神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第二章 6

 

 

          * 6 *

 

 

 円形の盾を投げつけるのと同時に、灯理はフレイヤを操作し、袖口から針を取り出させる。

 左右で八本。

 リーリエが盾を太刀で叩き落としたのと同時に、フレイヤは針を投擲した。

 右、左とわずかな時間差で投げつけた針は、二本がリーリエの身体に当たらない軌道を取る。

 いま彼女の背後にちょうどいるのは、近藤。

 ――これならば!

 そう思いながらも灯理はフレイヤにさらなる指示を出し、膨らませたそれぞれの肩に両手を差し込み、二本の短剣を取り出して、リーリエに突撃した。

 足すら動かさず、静かな表情で立つリーリエ。

 盾を叩き落としたために振り下ろしたままの刀では、針には対応できない。避ければ近藤に針が命中する。

 ――え?

 目にも留まらぬ速度で動いた、彼女の左腕。

 近藤に命中するはずだった針も、リーリエに当たるはずだった針も、微妙な時間差をつけて投げつけたものすべてを、彼女は左手一本でつかみ取っていた。

「まだです!」

 叫び声を上げながら、灯理は純白の軌跡を引いたフレイヤで、リーリエの首筋を狙う。

 金属音すらしなかった。

 夕暮れ時の陽の光を受けて煌めきながら宙を舞うのは、短剣の刀身。

 地から天まで円を描いて振るわれたリーリエの刀が、短剣の刀身を根元から、二本とも斬り飛ばしていた。

 それを理解した瞬間、灯理はフレイヤを倒れ込むような角度で地を蹴らせ、同時に白のロングスカートから長剣を抜こうとした。

 リーリエの動きは、高性能カメラを搭載したスマートギアから、直接視神経に送られる視界では見えていた。

 けれど、反応することはできなかった。

 指示を出さなければと思ったときには、剣を引き抜こうとしているフレイヤの前に立っている、リーリエ。

 空色のツインテールをなびかせながら刀を天高く振り上げた彼女は、次のアクションに移る暇も与えず、フレイヤの肩へと振り下ろした。

 右肩から斜めに、左腹へと振るわれた刀は、抵抗などないかのように振り切られる。

 ずるりと、一瞬遅れてフレイヤの上半身が後ろへとずれ、その身体は芝生に倒れた。

「あぁ……」

 灯理は小さく、悲嘆の声を上げていた。

 機能を停止したフレイヤのアライズが解除されるのと同時に、灯理は両膝と両手を地に着いた。

 少し離れた場所で倒れている、首から上を失っているフレイもまた、一緒にピクシードールへと戻る。

「負け……、ました」

 肩を震わせる灯理は、喉から絞り出すような声で、そう宣言した。

「灯理、凄く強くなってたよ。いまの灯理なら、平泉夫人は無理でも、夏姫になら勝てるかも知れない」

 鞘に納めた刀のアライズを解除したリーリエは、ぽたぽたと涙を芝生に落とす灯理に言った。

「貴女に……、貴女に勝てなければ意味がないのです!」

 顔を上げ、医療用スマートギアの下から涙を零れさせる灯理は叫ぶ。

「ワタシはすべてのエリキシルソーサラーを倒して、ワタシの願いを叶えなければならないのですっ。そのためには、貴女に……、貴女に負けてなどいられなかったのに……」

 そう言って歯を食いしばる灯理は、リーリエの冷たさを感じる視線に見つめられていた。

 完敗だった。

 飛道具はすべて打ち落とされるかつかみ取られ、二方向からの奇襲も、布地に仕込んだコントロールウィップも通用しなかった。

 卑怯であるとわかっていたが、近藤を巻き込むような攻撃ですらも、リーリエはすべて対応してきた。

 彼女を追いつめられた瞬間など、一瞬たりともなかった。

 ――わかって、いましたけれど……。

 リーリエから送られてきた、エイナとのバトルの動画を見たときから、勝てないことはわかっていた。

 ひと言で表すなら、次元が違う。

 平泉夫人や夏姫はもちろん、克樹や猛臣にも勝てない灯理は、彼らに勝る戦いを見せたリーリエとエイナには、どうやっても勝てないことはわかっていた。

 隙を突くとか、ミスを誘うといった手段を使うことすらできないほどに、戦力が隔絶していることを、動画を見た段階で理解した。そしていまのリーリエの強さは、動画の中で見たものよりも、さらに一段以上増しているようにも思えるほどだった。

