神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第二章 5

 

 

          * 5 *

 

 

 畳の上にあぐらを掻いた僕は、頭に被ったスマートギアの視界で、いくつものウィンドウを開き作業をしていた。

 ――だいたい、こんなもんか?

 一応できたプログラムソースをデバッグアプリに食わせてチェックし、続いてシミュレーターアプリで動作確認を行う。

 動作確認のダイジェストを見ながら、僕は新たに別のアプリの制作に取りかかった。

 昨日のうちにリーリエから送ってもらった新しいアリシアの――いや、リーリエの身体の性能と、接続・操作関係の情報から、僕は今日、新しいバトルアプリの開発に勤しんでいた。

 事前にリーリエがパーツ手配のために連絡を取って、あっちでも独自にアプリ開発を進めていた猛臣とも連携して、エイナに対抗するための汎用バトルアプリとアドオンアプリを作成する。さらにそこから僕は、リーリエ専用に調整を入れていた。

 僕もリーリエの解析データを見せてもらったけど、エイナの強さは凄まじい。ポテンシャル予測によると、前回の戦闘では全力を出せてなかった可能性が高かった。

 新しいアリシアはコンセプトこそいままでと同じだけど、必殺技のためのポテンシャル優先で基本性能を犠牲にしていたものと違い、最高ポテンシャルと最高の性能を持つピクシードールとなった。フォースステージに昇ったことによる効果はよくわからないけど、性能は大幅に高くなったと言っていい。

 それでもエイナに勝つのはたぶん、かなり困難であることが予測できた。

 ――しかし、リーリエのソースはメチャクチャだな。

 リーリエには彼女の戦闘スタイルに適したピクシードール操作用バトルアプリやアドオンアプリを与えていて、アプリの調整や開発方法も教えていた。

 エリキシルバトルに参加するようになってからは、人間の反射神経を超える戦いに対応するため、必殺技を使えるようにするためってのもあって、アプリソースを購入して半分自分で組み上げたアプリを使うことが多くなった。

 それによって、リーリエはリーリエでアリシア用のバトルアプリを自分で組み上げるようになってたわけだけど、あいつにはアプリ開発のセンスはなかったらしい。

 高速な戦闘に対応するためにかなり独自のソースが書き加えられていて、それも無理矢理な実装をしてるものだから、クセが強い上にちょこちょこ不具合が発生しているような出来上がりだ。よくこれでちゃんと戦えてたと思うくらいに。

 ――だけどこれは、本当に凄いな。

 アリシアを自分の身体とし、人工個性でもピクシードールでもなくなってしまったリーリエだけど、その状態でもバトルアプリによる接続は可能だし、彼女自身もアプリを経由して身体を動かしてる。

 リーリエから昨日提示された、彼女の身体の性能は、あくまで理論最大値ってことだったけど、ピクシードールでは絶対にあり得ず、エリキシルドールになって性能が上がった状態の計算値も大きく上回っていた。

 本当に理論値なのか、リーリエがフォースステージに昇ったことで、身体にも何かブーストがかかっているってことなのかまでは、わからなかったが。

 シミュレーターのダイジェスト映像を見ていて、僕はため息しか出てこないくらいの性能が、そこには表示されていた。

 エリキシルバトルはまだ終わっていない。

 終わりまでの時間は、迫ってきてる。

 僕はリーリエという、戦う方法を失っているけど、たぶんまだエリキシルソーサラーのままだ。

 リーリエのことを、受け入れられたわけじゃない。

 それでも僕は前に進んでいかなくちゃならない。だから僕は、平泉夫人に言われたように、手元のことから、バトルアプリの改良と最適化から手を着け始めていた。

「とりあえずリーリエに送信、と」

 昨日の話の後、ファイルのやりとりはあるけど、リーリエとは話してない。でももう、ネットを切断してまで遠ざけようともしてない。

 出来上がったリーリエ用のアプリを送り終えて、僕は広げすぎたウィンドウを整理して減らす。

 外の視界が見えてきて気がつく。

 折りたたみ式の天板を展開した机で宿題でもやっていたらしい夏姫が、椅子に座ったまま僕に振り返ってきていた。

 もうひと晩、とか昨日言っていたのに、そろそろ日が傾き始めている時間のいま、このままだとふた晩目に入りそうになっていた。

 夏姫には、本当に世話になったと思う。

 この部屋に転がり込んでからもう二週間、夏姫は僕を放り出しもせず、食費くらいは多めに出していたけど、世話をしてくれていた。

 僕を、支えてくれた。

 夏姫がいなかったら僕はどうなっていたかわからない。家にいられる気分じゃなかった僕は、泊まれる場所を転々として、もしかしたらどこか遠くに逃げてしまっていたかも知れない。

