった。

 身長の比率から夏姫のブリュンヒルデよりも大きく見えるフレイヤの胸だけど、でも僕のすぐ隣に座ってる中里さんの薄ピンク色のワンピースに包まれた胸は、それに劣らぬサイズを持ち、それを超える魅力を放っていた。

「……なんで、僕の家に来たの?」

 白に赤線の入ったスマートギアで表情が読み取りにくいけど、口元に笑みを浮かべてる中里さんに訊いてみる。

「親がいないからって、家に籠もってた方が安全でしょ」

「そうは思ったのですが……。夜は家にワタシしかいないと考えたらどうしても不安で……。昨日会ったばかりの音山さんに助けてもらうのもどうかとは思ったのですが、エリキシルバトルのことを理解してもらえて、話せる人の中で、家を知っているのは貴方だけでしたので」

 すぐ側で僕のことを見つめてきながら、唇の端を少し歪めて笑う中里さんが、どんな想いで言ってるのかはわからない。

 ただ、仲が良いわけでもない男の家に押しかけるってことがどういうことなのか、身を以て知ってもらう必要があった。

 ――後で夏姫か、最悪遠坂に頼らないといけないかもな。

 そんなことを思いながら小さくため息を吐く。

『リーリエ』

『うん、大丈夫。わかってる』

 イメージスピークでリーリエに声をかけ、僕は被ったままだったスマートギアを脱いでテーブルの上に置いた。

「でもよく知らない男の家でふたりっきりになるってことの意味、わかってるの? 中里さん」

 言いながら身体ごと中里さんに向き直った僕は、彼女の肩をつかんでそのままソファに押し倒した。

「フレイヤも、いるのですよ」

「こうしてしまえば、ドールも扱えないだろ」

 彼女の医療用スマートギアに手をかけ、ディスプレイを跳ね上げさせた。

 視神経への送信部が集中してるディスプレイを跳ね上げてしまえば、彼女は文字通り目が見えなくなる。もう僕に対して手も足も出ない。

 覆い被さって上から彼女の顔を見下ろした僕は、思わず息を飲んでいた。

 この前リーリエに調べてもらったときに見た写真と同じ、中里さんの綺麗な瞳。

 長く、ソファの上に広がる髪と同じように、少し茶色みがかった彼女の瞳は、すぐ近くの僕のことを映しながらも、僕のことを見ていなかった。

 遠くを見てるのとも違う、焦点の合っていないその目は、嘘でも冗談でもなく、視覚として機能していない。

「どうして、こんなことを?」

 慌てるわけでも、嫌がるわけでも、怒るわけでもない静かな声で、中里さんは問うてくる。

「理由なんてたいしてないさ。僕は男で、灯理が女の子だからだよ。それ以上の理由は、この状況で必要ないだろ」

 女の子らしい細い腕をしてた夏姫よりもさらに細い両方の手首を、彼女の頭の上で左手一本で押さえ込む。

 捻れば折れてしまいそうな首筋に顔を埋めるようにし、香水だろう、微かな柑橘系の爽やかな香りを楽しむ。

 空いている右手で、僕は灯理の胸をわしづかみにした。

「さすが、おっきいだけのことはあるね」

 夏姫のはある程度のサイズと弾力がある感じだったけど、灯理のは大きさと同時に、服とブラ越しでもわかる指が沈み込むような柔らかさが心地良い。

 微かに汗ばんできて少し変わってきた灯理の香りを楽しみつつ、首筋から耳の裏に、髪の中に鼻を這わせる僕は、徐々に興奮してきていた。

 直接触りたくなる衝動に駆られながら、大きな胸を揉み、つかみ、手で感触を楽しむ。

「あっ……」

 耳に吹きかけた息で甘いと息を漏らす灯理に、僕の中に彼女を滅茶苦茶にしたい気持ちが湧き上がってきていた。

 でも――。

 大きくため息を吐いて、僕は身体を起こす。

 僕のことを見ていない瞳を見つめ、彼女に問うた。

「なんで、抵抗もしないの?」

 少し息を荒くし、頬を赤く染めてる灯理は、でも口元に笑みを浮かべていた。

「ワタシが女で、克樹さんが男だからでは、不足ですか?」

 さっき言葉を言い返されて、僕は思わず喉を詰まらせる。

「それに克樹さんだったらいいかな、と思ったので」

「僕だったら? なんで? ほとんど僕のことを知らないのに、なんでそんなこと言えるんだ?」

 あくまで落ち着いてる灯理に、僕は苛立ちを感じ始めていた。

