神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第三章 5

 

 

          * 5 *

 

 

 ――本当に、本当に役に立たない!!

 どうにか克樹に近づこうとしていた火傷の男は、太刀のわずかな動きで威嚇され、すごすごと後退ってきた。

 情けない顔でちらりと振り返ってみせる彼を、モルガーナは睨みつける。

 元から、彼には期待していなかった。

 銃を持たせなかったのは莫迦なことを考えさせないためだったが、無防備だった克樹をし損じ、戦意を奪うことすらできないとは思わなかった。

 せっかく与えてやったチャンスを、無能が故に無駄にした。

 ――もういらないわ。

 才能はあった。

 それを開花させるために手も尽くしたし、伸ばしてもやった。役に立つことももちろんあったが、差し引きで考えれば足を引っ張ることの方が多かった。

 モルガーナにとって。火傷の男は不要なピースだった。

 その程度の人物ならこれまでも多く出会ってきたし、才能や才覚のある者を見つけ、手をかけて育ててきたのだからほとんどは有能だったが、全員というわけではない。

 いまこのタイミングで、計画の結末を迎えるタイミングで彼のような存在を残しておくことになったのだけは、悔やむべきことだった。

 ナイフを克樹に向かって構えながらも、繕うように下から視線を向けてくる火傷の男に、モルガーナは決断した。

「エイナ!」

 詳しいことを言わずとも指示の内容を理解したエイナは、短剣を鞘に納め、かき消えるように動いた。

「ひっ、ひゃあ!」

「何をするつもりだ?! モルガーナ!」

 火傷の男の情けない悲鳴に続いて、克樹の問いかけが飛んできたが、無視する。

「や、やめろっ! こんなことして、どうなるかわかってるのか?!」

 エイナに首とベルトをつかまれ、頭上に持ち上げられた男は、バタバタと手を動かし逃げようとしながらも、強気な言葉を吐き出す。

「お、オレが死ねば、お前がこれまでやってきたことが全部、明るみに出ることになるんだぞ!!」

 必死で足掻き続ける彼はそんなことを言う。

 ネズミのように用心深い彼は、モルガーナがやってきた、表沙汰にできない様々なことの証拠を隠し持っていた。

 その多くは彼自身が関わったものであるが、たいして失うもののない彼よりも、様々な場所で地位を築き、信頼も信用も必要な場所で活動してきたモルガーナの方が、明るみに出たときのダメージが大きい。

 何かのタイミングで彼が死んだ場合、報道機関などを通じて公開されるよう仕込まれている証拠はさほど大きな問題ではなかったが、計画をスムーズに進行させるためには秘匿すべきものだった。

 いまもし彼を殺せば、それは明らかになり、モルガーナは社会的に注目され、多くのものを失うことになる。

「だ、だから下ろせ! エイナに指示を出せ!!」

「イヤよ」

「へ?」

「イヤだと言ったのよ。聞こえていたでしょう?」

 足掻くのを止め。呆然とした顔になっている火傷の男。

 何が起こっているのかわからないかのように、ぽかんとして動かない克樹と百合乃を横目で確認してから、胸の下で両腕を組んだモルガーナは、顎を反らして火傷の男を見下す。

「もう、いらないのよ」

「す、すべてを失ってもいいって言うのかっ?!」

「この戦いが終わった後、私は神となる。こんな人間どもの世界に未練なんてないの。貴方の持っている証拠など、意味がなくなるのよ」

「そ、そんな……」

「それにね? 貴方の持っているという、私にとって不利な証拠なんてもの、もうこの世には存在しないわ。物理的にも、データ的にもすべて抹消済みだから」

「いや……、それは……。や、止めてくれ!!」

 激しく手足をばたつかせて拘束から逃げ出そうとする男だが、エイナの手が緩むことはない。徒労に終わる。

 騒ぎ続ける男を無視して、モルガーナはエイナに向かって顎をしゃくった。

 その意味を正しく理解したエイナは、投げた。

 火傷の男を、フェンスの外へ。

「モルガーナ!!」

 克樹の非難の声が飛んでくるが、振り返り短剣を抜いたエイナに威嚇され、近づいてくることはない。

 徐々に小さくなっていく絶叫が数秒続き、途切れた。微かに、何かが潰れるような音を最期に。

「……おにぃちゃん」

「うっ……」

 こちらを警戒しながらも、声をかけ合う百合乃と克樹に、火傷の男の心音が消えたのだろうことを悟った。

「な、何を……」

「何を? 不思議なことを訊くのね、克樹君。私は当然のことをしたまでよ。役に立たず、私の邪魔にすらなる存在を排除した。それだけのことよ」

 右脚を踏み出したモルガーナは、腕を組んだまま克樹のことを見下す。

 わなわなと身体を震わせている彼は、信じられないものを見たように顔を強張らせ、うつむいた。

「これまでもやってきたことよ。たいしたことではないわ。不幸に見舞われることも、苦労してきたのも、貴方だけではないの。私だってここに至るまでに、どれほどの不幸と苦労をしてきたと思っているの?」