 それでも願いを叶えるためには、勝たなくてはならない。

 だからこそ、リーリエに挑んだ。

 そして、負けた。

 勝てる見込みなど、ほんのひと欠片もなかった。

 ハードアーマーに刃をかすめさせることもできなかった。

「この後、用事があるから、あたしはそろそろ行くね」

 言ってリーリエは灯理に背を向け、LDKに入ろうとする。

 すぐ側で転がっている、エリキシルスフィアを搭載したフレイヤを、無視して。

「何故ですか!!」

 その背中に、灯理は叫んだ。

 顔だけ振り返ったリーリエに、脱力してしまった身体を奮い立たせて立ち上がり、灯理は言う。

「どうしてワタシのエリキシルスフィアを取っていかないんですか! 貴女は、ワタシに勝ったではありませんか!!」

 身体も振り向かせたリーリエは、目を細めて灯理から視線を逸らす。

「ワタシは願いを叶える。どんな手段を使ってでも、たとえいま、誠さんに怪我をさせてしまったとしても、それでも願いを叶えるためならば、ためらいなくやりましたっ。それでも貴女には届かなかった! だったら、だったら……」

 両手を握りしめ、胸の奥からこみ上げてくる想いを一度抑えるために言葉を止めた灯理。

 抑えきれない気持ちが再び涙として零れてきた彼女は、リーリエに向けて絶叫する。

「ワタシの願いを諦めさせてください!」

 戦っても勝てないことはわかっていた。

 それでも戦わなくてはならなかった。

 願いを抱き続ける限りは、戦って、決着をつけるしかない。

 だからおそらくいま最強のエリキシルソーサラーのひとりである、リーリエに戦いを挑んだ。

 願いを、きっぱり諦めるために。

 それなのに彼女は、完全な勝利を収めたというのに、エリキシルスフィアを奪おうとしない。

 克樹と、同じように。

 ――いまさら、ワタシにそんなことは堪えられない!

