神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
* 3 *
「リーリエ、検索結果を表示」
学校が終わって家に帰ってきた僕は、早速自分の部屋に籠もって椅子に座り、自宅用のスマートギアを被る。
『魔女の情報だったらぜんぜん見つかってないよ?』
「いや、一昨日頼んだもう一つの方」
『あ、うん。待ってね』
ついこの前のフェイスパーツ作成の後片付けをやりきってない雑多の机の上を覆い隠すような感じで、薄暗い部屋の中を大きなウィンドウが表示される。
エリキシルスフィアである可能性があるのは、スフィアカップ地方大会の三部門で一位と二位に授与された、当時次世代型と呼ばれたスフィアだろうと思う。
スフィアカップ以外でも配られてる可能性はあるが、それに関する情報はリーリエに探してもらったが、ハッキリしたものは見つからなかった。
だからまずはそのスフィアを持っている人物を、表彰のときの情報から集めていた。
――まったく、夏姫の奴め。
おそらく夏姫は、宣言通り自分で通り魔を探そうとするだろう。もしかしたら近藤と同じように見回りでも始めるかも知れない。
具体的な方法は聞いていなかったが、危ないことをするだろうことは想像に難くない。
せめてここ最近出没している通り魔くらいは探してみようと思ったが、意外と上手くいきそうにはなかった。
『やっぱりちゃんとした情報が少ないから難しいよ、おにぃちゃん』
「まぁ、仕方ないだろうなぁ……」
エリキシルバトルの参加資格は、次世代型スフィア所有と同時に願いを持っていること。
生き返らせたい人が側にいることを考えて、次世代型スフィアを持っている人の側にいると思われる人間の死亡に関する情報があるか否かで絞り込んでみたが、可能性が高いと言える人物は見つからなかった。
事故や事件ならともかく、人が死んだという情報がネットに流れることは多くない。
所有者の住所までがわかってるわけじゃないから、絞り込もうにも可能性だけだったらほぼ全員と言っていいくらいになるし、ヘタに条件を追加すると全員がノーマッチになってしまう。
――いや、ひとりだけ、可能性が高い人がいるか。
情報不足で絞り込み切れない情報しか表示されていないウィンドウを閉じて、椅子の背もたれをリクライニングさせて天井を眺める。
――夫人の旦那さんは、亡くなってたんだったな。
僕と、それから百合乃のアリシアとスフィアカップで戦い、どうにか勝つことができた平泉夫人は、スフィアカップのフルコントロール部門二位となって、次世代型スフィアを授与されている。
旦那さんを病気で失っている彼女は、エリクサーを望んでもおかしくなかった。
さらにモデル並の百七十センチを越える身長の夫人は、ヒールのある靴を履けば通り魔とも近い背丈になる。
――この前呼ばれたのも、そういうことだったのかも知れないな。
いくらメイドが休みを取っているとは言え、この前夫人が僕を呼び出した理由がわからない。もしかしたら僕がエリキシルソーサラーになっているかどうかを確認するためだったとしたら、腑に落ちる気がしないでもなかった。
「いやでも、違うよな……」
夫人は僕から見て、大人としてものすごくしっかりした女性だ。
能力としてはものすごいショージさんはいろいろ問題あるし大人らしい大人には思えないこともあるけど、生活能力こそ問題はあっても、夫人の振る舞いは僕の知る限り一番大人らしい大人と思えた。
――まぁ、人の内面なんてわからないものだけど。
夏姫のことですら話を聞くまではよくわからなかった僕にとっては、人の内面なんて想像することは難しかった。
『誰か思い当たる人でもいるの? おにぃちゃん』
「いや、なんでもない」
問うてくるリーリエに思い付いたことを話さずにいつつも、近いうちに会いに行ってみようかと思っていたりもした。
そんなことを考えてるときに、呼び鈴が鳴った。
『あ、ショージさんだ』
「どうしたんだろ。開けてやってくれ」
