深海感染   作:リュウ@立月己田

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 秘書艦の言葉に何も返すことができなかった提督。
そうして四十崎部長に渡されたリストから、一人の艦娘が選ばれる。

 その艦娘もまた、悲しい過去を持っていた……



第二章 その5

 

「お待たせいたしました。これが鎮守府に所属する艦娘の一覧になります」

 

「ふむ……なるほど。練度順に並べてあるとは、非常に分かりやすいですね」

 

 秘書艦から書類を受け取った部長は、真剣な眼差しで食い入るように目を通す。その隣でふんぞり返っている中将は紅茶を啜りながら、ニヤニヤと提督の顔を睨みつけていた。

 

 許されるのなら中将に向かって砲弾を放ちたいと思った秘書艦だったが、ここまできて機嫌を損ねさせては今までの苦労が全て無駄になってしまう。無理矢理冷静さを取り戻した秘書艦は、提督と同じように中将を無視することにして部長の動向を見守った。

 

「そうですね……この駆逐艦、雷を使わせていただきましょうか」

 

「雷……ですね。分かりました」

 

 部長の言葉に即座に反応した秘書艦は、提督の机に取りつけてある無線機を使用して呼び出そうとするが、提督が立ち上がってその手を止める。

 

「ちょっと待ってくれ。雷はまだこの鎮守府にきて、そう長くは無い。そんな彼女に試験を行わせるのは……」

 

「だから良いのではありませんか。練度が低ければ低い程、新型近代化改修の効果が分かるというものです」

 

「で、ですが……っ!」

 

「まだ分かっておらんようだな! もう既に、貴様に決定権は無いのだぞっ!」

 

「し、しかし雷は私が管轄する艦娘で……」

 

「ならばすぐにでも提督の任から解いてやっても良いのだぞ?」

 

「ぐっ……!」

 

 中将の言葉に押し込まれた元帥は苦渋の顔を浮かべながら考える。

 

 ここで自分が提督でなくなった場合、雷以外の艦娘たちも次々と試験に使用されてしまうかもしれない。それでもし失敗してしまえば、多数の艦娘が犠牲になってしまう。

 

 だがどちらにしろ、雷による試験は確実に行われてしまう。1人を差し出すことで他の艦娘を助けるという、人柱と何ら変わりのない方法を取らざるを得ない状況に陥ってしまった自身を恨みながら提督は頷いた。

 

「では……宜しくお願い致しますよ、秘書艦さん」

 

「分かりました……」

 

 秘書艦は部長の言葉に頷きながら提督を見る。憔悴しきったかのように見えるその表情は、私が作りだしてしまった。しかし、この方法しか無かったのだと思いながら、無線機で雷を呼び出した。

 

 

 

 

 

「新型近代化改修? なんだか長ったらしい名前よね」

 

 執務室にやってきた雷は、部長や秘書艦から話を聞いてそう答えた。

 

「それで、雷がこの試験を受ければ提督を助けることができるのよね?」

 

「ええ、その通りです。さすれば、大本営からの補給を通常値に戻すよう、申告いたします」

 

「あり得ないとは思うけど、それが嘘だってことは無いわよね?」

 

 雷の言葉に少し驚いた表情を浮かべた部長は、無言のまま中将の顔を見る。

 

「疑いをかけられるのは気に食わんが、確かにその心配は分からんでもない。約束は私の名に誓って守ろうではないか」

 

「……そう。それなら雷は構わないわ」

 

「雷……」

 

 雷が笑みを浮かべたのを見た提督は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら名前を呟いた。艦隊に所属してからそれほど経っていないのに雷は鎮守府の状況を理解し、提督を助けようと自らの身体を使って試験をすることに同意したのだ。

 

「心配しないで、司令官! 私は大丈夫。何があっても大丈夫なんだから」

 

「し、しかし……」

 

 戸惑う提督は、ふと、雷と出会った時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 雷は元々、提督の艦隊に所属している艦娘では無かった。