 そんな僕をつなぎ止めていてくれた夏姫には、感謝以外の気持ちはない。

 そろそろ帰らないといけないのはわかっていたけれど、まだリーリエへのわだかまりが消えなくて、ひと晩と言った翌日のいまも、帰る気持ちになれないでいた。

 心配するような、不審を抱いているような夏姫の視線。

 彼女の少し後ろでは、机の上のメンテナンスベッドに身体を半分起こすような格好のブリュンヒルデが、一緒に僕を見つめてきているような気がした。

 彼女が言いたいことはわかってる。

 でもいまはまだ帰る決心がつかなくて、何かを言われる前にスマートギアのディスプレイを跳ね上げた僕は口を開いた。

「なぁ、夏姫。……リーリエの願いは、何だと思う?」

「リーリエの、願い?」

 何かを言おうとした瞬間に問われて、夏姫は小首を傾げながらオウム返しに言う。

「うん。どうしてもそれが気になるんだ。――いや、リーリエがどんなことを願う奴なのかわからなくて、怖いんだ」

「あー。なるほど」

 納得したようにひとつ頷いた夏姫は、椅子から立ち上がって僕の正面に座る。

 長袖のTシャツにハーフパンツの彼女は、自分の家だからそんなもんだろうけど、輝かしいまでの太股が丸見えの、無防備とも言える格好だった。

 この二週間、一緒に寝起きしてたって言うのに、そんな夏姫の様子にすら気を配れていなかったことを、いまさらながらに思い出す。

 リーリエに対しては、これまでの認識が邪魔して、どんな女の子なのかと自分に問うても、よくわからないとしか言えなかった。

 だから僕以外の、夏姫の意見が聞いてみたかった。

「僕はこれまで、リーリエのことを女の子として見てきてなかった。だからあいつがどんなことを思って、どんなことを考えて、どんな願いを持つのか、わからないんだ」

「そうだね。大事にはしてたのに、克樹は結構、リーリエを物に近い扱いをしてるとこあったよね」

「うっ……。そんなに酷い感じだった?」

「酷いっていうか、うぅーん……。元々克樹は、女の子のことには疎いよね? それの延長線上の、もうちょい先の感じに近いかな? リーリエには身体がなかったから、女の子として意識しにくかったのもあるんだと思うよ」

 確かに、夏姫や灯理、平泉夫人や芳野さんのように、姿からして女の子とか女性だと、わざわざ意識しなくてもそうだとわかる。

 リーリエについては声と性格は確かに女の子だけど、人工人格系AIの方が感覚が近い気がしてしまう。

 身体を持たなかったから、リーリエのことを女の子よりもAIに近い、物のような扱いをしてしまった、という夏姫の言葉は、的を射ている気がした。

「アタシもまぁ、そういう感じがあったのは確かかな? 最初は克樹からそんな感じの説明受けてたしね。でもリーリエからはけっこうがっつりと、克樹に対する嫉妬を向けられてたから、その辺から女の子として意識してたかなぁ」

 天井を仰ぎながら言う夏姫に、確かに一年くらい前にはそんなこともあったと思い出す。

 あのときの僕は嫉妬のようなリーリエの言葉を、ほとんど取り合っていなかった。本気だと思っていなかった。

 リーリエが僕を「おにぃちゃん」と呼び、妹のような感じで接してきていたこともあるけど、それよりもあいつを、女の子として捉えていなかったことの方が大きいような気がした。

「リーリエは、克樹のこと、好きだよ」

「……そう、なのかな?」

「うん。それだけは絶対。リーリエの好きが、兄妹としての好きなのか、――えぇっと、アタシと同じ好きなのかは、わからないけどね!」

 言ってて恥ずかしくなったのか、夏姫は後半早口になりながら、頬を少し赤く染めて言った。

 そんな様子が可愛らしくて、僕はちょっと笑ってしまう。

 ――いま夏姫が言った通りだとして、そんなリーリエは何を願う?

