神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第五部 撫子(ラバーズピンク)の憂い 第三章 3

 

 

          * 3 *

 

 

「あとは何かあるかな?」

 保存容器に下ごしらえ済みの食材を詰め終えた夏姫は、粗熱を取るために流しの横に並べ、鼻から息を吐き出した。

 ――まったく、克樹は出かけちゃうんだからっ。

 昨日のうちに用事があると連絡があって、今日は不在なのはわかっていた。

 けれど夏姫は今日、克樹の家に来てリーリエに鍵を開けてもらい、以前もしていたように、料理の時間を短縮するための備蓄をつくることにした。

 喫茶店のアルバイトが終わった後に来たけれど、克樹はまだ帰っておらず、夏姫はひとり寂しくキッチンで作業することになった。

「何やってんだろ、あいつ」

 天井を仰いだ夏姫はそうつぶやくが、ここにはいない克樹はもちろん、リーリエからも応答がない。

 来たときすぐにどんな用事かと訊いてみたが、リーリエからは「大事な用事だよっ」としか教えてもらえなかった。

 何となく悪い予感がして、念のため何時に帰ってくるかをメールで訊いていたけれど、いまのところ返事はなかった。

「せっかく、今日はあいつが好きそうな格好にしてきたのになぁ」

 可愛らしい感じのセーターは割と普通だけれど、赤いミニスカートに黒いストッキングは、どうやら脚好きらしい克樹にはクリティカルヒットのはず。これにシンプルなクリーム色のエプロンの組み合わせなら、克樹に対しては無敵と言える。

 それなのに、克樹はおらず、いつ帰ってくるかもわからない。

 見せる相手がいないのでは気合いを入れた意味がないと、エプロンを取りながら夏姫は不満の息を漏らしていた。

 そのとき鳴らされた玄関チャイム。

「あれ?」

 克樹がいないために自動録画モードに入り、テレビに表示された訪問者は、誠。

「リーリエ、開けてもらっていい?」

『うん』

 玄関に向かいながら声をかけると、上の空のようなリーリエの返事とともに、鍵の開く音が聞こえた。

「克樹!」

「ゴメン。克樹はいまいない」

「……そっか」

 なんだか思い詰めた表情だった誠は、深い落胆に表情を染めていた。

「とりあえずお茶くらい用意できるから入って。……何があったの?」

「いや、オレも何が何だかわからないんだが、克樹に話したいことがあったんだ」

「何よ、それ」

 LDKに誠を導きながら、よくわからない彼の言葉に眉を顰める。

 ダイニングテーブルに誠を促してキッチンに入った夏姫は、必要な分だけ水を入れたヤカンをコンロにかけ、手軽に入れられる緑茶の準備を始めた。

「近藤が用事あるみたいなんだけど、克樹は何時くらいに帰ってこられそう? リーリエ」

『んーーっ。夜はけっこう遅くなると思うよ』

 昨日の電話で、隠し事があるような様子で用事があると言われたときから、ずっと思っていた。

 ――大丈夫なのかな、克樹。

 話してみた感じでは、こっそり灯理と会っているという感じでもなかった。もしそういうことなら声の調子でわかると思えた。

 それよりも気になるのは。昨日話していた残りふたりのバトル参加者のこと。

 恐ろしく強いと思われる残りの敵に、もし克樹がひとりのとき出会ったらと思うと、心配だった。

 ――でもまぁ、克樹ひとりって言っても、リーリエも着いてるんだしね。

 感覚的にはわかりにくいが、いまここで話しているリーリエは、克樹の側にもいる。

 もし何かあればリーリエが知らせてくれるだろうと考えれば、いまのところはそんなに心配する必要もなさそうだった。

「あいつはいまどこで、何やってるの?」

 それでもやはり気になることには変わりない。

 誠と一緒に天井を見上げながら、夏姫は問うてみた。

『……いまおにぃちゃんは、お墓参りに行ってるんだ』

「お墓参り?」

 その言葉に首を傾げると、誠も同じように首を傾げていた。

 克樹の身近な人でと考えると、百合乃の命日は近くなく、夏姫の知る克樹の知人の範囲で、墓を参るような相手は思いつかない。

 命日や盆にだけ参るものというわけではないが、買い物の予定をキャンセルして突然行くようなものとは思えず、百合乃の墓であるならそのことを言わずに行くとは思えない。

「ねぇ、リーリエ。克樹は誰のお墓参りに行ってるの?」

『……』

 向こうで話でもしているのか、しばらく待ってみてもリーリエからの返事はなかった。

 不安が膨らんできて、胸元を拳で押さえた夏姫は、眉を顰める。

「オレの用事は、まぁ急ぐようなことじゃない。できればみんながいるときに話した方がいいと思うからな」

「うん。じゃあ、克樹には話しておくね」

「頼んだ」

 来たときの険しい表情を緩め、優しい笑みを浮かべる誠に少し安心するが、不安を拭い去ることはできなかった。

 ――克樹、本当に大丈夫なの?

