神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 第二章 4

 

          * 4 *

 

 

 視界の左右にあるのはアリシアの――百合乃の各種プロパティウィンドウ。

 百合乃から送られてくる彼女の視界をスマートギアのディスプレイに映し、ダンスホールの壁を頼りに立つ僕は、目の前に立つプロテクターをつけた近藤を見据える。

『よろしく、おにぃちゃん』

『あぁ』

 百合乃からかけられた声で、僕は目を閉じる。

 ヘルメットタイプの透過型バイザーでも、ヘッドギアタイプの不透過型グラスの内側に搭載されたディスプレイの場合でも、当然のことながらスマートギアは目を閉じれば何も見えなくなる。

 でも僕は、目を閉じるとともに意識で操作を行い、新たな機能を起動する。

 目を閉じているのに見えてくる映像。

 始めはぼんやりしていた視界は、アッという間にクリアになり、すべてがくっきりと見えるようになった。

 ――相変わらず、けっこうキツいな。

 灯理の医療用スマートギアを研究・開発しているメーカーに連絡をつけ、無理矢理な共同研究を申し込んでショージさんが僕用に視神経直送型――リンクX、通称「リュンクス」技術――スマートギアを持ってきたのは、この間の話し合いからキッチリ一週間後のことだった。

 適性が必要なものだったらしいけど、僕は適合したらしく、目を閉じていてもスマートギアから送られてくる映像情報を見ることができていた。

 いまはリュンクス型スマートギアの調整のためのデータ取りとともに、使い始めて一週間と経っていなくてまだ慣れていない僕が使いこなせるよう、毎日平泉夫人の屋敷に来て訓練をしている。

 ――まだ慣れないな……。

 人間の肉眼による視界は、左右約一八〇度で、当然ながらまぶたによる瞬きもある。

 でも百合乃の身体であるアリシアの視界は、メイン級のカメラだけで五個、さらにサブのカメラがいくつか搭載されているため、三六〇度を確保している。そしてカメラには瞬きがない。

 肉眼の枷が外され、アリシアからの映像情報を直接視神経で受け取っている僕は、瞬きのない、三六〇度の視界で世界を見ている。

 人類にはそこまでのはいないけど、ほ乳類なら概ね三六〇度見える動物がいるし、昆虫なら目がふたつしかない種類の方が珍しい。

 人間の脳機能の潜在能力として、器官から送られてくる情報があって、慣れさえ――そのための神経回路ができさえすれば、本来身体にはない目でものを見ることも可能になる。

 いまの僕はアリシアの光学視界の他に、プロパティウィンドウを表示した情報視界の、脳内マルチディスプレイ状態になっている。

 リュンクス型スマートギアを使い始めて七日、脳内マルチディスプレイができるようになってからは四日、まだ慣れたとは言えないけど、どうにか使いこなせるようになってきていた。

『いいぞ、百合乃』

『うん、じゃあゆっくり行くよ』

 僕の声に構えを取った百合乃。

 リミッターを解除しないから風林火山とは言えないが、百合乃との一体化を意識して、彼女と一緒にアリシアを動かす。

 見据えてる先にいるのは近藤。

 こちらが構えたのを見て、全身プロテクターの塊みたいになってる近藤もまた構えを取った。

 訓練相手は本当なら平泉夫人とか夏姫にお願いしたいところなんだけど、スフィアが使えなくなっている以上、闘妃や戦妃、ヒルデも動かせない。クリーブではバトル用には性能が不足するし、デュオアライズもできない。

 フォースステージの全力の速度は無理でも、僕のスマートギアの練習と、百合乃との同調のために、格闘技ではそれなりに強い近藤が練習相手を買って出てくれた。

 演舞のような比較的ゆっくりした速度で、正拳突きや上段回し蹴りを繰り出す百合乃。

 僕はそんな様子を光学視界で見ながら、情報視界で身体の状態をチェックし、調整を加える。

 フォースステージに至ったアリシアは、エネルギー的な制限は緩く、サードステージまではあった人工筋の熱問題もそれほど厳しくない。でも出力的は風林火山で同調し、細やかに調整を入れてやった方がポテンシャルをより高く引き出せることがわかってる。