 エリキシルバトルに参加してるからには、現実には達成が困難、もしくは不可能な、切実な願いを持っていることは確かだ。

 僕のことを好きでいてくれる、ひとりの女の子であるリーリエ。

 彼女に叶えたいことがあるとしたら、それはどんな願いだろうか。

「……ねぇ、もしかしたら、なんだけどさ」

「どうした?」

「うん……。アタシの勝手な推測だけどさ、リーリエの願いって――」

 正座で座っていた夏姫が、畳に手を着いて身体をこっちに乗りだしてきて、言った。

「人間になること、じゃないかな?」

「え? そんな、まさか……」

 即座に否定の返事をしてみたけど、わからなくなっていた。

 リーリエは人工個性。いまはアリシアの身体を手に入れて身体を持ったけど、それでも人間とは異なる存在だ。

 ――いや、その先入観が、リーリエのことを見えなくさせてたんだ。

 そう思った僕は、うつむいてしまった顔を上げる。

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、リーリエとアタシたちで違うところって、身体を、人間の身体を持ってるかどうかだけじゃない?」

「でも仮想の脳で精神的には女の子でも、リーリエは人工個性だぞ」

「そうなんだけど、リーリエがエリキシルソーサラーになれたのって、イドゥンって神様が、リーリエのことも人間だって認めたからじゃないかな?」

「まさか……」

 僕のことを見つめる夏姫の揺れている瞳には、迷いの色が映ってる。自分の言葉を自分で信じられず、困惑してる。

 僕だって、夏姫の言葉を信じたわけじゃない。

 でももしそういうことなら、いくつかの疑問に関するつじつまは合う。

 ――じゃあ、リーリエの願いは……。

 確証はない。

 けれどリーリエにとって切実な願いというのが、人間になることだというのは、否定する要素がない。

 ――いや、でも……。

 彼女のことをよく知ってるとは言えなくなった僕は、そう結論することができなかった。

 夏姫と見つめ合ったまま、お互い声も出せなくなっているときだった。

「そういうウジウジ考えて、自分の中でぐるぐる悩んでるところは、いまも変わらないみたいね。聞きたいことがあるなら、無理矢理にでも本人から聞き出せばいいのに」

 そんな夏姫でも、もちろん僕のでもない声が、ふたりしかいないはずの部屋で聞こえた。

 驚くよりも先に僕と夏姫の間に舞い降りてきたのは、光の球。

 それは大きく伸び上がり、着地と同時に光を弾けさせた。

 

 

            *

 

 

「本当に行くのか?」

「はい。わざわざおつき合い頂いて済みません。もしためらうのであれば、外で待っていてくださっても構いませんよ」

 近藤の声を振り切って歩いて行くのは、濃紺のフレアスカートのワンピースに焦げ茶色のコートを羽織る灯理。

 夕暮れが近づきつつあるこの時間、ふたりがたどり着いたのは、克樹の家だった。

 学校から家に帰ってしばらくした頃、灯理から連絡があり、克樹の家に行くと言われた。

 着いていく理由は近藤にはなかったが、自宅に帰っていないと思われる克樹が不在の家にひとりで行くのは、心細いのかも知れなかった。行くと言われて、反射的に着いていくと答えてしまっていた。

 電車とバスを乗り継いでやってきた灯理に、近藤は駅から一緒に克樹の家まで着いてきていた。

 ――目的は、やっぱり……。

 灯理の目的は、聞いていない。けれどもだいたい推測はできた。

 昨日の話し合いの後、リーリエから送られてきたエイナとのバトルの映像。

 これまで見てきたどんな戦いよりも高速で、激しいその戦いを見て、近藤は絶対にふたりには敵わないことを悟った。

 すでに克樹にエリキシルスフィアを渡した後だったから、戦う理由は近藤からはなくなっていた。けれどいまのリーリエとエイナには、夏姫や猛臣でも、もしかしたら平泉夫人でも対抗できないのではないかと思えるほどだった。