 これまでにモルガーナに敵対する者は多く現れた。

 その多くはたいした力を持たない者たちであったが、時には争乱で、政争で敗れ、追いつめられたことも一度や二度ではなかった。育ててきた手駒を殺された経験も数え切れないほどあり、病気や事故などの不幸な理由で失うことも珍しくはなかった。

 いまこの場に立つまでの道は、決して容易なものなどではない。苦労と不幸の連続だったと言っても過言ではない。

「そう思えば、あれは貴方にとっても仇だったわね。あれを苦しめて殺すことが、貴方の願いだったかしら? あれは生きることに執着する小物のクセに、権力とか威力を求める度し難いゴミだったわ。地面に到達するまでの数秒、すべてを得られないことに死よりも深く絶望したことでしょう。感謝しなさい? 克樹君。貴方の代わりに、私が願いを叶えてあげたのよ」

 唇の端をつり上げて笑むモルガーナに、克樹は恨みの籠もった視線を向けてくる。

 心揺さぶられることなく、戦意を失わない燃えるような瞳の克樹に、モルガーナは眉根にシワを寄せ、徐々にそれを深くしていく。

 ――彼だけは、許せない。

 この計画を立案し、実現し、ここまで進めてきた自分に楯突く男の子。

 ただの人間に過ぎないのに、妖精を召し抱え、あまつさえ女神の祝福すら受けている。

 彼の存在も、その力も、女神の意思によるもの。

 だとしても、モルガーナは彼を許すわけにはいかなかった。

 ただの人間如きに、魔女である自分が負けることなど、戦いの場に引っ張り出されるなど、許しがたいことだった。このあと神となるモルガーナにとって、それは万死に値する行為。

 ――でもそれがイドゥンの望みなのでしょう。ならば戦って上げましょう。全身全霊をもってね!!

「エイナ!」

 睨みつけてくる克樹を睨み返していたモルガーナは、エイナを側に呼び寄せる。

 訝しむように目を細めた克樹に、唇の端をつり上げて笑って見せ、すぐに屈辱に顔を大きく歪めるモルガーナ。

「何をするつもりだ?! モルガーナ!」

「少しの間そこで見ていなさい。すぐにわかるわ」

 不審を覚えたのだろう百合乃が攻撃の構えを取ったのを見て、モルガーナは声で制してその動きを止めさせる。

 ――これが私のすべて。私の全力。私のすべてを我が女神に捧げるわ!

 背を向けて立つエイナの頭を鷲づかみにし、モルガーナは目をつむる。

 大きく息を吸い、紅い瞳を開いた彼女は、唱えた。

「アライズ!」

 

 

            *

 

 

「アライズ!」

 解放の呪文を唱えたモルガーナだったけど、何かが起こる様子はなかった。

 ピクシードールからエリキシルドールに変身するときみたいに光が溢れることも、フェアリーリングを張ったみたいに光の輪が現れることもない。

 ――何をしたんだ?

