神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第六部 第一章 レストレーション
第六部 暗黒色(ダークブラック)の嘆き 第一章 1


 

 

   第一章 レストレーション

 

 

          * 1 *

 

 

 ポンプの音と、脈拍計の定期的な音だけが、その病室にはあった。

 僕の見つめる先、ベッドに横になっている平泉夫人のまぶたは、閉じられたまま開かれる様子はない。

 心臓近くに残っていた弾丸の摘出は成功。

 容態が安定してきたため、集中治療室からは出て、平泉夫人はいま、病院のVIP用個室に収容されている。

 夫人が懇意にしている医者や看護師、それから芳野(よしの)さんが認めた人以外はフロアにすら入れないようになっているここは、再襲撃に備えて病院としてできる最高のセキュリティが配備されていた。

「平泉夫人……」

 感染症防止用のマスク越しに小さな声で呼びかけても、反応はない。

 入室を認められてるだけで、身内じゃない僕は詳しい容態を知らされてない。でも訊いてみても言葉を濁す芳野さんの様子から、あんまり良くないだろうことはわかっていた。

「僕は、どうしたらいいんでしょうか……」

 返事がないのはわかっているのに、そう呼びかける。

 あれから、リーリエとは話していない。

 夏姫が住んでるアパートの部屋に転がり込んでから、もう一週間が経っていた。

 学校に行く気にもなれず、誰とも連絡してない。僕への連絡手段も断っている。

 夏姫がみんなに連絡してくれているのはわかっているが、僕はそのことについて何も言わなかった。

 夏姫や、みんなが心配してくれてるのも知ってるけど、何も言えなかった。

 ただ眠っていたい。

 何も考えたくない。

 どうすることも、できない。したくない。

 頭の整理も、気持ちの整理もつかない僕は、ただ夏姫に甘えて過ごしているだけだった。

 ――このままじゃ、ダメだよな。

 そんなことは僕自身、理解してる。

 正体不明だったエリキシルソーサラーのふたりが、エイナと、そしてリーリなのはわかった。

 僕のものだと思っていたエリキシルスフィアは、リーリエのものでもあったわけだ。そんなことになった理由は、モルガーナの気まぐれなのか、それとも何か仕込みでもあったからなのか。

 言わなかっただけ。

 リーリエにとってはそういうことかも知れない。でも僕にとっては、あいつに裏切られたんだとしか思えなかった。

 だから僕はいま、リーリエのことが信じられない。

 リーリエと一緒に、もう一度戦うことはできない。

 それでもエリキシルバトルはまだ続いてる。資格を放棄するにしても、戦って負けるにしても、僕は僕なりの結末に至ることになる。

 だけど僕は何もできない。何もしたくない。

 夏姫に甘えて、ただ時間が過ぎるのを待っているだけだ。

 ――消えてしまいたい。

 そんなことを、考えながら。

「いまの僕は、何ができますか? 何をしたらいいんですか?」

 顔色の悪い平泉夫人を見つめながら、僕はそうつぶやく。

 いまこそ、夫人と話をしたかった。

 意見を聞いたり、叱ったりしてほしかった。

 夫人とのつき合いは、面倒臭かったり、うんざりすることだってあった。

 けれど彼女がどれほど僕を気にかけてくれて、どれだけ僕のことを想ってくれていたのか、いまさらながらに気がついた。

 夫人は目を覚まさない。

 もしかしたら、このまま意識が戻ることはないかも知れなかった。

 

 

            *

 

 