 それがこの先避けられないだろう、エイナとの戦いに確実に勝利するために必要であると、僕は考えてる。

 モルガーナからのアクションは、まだない。

 十二月に入り、テストの勉強なんかもしつつ、僕と百合乃は、来たるべき最終決戦のために備えていた。

 

 

            *

 

 

「今日はここまでにしましょう」

 そんな平泉夫人の宣言に、僕は止めてしまっていた息を盛大に吐き出した。

 リュンクスをオフにし、目を開けた僕はディスプレイを跳ね上げてスマートギアを頭からはぎ取る。

「少しはサマになってきたみたいね。まだ最高速での動きは不安定だけれど……、これはもう少し広い場所で訓練しないと難しそうね。どこか手配することにするわ」

「……ありがとうございます。対決までには、ものにして見せます」

 少し離れたところに置かれたテーブルセットに着き、リンクの状況なんかをモニターしていた夫人に言われ、僕は汗が垂れてくる顔を手で拭いながら答えていた。

「お疲れ、克樹」

「お疲れさまです、克樹さん。どうぞ」

 近寄ってきた夏姫に先んじてタオルを差し出してきてくれたのは、灯理。

 ――やっぱり、なんか違うな。

 タオルを受け取って汗を拭きながら、僕は小さく首を傾げていた。

 僕たちの通う高校に比べて少し遠いところの灯理は、毎日夫人の屋敷に来てるわけじゃない。ちょくちょく来てる彼女の様子が、なんとなく前と変わっているような気がしていた。