 こんなことをしてる僕が思うのもなんだけど、女の子は自分を大切にするべきだと思ってる。古風な考えなんだろうけど、女の子が悲しい顔をしてるのは見たくない。

 とくに、取り返しのつかないことが起こった後の表情なんて、僕は絶対見たくない。

 それなのに僕から逃げようともせず、視覚を奪うなんてもの凄く酷いことをされてるにも関わらず、灯理は薄く笑みを浮かべているだけだ。

 もしかしたらこういうことが好きな子なんじゃないかと思ってしまう。

「処女ですよ、ワタシは」

「ぐっ」

 見透かされたように言われて、小さくうめき声を上げてしまった。

「絵を描いてばかりいたので、男の人とこういうことをする関係になったことがありませんし、興味もありませんでした」

「だったらなんで!」

「克樹さんだから、ですよ」

 にっこりと笑い、灯理は言う。

「昨日と、今日の克樹さんを、それから浜咲さんや近藤さん、リーリエちゃんを見ていて、思ったのです。克樹さんは信用できる人だと。浜咲さんたちは、克樹さんのことを信頼していましたから。昨日会ったばかりのワタシのことを、完全にではなくとも、信用して、家に泊めてくれる人ですから。すぐに敵になるかも知れないワタシのことを、信じてくれる克樹さんですから、別にいいのです」

「でも……」

 押し倒したのは僕なのに、いまは僕の方が灯理の勢いに飲み込まれてしまっていた。

「続けないのですか? ワタシなら、いいですよ。初めてなので、優しくしてくださいね。避妊は……、えぇっと、今日なら大丈夫だと思います」

「そういうことじゃなくってっ」

「覚悟くらい、決めてきました」

 焦点の合ってない目を細めて、朗らかに笑ってる灯理。

 眉が微かに震えてるのは、息がかかるほどの距離にいる僕からは、しっかりと見えていた。

「男の人の家に泊まりに来るのですから、こうなることくらい予想していましたとも。怖いですし、恥ずかしいですし、……興味も、まったくないわけではありません。それでも恋人でもない人に、こんなことをされたいわけでもありません」

「されたくないのに、でもいいってなんだよ」

「だって……、だって、仕方ないじゃないですか!」

 叫び声を上げた灯理は、もう表情を装うのを辞めた。

 歪ませた唇を震わせ、目には涙が浮かんでいる。

「ワタシは、ピクシーバトルの経験なんてありませんっ。戦えと言われても、勝ち残れる可能性なんてほとんどありません! だったら、男の人に抱かれてでも取り入って、スフィアを集めるしかないじゃないですか!!」

「そこまで、する意味があるの? スマートギア越しだけど、目は見えてるんでしょ?」

「意味は、ありますよ、もちろん」

 大粒の涙を目尻から零しながら、彼女は笑う。

 笑ってるのに悲しんでるようにしか見えない灯理が言う。

「スマートギアで、視覚は取り戻せました。でも、違うのです。足りないのです。ワタシ自身の目で見ていたときとは、見えるものが違ってしまっているのです」

「何が、違うの?」

 ふわりとした笑みを浮かべた灯理は、目を閉じる。

 目尻に溜まった涙が真珠のように煌めき、僕ではないどこか遠くに、彼女は顔を向ける。

「絵を描き始めたのは、見ているものを残したいと思ったのが、最初でした。最初の頃は本当に、拙い絵で、無心に見たものすべてを描き写すくらいのつもりで描いていたのです」

「写真では、ダメなの?」

「えぇ。写真も、動画も試してみたことがありますが、違いました。ワタシは、ワタシが見てみるものを、そのとき感じた想いを含めて、残したいのです」

「スマートギアでは、どうしてダメなの?」

「いま貸してもらっているスマートギアは、一番最初に借りたものより高性能です。カメラの性能も、日常生活を送る上では支障はありません。でもやはり、違うのです。目で見ていたときとは、見えているものが違っているのです」

 悲しげに笑み、僕が見えていない瞳で僕のことを見つめる灯理。

「ワタシは、薄明が好きです。陽が昇ってくる前の、夜から朝へと移り変わっていく様子を見ているのが、とても好きなのです。まだ幼い頃、広大な畑とどこまでも続く草原しかないようなところに行ったとき、星が瞬く時間に起きて眠れなくなってしまったワタシは、見たのです」