ホームセキュリティにも接続しているリーリエの声に、僕は鍵を開けるよう指示する。
――そう思えばそろそろだったか。
出迎えようと椅子を立ったところで、ノックもなしに部屋の扉が開いた。
「よぉ克樹。時間があったからメンテに来たぜ」
いつもの不適な笑みを見せながら、スーツ姿のショージさんが立っていた。
一階の元々客間だった一室には、いまは人が寝起きできるようなスペースはない。
温度を一定に保つために稼働しているエアコンが微かな音を立てているその一室にあるのは、天井近くまで高さのあるラックに収納されたコンピュータ群。
そのコンピュータ群こそが、リーリエの本体のひとつだった。
専用のネット回線でバックアップ用に同じものがもう一セット、ショージさんの家にAHSの開発のために並行して解析なんかもされてる奴が設置されている。
それぞれの状態はネット経由で監視することもできるけど、ハードウェアの情報の一部は直接出向かないと確認できないものもある。
だから三ヶ月に一度、ショージさんはわざわざ家に来てメンテナンスをしてくれていた。
「いまのところとくに問題はなさそうだな」
旧式のディスプレイとキーボードがセットされたコンソールには、進行中のチェックプログラムの状況が表示されている。
簡易チェックがひと通り終わって、詳細チェックに入った頃、ショージさんはそう言った。
「まぁ、この前UPSとか更新したばっかりだし、そんなにすぐに不調は出ないよね」
「油断してるときにこそ、こういうものは壊れたりするんだがな」
チェックを終えて、ショージさんはディスプレイを畳んで引き出しのようになっているコンソールをラックに収めた。
僕もコンピュータには詳しい方ではあるけど、こうした大型システムについてはほぼ無知と言っていいし、それにリーリエを動かしてるシステムはかなり特殊なものだった。
昔、ショージさんが大学にいた頃に研究していた、コンピュータ内に人間の脳を擬似的に構築する研究成果のひとつである、シミュレーションに特化した特別製のコンピュータ。大学の研究が中止されてずっと仕舞われていたものを買い取って、僕の家とショージさんの家に移設していた。
それの購入の際に平泉夫人の財力に頼って以来、僕はあの人に頭が上がらない。
「はい。コーヒー」
「ありがとよ」
メンテナンスが終わる頃を見計らって淹れてきた湯気の立つカップを受け取って、ショージさんは口を近づける。少し寒さを感じる温度に保たれた部屋で、ショージさんは座った椅子からすぐに立とうとはしなかった。
しばらくカップの中身を眺めてから、ショージさんは言う。
「何でまた、いまさら魔女に会いたいんだ?」
「……」
この前も問われたことだけど、僕はその質問に答えることができない。
積極的に参加してるとは言えない状況だけど、僕はエリキシルバトルの参加資格を失うつもりはなかったから。
「まだ百合乃の、リーリエのことで、思うことがあるのか?」
「……それは、ないわけではないけど」
百合乃を助けるために乗り込んだ魔女、モルガーナの車。
そのときおかしなところに連れ込まれたとかではなくて、病院には連れて行ってもらった。
ただしどう手を回したのかはわからないけど、モルガーナもまた手術室の中に入っていった。
すべての処置が終わり、集中治療室のガラス越しに百合乃のことを見ながら医者から回復不能と告げられた後、その場に現れたモルガーナが僕に手渡したのは、何かのディスクだった。
「情報の欠損が激しいから、貴方にあげるわ」
そう言い残して去って行った疲れた表情のモルガーナが、百合乃に何をしたのか、そのときの僕にはわからなかった。
百合乃の葬式が終わり、元々家族としての形をあんまり成していなかった僕の家は、百合乃を失ったことで離散することになった。百合乃の元に帰ってきてる感じのあった父親と母親は家に帰ってくることはなくなり、僕がふたりと連絡を取ることもなくなった。
