神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第七部 序章 マザー・リリー
第七部 無色透明(クリアカラー)の喜び 序章


 

 

   序章 マザー・リリー

 

 

 部屋を満たしているのは、ほんの微かな電子機器の稼働音と、冷却ファンの音。

 灯りの点いていない部屋には、サーバラックに設置されたシステムの、まばらなLEDがあるだけ。

 決して広くはない部屋を半ば埋めるほど置かれたラック群は、点滅しているLEDもなく、ファンの音にも変化はなく、システムはとても静かに稼働を続けている。

 人工個性システム。

 つい先日までリーリエを生かしていたシステムは、一度は完全に停止し、再稼働はしているが、いまは電源が入っているだけ。リーリエはいま、システムの中にはいない。

 元々客間だった部屋を改装したサーバルームは、まるで巨大な墓石のようなラックが並んだ、深夜の霊園に似た静けさを保っている。

 そこにふと、光が差し込んだ。

 入り口の扉が開かれ、廊下に点けられた灯りが部屋に差し込む。重苦しい闇は切り開かれた。

 足を踏み入れてきたのは、小柄な女の子。

 一二〇センチしかない身長。

 人ではあり得ない空色の髪を高い位置でツインテールに結い、その体格にしては不釣り合いなほど大きな手で扉を開く。

 エリキシルドール、アリシア。

 戦闘用のハードアーマーは外し、純白のワンピースを着て部屋に入ってきた彼女は、いまにも泣きそうなほど表情を歪めている。

「ゴメンね、リーリエ……」

 ラック群の前に立ち、下ろした両手を強く握りしめながら、彼女はつぶやくように漏らす。

 フォースステージに至ったことで、アリシアを自ら身体としたリーリエはしかし、いまはその身体にはいない。

 リーリエは願いを叶えた。

 いまアリシアの身体を動かしているのは、音山百合乃(おとやまゆりの)。

 エリクサーの不足により完全な人間としてではなかったが、百合乃は確かに復活し、アリシアを彼女に譲ったリーリエはそのボディから消滅した。

「あたしは、貴女のママなのにね」

 声とともに震える唇で、百合乃は言う。

 リーリエは百合乃の脳情報から、独立した個性として生まれた。

 遺伝子的な、生物としての血のつながりはなくとも、百合乃にとってリーリエは娘と言える存在だった。

「貴女にたくさんのことをしてもらったのに、あたしは貴女に何もして上げられなかったね。お話しすることもできなかったね……」

 小さく首を傾げ、できるだけ笑うために唇をつり上げようとするけれど、できず、百合乃は目尻に涙を溜める。

 リーリエはいま、ここには、人工個性システムには存在していない。

 人工個性、エレメンタロイドには身体はない。仮想空間に構築された、データによって構成された脳があるだけだ。

 だから、リーリエは何も遺さなかった。

 人は生きていたならばその痕跡を残す。

 物理的な肉体を持つ人間は、その生活の中で、大なり小なり生活の跡を残し、見送った人々に記憶とともに形あるものを置いていく。

 たくさんのラックマウントサーバで構築された人工個性システムは、実質的にはリーリエ専用だった。けれど彼女の主体が、システム自体にあったとは言えない。

 アリシアは、リーリエの遺したものと言えた。しかしそれも、いまは百合乃の身体となってしまっている。

 形を持たなかった彼女には、ひと目で彼女と認識できるような写真の一枚も、ありはしない。

 妖精。

 リーリエは妖精だった。そしてお話の妖精のように、消えてしまった。

 彼女と向き合う場所が思い浮かばなくて、彼女のことをどこで偲べばいいのかわからなくて、百合乃はこのサーバルームを訪れた。

「ゴメンね、リーリエ。あたしは、貴女に何もして上げられなかったね……」

 ぽろぽろと涙を零し、百合乃はもうどこにも存在しないリーリエに呼びかける。

 エリクサーが貯まっていくうちに、スフィアコアの内に徐々に百合乃が形成されていっていた。意識は微かにあった。

 それでも、彼女が願いを叶えるまでは、動くことができなかった。自由はなかった。

 状況的には仕方ないことだとわかっている。

 しかしリーリエが消えたのは自分のせいだと認識している百合乃には、謝ること以外できなかった。

「貴女には、生きていてほしかったよ」

 それはいまさらな願い。

 同時に残酷とも言える願い。

 百合乃の復活の次にリーリエが強く願っていたこと。それは肉体の取得。

 彼女が抱いていた想いを考えれば、人工個性として、身体を持たずに生き続けていることは残酷なことだと思えた。

 そうだとしても百合乃は、リーリエに、自分の娘に生き続けてほしいと思った。

 けれどリーリエが叶えた願いは、百合乃の復活。

「ありがとう、リーリエ。あたしはいまできることを、精一杯やるね」

 涙を手の甲で拭い、笑う。

 リーリエが託してくれたもの。

 リーリエがしてくれたこと。

 それを抱いて、百合乃は彼女に微笑みかける。

「すべてに決着をつけてくるね」

 表情を引き締めた百合乃は、そう言い残し、空色のツインテールを揺らしてサーバルームを後にした。

 

 

 


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