 

 ある提督の鎮守府で建造された雷は、先に所属している艦娘達に負けないように自主訓練を欠かさず、いつ出撃しても活躍できるように努力をしていた。

 

 そして待ちに待った出撃の日。雷は旗艦から一つの命令を受けた。

 

 何があっても旗艦を守ること。

 

 以前の記憶を持つ雷は、それが当たり前であることは分かっていた。しかし、今から向かう海域を知った時、雷の心に別の感情が芽生えはじめる。

 

 自主訓練は欠かさずやってきた。だが艦娘になってから、出撃どころか演習すら経験していない雷が、主力級の戦艦や空母と一緒に深海棲艦が巣くう危険海域に出撃するのはなぜなのだろうか。

 

 その答えは、周りから聞かなくても自ずと分かることになる。

 

 そう――旗艦から伝えられた通りなのだ。

 

 自らの身体を持って、旗艦を守りきれ。

 

 例え破損しようとも。

 

 例え大破しようとも。

 

 例え――轟沈しようとも。

 

 旗艦を、そして自分以外を、敵海域の最深部へ送り届けろと。

 

 それが雷の役目だと理解できたのは、深海棲艦を目の前にした後だった。

 

 大きくえぐられた艤装。

 

 身体を守る衣服はズタボロに破け、海上に立とうとするのも精一杯な雷に、旗艦は一言を告げた。

 

「良くやった。これで我々は、最深部へと進むことができる。提督もさぞお喜びだろう」

 

 その言葉に雷の心は砕け散りそうになった。

 

 悪意は感じ取れない。

 

 旗艦素直に、雷のことを褒めたたえている。

 

 だがしかし、

 

 旗艦は、そして提督は、

 

 今の今まで、

 

 雷の名を呼んでくれたことがあったのだろうか。

 

 ああ、ようやく分かった――と、雷はボロボロの顔で笑みを浮かべた。

 

 旗艦はそれを見て、他の仲間と共に先へと進む。

 

 私はただの駒だったのだと、ようやく悟ることができた。

 

 いや、駒であればもう少しマシだったのかもしれない。

 

 駒は兵士だ。もしくは兵器だ。

 

 私は、そんな駒にすら慣れなかったのだ。

 

 そう思った瞬間――

 

 雷の身体は、海の底へと沈みかけていた。

 

 

 

 

 

「大丈夫か……?」

 

「……ぇ……?」

 

 目を開けると、見知らぬ艦娘が真横に立って雷を見下ろしていた。

 

「修理は既に終わっているし、問題は無さそうなんだけどな」

 

「あ、え、えっと……」

 

 何を言っているのか分からなかった雷は、顔を動かして自分の身体を見た。

 

 どうやら布団の上に寝ているようだが、深海棲艦にやられて破損した艤装は無く、衣服は元の状態に戻っていた。身体に痛みは感じられず、違和感も無い。

 

「こ、ここ……は……?」

 

 更に言えば、自分が居る所も分からなかった。一見すれば普通の洋間であるが、雷が所属していた鎮守府でこのような場所は見たことがなかったのだ。

 

「ここはとある鎮守府の医務室だ」

 

 そう言った艦娘は雷の右側へと指を向けた。そこには壁があり、大きな地図が貼られている。

 

「ちょうど本土の中心から少し西……それの北側に鎮守府の記号が見えるだろう?」

 

「あ、は、はい。あります……けど……」

 

 自分が所属していた鎮守府から近い場所だと、雷は思い出す。しかし、なぜかそのことを話す気にはなれなかった。

 

「まぁ、話したくなければそれでも良いさ」

 

 雷の表情を見た艦娘は、小さくため息を吐きながら笑みを浮かべる。そして、雷の肩に優しく手を置いて口を開いた。

 

「ようこそ、俺達の鎮守府へ。これから宜しくな、雷」

 

「……え?」

 