「戻りました」

 言って芳野は病室の扉を開けた。

 いつも通りメイド衣装をピシリと着こなす彼女は、硬い表情をしたまま、病室で待っていた担当医に軽く頭を下げた。

 先ほどまで面会に来ていた克樹には、時間制限を理由に外に送り出した。

 担当医がこれからするだろう話を、彼には聞かせられなかったから。

 平泉夫人が入院してから毎日、日中に面会に来ていて学校に行っている様子のない克樹。

 彼が何かに悩み、夫人に話をしたいと思ってきているのはわかっていた。あれだけずっと一緒にいたリーリエを伴っていないことからも、それはわかる。

 エリキシルバトルに関して、何か大きな変化があったのだと予想している。直接話してもらってはいなかったが、平泉夫人は今後の展開を予測している様子もあった。

 克樹の話も聞いて上げたいとは思っていたが、夫人のように上手く話ができるとは思えなかったし、いまはそれどころではなかったから、必要最低限の会話しかしていなかった。

 平泉夫人が銃撃を受けてから八日目。

 再度の襲撃への備え、絶えることのない仕事関係や業界関係者からの問い合わせ、いざというときのための準備に追われ、睡眠も、休息もあまり取れていない。

 どんな修羅場にも対応できるよう、体力も精神力も鍛えてきたつもりだったが、芳野はそろそろ自分の限界を感じ始めていた。

「それで、平泉敦子さんの容態に関してなのですがね」

 まだ若い神経質そうな医師は、右手の中指で眼鏡の位置を直しながら言った。

「弾丸の摘出手術は無事終わりましたが、出血量が多かったこともあり、緊急性はなくなったにせよ、容態が安定しているとは言えません。年齢的には体力はまだあるはずですが、仕事の無理が祟っているようで、回復についても芳しいとは言えない状況です」

 そこまで言った医師は、顔色の悪い平泉夫人に視線をやり、重そうな口をつぐむ。

「正直に、おっしゃってください。それで状況が変わることはありません」

「……わかりました」

 医師であるにもかかわらず、言い難そうにしている彼を、芳野はエプロンの前で握り合わせた手に力を込めながら、そう促した。

「敦子さんはおそらく保って、あと数日です」

 膝から、力が抜けそうになった。

 はっきり言われなくても、そうであろうことはだいたいわかっていた。毎日様子を見ていれば、快方に向かっていないことくらい、医師ではない芳野にもわかる。

 それに、夫人は後を託したのだろう。

 意識のない夫人が満足そうな笑みを浮かべていることからも、芳野はそうだろうと思っていた。

 平泉夫人は、自分の死を受け入れていた。

「いまは人工呼吸器で呼吸は安定していますが、脈拍は不安定です。内臓の機能低下も著しく、早晩栄養の摂取も困難になると思われます。せめて、意識が回復してくれれば、少しはマシになると思うのですが……」

 聞かなければならないと理解しているのに、医師の声が遠かった。

 しっかり立っていなければと思うのに、芳野は身体から力が抜けていくのを止められなかった。

 夫人にとっては、この死は予定よりも少し早いだけの、必然であったのかも知れない。

 出会った最初の頃、ふとしたときに最愛の人に会いに行きたいとつぶやいていたのを憶えている。夫人にとっては、やっとそれが叶うということなのかも知れない。

 ――ですが、わたくしはまだひとつも、貴女から頂いたものを返せていません。

 助けてもらった。救ってもらった。教えてもらった。育ててもらった。

 一生かかっても返せないものを与えてもらったのに、何ひとつ返せていなかった。

 だから、平泉夫人の死を、受け入れることなどできなかった。

 ――夫人が死ぬのならば、わたくしも一緒に……。

 まだ話を続けている医師の言葉も耳に入らず、芳野は意識を手放しそうになっていた。

 けれど――。

 背中に、暖かいものが触れた。

 肩を、大きな手が支えてくれた。

 顔を振り向かせてそこにいる人物を見る。

 音山彰次。

 芳野の視線に大きく頷いてくれる彼は、克樹と入れ違いで病院に来て、医師から重要な話があることを察して、こうして一緒にいてくれる。

 男としては大柄というわけではなく、それなりではあってもスポーツを嗜んでいる人ほどには筋肉質な身体をしているというわけでもない、彼。

 しかしどんな壁よりも厚く、広く感じる胸と、肩しか触れていないのに全身を包み込んでくれているような手の大きさに、芳野は立っていることができた。

「大丈夫ですか?」

「はい。わたくしは――、大丈夫です」

 医師の言葉に応えながら、目をつむり、鼻から大きく息を吸い、ゆっくりと口から吐く。

 彰次に背中を預けながら目を開いた芳野は、心配そうに目を細めている医師の目をしっかりと見据えて言った。

「もしものときの準備は進めていますので、大丈夫です」

「こちらも全力を尽くしますが……、覚悟はしておいてください」

「わかりました。これからも、よろしくお願いします」

 言い終えて、芳野は彰次とともに深く頭を下げた。

 

