神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
* 2 *
「どうぞ」
ショージさんのところにいたエルフドールではなく、本物のメイドが淹れてくれた紅茶をひと口すするようにして飲む。
こっちが緊張しているのに対して、余裕の笑みを浮かべている平泉夫人は、メイドが一礼して部屋を出た後、口を開いた。
「さて克樹君。今日呼んだのは、貴方がいまやっていることについて訊きたかったからよ」
口元は笑みの形をしていたけど、その黒真珠のような瞳に宿っているのは、僕の心の奥底を見透かしてくるような光。
応接室ではなく、執務室に通されてそこの応接セットのソファに座った僕は、これからバトルが始まるかも知れない可能性を頭の隅に置きつつ、夫人と対峙する。
「僕がやっていること?」
「えぇ。貴方はいま、エリキシルソーサラーなのね」
前置きもなくそう言われて、僕はデイパックのポケットに手を伸ばしそうになる。
「待って、克樹君。違う、違うのよ」
釈明の言葉を口にしつつも笑みを浮かべたままの夫人は、傍らに置いたハンドバッグに手を入れる。
そこから取り出されてきたのは、一枚のカードだった。
ローテーブルに置かれたそれを見て、僕は反射的に手を伸ばしていた。
「訊きたいことがあると、言ったでしょう?」
僕が手を触れるよりも先に、夫人はカードを手元に引き寄せてしまう。
そのカードはエイナのライブチケット。認証カードになっているそれには、一般向けのものではなくて、特別招待という文字が躍っていた。
「どうして貴女がこれを?」
「克樹君が探してると聞いたのよ。それから私は、スフィアロボティクスと、ヒューマニティパートナーテックの株主でもあるのよ」
――そういう繋がりもあるのか。
あんまりに都合が良すぎるかも知れないけど、自分の趣味を兼ねつつも、成長分野であるスフィアドール関連企業に出資を行っているというのは、前に聞いたことがあった。
特別鑑賞用チケットは業界関係者と、出資者向けに配布されていると、ショージさんも言っていた。たぶんショージさんが話を回してくれたんだと思うけど、夫人が持っているなんて僕は想像もしていなかった。
――そして夫人は、エリキシルバトルのことも知っている。
エリキシルバトルのことを口にしつつも、チケットをちらつかせる夫人の思惑が、僕にはわからなかった。
「何のために、このチケットがほしいの?」
「……魔女に、モルガーナに会うためです」
夫人をごまかすことなんて僕にできようはずもない。
正直に、僕は僕の目的を話す。
「その魔女が、貴方の仇?」
穏やかな口調なのに、怒っているかのような強い夫人の視線が、僕に突き刺さってくる。
「いいえ、違います。でもたぶん、関係しているんだと思います。どんな風に関係してるかまでは、わかりませんが……。そしてモルガーナは、エリキシルバトルの主催者なんだと、僕は思っています」
僕の言葉に、夫人は突き刺さるような視線を逸らしつつ、少し考え込む。
わずかに目を細め、珍しく眉根にシワを寄せている夫人は、どんなことを考えているんだろうか。
「なるほど、ね。いままで見えてこなかったところが、少し見えてきたわ」
「いったいどういう――」
「私も、会ったのよ、エイナに。そしてエリキシルバトルに誘われたわ」
笑みを浮かべて、でも少し悲しそうな目をして、夫人は言う。
「エイナは言ったわ。例え焼かれて灰になって地に帰っていても、エリクサーがあればあの人は生き返ることができると」
「じゃあやっぱり貴女があの――」
「でも、私は参加しなかったの」
デイパックから取り出したスマートギアを被ろうとした手が止まる。
「……なんで、ですか?」
まだ微かに湯気の立つ紅茶をひと口飲んで、夫人は悲しそうな笑みを浮かべた。
「貴方の願いは、なんとなく想像がつくわ。それを訊く資格は、エリキシルバトルに参加しなかった私には権利はないけれど、あまりお勧めはしないわよ? そして私は、大人なのよ。あの人に生き返ってほしい。最愛の人にもっと側にいてほしい。そう思うけれど、死んだ人が生き返って良いことなんて、ほとんどないの。混乱と面倒が増えていくばかり。それを乗り越えてやっていくほどの元気は、もう私にはないのよ」
旦那さんが亡くなってから、夫人はどれくらいの苦労をしてきたんだろう。
両家の実家に反対されていた結婚をし、旦那さんを失った後、彼女はどれくらいの苦労を重ねて来たのかは、僕なんかじゃ欠片だって思い浮かべることはできなかった。
いつもは若く見える夫人が、いまは年相応の、疲れた笑みを浮かべていた。
「もしかしたらだけど、克樹君。エリキシルバトルだけじゃなく、スフィアも、エイナも、スマートギアですらも、誰かによって仕組まれたものなのかも知れないの」
「スマートギアも?」
「えぇ。スマートギアが発売されたのは十年前、スフィアロボティクスとは全く関係のない会社からだったし、技術そのものは昔からあるものの発展型だったのよ。でもいまの形のスマートギアが登場したのはスフィアドールが発表されたのとほとんど同時で、ステップを踏んで発展していくはずの技術のいくつかを、飛ばしているように見えるのよ」
スマートギアは僕が小学校に入ってしばらく経った頃には当たり前のようにあったものだから、そんなこと気にしたこともなかった。
スフィアについては前々から疑問に感じるところはあったけど、まさかスマートギアまでがモルガーナの仕込みである可能性があるなんて、気がつかなかった。
「私も魔女については噂くらいしか知らない。でもとても恐ろしい人だということだけはわかる。それでも、貴方は会わなければならないの?」
本当に心から心配をしている目で、夫人は僕のことを見つめてくる。
「はい。それでも僕は、モルガーナに会わなければなりません」
しっかりと夫人の目を見つめ返し、僕はハッキリと答えていた。
「……そう。それなら、仕方がないわね」
チケットを手に取った夫人は、僕の隣までやってきて、手渡してくれる。
「くれぐれも気をつけなさい。魔女という呼び名は、おそらく伊達ではないのだと思うわ」
「わかっています」
「それと、もし魔女に踊らされている人がいるなら、貴方が目を覚まさせて上げなさい」
どういう意図なのかはわからない夫人の言葉。
でもたぶん、夫人は魔女に踊らされることを拒絶したんだと思った。
「行ってきなさい、克樹君。今日の分の貸しは、いつかちゃんと払ってもらうわよ」
「わかっています。行ってきます」
まるで母親に送り出されるように応えて、僕は夫人の屋敷を後にする。
いくつか思い付いた通り魔の検索要素をリーリエに指示しつつ、傾きつつある日差しの下を駅へと急いだ。