 同じ映像を見たであろう灯理。

 それでも彼女は、まだ自分の願いを、目を治したいという想いを抱き続けている。

 その場合に採れる選択肢は、多くない。

 大きなトートバッグを肩に提げて門の前に立った灯理を見て、近藤はため息を吐きながらその脇の呼び鈴に近づいていく。

『いらっしゃい、誠、灯理。玄関は開けたから、……えぇっと、入ってきても、いいよ?』

 鳴らす前に声をかけてきたリーリエは、なんでか後半、声が小さくなっていった。

 なんだかわからなかったが、入ってもいいらしい。

 白地に赤い線の入った、医療用スマートギア越しに灯理と視線を交わし合い、近藤は門を開け、玄関の扉に向かった。

「……なんだ? この匂いは」

 家の中に入った途端、奇妙な匂いに気がついた。

 微かな焦げ臭さはさほど強くないが、それに混じって甘ったるい匂いや、それ以外にも様々な匂いが混じり合っている。

 同じように気がついたらしい灯理と顔を見合わせつつ、靴を脱いでLDKに入る。

 そこは惨状だった。

 いつもこの家に来たときに使っているダイニングテーブルには、ボールやまな板や包丁といった調理器具が無造作に置かれ、それと一緒に何かをつくろうとしたらしい正体不明の物体もある。床には零れた卵だとか、ぶちまけられた小麦粉らしい白い粉を雑に掃除した跡が残されていた。

「……何やってたんだ? リーリエ」

「あはははっ。えっとね、ちょっと料理をやってみようと思ったら、上手くいかなくて……。おにぃちゃんのコーヒーくらいは淹れたことあったんだけどね。情報は調べられるし、夏姫とかおにぃちゃんがやってるのは見てたんだけど、見るのとやるのじゃ違うんだねー」

 ハードアーマーを外していて、白いソフトアーマーの上に、もしかしたら百合乃のものかも知れない水色のワンピースを着て、エプロンを着けている、一二〇センチのリーリエ。

 その泣き笑いの顔に、近藤はため息しか出てこなかった。

「食事つくって、どうするつもりだったんだ?」

「んーとね、サードステージまでは無理だったけど、フォースステージからはこの身体があたしのものになったから、食事もできるんだ。人間と同じじゃないから、栄養になったりはしないんだけど」

「なるほどな。それで失敗したのか」

「あははっ……。おにぃちゃんはどーせ今日は帰ってこないと思うから、一度くらい料理食べてみたかったんだけど、ねぇ……」

 口をすぼめながらうつむくリーリエは、小学生かそれくらいの、普通の女の子のように、近藤には感じられた。

 空色のツインテールや、白いソフトアーマーの上に突き出ているセンサーなどから、人間ではないのはすぐにわかるのに、やっていることと、彼女の様子は、幼い女の子のそれと同じだった。

「すまないが中里、片付けの方、頼めるか?」

「えっと、はい。それは構いませんが、どうされるので?」

「たぶん、冷蔵庫に浜咲のつくり置きがあると思うんだ」

 言って近藤はキッチンへと向かう。

 近藤もたいしたものはつくれないが、灯理は料理のセンスが壊滅しているという話は聞いていた。暖めるだけのものでも、自分がやった方が安心だと思えた。

 冷凍庫を開けてみると、中には保存容器がかなりの数入っていて、さらにシールで内容と調理方法まで書いてあった。

「これは使わなかったのか?」

「えっと、とりあえず自分でつくろうと思ったんだけど、上手くいかなくて……。そしたら夏姫の冷凍してくれてたのも、失敗しそうで怖かったんだよね」

「そうか。まぁ、これくらいならオレでもできるから、片付けながらちょっと待っててくれ」

「うんっ、わかったー」

 キッチンの方はさらに酷い惨状だったが、とりあえず考えるのは後回しにして、ラベルを頼りにつくり置きの料理をいくつか取り出す。皿に空けてから、指定通りの時間で暖めていく。

「凄い、凄い、凄い!」

 程なくして、片付けが終わったダイニングテーブルには暖めた料理が並んだ。

「食べていいの?!」

「そのために暖めたんだしな」

「ありがとうっ。――んーっ、これが料理なんだねっ。美味しい!」

 待ちきれなかったのか、リーリエは早速スプーンで料理を食べ始める。

 隣に座る灯理が、ここに来た理由を達成できずに不機嫌になりつつあるのはわかっていたが、近藤は視線で黙らせた。

 ぱっと見では子供にしか見えない、けれどもエリキシルドールであるリーリエが、けっこうな速度で食事を平らげていく様子は、なんだか非日常的な風景のように近藤には感じられていた。

「んーっ。美味しかったぁ。ごちそうさま! 本当はみんながいるときに食べられたら良かったんだけどねぇ……。出来立ての夏姫の料理も食べたかったし!」

「別に今日でなければ、食べる機会もあるだろ」

「……あー、うん。そうだねぇ」

 ――ん?