 いつも通り、白地に赤い横線の入った医療用スマートギアを被っている灯理の表情は読み取りづらくて、口元に浮かべた笑みだけでは何が変わったのかはよくわからない。

 でもなんと言うか、灯理の纏う雰囲気が、この屋敷でモルガーナとの最終決戦の対策を話し合ったときの、思い詰めていた様子とは違っていた。

 身体を動かしていたから僕よりも汗をかいてる近藤は、百合乃から受け取ったタオルで身体を拭き、スポーツドリンクを飲みながら笑ってる。

 僕にスフィアを渡してから吹っ切れたようでいて、どこか影が残っていた近藤も、それがすっかり消えているように思えた。

 思い返してみると、昨日バトル用アプリ開発で協力してる猛臣と通話でやりとりしたけど、少し気持ち悪さを感じるくらい柔らかくなっていた。

 ――何かあったんだろうな。

 三人が変わるような何かがあったんだとは思うけど、何なのかはわからなかった。

 でもたぶん、それは僕が問うようなことじゃない。

 いまも機能するエリキシルスフィアを持ち、アライズが使え、たぶんエリキシルソーサラーの資格を失っていない僕が、問うてはいけないこと。

 そう思えるから、訊いてみようと一瞬思ったけど、夏姫が渡してくれたペットボトルを仰いで自分の口を塞いだ。

「この後はどうする?」

 差し出された灯理の手にタオルを渡した僕は、まだ日差しの高い窓の外を見てから、近づいてきた百合乃に問う。

 今日のデータを見てるんだろう、僕ではない斜め上の方に視線をやっている百合乃は、空色のツインテールをかき上げてから小首を傾げた。

「スマートギアの調整が必要みたいだから、今日はここまでかなぁ。また明日か、明後日だね」

「時間、ないだろ?」

 もうすぐモルガーナの準備が整うと予想されていた一ヶ月が過ぎる。いつあいつから連絡があってもおかしくはない。

 時間がない現状では、少しでも経験を積んで、最終決戦のために前に進んでおきたかった。

「あんまり根詰めてばっかりでも苦しいだけだよ? おにぃちゃん。適度な息抜きも、戦いの前には必要だと思うんだよね?」

「息抜きって、言われてもなぁ」

 ニコニコと笑ってる百合乃に、僕はホール内を見回した。

 柔らかく笑ってる平泉夫人は頷いてるし、近藤は肩を竦めてるだけだ。灯理は聞いていないかのように僕に背を向けてる。

 無表情の印象が強い芳野さんですら、なんでかうっすらと笑みを浮かべてるし、夏姫はなんだか期待の籠もった視線を僕に向けてきていた。

 先週、世界は大きく動いた。

 いや、傾いたといっても過言じゃないだろう。

 夫人が火種と言っていた場所での紛争や闘争が相次いで勃発し、大規模な戦闘が行われたり、それと同時に世界の経済も原因がはっきりしない乱高下が起こった。

 それよりも大きかった事件。

 先週からこっち、政界や財界の重鎮の病死、暗殺、失踪、引退などがほんの数日の間に相次いで発表されたのだ。

 世界の黒幕と字名され、次期米国大統領は確実と言われていた人物の急死を筆頭に、王様とか首相クラスの人物、世界を牛耳る財界の翁ふたりの死亡と失踪、他にも突然政権交代が起こった国が複数あるし、姿も見せず引退と発表された人もいる。

 各地の争乱もそれに被さり、日本はそれほどじゃないけど世界的には混乱が続いている。

 その前、あれだけ世界中で連日報道されていたスフィアの一斉停止事件なんて、世界の重要人物一斉消失によって吹き飛んでしまって、話題に上ることが珍しいほどになっていた。

 平泉夫人の話では、すべては調べ切れていないそうだけど、死亡が発表された人物の中には、モルガーナと比較的密に連絡を取り合っていた人がいるそうだ。

 そんな大きな動きがあったということは、モルガーナが着実に準備を整え、僕たちに残された時間は刻一刻と少なくなっているということ。

 焦りを感じずにはいられなかった。

「焦ってるばっかりじゃ、空回りしちゃうよ? おにぃちゃん」

 側まで寄ってきた百合乃が、僕の眉根に寄ったシワをつつきながら言う。

「それはまぁ、そうかも知れないが……」

「んー、そうだねぇ」

 下唇をドールらしい大きな人差し指で撫でながらうなり声を上げる百合乃は、僕をちらりと見た後、寄り添うように立ってる夏姫に視線を向けた。

「せっかくだから、夏姫さんと……、恋人とデートに行ってきたら?」

「え?!」

「デートぉ?」

 予想外の提案に、夏姫は驚きの声を上げ、僕は困惑の言葉を漏らす。

「あら、克樹君。夏姫さんとやっと付き合うようになったの?」

「いや、前からそんな感じだったけど、お前ら保留にしてるとか言ってたよな?」

「えっと、えぇっと、……うん、そうだったんだけど、エリキシルバトル、終わっちゃったし……」

「あぁー、うん。バトルが終わったら改めて正式に告白するって約束してたから、ね……」

 なんでか平泉夫人も近藤も、意地悪そうな笑みを浮かべていて、芳野さんも楽しそうに口元を押さえてる。

 正式に付き合うことになったと言っても、正直なとここれまでとあんまり変わったことはしてなかったし、百合乃が復活して以降のこの一ヶ月、最終決戦に向けた対策で手一杯だった。

 ――そっか、そうだったよな。

 いつも気づくのが遅い僕だけど、今回もいまさらながらに気がついた。

 告白して、付き合い始めて、もう一ヶ月になるのに、夏姫と恋人らしいことをほとんどできていなかったという事実に。

 隣の夏姫を見てみると、僕の手を包むように握ってくる彼女は、少しバツが悪そうに、でも少し不満そうに口を尖らせている。

「そうだな。今日くらいは、いいか」

「――うんっ」

 そう言った僕に嬉しそうな笑みを浮かべて頷く夏姫。僕もまた一緒に頬が緩むのが止められなかった。

 もうすぐモルガーナとの最終決戦。

 どんな戦いになるかはわからないし、何が起こるのかもわからない。最低でも、命懸けの戦いになることだけは確かだ。

 死ぬつもりはない。

 でも、悔いを残した状態で戦いに臨みたくはない。

「今日はあたしは、ここに泊まっていくから、ふたりでゆっくりしてきていいよぉー」

「何言ってんだよ!」

 含み笑いで言う百合乃に、拳を振り上げながら怒りを向ける。

「行ってらっしゃい、克樹さん、夏姫さん」

「……うん」

 少し寂しそうな笑みで言う灯理に、頷きで返すことしかできなかった僕は、何か言いたい気持ちを振り切って夏姫に向き直る。

「行こっ」

「あぁ」

 夏姫の弾んだ声に応えた僕は、彼女と手を繋いだまま、ダンスホールの出口へと向かった。

 