「何を、見たの?」

 想い出の風景を、本当に楽しそうな笑みを浮かべて灯理は話す。

「夜の黒と、朝の白が混じり合った、無限の階調を持つグラデーションを」

 何故、灯理はこんな風に笑えるのだろう。

 僕は朝焼けを見ても、彼女みたいに感じることはできないと思う。

 これが絵を描く人の感性なのだろうか。

 そう思えるほどに涼やかで、引き込まれるような笑みに、僕は見とれてしまっていた。

「事故で視力を失ったときは、死のうと思いました。スマートギアで視力を取り戻したときは、本当に、本当に嬉しかった。でもやはり違うのです。スマートギアのカメラを通した視覚では、あの無限のグラデーションを見ることができないのです」

 再び顔を歪ませる灯理は、叫ぶように言う。

「だから、だからワタシには必要なのです! エリクサーがっ、命の奇跡を起こせる水が!! ワタシの目を取り戻すために、絶対に必要なのです! 絵の才能を認められて、絵を描くことだけが生き甲斐のワタシにとって、エリクサーを求め続けることが、いま生きてる意味そのものなのです!!」

 もう解放してる両腕で、灯理は僕の頭を抱き寄せて、自分の胸に押しつける。

「だから続けてください、克樹さん。最後までしてください」

「何をっ!」

 細いのに、思いの外強い灯理の力に、窒息しそうなほど柔らかい胸に顔を埋めさせられてる僕は、逃げることができない。

「初めての相手が克樹さんなら、できればもう少し深い仲になってからの方が良かったのは確かですが、ワタシは構いません」

 そんなことを言いながらも、彼女は微かに震えてる。大きく、柔らかい胸を通して聞こえる心臓の音も、激しくなってる。

「でも、ワタシが女の子にとって大切な初めてを捧げるのです。克樹さんは、それ相応のものをワタシにください」

「何が、ほしいの?」

「貴方の、エリキシルスフィアを」

「なっ?!」

 抜け出そうとするのにさらに強く抱きしめられて、僕はいよいよ息ができなくなる。

「それくらいで釣り合いませんか? 克樹さん。貴方の願いは、百合乃さんを生き返らせることですか? それは強い願いでしょうけれど、ワタシの願いだって、女の子の初めてを克樹さんに捧げる覚悟をするくらいには、強いものなのですよ?」

 腕の力が緩み、ちょっと惜しさを感じながらも、僕は灯理の大きな胸から身体を起こして、少し距離を取って座る。

「僕の願いは、いまは教えられない」

「そうですか。いつか、聞かせていただけますか?」

「……」

 身体を起こし、スマートギアを被り直した灯理が顔を近づけて見つめてくるのに、僕はそっぽを向いて黙り込む。

「続きは、しないのですか? ワタシの身体は、克樹さんにとって魅力はないのですか? ……女の子から誘っているのですから、男を見せようとは思わないのですか? でももちろん、するならば貴方のエリキシルスフィアは戴くことになりますが」

 零れた涙の跡を拭った灯理は、にっこりと笑う。

「意外と紳士なのですね、克樹さんは」

「何言ってるんだ。いま灯理を押し倒したところだろっ」

「でも、ワタシの要求なんて聞かずに、無理矢理してしまえば良かったのではないですか? 交換条件が成立するようなことではないでしょうに」

「ウルサいっ」

 口に手を当てて僕のことを楽しそうに笑う灯理に、僕はそう言い捨てた。

「ワタシは、自分の願いを叶えるためならば、どんなことでもします。この身体を捧げることでも、卑怯と言われるようなことでも、何でも。それが少しでも願いに近づけるのであれば」

 笑みを浮かべながら、でも翻すことはないだろう決意を宣言する灯理に、少しもやもやとした気持ちを感じながらも、僕は何も言うことができず、彼女の顔をただ見つめていた。

『おにぃちゃん!! 夏姫からメール! 忍者が出たってっ』

「ちっ」

 舌打ちしてテーブルの上のスマートギアをつかんだ僕は立ち上がる。

「行かれるので? でしたらワタシも……」

「いや、灯理は家で待っててくれ。ここならリーリエの監視もあるし、けっこう頑丈な家だから侵入も簡単じゃない」

「……わかりました」

 少し俯いて引き下がる灯理に、僕は急いで二階に上がってアリシアを鞄に詰め、家を飛び出した。

 

 


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