 食べ終えて幸せそうな笑みを浮かべてるリーリエに、近藤はわずかに違和感を覚えていた。

 確かにしばらく克樹は家に帰っていないようだし、彼がいなければ夏姫も来てはくれないだろう。しかし昨日の話し合いで、克樹も少し前に進めているような様子があった。

 エリキシルバトルは終わっておらず、フォースステージに昇ったリーリエは、参加者の中でも特殊な立場になっている。いつまでいまの状態でいられるのかは、よくわからない。

 それでも今日と言わなければ、料理くらいは食べる機会があるように思えた。

「コーヒーでも淹れてくるよ。中里、手伝ってもらえるか?」

「それは、構いませんが」

「オレだとどこに仕舞ってあるのかわからなくてな」

 椅子から立ち上がった近藤は、灯理とともにキッチンに入る。

 コーヒーの粉とフィルターのある場所を教えてもらって、克樹愛用のコーヒーメーカーにセットする。

 それから、隣に立って淹れ終わるのを待ってる灯理に、近藤は腰を屈めてそっと耳打ちした。

「え? それはどういう――」

「しっ」

 問い返してきた灯理を制して、近藤は顎でリビングスペースのソファを示す。

 そこには、まるでどこかに出かけるためのような、手提げ鞄が置かれてあった。克樹がドール用の装備を入れるのに使っているのを見たことがある鞄。

 目配せに頷いた灯理に、近藤も頷きを返して、準備した三つのカップにコーヒーを注ぎ、キッチンを出た。

「そっかぁ……。コーヒーってこんな味だったんだねっ」

 克樹と同じで、たっぷり牛乳を入れたコーヒーを飲むリーリエ。

 それを飲み終えてから、彼女はおもむろに椅子から立ち上がった。

「さて、と」

 笑みは変わらず柔らかなのに、いまさっきと違って、張り詰めた空気をリーリエは発し始める。

「ふたりがここに来た理由はだいたいわかるけど、ちゃんと教えてもらえる?」

「……わかりました」

 リーリエの問いに応えてうつむいた灯理。

 顔を上げ、正面に座るリーリエのことを見つめて、言った。

「ワタシも、リーリエさんも、エリキシルソーサラーです」

「うん」

「ワタシが願いを叶えるためには、残りすべてのエリキシルソーサラーを倒さなければなりません」

「ん……」

「そしてワタシたちの休戦は、残りふたりのエリキシルソーサラーがわかるまで、でした」

 言いながら立ち上がった灯理は、足下に置いていたトートバッグを取り、中からピクシードール用のアタッシェケースを取り出す。

 テーブルの上に置いて開いたふたつのケースの中身は、フレイとフレイヤ。

「ワタシと、戦ってください」

 自分のドールに落としていた視線を上げ、スマートギアに隠れていても感じるほどに鋭い視線をリーリエに向ける灯理。

「うん、いいよ。ちょっと、外に出ようか。ここじゃあ狭いからね」

 あっさりと承諾したリーリエは、いったんリビングに行き、着ていたワンピースを脱ぐ。ソファに置いていた鞄に手を突っ込み、ハードアーマーを取り出して身体に装着した。

 それを追っていった灯理も、自分の鞄をリーリエの鞄の隣に置き、準備をする。

 二体のドールを腕に抱き、掃出し窓から外に向かったふたりを追って、近藤も少し遅れて庭に出た。

「アライズ!」

 庭の芝生に立たせたフレイとフレイヤの手を握り合わせ、願いを込めて唱えた灯理。

 二体のピクシードールが光に包まれ、それが弾けたとき、前回とは少し衣装の違う、二体のエリキシルドールが現れた。

「あっ、らぁいず!」

 すでに一二〇センチの、エリキシルドールとなっているリーリエが少し間の抜けた声でそう唱えると、彼女の手にはひと振りの刀が現れた。

「いまのは?」

「部分アライズ。スフィアの使い方がわかってくると、後から武器だけとかもアライズしたり、カームできるようになるんだ」

「それは、凄いな」

 その答えに、近藤は驚く他なかった。

 近藤たちはドールと一緒でなければ武器などをアライズさせることはできない。

 リーリエがやったように部分アライズが使えるようになれば、ピクシードール用の武器は小さいのだから、持てる武器の数は数倍になる。

 いまは太刀しか持っていないらしいリーリエは、それを鞘から抜き、構えた。

「先に言っておくけど、あたしは強いよ?」

「わかっています。ですが、ワタシもリーリエさんに最後に見せたときより、一段も二段も強くなっています。貴女を倒さなければワタシの願いは叶わないのです。だからリーリエさん、ワタシは必ず貴女を倒します」