 

            *

 

 

「ありがとう。下がっていいわ」

「はい、奥様」

 カップに紅茶を注ぎ、まだ中身が残っているティーポッドにコジーを被せ、ミルクポットも添えてくれた芳野に、夫人はそう声をかけた。

 執務室の比較的質素な応接セットの、夫人の正面に座っている百合乃をちらりと見た後、芳野は扉まで下がり、一礼してから部屋を出ていった。

「料理、お上手なんですね、芳野さん」

「免許までは取っていないけれど、みっちりと習っているから、和洋中各国ひと通りを、フルコースまでつくれるわ。いまはでも、もう少し家庭料理寄りのを練習しているようね」

「やっぱり、ショージ叔父さんのため、ですか?」

「……そのようね」

 芳野と彰次の関係については、再会してから話題に上ったことはないし、克樹もはっきりとは気づいていなさそうだったが、女の子である百合乃の洞察力は鋭いらしい。

 ニッコリ笑った後、大人よりもさらに太い指で気をつけながら、百合乃はティーカップを口元に寄せた。

「ショージ叔父さんと結婚する、とかですか?」

「それはどうでしょう。芳野の方はある程度考えがまとまっている様子だけれど、彼の方がまだ乗り越えなければならないものがあるようですからね。正式に付き合うにしても、そこからでしょう」

「東雲映奈さんのこと、ですか」

「えぇ」

 表情に暗い影を落としている百合乃を、平泉夫人はじっと見つめる。

 克樹と夏姫がデートに行き、近藤と灯理も帰った後、数日前にふたりで相談していた通り百合乃が屋敷に泊まることになった。

 生前から百合乃とは親交があったし、小学生だった彼女が屋敷を訪れる機会は決して多くなかったが、今日泊まると言い出したことにはとくに不思議に思うところはない。

 ただ百合乃には、溜め込んでいるものがあるように、平泉夫人には思えていた。

「何故貴女は、あの魔女との対決を選ぶのかしら?」

「対決が、避けられないからです。この前説明した通り、あの人から逃れる方法は、ほとんどありません」

 言いながら伏し目がちになる百合乃。

 魔女の探査から逃れられないだろうという話は聞いていたが、その説明がすべてではないように思えていた。

「他の道も、本当はあるんじゃないかしら?」

 その言葉に百合乃は顔を上げ、泣きそうな表情をした。

 瞳を揺らし、唇を震わせて何かを堪えていた彼女は、しばらくして話し出す。

「本来、あの魔女さんには、人間では勝つことはできません」

「でしょうね。私も死にかけたし、あの人が斬り捨てた人たちのことを考えれば、たとえ日本であっても街ひとつを消してしまうことくらい、造作もないことでしょう」

「はい……。魔女さんがどれくらいの力を持っているかは、リーリエやエイナさんも把握できていなかったようです。アライズやカーム、フェアリーリングなどは確実にあの人の魔法ですが……、あの人の魔女としての力はわからないんです。でも、世界に対する影響力だけは本物で、元々人間であったのに、人間を超える寿命を得て長い時間かけて培ってきたそれは、たぶんいまでも太刀打ちできないくらい大きいと思います」