 

            *

 

 

 広いその病室には、中央にひとつだけ、簡素なベッドが置かれていた。

 赤いスーツを身に纏い、病室の扉を開けヒールの音を高らかに立てながらベッドに近づいくのは、モルガーナ。

 目を細め、片眉をつり上げた彼女が覗き込むベッドの主は、天堂翔機(てんどうしょうき)。

 点滴や検査器具など、何本もの管やケーブルにまみれた翔機には、老いてなお眼光鋭かった面影はない。老い衰えた小さな老人が、そこに横たわっているだけだった。

 それでも薄く笑みを浮かべている口からは、いまにも憎まれ口が飛び出してきそうだったが、彼はもう何ヶ月も、こうしてベッドに横たわり、意識が戻っていない。

 夏、克樹たちと戦った日の夜、天堂翔機は意識を失った。

 それから一度も意識は戻らず、眠り続けている。

 おそらく彼はあの屋敷で一生を終えるつもりだったのだろう。

 倒れてすぐに息を引き取っていれば望み通りになっていたのであろうが、意識を失っただけであったため、身の回りの世話のためにつけたエルフドールが所定の処置として、病院に連絡が行った。

 意識を取り戻さない原因は、体力の低下。

 若い頃の無理により元々身体にはガタが来ていたし、平均寿命にも満たない年齢であるが、老いに冒されている。

 全身に転移しているガンもまた、ゆっくりとではあるが、翔機の身体を蝕んでいた。

 意識が戻る可能性は充分にあったが、余命宣告も受けていたくらいであったから、このまま息を引き取る可能性の方がずっと高い。

 そんな翔機の顔を見つめていたモルガーナは、口を開く。

「もう充分なの? 貴方は」

 表舞台を去り、現役を退いた後は、残りの人生を好きに生きると言って直接的な関係を断ち切った翔機。

 あとほんのわずかな時間を生きるためにエリキシルバトルに参加し、自分で勝ち取ると言ってモルガーナからのエリクサー提供を拒絶した彼。

 いまだエリキシルソーサラーでありはするが、願いが叶うことはおそらくない。

 彼はバトルを楽しんでいた様子だった。けれどほんの短い時間で、満足できたのかどうかは、わからなかった。

 協力関係を断ち切っていても、頻繁に連絡を寄越していた彼が、本当は何を望んでいたのかは、モルガーナには推測することもできなかった。

 長い時間の間に、数多くの才能ある人物を育ててきた。

 天堂翔機という男は、その中のひとりに過ぎない。

 けれどおそらく最後のひとりになるからだろうか、それとも実体は真似事程度ではあったが唯一婚姻を交わした相手であったからだろうか、他の者たちと違い、翔機の印象はモルガーナにとって深く残っている。

「これは貴方のものよ」

 言ってモルガーナがベッドサイドのテーブルに置いたのは、金属の外装に包まれた球体。

 スフィア。

 屋敷にスクルドとともに保管されていた彼のエリキシルスフィアを、モルガーナは持ってきていた。

「資格の剥奪はしないでおいてあげるわ。貴方なら、使い方はわかるでしょう?」

 浅く息をしているだけの、意識のない翔機に対し、モルガーナはそう声をかける。

「もし目覚めたら、好きにしていいわ。使って生き延びるのも、使わずに死ぬのも、貴方の選択次第よ」

 ベッドに一歩近づき、モルガーナは顔を近づけて翔機の顔を覗き込む。

 たくさんのシワが刻まれ、少なくなった髪が真っ白に染まっていても、彼には最初に出会ったときの、五歳だったときの面影があった。

「さようなら、翔機」

 さらに顔を近づけるモルガーナ。

 一瞬の口づけ。

 乾いてヒビ割れた翔機の唇に自分の唇を重ねた彼女は、直後に彼に背を向ける。

 そしてそのまま、病室を後にした。

 

 

 


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