 集まっていた四人、そしてリーリエを含めた五人の中で、自分が一番弱いのだと認識していた。

 だからこそ努力して、努力して、誰よりも努力して、強くなった。

 それでも遠く及ばない敵に引導を渡してもらうこと以外、願いを諦める方法は思いつかなかった。

 リーリエに、願いを断ち斬ってほしかった。

「ゴメンね、灯理。あたしは灯理のエリキシルスフィアを取ったりしないよ」

「何故ですか! ワタシは、ワタシはこれ以上、叶わない願いで苦しみたくはないんです!!」

 長い栗色の髪を振り乱し、涙を振り撒きながらリーリエと近づいていった灯理。

 足下に落ちていたフレイヤの上半身を拾い上げ、リーリエへと突き出す。

 リーリエは、悲しげに笑むだけで、手を差し出してはくれなかった。

「だって、たぶんおにぃちゃんも、そうするから。もう一度灯理と戦って、勝ったとしても、おにぃちゃんもスフィアを取ったりしないから。だから、あたしもそうする」

 そうすることに意味があるとは、灯理には思えなかった。

 最後まで勝ち残った者だけが願いを叶えられるのだとしたら、いま奪わなくても、最後にはスフィアを奪い取らなければならない。

 それがいまか、後になるかの違いなら、いますぐに奪い取って、淡く続いて叶うことのない願いを、諦めさせてほしかった。

「そろそろ出かける時間だから、あたしは行くね」

 言ってリーリエは右手を振り、フェアリーリングを解除する。

 LDKに向かった彼女に対し、先回りをした近藤は掃出し窓の近くに置いてあった鞄を手渡した。

「どこに行くんだ?」

「ありがと。んー。それは、言えないんだ」

 ディスプレイを一度跳ね上げて涙を拭い、それを戻してから灯理が顔を上げると、庭から見える門の前に、車がやってきた。

「それじゃ」

 ふたりに手を振って、リーリエは車へと歩いていく。

 一瞬遅れて灯理は近藤とともに車の元へと駆け寄った。

 ふたりを阻むように立ったのは、イヤな笑みを浮かべる男。

 笑みとともに睨みつけるような鋭い視線で無言の圧力をかけてきた男は、セダンの後部ドアを開き、リーリエを車内に招き入れる。

 一瞬男を刺すような目で見てから、リーリエは抵抗もせず、車に乗り込んだ。

 ――あの、男の人は。

 蔑むような視線でふたりに一瞥をくれてから、回り込んで運転席のドアを開けた男に、灯理は見た。

 首筋から頬にかけての、火傷の跡を。

「あ――」

 灯理が声をかける前に車は発進し、街灯が灯り始めた道を走って行ってしまった。

 近藤とともに、灯理はそれを見送ることしかできなかった。

 

 

            *

 

 

 ――あれ?