 言いながら顔を歪ませている百合乃の瞳に浮かんでいるのは、恐怖。

 大人びた印象と口調で話していても、彼女の年齢は生前と変わりない一二歳程度。

 一度は自分を死に至らしめた、底知れない魔女という存在に、恐怖を感じないはずがなかった。

 向かい合って座っていた平泉夫人は、立ち上がって百合乃の隣に寄り添うように座る。

「それでも私たちは、あの魔女と戦うことができているわ」

「それは、あの人に叶えたい願いがあるからです。他の人を利用することはできても、おにぃちゃんとあたしの……、おにぃちゃんとリーリエのスフィアからエリクサーを奪うには、エリキシルバトルのルールに則った戦いをするしかありません」

「それは、イドゥンって女神がいるから?」

「はい」

 額にシワを寄せて難しい顔をする百合乃は頷く。

「女神様を望んでいるのは、ただの戦いじゃないみたいです。譲れない想いと想いのぶつかり合い、かけがえのない気持ちと気持ちの削り合い……。神様にとっては儚い、妖精のような存在である人間の物語、妖精譚を求めているようなんです」

「じゃあ、魔女は女神のその願いを叶えるために、克樹君と百合乃ちゃんに戦いを仕掛けてくると?」

「はい。本気になれば、魔女さんがこのスフィアを奪う方法なんていくらでもあるはずなんです。それに抗うことは、ただの人間には無理です。もし魔女さんに敵対する人たちが協力して戦争を始めるなら戦うことはできるかも知れません。もちろんその動きをあの人が見逃すはずがないので、そのときは全力で人間を叩き潰しにくるはずです。それをしないとわかっているからこそ、いまこうして戦いの準備をすることに意味があるんです」

 百合乃は空色の髪の下、自分の頭の中に搭載されているスフィアを指さしながらそう語った。

「魔女に、勝てるの?」

「……わかりません。エイナさんだけであれば、おにぃちゃんと一緒なら、勝てるんじゃないかと思います。でも、魔女さんがどれくらいの力があるのかはわからないので」

 話ながら、百合乃は苦しそうで、泣きそうな顔をしている。

 克樹の前ではこんな顔を見せることはない。

 いまはまだリュンクスに充分に慣れたとは言えず、必死になっている彼を不安にさせないよう、百合乃なりに配慮しているのだろう。

 けれど夫人とふたりきりのいまは、百合乃はいつもは笑みで隠している素顔を晒していた。

「でもたぶん、大丈夫なんだと思います。おにぃちゃんと一緒なら」

「どうして?」

「それはおにぃちゃんが、特異点だからです」

 泣きそうになっていた顔を引き締め、百合乃は小首を傾げる平泉夫人の瞳を見つめてくる。

「特異点?」

「はい。これはリーリエとエイナさんが出した結論です。エイナさんを抱える魔女さんが圧倒的なひとり勝ちを避けるため、女神様がおにぃちゃんという特異点を用意していたんだ、と」

「なるほど……。イドゥンの願いは、拮抗した戦いなのね。それに克樹君が選ばれた」

「でもそれはたぶん、おにぃちゃんだけじゃありません。特異点はエリキシルバトルが計画されるずっと前から、女神様によっていくつも仕込まれていたんです」

「いくつも?」

 平泉夫人の問いに、百合乃は大きく頷く。

「そのひとつは、確実に敦子さんです」

「私が?」

「参戦しなかったわけですが、フォースステージはわかりませんが、敦子さんならサードステージまでのリーリエやエイナさんには対抗できたと思います。おにぃちゃんから聞いた話の通りなら、夏姫さんのそうだったんだと思いますし、灯理さんのデュオソーサリーもそうでしょう。特異点ではなくても、槙島さんは時間さえあればエイナさんと渡り合えるドールを造り上げていたはずです」

「なるほどね。あの魔女はすべてをコントロールできていたつもりで、すべてはイドゥンの掌の上だった、というわけね」

「はい。……そんな中でも、いま残っているのはおにぃちゃんとあたしだけです。あたしたちが戦うしかないんです」

 また瞳が揺らぎ始め、うつむいてしまった百合乃は、それでも言葉を続ける。

「あたしたちとの戦いが終わった後、魔女さんがどんな行動に出るのか、わかりませんから」

「……そうね」

 願いを叶えた後、人間を強く憎んでいる様子のモルガーナがどうするかは、平泉夫人でも予測ができなかった。

 エリキシルバトルが正常に終わっていれば、勝ち残った参加者の願いを叶えていただろうと思える律儀さを感じる反面、イレギュラーな状況となったいまは何を考えているのかわからない。

