新型近代化改修は雷を試験体として行われた。
時間が経ち、雷の変化を調べるために演習場に向かう。
そして、新型近代化改修の効果を知ることになる……
雷の腕に新型近代化改修の液体を注射してから暫くの間、部長は変化が表れないかを調べるため、傍から一歩も離れようとはしなかった。
一方、中将はやることが無いのか、空腹を紛らわすためだと言って食堂の方へ向かって行った。提督は中将の案内として秘書艦を就けたが、それはあくまで建前であり、監視の意味も込めた命令だった。
提督は日常業務をこなしながら、雷と部長の様子窺っていた。部長は雷の身体に線のついた吸着パッドを取りつけてひたすらノートパソコンをいじっていたが、さしあたって不審な点は見当たらない。
これで何事も無ければ良いのだけれど……と、提督は小さくため息を吐いて書類にサインを書き続ける。しかし、それでは試験が失敗になってしまうのだから、部長の機嫌は悪くなるかもしれないだろう。
できるならば、それなりの効果が出つつ雷に問題が起きないように――と、提督は心の中で願う。都合の良い願いだけれど、今は神にでもすがる思いで提督は祈り続けた。
そして数時間の時が経ち、中将と秘書艦が食堂から戻ってきたのを確認してから部長が口を開いた。
「そろそろ時間ですね。一つ、提督にお願いがあるのですが」
「はい。なんでしょうか?」
「新型近代化改修の効果を調べるため、演習場をお借りしたいのですが」
「ええ、それなら大丈夫です。それでは秘書艦に案内を……」
「いえいえ、ぜひ提督にもきて頂きたいのですが」
「……分かりました」
雷の様子が気になる提督は言われなくともついて行くつもりだったのだが、部長自らの願いとあれば都合が良いと、すぐに返事をしてペンを机の上に置く。
「では、私が案内します」
「宜しくお願いします」
そう言って椅子から立ち上がった提督は、演習場へと足を向ける。
本来ならば、提督よりも階級が下である部長の案内をするなどもっての外。これは明らかに侮辱行為だと考えてもおかしくは無いのだろうに、提督は反論すること無く了解した。おそらくは憎たらしい笑みを浮かべながら提督を睨みつけている中将の差し金なのだろうと秘書艦も雷も気づいていたものの、何も言わぬ提督を考え、無言のまま執務室を出た。
演習場の入口側にある小さな埠頭から、雷が海面に着水するのを皆が見守っている。
艤装を装着した雷は、砲弾と魚雷の装填をしっかりと確認してから、ふわりと海へ降りた。足の艤装周りに小さな水飛沫が上がるのを見て、秘書艦が驚きの表情を浮かべている。
そしてそれは雷も同じだった。今まで何度も着水をしたけれど、足首からすねの辺りまで沈みこむのが当たり前だった。しかし、着水した時に上がった水飛沫と濡れた部分は明らかに今までと違って小さく、少なかった。
その理由の多くは、慣れと経験である。何度も同じことを繰り返すうちに身体が覚えるであろう能力は、練度を積んでこそ身につくモノなのだ。この鎮守府において下から数える方が早い雷が、先程のような着水をできるとは、秘書艦も提督も、そして雷本人さえも思えなかった。
そんな驚きの表情を浮かべている3人の顔を見て、部長はニヤリと笑みを浮かべる。そして、続けさまに口を開いた。
「では、砲雷撃演習を行ってください」
「わ、分かったわ」
頷いた雷は、艤装を構えながら的に向かって航行し始める。
「……えっ!?」
徐々に速度を上げようと思っていた雷は、再び驚きの表情を浮かべた。
明らかにおかしい。明らかに速過ぎる。
昨日、自主訓練を行った際とはまるで違う航行速度に驚き、慌てそうになってしまった。
「う……嘘……っ!?」
そして雷は更に驚く。海面を滑るように航行すること自体は既に慣れている。しかし、これ程の速度は初めての経験であり、自身の精神状態がお世辞にも安定しているとは言えない。それなのに身体は勝手にバランスを取り、思い通りの場所へと向かって進んで行く。
未知の経験に雷の心が晴れやかになった。今までできなかったことができてしまう。これで提督の力になることができる。
自分では想像もつかなかった速度で移動しながら、的に向かって構えを取る。本来砲撃をする時は、命中精度を高めるために海上で一時停止をするのが当たり前。そんな基本動作を忘れてしまったかのように、雷は直感だけで動きながら砲弾を発射した。
ズドンッ!