 

 

             *

 

 

 暗くなっていく空の下、僕がエイナに連れてこられたのは、繁華街からそう遠くない場所だった。

 墓地。

 繁華街から三〇分と歩いていないのに、広大とも言える霊園があった。エイナはそこに、迷うことなく足を踏み入れる。

 陽の傾きが大きくなって、震えるほどの風が立ち並ぶ墓石の間を吹きすさぶ。

 いまは僕たちの他に人影はなく、もう少し暗くなったら肝試しに来たみたいになりそうな寂しさだった。

 途中で買った小さな花束を持つエイナは振り向くことなく、細い道の真ん中に生えてる葉の落ちた木を避け、枯れた雑草を踏みしめて奥へと向かって行く。

 その後ろを歩く僕は、さっきまで楽しそうだったのと違って、悲しそうな、つらそうな表情をしているエイナの顔をこっそり眺めていた。

 たどり着いたのは、何の変哲もないお墓のひとつ。

 刻まれている名は、東雲(しののめ)家。

 決して新しいものではなく、古びた感じはないが、新しさもない。両隣と違って小さな敷地には雑草もなく、墓石も綺麗に清められていて、たぶん今日の早い時間か、昨日辺りに参った人がいたんだと思われた。

 何も言わずに、エイナは少し萎れた感じのある花瓶の花を取り、僕が持たされていた桶を受け取って水を入れ替えてから、買ってきた花を供える。

 背負っていた鞄の中にあった線香に火を点けて立て、帽子とサングラスを取ってしゃがんだエイナは、目を閉じて墓石に手を合わせた。

 僕はそんな彼女を、ただ見ているだけだった。

 少なくとも僕の知り合いに、東雲という姓の人はいない。

 知り合いでもない家にお墓に手を合わせていいものなのかどうかわからず、僕は立っていることしかできなかった。

「今日は本当に、おつき合いいただいてありがとうございます。一度は、来ておきたかったんです」

 立ち上がり、僕に向き直ったエイナはそう言いながら、東雲家と刻まれた墓石を細めた目線で見る。

「エルフドールの身体があっても、ひとりでは遠くに出かけられませんから、克樹さんにおつき合いいただいて本当に助かりました」

 長い時間、無言で墓石に手を合わせていたエイナはそう言って、笑んだ。

 どこか寂しそうなその笑みは、ここに彼女にとってそんな顔をさせる人物が眠っていることを示してる。

「誰を参っていたの?」

「……わたしにとって、とても、とても大切な人です」

 具体的な名前を言わず、風にピンク色の髪を揺らしながら、儚げに笑む。

 ――好きな人だろうか。

 人工個性は、人の手によって食欲などの欲求は抑えられていたり、身体がないことの不都合を消していたりしていても、ちゃんとものを考え、思い、判断が可能な脳、ひとつの個性だ。

 視覚や聴覚センサーを接続し、人と出会うことができたなら、恋をすることだってあるはずだ。

 ――あのライブで歌ってた人のことかも?

 一年前にエイナのライブ会場で聴いた歌。

 僕は途中までしか聴くことができなかったけど、あのときエイナは前口上で、とても大切な人が遺した、その人の好きな人への想いを綴った歌だと語っていた。そしてそのとき、その大切な人は死んでしまっていると。

 エイナは語らない。

 ただ優しげに、悲しげに、微笑んで見せるだけだ。

 ピンク色のロングヘアを風に揺らし、わずかに首を傾げて、彼女は僕に微笑みかけてきてる。

 僕はそんな彼女に、何もかけられる言葉がなかった。

「さて、次の場所に行きましょう」

「まだ何かあるの?」

 桶を押しつけてきたエイナは、気持ちを入れ替えたのか、元気そうにいたずらな笑みを見せる。

「えぇ、もちろん、今日の一番の目的は、これからなんです」

 言って彼女は帽子を被って髪を綺麗に納め、サングラスをかけて僕の右腕に自分を腕を絡めてきた。

 そしてエルフドールにしては柔らかい、小柄な身体を密着させてくる。

「近くに、部屋を取ってあるんです」

「……え?」

「今日はとことんつき合ってもらいます。克樹さんが尽き果てるまで!」

 にっこりと笑ってみせる可愛らしいエイナに、僕はさっきとは別の意味で、立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 


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