経済的な繋がりはいまも途絶えたわけじゃないし、離婚をしたわけでもないけど、中学三年になってテストのとき以外一度も学校に行かなかった僕を生活指導と進路指導のために教師が呼び出すに至った頃、両親の代わりとして現れたのはショージさんだった。
強引で明け透けなショージさんとは両親と違ってウマが合ったのもあって、そのディスクのことを相談してみると、僕じゃ中のファイルのフォーマットすらわからなかったのに、一発でそれを看破した。
その中身は、どうやってディスクに収めたのかはわからないけど、百合乃の脳情報。そしてそれの使い方もまた、ショージさんは知っていた。
その後、百合乃の葬儀にも来てくれた平泉夫人に頼み込んで大学のコンピュータ群を買い取って、その情報を使えるようにショージさんがしてくれたけど、その情報は百合乃の性格を残しながらも、僕との記憶はひと欠片も残っていなかった。
モルガーナの言った情報の欠損が原因なのかどうかは調べても結局わからなかったけど、あのとき別れを終えた百合乃は戻ってくることはなく、百合乃の脳情報から産まれた個性は、リーリエという名前を付けて僕の側に置くことにした。
そうして産まれたリーリエと、脳情報を勝手に取り出された百合乃のことで、モルガーナのことをいまも恨んでいることはたぶん、ショージさんも気づいている。
「俺も大学時代、魔女に関わって知り合いをひとり死なせてる。いや、原因はあいつと直接関わりがないのかも知れないが、あいつが原因だと俺は思ってるよ」
「人が、死んでる?」
「まだお前には話したことがなかったな」
カップを傾けてひと口コーヒーを飲み、深くため息を吐くショージさん。
「俺が大学で研究してた脳の仮想化についてはいまさら説明することでもないな。いまと違って高精度で脳波を受信できるスマートギアみたいなものはなくて、大型の機械で脳の情報を取り出していたんだが、充分な情報を取り出すためには希有な才能が必要だった」
「希有な才能?」
「たぶん、百合乃ちゃんと同じ、スマートギアに深く適合できるようなものだと思う」
百合乃のスマートギアとの適合は、僕から見ても異常と言えるものだった。
百合乃にとってスマートギアを使ってリンクしたピクシードールは自分の一部のようだったし、離れたところにある手足のようにあいつはアリシアを動かしていた。
いまの、リーリエと同じように。
そのショージさんが言う被験者も、同じような才能を持っていたんだろうか。
「成果はぼちぼち上がっていたんだが、コンピュータで脳の再現をするのに必要な情報を取り出すためには、けっこう飛んでもない時間が掛かるってのはわかってた。それを解消するために脳に電磁波を照射して無理矢理脳波を増幅するなんて無茶な方法を考えられたりしてたんだが、被験者の負担を考えてそれは行われなかった。……そのはずだった」
「でもそれが、行われていた?」
疲れたように額に拳を当てて、ショージさんは目をつむる。
「わからん。それができるようには機材の改造はしていなかったはずだし、俺も他の奴らも被験者の負担を考えてその方法は否決した。ただ共同研究の相手として参加していた企業の奴だけは、――いや、企業から派遣されたという形で現れた魔女だけは、その方法を採るように言ってきていた。あるときその被験者は自宅で倒れて意識を失い、死んだ。原因は不明ってことになってる。その後研究成果は出資もしていた企業が全部持って行っちまった」
目を開けて、ショージさんは僕のことを真っ直ぐに見つめてくる。
「あいつが、魔女がやったんだろう、って俺は思った。最初からあいつは信用できなかった。あいつの目は、いつも何かをあざ笑っているように思えてた。あいつに関わるなら、踊らされてる可能性を考えなくちゃならない。あいつはそういう奴だと、俺は思ってる」
「うん、僕もそう思う」
百合乃のことを考えれば、モルガーナがそういう奴なんだろうということは僕にも理解できる。
でももう、僕はエリキシルソーサラーになってるんだ。もしエリキシルバトルの主催者がモルガーナなのだとしたら、もう僕はあいつから逃げていることはできない。