「わかった」

 それを合図に、灯理はフレイに二本の短刀を、フレイヤに両手持ちの大剣を、スカートから引き抜かせる。

「フェアリーリング!」

 リーリエのその声で、庭いっぱいに、黄色く光る輪が広がった。

 暗くなり始めた空の下、リーリエと、フレイとフレイヤが対峙する。

「どんな攻撃をしてきてもいいよ。全部受け止めるから。灯理の、全部を見せて」

「わかりました。――行きます!」

 灯理が二体のドールに地を蹴らせた瞬間、短い間だった休戦協定が、破棄された。

 

 

            *

 

 

 とっさに膝立ちになった僕は、夏姫をかばって降ってきた光の主と対峙する。

 ――襲撃?!

 と思った僕だけど、頭の中でそれを否定する。

 すべてのエリキシルソーサラーを把握している現状、もうそれはあり得ないからだ。

 そして弾けた光の中から現れたもの。

「ブリュンヒルデ?」

 僕と夏姫のことを――、いや、僕のことを不機嫌そうな表情で見下ろしてきているのは、夏姫のピクシードール、ブリュンヒルデ。

 濃紺のハードアーマーを纏い、着地のときに少し乱れた黒く長い髪を腕で払って、夏姫に似た少し丸みのある顔に薄く笑みを浮かべる。

 僕の後ろで目を見開いてる夏姫がアライズさせた様子はない。

 でもいまのブリュンヒルデは、一五〇センチの、エリキシルドールになっていた。

「いったい、なにが……」

「これって、もしかして?」

 ただ呆然と、突然のことに思考が止まってしまっている僕と違って、夏姫には思い当たることがあるらしい。

 夏姫のことをちらりと見たヒルデはニヤリと笑い、それから僕に虫けらを見るような嫌悪を露わにした視線を向けてきた。

「反射的に夏姫のことを守る気概は買うけれど、貴方の腑抜け具合は相変わらずのようね、音山克樹君」

 ピクシードール用のボイススピーカーも搭載してないはずのブリュンヒルデが、淀みのない声でそう言った。

 そこでやっと僕は理解する。

 いま起こっている状況は、近藤が昨日話していた、前兆現象なのだと。

「春歌、さん?」

「ママ!」

 新たな驚きに動けなくなってる僕を押し退けて、夏姫がヒルデに――春歌さんに抱きついていった。

「久しぶりね! 夏姫。少し見ないうちに大きくなって……。それに、綺麗になったね」

「うん……、うん!」

 ハードアーマーに覆われた胸にすがりつき涙を流す夏姫のポニーテールの髪を撫でてやりながら、春歌さんは瞳に慈愛を溢れさせる。

 だけど次の瞬間、角でも生えそうなくらい、憤怒の色を瞳に浮かべ、僕を睨みつけてきた。

「ゴメンね、夏姫。いまはちょっと、克樹君と話があるから」

「……うん」

 口調は優しいのに、怒りが籠もってることがありありとわかる声に、夏姫は身体を離した。

 座っていた僕は立ち上がり、春歌さんから逃れようと後退るけど、狭いこの部屋では逃げる場所などなく、すぐに背中が壁に当たる。

「こんなに可愛い夏姫の初めての男が、これなの? 本当に幻滅する。ねぇ、克樹君。私は貴方に、夏姫に似たヒューマニティフェイスの作成を頼んだことはあったけれど、夏姫自身を頼んだ憶えはなかったのだけど?」

「うっ」

 言いながら春歌さんは、腰の剣を抜き放ち、僕の喉元に突きつけてくる。

 鋭い光を放つ切っ先と、それよりも鋭い視線に、僕は何も言えなくなる。

「情けなくて優柔不断で、何事にも適当で、相手の気持ちを推し量るのが苦手な上、問題にぶち当たると逃げて寝転がってるだけのような男が、夏姫を幸せにできると思ってるのかしら?」