「……っ!」
砲身が揺れ、衝撃が艤装から身体中に伝わった。その瞬間、新たなる驚きが頭の中を埋め尽くす。
発射の衝撃が強い。なのに、身体の軸は全くぶれなかった。
そして発射された砲弾は、的の中心――雷が思い描いた場所へと突き刺さり、見事なまでに粉砕していた。
「やったわっ!」
歓喜の声を上げた雷はそのまま先にある的へと向かい、続けさまに砲弾を発射する。そのどれもが完璧と言える結果を出し、自身と見ている者を驚かせた。
これなら活躍できる。もっと提督の役に立つことができる。
嬉しさで胸がいっぱいになった雷は、続けて雷撃用の的へと向いた。砲撃用の演習場所からは少し離れているため、本来ならもう少し近づいてから発射するべきなのだが、
「いける……っ!」
艦娘たちが使用する魚雷に近代的な誘導機能は付いておらず、命中率を高めるために複数の魚雷を扇状に同時に発射するのが当たり前だ。しかし雷は、緩やかな波で流されていく的の位置をまたもや直感で予想し、魚雷発射管から1本だけを発射した。
「故障か。ふん、つまらん……」
砲撃を見て驚いていた中将だったが、その様子を見た瞬間に面白く無さそうにため息を吐いた。しかしそれ以外の人物――部長と提督、そして秘書艦は雷の意図を瞬時に察知する。
「当たれーーっ!」
拳を振り上げた雷の声と共に魚雷が海中を走り、数秒の後、的に直撃して大きな水柱を上げた。
「……なっ!?」
予想していなかった状況に驚く中将。そして、同じように提督も秘書艦も驚いていた。
そんな中、魚雷を放った雷と部長だけは嬉しそうに笑みを浮かべている。
ただし――それは大きく意味合いの違うモノだったのだが。
「雷の演習の結果はどうだったかしら?」
海面を滑るように移動して皆の元に帰ってきた雷は、胸を張りながら報告する。
「素晴らしいっ!」
真っ先に叫んだのは中将だった。一番に提督から褒めて欲しかった雷は若干不満そうな表情を浮かべそうになる。
「あぁ、凄かったぞ、雷」
「本当!? これからは、雷に頼って良いんだからねっ!」
満面の笑みを浮かべて喜んだ雷は海面から埠頭へと上がり、提督に抱きつこうと両手を広げた。
「まさか新型近代化改修の効果がここまでとはっ! いける……これで深海棲艦共を根絶やしにできるぞっ!」
中将の言葉に眉を顰めた秘書艦だったが、口を開こうとする前に部長が右手を上げた。
「いえ……まだ試験段階ですから、経過を見ていかなければなりません。それに、全ての艦娘に効果があるかはまだ分かりませんので……」
冷静を取り繕いつつ話した部長だったが、内心は両手を上げて飛び上がりたいほど喜んでいた。だが、自分が言ったのは本当のことであり、暫くは様子を見ながらデータを取って、情報をまとめなければならないだろう。
それでも苦労が報われるのは本当に気持ちが良いと、部長は笑みを浮かべて雷を見る。視線に感づいた雷は少し戸惑ったが、自分を強くしてくれた部長に対して感謝し、大きく頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございますっ!」
「いや、まだ試験の段階ですからね。今後どうなるかは経過を見なければ分かりません」
「それでも……雷は本当に嬉しいわっ!」
「ええ、私も嬉しいですよ。ですがこれから1ヶ月ほどは、経過を観察させていただくことになります」
「分かったわ。宜しくお願いするわねっ」
もう一度頭を下げて礼をした雷に愛想笑いを浮かべた部長は、提督の方へと向き直る。
「ひとまず試験は良好のようです。このデータをまとめるために一度大本営に戻りますが、1週間後に経過を見にきます。それまでの間、毎日報告書を作成して頂きたいのですが……」
「提督。その作業はぜひ私にやらせて下さい」
部長の言葉に真っ先に声を上げた秘書艦が、提督の近くに歩み出た。
「……手間をかけるが、構わないのか?」
「はい。提督に無理を言ってお願いしたのは私です。試験体となれなかった以上、これくらいのことはさせて頂きたいのです」
「そうか……分かった。宜しく頼む」
「はいっ!」
笑みを浮かべた秘書艦は提督に向かって大きく頭を下げた。その姿を見ながら、提督は小さく息を吐く。