ショージさんの射貫くような視線を、僕は逸らさずに射貫き返す。
「まぁ、リーリエがある限りは、お前はあいつのことを忘れられないだろうとは思うがな」
睨んできていた目におそらくモルガーナに向けてだろう怒りを込めて逸らしたショージさん。
おそらくショージさんもまた、彼女に恨みを持ち続けてるんだろうと思う。
「言うべきかどうか迷ってはいたんだが、お前はあいつへの気持ちを乗り越えて行かなければ先に進めないだろう。……魔女のいまの居場所がわかった」
「本当に?!」
思わずコーヒーをこぼしそうになりながらも、ショージさんに詰め寄っていた。
「出現場所がわかっただけで、接触できるかどうかはわからんぞ?」
「どこなの? それは」
早く情報がほしくてつかみかかりそうな気持ちになってる僕を抑えるように、ショージさんは冷めてきたコーヒーを飲み干してから言った。
「あいつはエイナの側にいる。いまツアーで回ってるエイナのライブ、あるだろ?」
「うん。全国ツアーのだったよね」
「あぁ。それに魔女が同行してる。あれはスフィアロボティクスのプロモーションも兼ねてるから、各地のスフィアドール関係者とか出資者にチケットが配布されてたりするんだが、先週の大阪ライブのときに偶然うちの大阪支社の奴が撮った写真に、あいつが写ってた」
胸ポケットから取り出した携帯端末を見せてくれるショージさん。
そこに写っているのは、スタッフカーに乗り込もうとしている笑顔のエイナ、いやエイナが操ってるだろうエルフドールと、幾人かのスタッフや車を取り囲むファンの連中。
それから顔は切れてるものの、車の後部座席に座ってる女性の、笑みの形につり上げられている紅い唇。
「モルガーナだ」
「あぁ。顔は切れて写ってないが、俺もそうだと思う」
「リーリエ、次のエイナのライブ会場の場所と会場図を」
『うん、待っててね』
頭に被ったままだったスマートギアのディスプレイを下ろして、僕はリーリエに検索してもらった情報を見る。
「無理だぜ。そこの会場であいつと会うのは」
次回のライブ会場は中野のニューサンプラザ。
旧中野サンプラザ近くに建てられたそこは、イベント会場にもなっている場所だった。
「ここって……」
「だから言ったろう。チケットでもないとそこに入り込むのは無理だ」
リーリエがネットの海から探してきた会場図や情報。
モルガーナに会えるとしたら控え室に行くしかなさそうだったけど、そこに至るためには地下にある会場にチケットを持って中に入って舞台裏に入り込むか、一般向けとは違う階層にある関係者専用の駐車場から入るしかなさそうに見えた。
地上階にある関係者専用の入り口は、警備員もいる上、セキュリティカードを持っていないと開かないゲートが設置されている。
「チケットは持ってないの? 関連企業には配られてるんでしょ?」
「残念ながら俺の会社に回ってきた分は、大阪の奴らで使い切っちまった」
「リーリエ。エイナの東京ライブのチケットが入手できないかどうか検索」
すぐさまリーリエに指示を飛ばすけど、返ってきたのは旗色の悪い返事だった。
『うぅーん。チケットは完売。オークションとかも見てみたけど、ぜんぜんないよ』
「無理だろ。人気だからな。一般チケットは全席発売一分後には完売だ。ダフ屋規制が厳しくて、オークションにも出回りゃしない」
ディスプレイを跳ね上げて、指を噛みながら僕は方法を考える。
せっかくモルガーナと会える場所がわかったのに、方法がないんじゃどうしようもない。
「そんなに会いたいなら俺の方で誰か持ってる奴がいないか当たってみるが、難しいと思うぞ? 社内でも誰が行くかでもめるくらいだからな」
「僕は僕で方法を考えてみるよ」
「俺としちゃあ、あいつにはあんまり関わってほしくないがな」
僕にカップを押しつけるようにして立ち上がったショージさんは、「気をつけろよ」と言い残して部屋から出て行った。
僕にはもうその言葉は聞こえていない。
ただひたすらに、魔女と会うための方法を考えていた。