神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
第一部 天空色(スカイブルー)の想い 第四章 1
第四章 モルガーナ
* 1 *
今日は比較的暖かかったから、薄茶色のセーターと焦げ茶くらいのミニスカートに、白の冬用ジャケットを重ねていた。
どうやらストッキングが好きらしい克樹のためではなかったが、黒のストッキングを履いた夏姫は、彼の家の玄関に立って呼び鈴を鳴らした。
しばらく待っても、応答はない。
晴れていれば気持ちよかっただろうが、薄曇りの日曜の昼に近い午前中、さすがに克樹も起きているかと思っていた夏姫だったけれど、どうやらまだ寝ているらしい。
思えば彼は、学校と用事があるとき以外家に引き籠もっていることが多いと、彼自身言っていた。休日ともなれば生活がだらしなくなって昼まで寝ているのかも知れなかった。
「むー。どうしよ」
まだ充分に時間があったが、今日はPCWにヒルデのパーツを取りに行くついでに、明美のドールのパーツを見に行く予定で、駅で待ち合わせていた。
どうせならば克樹も一緒に、と思っていたが、当てが外れてしまったかも知れない。
「そうだ」
ふと克樹の叔父の家に行ったときのことを思い出した。
「ねぇ、リーリエ、いる?」
『何? 夏姫。おにぃちゃんなら寝てるよ』
彰次の家でもそうだったらしいが、リーリエもまた玄関カメラに接続されているようだった。
「まだ寝てるの? あいつ。日曜だからって何してんのよ、まったく」
『昨日も遅くまで起きてたからね。でももうすぐ起きる時間だけど』
「だったら入れてよ。外だと寒いんだもん」
『むー』
不満そうなうなり声を出しながらも、カチャリという音がして玄関の鍵が解除された。
「お邪魔します」
密やかな声をかけながら、夏姫は玄関で靴を脱いで、二階にある克樹の部屋へと向かった。
前に入れてもらった部屋の前に立ってノブを回そうとしたとき、頭の上から声が降ってきた。
『そっちは作業室。寝室は隣だよ』
「なにあいつ、寝る部屋は別なの?」
広い家だとは感じていたが、この前連れ込まれた部屋には机と棚くらいしかなかったからどこで寝ているのかと思っていた。まさか寝室があるとは想像もしていなかった。
何となく罪悪感を覚えつつも、夏姫はあまり音を立てないようにしながら寝室のノブを回して扉を開けた。
機能性重視とでも言えばいいだろうか。家具はほとんどなく、収納はクローゼットくらいの部屋の真ん中で、キングサイズのベッドの上の克樹は安らかな寝息を立てていた。
起こすべきか、と思ったけれど、とりあえず近づいていって、ベッドに腰を下ろす。
意外に寝相がいいらしい克樹は、布団の乱れもとくになく、いつもとは違う子供のような顔で眠り続けていた。
少し長めでクセの強い髪。運動をあまりしていないからなのか、布団から出ている右手は女の子でも珍しいくらいの細くて長い綺麗な指をしていた。
――こいつ、けっこう睫毛長いんだな。
よく見てみると、閉じられた克樹の睫毛は女の子のそれのような長さをしていた。
ふてくされていたり顰めていたりしないあどけない表情の克樹は、こうして見ると意外に可愛らしく思えた。
「こら、起きろ」
頬を軽くつついてやると、くすぐったいのか寝たままで頬を掻く。
「ふふっ」
面白くなって、夏姫は左右の頬を交互につつく。それにあわせて克樹が頬を掻いたり、夏姫の指をどけようとしたりする。
『もうっ! 何やってるの? あたしのおにぃちゃんに触らないで!』
「少しくらいいいじゃない。アタシだって、こいつにいろんなところ触られたし、見られたりしたんだから」
文句を言うリーリエに、夏姫は天井辺りにありそうなスピーカーに向かって文句を言い返す。
「……ねぇ、リーリエ」
『なぁに? 夏姫』
さらに言おうとした文句を飲み込んで、夏姫はリーリエに訊いてみる。
「リーリエにとって、克樹って、どんな人?」
言ってからなんでそんなことを訊いてみたんだろうと思う。
人工個性がどんなものなのかはわからなかったが、人間ではないリーリエにそんなことを訊いても、思ってるような返事があるはずがない。
――でも、リーリエだったら、どうなんだろう?