 モルガーナの迫力に負けて僕も百合乃も動けなくなっていて、止めることができなかった。

 でも何かが起きた様子もなく、モルガーナもエイナも動く様子がない。

 いや――。

「モルガーナ?!」

 魔女の身体がぐらりと揺れて、倒れた。

 力なくヘリポートに寝転がるモルガーナは、起き上がる様子がない。

 何かのワナかも知れなくて、僕はその場に立ったまま近づくこともできなかった。

「……どうしたんだ?」

「おにぃちゃん、見て!」

 百合乃の鋭い叫び声とともに、彼女がセンサーからピックアップした情報が視界に表示された。

 拡大されたモルガーナの身体。

 髪を振り乱し、ぴくりとも動く様子のない身体からは、感知されるはずのものが失われていた。

 心音。

 シンシアほど多彩でも多数でもないとは言え、アリシアに搭載してる高感度センサーなら、近くにいる人間の心音くらいは感知できる。

 さっきまでは、モルガーナの心音は感知できていた。

 魔女と言っても身体は人間とほとんど同じ。心臓だって動いている。

 それなのにいまは、心音が失われている。体温も、徐々にではあるけど、低下しつつある。

 モルガーナは、死んでいた。

「まさか……、死んだ?」

 言葉に出してみたけど、現実感がない。

 何かの力か魔法を使おうとして失敗したのかも知れないけど、そんな風にも思えない。

 いまこんなところで、モルガーナが死んだなんてこと、信じられるわけもない。

「違う……。違うよ、おにぃちゃん」

 僕の隣まで下がってきた百合乃が、震える指で示したのは、エイナ。

 モルガーナに頭をつかまれ、うつむき加減になっていた彼女が、顔を上げていた。

 紅い瞳が、僕を見つめている。

 ――違う。

 黒に近かったエイナの瞳が、紅い色に変化していた。

 変化はそれだけじゃなく、ガラス玉のようだった瞳は、睨みつけるように僕に向けられ、怒りを湛え揺れている。

 意思を、僕に向けている。

「……モルガーナ?」

「えぇ、その通りよ」

 そんな答えが返ってきた瞬間、ピンク色だった髪は癖のある黒に染まり、ピンクと白が主体だったアーマーは赤と黒の禍々しいものになる。

 エイナであったはずのエリキシルドールは、いまはモルガーナになっていた。

「どういうことだ?」

「元々、これは予定していたことなのよ」

 自分であったはずの生身の身体を見下ろし、踏みつぶすかのように足を振り上げたモルガーナ。

 一瞬の逡巡の後、それをヘリポートの隅に蹴ってどかした彼女は、黒い瘴気のような雰囲気を周囲に放ちながら一歩二歩と踏み出してきた。

「予定していた?」

「えぇ。エリクサーは人では起こせない奇跡を起こし得るけれど、それをもってしても神との――、世界との同化は叶わないわ。スフィアコアに自分の存在を移し、神の羊水であるエリクサーで包んで神として新生すればいい。長い時間をかけて、私はその方法を突き止めた。けれどね、欠片と言えど女神そのものであるスフィアコアに存在を移すことなど、できないのよ」

「でも、いまお前はそれができてる……」

「その通り」

 柔らかく、可愛らしく、どこか悲壮さを漂わせていたはずのエイナの顔に、邪悪としか感じられない笑みを浮かべ、モルガーナは話す。

「エレメンタロイドは私の存在を移すための手段。ファースト、セカンド、サードステージを経て、フォースステージに至ることで、女神の身体であったスフィアコアには人の存在を宿すための、一種の回路が構築される」

「じゃあ、エイナも、リーリエも――」

「察しがいいわね、克樹君。エレメンタロイドは私が神に至るための手段、触媒だったの。本命はエイナで、貴方の精霊はただの予備よ」

「……お前は、リーリエのことをなんだと思ってるんだ!!」

「おにぃちゃんっ」

 頭が沸騰して前に踏み出した僕を、百合乃が手で制する。

 そんな僕を見て楽しげな笑みを浮かべているモルガーナだが、小さく息を吐いた後、不機嫌そうに顔を顰める。

「でもね、こうしてスフィアコアに私自身を移すのは、すべてのバトルに決着がついてから。ファイナルステージ、亜神に至ってからの予定だったのよ。それを、貴方たちが邪魔をした!」

 両手に持った短剣を構えるモルガーナ。

 銀色の刀身は、黒い光を宿す。

「エレメンタロイドのことをどう思ってるか、ですって? そんなもの、ただの道具よ。この世界も、人間も、貴方たちも、すべて道具に過ぎないわ。私が神になるための、ね! でももういらない。ここですべてを終わらせるわ。貴方たちのことも、人間なんて言うおぞましい生き物も、すべて滅ぼしてあげるわ」

 腰を落として顔の前で黒く光る短剣を構え、モルガーナは吠える。

「神となった、私がね!!」

「くっ」

 魔女から放たれる剥き出しの怒りに、僕は思わず半歩後じさる。

 執念としか言いようのないそれは、まだ十七年しか生きていない僕では持ち得ない、圧倒的な圧力だった。

 僕の胸の中で沸き立つ怒りよりもさらに強い怒りに、僕が押しつぶされそうになっているとき、モルガーナの視線を斬り捨てたのは、百合乃の白刃。

 視界を遮る太刀を持つ百合乃が、ちらりと僕に視線を飛ばしてくる。

『戦うよ、おにぃちゃん』

『あぁ』

『絶対に、負けられない。リーリエを、あの子を道具なんて言うあいつを、あたしは許せない!』

 背を向けて立っている百合乃の背中からは、怒りが立ち上っていた。

 ともすれば空色のツインテールが逆立つのではないかと思うほどの怒りと、冷静にモルガーナのことを分析し始めている百合乃に、僕は奮い立つ。

『そうだな。勝つぞ、百合乃!』

『うんっ!』

 イメージスピークで気持ちをひとつにした僕は、風林火山を発動させ、感覚をも百合乃と一体化した。

 モルガーナとの、すべてを賭けた総力戦が始まった。

 

 

 


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