 剣を突きつけられてるのもあるけど、僕には春歌さんに反論する言葉がない。

 確かにいま言われた通り、僕はそういう人間だから。

 何も言えないでいると、春歌さんは剣を引いた。

 矢をつがえるように。

 ――あ、死ぬ。

 剣が突き出されれば、僕は確実に死ぬだろう。

 突然の事態に思考が停止していて、それしか思いつけなかった。

「待って、ママ!」

 そんな僕と春歌さんの間に入ってきてくれたのは、夏姫。

「どきなさい、夏姫」

「ダメ!」

 さっきとは逆に僕を後ろにかばって、春歌さんと睨み合う夏姫は、いままさに突き出されようとしてる剣を前にしても、一歩も引く様子はない。

「克樹は確かにダメなとこも多いけど、いまはリーリエのこととか、平泉夫人のこととかが重なって、そうなってるだけ! いつもだったらそんなことない!」

「いざというときに役に立たないのなら、そんな男はただのゴミよ」

「そう、かも知れないけど……。でも、克樹はアタシを助けてくれた! パパが事故で死にかけて、借金負わされそうで大変なときに助けてくれた!! ヒルデのことだって、アタシじゃ直せなかったのを、部品を見つけてくれたり、お金の算段つけてくれたのは克樹だったんだからっ」

 肩も、声も震わせて春歌さんに主張する夏姫に、なんだかこそばゆい気持ちになってくる。

 夏姫のお父さんのことがあってから半年も経っていないし、最初に夏姫と戦ってからも一年ちょい。たったそれだけの間に、本当にいろんなことがあったんだと実感する。

 エリキシルバトルに参加するまで、僕は恨みと復讐心に生きていた。

 人を好きになることなんて、頭の隅にもなかった。

 人の気持ちなんて、考えてもいなかった。

 それがいまは、目の前に立ってるポニーテールの女の子が愛おしくて仕方がない。彼女からも想いを寄せてもらっている。

 ――僕はどれだけのことから逃げて、どれくらいのことを取りこぼしてきたんだろう。

 それを思うと、僕は夏姫への感謝の気持ちで一杯になる。

 彼女への愛で満たされる。

 いまさらながらに、エリキシルバトルで一番最初に夏姫に出会えた偶然に、幸運を感じざるを得ない。

 そしていま、僕がやるべきことを理解する。

「ちょっとはマシな顔つきになったみたいだけど、まだまだね」

「……そうですね。僕はまだまだです」

 細めた目で僕を見つめてくる春歌さんに、僕はそう答えた。

 僕はいろんなところが足りなくて、夏姫に支えられてやっと立っていられる。

 それを実感していた。

「克樹?」

「うん。ありがとう、夏姫。いまも、いままでも」

「ん……。大丈夫、だよ? 克樹は、優しいから。――ちょっと、誰にでも優しいところがあるのが気になったりするけどさ」

「そういうのは優柔不断って言うの!」

 叫ぶような声を上げた春歌さんは、剣を鞘に納めて頭を抱える。

「本当に、本当に心配してるんだからね? 夏姫! 人のこと言えないくらい、私だって男を見る目ないし、男運悪いけど、私の経験上だとこういうのが相手だと絶対苦労するんだから!!」

「うん、わかってる」

「……おいっ」

 振り返って春歌さんの言葉に同意する夏姫は、優しげな笑みを浮かべていた。

 さっきまでの殺気染みた気迫を収めた春歌さんは、夏姫のことを抱き寄せ、引き締めた顔で言う。

「私はね、ずっとヒルデの中から貴方や、貴方の周りにいる人たちのことを見てきたの、克樹君。夏姫の言う通りで、私が見てきた通りなら、貴方はリーリエちゃんの何を見てきたの?」

「……ぜんぜん、見ていませんでした」

「そうでしょうね。リーリエちゃんはね、夏姫も言った通り、貴方のことが好きよ。あの子の願いの具体的な内容までは私にもわからない。でもね? あの子が願うのは、あの子にとって一番好きな人のためになること。それ以外考えられない」

「そう、ですよね」

 何でだろうか、少し悲しげな色を浮かべている春歌さん。

「夏姫の願いを認めてくれるというなら、リーリエちゃんの願いも認めてあげなさい。どんな願いか、ではなくて、どんな想いで、何のために、誰のために叶えたいのか、をね」

「はい……」

 何でそんな単純なことに気がつかなかったんだろうと、自分を莫迦にしたくなる。

 顔を並べて、同じ笑みを見せてくる夏姫と春歌さんに、苦笑いを返すことしかできない。

「貴方が女泣かせの男だってのはわかってる。良いとこはそんなになくて、顔も普通で、性格はひねくれてて、どこに良いところがあるのかぜんぜんわからないけど、夏姫もリーリエちゃんも、他の何人かの女の子たちも、貴方のことを想ってるし、心配してる」