作詞作曲を手がけると言う、まるで人間のようなエイナと同じなのだとしたら、リーリエにも心があるのかも知れないと思っていた。
『んーーーーっ。あたしにとっておにぃちゃんは、あたしをつくってくれた人で、あたしを大切にしてくれる人で、それから、いつも一緒にいてくれる人、かな?』
「――うん」
姿がなく、声だけがするリーリエの返事に、夏姫は内心驚いていた。
本当に克樹の妹のような、そんな気さえする言葉だった。
『でもおにぃちゃんって、けっこう寂しがり屋だし、ちょっとだけど、頼りないところもあるんだよねぇ』
「克樹が、寂しがり屋で、頼りない?」
思い返してみても、彼にそんなところがあるようには思えなかった。情けないところなら、いくらでもありそうだったが。
『うん。あたしがいつも側にいるから滅多にないけど、ひとりでいるのは嫌いみたい』
「へぇー」
意外なように思えた。
学校では孤立しているらしい克樹に、そんな一面があるなんてことは、まだ短い間の付き合いでは想像することすらできなかった。
あんな風に突っ張っていられるのは、いつもリーリエとつながっているからだろうか、と思ってしまう。
こんなに話していてもあどけない寝顔で眠り続けている克樹の顔を見てみる。
安心し切った顔で眠っていられるのも、リーリエがいるからなのだろうか。
胸に手を当てた夏姫は、もうひとつ、胸の中に訊きたいことがあることに気がついた。
言おうかどうしようか迷って、思い切って口にする。
「ねぇ、リーリエ。リーリエは、克樹のことが、好き、なの?」
姿がないから問われたリーリエがどんな顔をしているのかはわからない。アリシアがここにあればそれがわかったのかも知れないが、考え込んででもいるのか、少しの間返事はなかった。
『好き、だよ。あたしは、おにぃちゃんのことが好き。大好き。おにぃちゃんが望んでることがあるなら、それがあたしにできることなら、どんなことでもしたいと思ってる。でも……、でもね? おにぃちゃんの心の中にはいまでも――』
そこまで言って、リーリエは突然言葉を切る。
『あ、起きるよ。夏姫、離れて』
「え?」
リーリエが言った瞬間、ベッドのヘッドボードに置いてあった目覚まし時計が鳴り始めた。
ぱちりと目を開けた克樹の右手が、素早く動いた。
「ひっ」
声にならない悲鳴を上げて、夏姫はこれ以上ないくらい身体を強ばらせる。
枕の下に入れられた右手が伸びてきたと思った瞬間、夏姫の首筋に冷たいものが押し当てられていた。
鋭利な感触のあるそれは、おそらくナイフ。
そして克樹が夏姫に向けてくる視線は、ナイフよりも鋭く突き刺さってくるものだった。
「……なんだ、夏姫か」
今度はちゃんと目を覚ましたらしい克樹が、右手を首筋から離して慣れた手つきで折りたたみナイフの刃を収納する。何事もなかったのかのように大あくびをしながら目覚まし時計のアラームを止め、身体を起こした。
「な、何するのよ!」
緊張が解けた夏姫は思わずベッドからずり落ちつつ、克樹に文句の言葉を浴びせる。
「人が寝てるときにいたずらするのが悪い」
ぱっと見た限り板ガムくらいにしか見えないサイズだったが、克樹の右手にあるものは確かにナイフだった。
「いったいなんでそんなもの持ってるのよ」
「気にするな」
いつになく強い視線で言われて、夏姫はそれ以上聞けずに押し黙る。
「リーリエ。チケットは?」
『ダメ。やっぱり見つからないよ』
「そうか。じゃあ直接行ってどうにかするしかないか……」
真剣な顔をして考え込んでる様子の克樹の顔から、おそらく何かをしようとしていることだけはわかった。
「それで夏姫は……。まぁいいか」
腕を組んで考え込んでいた克樹が夏姫の方を見たと思ったら、顔を見ているわけではなさそうだった。
「莫迦! どこ見てんのよっ」
「いや、見せてくれてるのかと思って」
尻餅をついた格好のままだったことに気づいて、夏姫はスカートの中が見えないように座り直す。
――まったく、さっきはあんなに可愛かったのにっ!