 小さな身体と幼い心に、大人でもできないような決意を秘めて震えている百合乃を、平泉夫人は優しく抱き寄せる。

「百合乃ちゃん。貴女には何か望みは、願いはないの?」

 問うた瞬間、百合乃が身体を強張らせたのがわかった。

 彼女の顔を覗き込むと、何とも言えない表情で硬直させ、さらにうつむいて夫人から目を逸らした。

「あ……、あたしは……」

 ガタガタと大きく身体が震え始めた百合乃を、平泉夫人は強く抱き締める。

 泣きそうに、つらそうに、悲しそうに顔を歪めている彼女を、夫人は両腕で包み込んだ。

「あたしはいま、やるべきことがはっきりしていて、あたしにもおにぃちゃんにも、ぜんぜん余裕がなくて、負けるわけにはいかなくて、おにぃちゃんを……、不安にさせるようなことは、できない……」

 夫人のふくよかな胸から見上げて来、目尻に大きな涙を溜めながら百合乃は言う。

「あたしの、願いなんて……。そんな話をして、戦う決意をしてくれたおにぃちゃんを、迷わせたくない……」

「でも、リーリエちゃんは、どうなのかしら?」

 大きく目を見開き、百合乃は口をつぐむ。

「リーリエちゃんは、百合乃ちゃんの復活を願って、――完全に人間としての復活は叶わなかったけれど、いまこうして貴女のことを復活させた。リーリエちゃんは、貴女に何を望んでいたのかしら?」

 いつも無邪気な様子を見せてくれていたリーリエ。

 けれど平泉夫人は、そうした彼女には表に出さない芯の強い部分を持っていることに気づいていた。

 リーリエとふたりだけで話す機会は少なく、エリキシルバトルのことも聞きそびれてしまったが、いまなら何を望んで、何をしようとしていたのかがわかる。

 百合乃のことを、おそらく母親であると認識していたリーリエ。

 不幸な死を迎えた百合乃の復活を願ったのは、克樹と幸せになってほしいと考えていたからのはず。

 自分もまた幸せになりたいという想いを抱きながらも、自分の存在を投げ打ってまで願いを叶えたのは、モルガーナとの戦いを望んでのことではない。

 大粒の涙を流している百合乃のことを強く抱き締める。

 子供を産んだことはなかったが、リーリエも、百合乃も、まるで自分の子供のように愛おしい。

「本当は……」

 声を震わせながら、百合乃は言う。

「本当は、生きていたい……。おにぃちゃんや、敦子さんや、他のみんなと一緒に、生きていきたい……。リーリエがそれを望んで、あたしの復活を願ってくれたのだってわかってます!!」

 黒一色の平泉夫人の服にしがみつき、百合乃は叫んでいた。

「けれど、無理ですっ。あの魔女さんは絶対に諦めることなんてないっ! 女神様から逃れる方法だってないんです!! 隠れる方法はもしかしたらあるかも知れません……。でも、あたしは立ち向かうしかないんですっ。戦うしか道がありません! だって――」

 顔を上げた百合乃は、涙を流し、顔をくしゃくしゃに歪める。

「あたしは、人間ではないんです……」

「百合乃、ちゃん……」

 返すべき言葉を、平泉夫人は思いつけなかった。

 彼女のためならば、どんな協力もしたい、どんなことでもしてやりたいと思った。

 けれど、いまの彼女にいま以上にしてやれることは、何もなかった。

 だから平泉夫人は、百合乃の身体を抱き締める。

 克樹にすら言えない言葉を、想いを聞き、受け止めてやること。抱き締めてやること。

 それ以外のことを、思いつけなかった。

 だから平泉夫人は、泣きじゃくる百合乃を、ずっと抱き締め続けた。

 

 

 


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