 手を伸ばしてきた春歌さんは、僕の頬に触れる。

 人のそれよりふた回りほど大きな、でも柔らかい手が、僕の頬と、僕の気持ちを包んでくれる。

「これは私からの勝手なお願いだけど、向けられた気持ちにくらいは気づいてあげなさい。そして想われてる自覚くらいは持ちなさい」

「はい」

「これから先、夏姫と一緒に幸せになっていくつもりなら、もっと男を上げなさい!」

「痛たたたたっ! ひゃい、ひゃいっ、わかりまひた!!」

 頬に添えた手で僕の頬をつねってきた春歌さんに、必死に応えていた。

 それから肩を叩かれた僕は、足下の荷物をまとめる。

「ちょっと、リーリエと向き合って、話し合ってくる」

「うんっ」

 デイパックを担いで玄関に向かおうとした背中に、春歌さんの声が追いかけてくる。

「急ぎなさい、克樹君。リーリエちゃんが至ったフォースステージは、たぶん魔女も想定していなかった事態よ。魔女と呼ばれる人物は、たぶんいつまでも想定外の状況を放っておいてはくれない」

「わかりました」

 深刻そうな瞳で言う春歌さんに頷きを返して、僕は靴を履いて玄関を出る。

 ――待っていてくれ、リーリエ!

 アパートの階段を駆け下り、自宅に向かって僕は全力疾走を開始した。

 

 

 

 玄関の扉が閉まった瞬間、夏姫は身体の力が抜けて、座り込んでしまった。

 ヒルデは――ヒルデに乗り移って顕現した春歌は、そんな彼女の隣に座り、頭を抱き寄せる。

「ごめんなさいね、夏姫」

「ママ?」

 その声に春歌の顔を見上げると、優しい笑みを――いつも、生きていた頃に浮かべていた笑みを向けてきてくれていた。

「本当はね、出てくるつもりなんてなかったの。過労なんてしようもない原因だったけど、それでも私は一度死んでるんだからね」

「そんな……、アタシは――」

 夏姫が言いかけた言葉は、春歌の人差し指で塞がれる。

「あんまり克樹君が情けなくてね。あんな彼じゃ夏姫を幸せにできないな、って思ってたら、出て来ちゃった。出てくるんだったら、短い時間なんだし、全部貴女のために使えたら良かったんだけどね」

「そんなの、大丈夫だよっ」

 言って笑う春歌に、夏姫はポニーテールを揺らしながら否定する。

 見ている間に、ほんの微かずつ、ブリュンヒルデの瞳に宿った光が失われていっていることに気づいた。

 タイムリミットは、そう遠くなかった。

「また会えただけでも、アタシは嬉しいよ。本当に、本当にずっと、会いたかったから……」

 固いハードアーマーの胸に顔を埋めると、春歌は優しく両腕で抱き締めてくれた。

「――あんなこと言っちゃったけど、夏姫はいい人捕まえたものね。進む道にもよるけど、将来はあの子、稼ぐわよぉ。将来性なら、猛臣君よりもあるかも」

「うん、わかってる。……好きなのはそうだけど、そういうとこも含めて克樹の魅力かな? ちょっとダメなとこもあるけど、そこはあたしが支えたり、支えてもらったりすればいいかな、って」

 克樹がいなくなったからこそ交わせる言葉を言い合い、胸から顔を上げた夏姫は、春歌とニヤリとした笑みを向け合った。

「もうあまり時間はないけど、残りは全部夏姫のために使うから」

「うん!」

「ヒルデを通して見ていたけれど、いろいろ教えてちょうだい。夏姫の口から聞きたい」

「ん……。まずはやっぱりパパのことから。パパはいまね――」

 できるだけ弾んだ声で、夏姫は近況報告を春歌にする。

 まもなく、前兆現象は終わる。

 夏姫はもう一度、春歌と別れなくてはならない。

 だからそれまでは、できるだけの笑みを浮かべて、精一杯楽しいことを、春歌と話したかった。

 

 

 


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