「報告書の詳細は大本営に戻ってからメールで送ります。そのアドレスへ、毎晩20時までに報告書を送って頂けるようにお願いします」
「かしこまりました」
部長の言葉に秘書艦が頷き、話がひと段落したと思われた時、提督がふいに口を開く。
「ちなみにですが、部長が再度こちらにこられる1週間以内に、もし何かがあった場合はどうしたら良いでしょうか……?」
真剣な目で睨みつけるように提督が言うと、部長は一瞬焦ったような表情を浮かべてから口を開いた。
「すぐに……私の方へ連絡を寄こして下さい。できる限り早くこちらにきますので」
「宜しくお願いします」
頭を小さく下げた提督だが、視線は全く動かさずに部長の顔を見つめたままだった。
もし何か問題が起これば、必ず責任を取らせてやる。
――そう言われているような気がした部長は、ゾクリと背筋に冷たいモノが走る感覚に陥りながら、密かに足を震わせた。
「そっ、それでは、私達は……」
言って、部長は未だ独りで喜び声を上げていた中将の肩を叩いて帰ることを知らせてから、提督に向かって敬礼をして去って行く。
その姿は明らかに逃げるような感じに見えたが、提督の心は既に雷へと向けられていた。
「本当に……何事も無ければ良いんだが……」
小さく誰にも気づかれないように呟いた提督は、部長の背を見ながらため息を吐く。
喜びながら演習の感触を秘書艦に話す雷の声を聞きながら、心が不安に押し潰されそうな提督だった。
演習場から少し離れた所に1人の艦娘がいた。
肩の手前で綺麗にカットした髪の毛がサラサラと風で揺れるのを手で押さえた彼女は、思い詰めたような表情で雷を見つめている。
彼女は数日前、旗艦として遠征任務に着いた。その途中で深海棲艦と鉢合わせてしまったのだが、任務を失敗こそしなかったものの副艦が中破するという事態に追い込まれてしまった。
原因は索敵不足なのだが、決して彼女がミスをしたという訳では無い。護衛するタンカーの底から這い上がるように襲ってきた潜水艦を、真っ先に見つけたのは彼女なのだ。
本来ならば任務も成功させて被害も少なかったと褒められる立場の彼女なのだが、問題は中破してしまった副艦だった。副艦は彼女の姉であり、旗艦である彼女を守ろうとして被害を負ったのだ。
それが彼女に取って、とても許し難いことだった。自分のせいで姉が傷ついてしまった。自分がもっと気を配っていればこんなことにはならなかった。
彼女は帰還し、姉の修理に付き添いながらずっと思い詰めるように考えていた。もっと強くならなくてはならない。姉をしっかりと守れる妹にならなければならない。
そんな折、雷の演習をたまたま見てしまった。姉が気をかけている雷が、見違えるように強くなっている。
どうやってあんな風に強くなったのか。私も今よりもっと強くなれるだろうか。
その思いがどんどんと心の中を埋め尽くし、彼女はそそくさと大本営に帰ろうとする部長に声をかけた。
「あの……すみません……」
「はい。私に何か?」
急に現れた艦娘に対し、部長は少し驚きつつも返事をする。
「先程の雷ちゃんについて、お聞きしたいことがあるんですけど……」
思い詰めたような表情を浮かべた艦娘を見て、部長は直感的に察知した。
こいつは使える。
新たな試験材料がやってきた――と。
「ふむ……どうやら私達の研究が気になるようですね」
「研究……?」
「ええ、新型近代化改修という研究です。もし宜しければ、少しお話しましょうか?」
「は、はい。お願いします」
ぎこちない笑みを浮かべながら頭を下げた彼女を見て、部長は爽やかに笑みを浮かべる。
それは――心の中とは正反対の表情であり、先程脅された提督に対する仕返しの気持ちが混じっていた。
次回予告
それから2日が経った。
雷の性能向上を調べるために、出撃することになる。
提督は雷を旗艦とし、練度が高い2人の艦娘をサポートにおく。
第六駆逐隊、いざ参る。
深海感染 -ZERO- 第三章 その1
全ては一つの線で……繋がっている。
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