 息が上がって小走りにもならない速度で走って、見えてきた僕の家。

 門の前の道路には、ふたつの人影があった。

 灯理と、近藤。

 僕とは反対の方向の道をじっと見つめてるふたりに、息を整えながら近づいていく。

「ふたりとも、どうしたんだ?」

 痛くなってる横っ腹に手を当てながら問うと、半ば呆然とした顔で振り返るふたり。

 口を開いて何かを言おうとしてるのに、何も言えないでいる灯理。

 それを察してか、まだ少し冷静らしい近藤が口を開いた。

「灯理は、リーリエと決着をつけにきたんだ」

「決着を、つけに? エリキシルバトルてこと? 結果は?」

 灯理の方を見てそう問うと、彼女は唇をきゅっと結んで、僕から目を逸らした。

 その様子に、僕は結果を知る。

 ――でもリーリエは……。

 見ると灯理の手には、袈裟懸けに斬られて上半身だけになったフレイヤが握られている。

 その頭部が解放された様子はないように見えるから、たぶんリーリエはエリキシルスフィアをそのままにしていったんだ。

 ――リーリエらしいな。

 気づいた瞬間、僕はそんなことを思って、頬が緩んでいくのを感じていた。

「リーリエはいま、家の中?」

「お前……、やっと話し合う気になったのか」

「――うん。ちょっと、遅くなったけどね」

 呆れたように言う近藤に、僕は苦笑いを返す。

「いいえ、ちょっとではありません。たぶんもう、手遅れです」

「え?」

 復活した灯理がそう言った。

「あぁ。克樹が来るのとすれ違いで、リーリエは迎えに来た車に乗って行っちまった」

「どこにっ?!」

「それはわからない。リーリエは用事があるとしか言ってなかったから」

 ふたりに睨みつけられて、僕は口をつぐむ。

 いまのタイミングでリーリエを呼びつけるとしたら、モルガーナしか考えられない。

 僕がリーリエと話し合うよりも先に、あいつの方が先に彼女を呼び出したんだ。

 ――もう一度、ちゃんと話し合うつもりだったのに。

 車に乗って行ったんだとしたら、目的地がわからなければ追うこともできない。モルガーナの拠点なんて、それこそいくつあってもおかしくない。

 そしてもしかしたら、リーリエには二度と会えないかも知れない。

 ――僕はどうして、いつも一歩遅いんだろう……。

 百合乃のときも、僕は間に合わなかった。

 掠われる一瞬、僕が彼女の様子に気づいていれば。

 その後も、僕があともう少しだけ早く百合乃を見つけてさえいれば。

 いまも、もう何分かでも、早くその気になっていれば、間に合ったはずだった。

「でもまだ間に合うかも知れません」

「え?」

「誠さんが、リーリエちゃんが出かける準備をしてることに気づいて、発信器を準備するように言ってきたのです」

「あぁ。武器とかをたくさん入れた鞄の底に仕込んでおいた。それで場所がわかるはずだ。

 灯理が差し出してきた携帯端末。そこに表示された地図には、刻々と移動していく発信器の反応が表示されていた。

 ふたりのことを、いますぐ抱き締めたくなる。

 まだかろうじて間に合う可能性に、僕は拳を強く握りしめた。

「モバイル回線による発信器ですから、電波を遮断でもされない限りは大丈夫だと思います。受信のためのキーはいまお送りします」

「ありがとう、灯理。それに近藤! 準備してくるっ」

 自分の携帯端末に、発信器の位置情報の受信方法が送られてきたのを確認した僕は、家に飛び込んだ。

 開けっ放しだった玄関から靴を脱ぎ捨てて入り、階段を一気に上がって作業室へ。

 夏姫の部屋から担いできたのとは別の、もうひと回り大きなデイパックをフックから取って、思いつく機材をどんどん突っ込んでいく。

 リーリエが持っていかなかったらしい武器を持てるだけ、それから改良が終わってるスレイプニール。

 顔を上げたそこには、メンテナンスベッドに置かれたシンシアが見えた。

「持っていくか」

 移し替えたデイパックの中には、昨日近藤から受け取ったエリキシルスフィアもある。夏姫に確認してもらって、すでにエリキシルスフィアとしての機能を、参加の権利が失効してるのはわかってるけど、載せ替えることを考えてシンシアも鞄に詰め込んだ。

 取って返して靴を履いて外に出ると、家の前にちょうどタクシーが走り込んでくるところだった。

「ちょっと、行ってくる」

「あぁ、行ってこい」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 優しい色が浮かんだ瞳をしてる近藤と、微かに頬に涙の跡の残る灯理の微笑みに送られて、僕はタクシーに乗り込んだ。

 最新の位置情報をチェックして、予想される到着位置に近いランドマークを運転手に告げる。

 焦る気持ちを抑えながら、僕は発進した車の中で深呼吸をした。

 ――今度は絶対に、間に合わせるからな、リーリエッ。だから待ってろ!

 

 

            *

 

 

 ガラス張りの自動扉が左右に大きく開き、踏み出した先は、屋上。

 広大とも言える広さのそこは、半分がヘリポート、半分が倉庫と思われる背の低い建物や、空調機器、照明などが設置されている。それらのさらに向こうには、林立する超高層ビルや、タワーマンションの先端がいくつか見えた。

 ヘリが発着するためか低いフェンスしかない屋上から、首を巡らせてリーリエがわずかに見える眼下に目を向けると、まだ微かに残る昼の気配から、夜へと沈んでいこうとしている海があった。

 ビジネス街、タワーマンションなどの住宅街に隣接し、倉庫街などがあるここは、開発がほぼ終了した東京の港湾地区。

 スフィアロボティクス総本社ビル。

 エイナ経由でモルガーナの招待を受けたリーリエは、ここを訪れた。

 彼女の視線の先、ヘリポートの対角の位置にはあるのは、ふたつの人影。

 紅いスーツを纏い、腕を組んで蔑むような視線を向けてくるモルガーナと、ステージ衣装のように見えるのに、洗練されたアーマーであることがわかる外装の、アライズ済みのエイナ。

「来たよ、モルガーナ」

「ようこそ、とでも言っておけばいいのかしら? 出来損ないの精霊」

 ヘリ発着用の照明に照らされて見えるモルガーナの瞳には、怒りと、はっきりとした蔑みが浮かんでいた。

「今日、これから貴女は、エイナに負け、エリキシルバトルに決着がつく」

「あたしの他にもまだソーサラーは残ってるよ」

「貴女以外に、エイナに対抗できる力を持った者など、いるわけがないでしょう? 貴女がその力を手に入れただけでも奇跡とも言えるほどなのに」

「さぁ? それはどうかなぁ」

 ニコニコと笑うリーリエは、手に持っていた手提げ鞄からアライズさせていない武器を取り出し、次々とアーマーの隙間などに差し込んでいく。

 鞄を足下に置き、一本の長刀を手にした彼女は、唱えた。

「あっ、らぁいず!」

 その声に応じて、エイナは背中から両手持ちの大剣を抜き放った。

 太刀の鞘を払い、構えるでなく手にぶら下げたリーリエ。

「モルガーナ。貴女の思う通りにはならないよ」

 顔を歪ませる魔女に、リーリエは楽しげな笑みを見せる。

 それから、表情を引き締め、唇を引き結んだエイナと対峙した。

 

 

 


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