いつも通りの克樹の様子に文句を言いたくなるものの、でも少し安心する。
ナイフを突きつけてきていたときの克樹は、本当に人を殺しそうな表情をしていたから。
「リーリエ。勝手に知らない人を家に入れるな」
『だって夏姫が外寒いって言うからー』
「誰が知らない人だってぇ?」
「それはともかく、夏姫は何しに来たんだ」
言葉を制するように言われて、さらに言い返してやろうとした言葉を飲み込む。
「今日、PCWにヒルデのパーツを取りに行くついでに、明美のドールの人工筋が劣化してるって言うから、一緒に行く予定なの」
「遠坂のドールか……。あいつのは第四世代中期の安物ピクシーだから、PCWじゃ取り寄せないとパーツないぞ。買うんだったら秋葉原駅前の大型量販店の方が安いし、ドールを持っていけば案内してくれる」
「そうなんだ」
立ち上がって居住まいを直してから、また何か考え込み始めたらしい克樹に、思い切って言ってみる。
「……あ、あのね、克樹も一緒にどうかな、って」
「今日は用事がある」
一瞥をくれただけでとりつく島もない返事。
「あっそ」
夏姫のことを気にしている様子のない克樹に、頬を膨らませながら背を向けた。
「あんまり遅い時間にならないように気をつけろよ」
言われて振り向くと、顔こそ向けてきていなかったが、目だけは夏姫のことを見ていた。
「心配してくれるの?」
「うるさいっ」
恥ずかしがってでもいるのか、そっぽを向く克樹に思わず笑ってしまいそうになる。
――本当はたぶん、いいお兄ちゃんなんだろうな。
百合乃の前ではちゃんとお兄ちゃんをしていたという克樹。
自分のことを心配してくれる様子もそれに近いもののような気がして、何故か少し複雑なものが胸にわだかまるけれど、嬉しかった。
「もし何かあったら連絡するから、そのときは助けに来てね」
克樹の連絡先は携帯端末に登録済み。
そんなことにはならない方がいいと思いつつも、そっぽを向いたままの克樹にそう言って、夏姫は部屋を後にした。
『何しに来たの? 夏姫は。おにぃちゃんをデートにでも誘いに来たの? もうっ』
文句を言い続けるリーリエの声を聞き流しつつ、僕はベッドから出て服に着替える。
どうにかエイナのライブチケットが手に入らないかと思って今日までいろいろ手を尽くしてみたけど、方法は見つからなかった。
ショージさんからも連絡はなく、どうやら空振りだったらしい。
エイナのライブツアーは今日がファイナルステージ。今日を逃すと次のツアーでもモルガーナが同行するとは限らないから、ラストチャンスと言えた。
――仕方ない。行ってどうにかするしかないか。
少し強引な手段でもいいからモルガーナと会う機会さえつくれれば、と思う。
会って何ができるかというのは疑問だったけど、会わなければ始まらないのも確かだった。
着替えを終えて寝室を出た僕は作業室に入る。
スマートギアを被って夕方のライブまでにまだできることがないかと考え始めたとき、音声着信の音が鳴り響いた。
「……はい」
『起きていてくれたわね、克樹君』
通話の相手は平泉夫人。
もしかしたら通り魔かも知れない彼女。
『今日これから時間はあるかしら? あまり時間は取らせないと思うのだけど』
音声だけだからどんな表情をして言っているのかはわからない。
でもこのタイミングでの誘いを、僕は断ることはできなかった。
「夕方からは用事がありますから、その前までになりますが」
『えぇ。それで構わないわ。それじゃあ早めに来てね』
通話終了の表示に切り替わって、ウィンドウが消える。
――いったいどんな用事なんだ?
あえて訊かなかった用件。
けれどもしかしたらいまの問題のひとつは解決する可能性があった。
「リーリエ、ベンチテストは?」
『終わってるよ』
PCWでパーツを組み込んでから連日やっていた各パーツのベンチテスト。アライズしてのテストをやってる時間はなかったけど、ひと通りの情報は揃っていた。
――平泉夫人と戦って、勝てるのか?
射撃戦から武器を使った白兵戦、格闘戦に至るまであらゆる戦闘をフルコントロールで使いこなす夫人は、百合乃がいたときでもかろうじて勝てたという感じだった。
彼女もまた第五世代パーツに交換を終えていて、彼女が手に入れうる最高のパーツを使っているのだとしたら、リーリエをもってしても苦戦するのは必至だった。
――そもそもそういう用件なのか?
平泉夫人が通り魔と決まったわけじゃない。
でも、警戒するに越したことはない。
デイパックにハードケースに収納したアリシアの他に、僕はいつもは持ち歩かないいくつもの装備を突っ込んでいた。