 なぜ名前を知っているのか――と、雷は驚いて目を大きく見開いた。

 

 旗艦も、提督も、一度たりとも呼んでくれなかったその名を、初めて会った艦娘がどうして知っているのかと。

 

 そして、どうして呼んでくれたのか――と、大粒の涙を流しながら雷は問う。

 

「その辺は、俺等の提督に聞くんだな。まぁ、暫くしたら勝手にやってくるさ」

 

 そう言って、艦娘は部屋の外へ出ていった。

 

 訳が分からない。けれど、居心地は全く悪くない。

 

 ここに居れば、自分が自分で居られるかもしれない。

 

 淡い期待が胸の中に湧き出てきた雷は布団を頭の上まで被って、大きな声で泣きつづけた。

 

 

 

 それから暫く経った頃。雷が泣き止んだのを見計らうかのように、提督がやってきた。

 

 提督は別の任務で航行していた艦隊が沈みかけていた雷を見つけ、救出したのだと言った。

 

 そしてドックで緊急の修理を行い、艤装から雷が所属する鎮守府を割り出した提督は連絡を取り、雷を引き取ることになったのだと言う。

 

 その経緯は詳しく言わなかったが、それは提督の優しさだったのだと雷は悟った。聞かせれば確実に、雷の心は傷ついてしまうだろうと気遣かってくれたのだ。

 

 沈む寸前に自らの立場を悟った雷には、その気遣いが逆に心を痛めることになった。しかし、それと同時に癒してくれもした。

 

 目の前に居る提督は、自分の名前を呼んでくれる。

 

 目が覚めた時に話してくれた艦娘も、自分の名前を呼んでくれる。

 

 それが何より嬉しくて、そして提督の思いが優しくて、雷は何度も何度も大粒の涙を流す。その間、提督はずっと雷の手を握ってくれていた。

 

「ここが合わなければ、別の所に行っても良い。雷は好きなことをして良いんだよ」

 

 もちろん、艦娘としての決まりは守らなければいけないけれど……と、苦笑を浮かべながら言った提督に、雷は涙を目に溜めながら笑顔を見せる。

 

「大丈夫。雷は、ここが気に入ったから……」

 

「そうか。それじゃあ、気が変わるその時まで、ここに居ると良いよ」

 

「うん。ありがとう、司令官」

 

「ああ。それじゃあ、これから宜しくね、雷」

 

 そう言って、2人は握手を交わす。

 

 雷はこの時、心に深く刻み込む。

 

 決して、提督を裏切らないと。

 

 必ずこの人を、幸せにしてみせると。

 

 駒ではなく1人の艦娘として見てくれた提督への感謝を胸に、雷は満面の笑顔を浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 提督と同じように、雷もまた初めて出会った時のことを思い返していた。

 

 しかし、その記憶を消し去ろうとするかのように部長が声を出す。

 

「では、早速始めさせて頂きましょう」

 

 気が変わらないうちに、そして提督が止めないうちに――と、部長はソファーの傍に置いていた黒い鞄の中から小さな金属製の長方形の箱を取り出した。

 

「そうですね……右腕の袖をまくってもらえますか?」

 

「こう……かしら?」

 

「ええ、それで結構です」

 

 納得するように頷いた部長は、箱の中から長細い筒のような物を取り出した。上下の先には黒いプラスチックのようなパーツが取り付けられており、中心の部分は透明なガラスでできている。その中にピンク色の細いパイプのような物が螺旋模様を描いていた。

 

「ふむ……」

 

 筒をクルクルと回転させた部長は、片方の黒いプラスチックパーツを外してから、指の先で何度か突いた。小さな気泡が細いパイプの中を動き回り、見た目は非常に美しく見える。

 

「まくった方の腕をこちらに」

 

「は、はい……」

 

 少し曇った表情を浮かべた雷は、言われた通りに部長に向かって腕を差し出した。まるでこの光景は、小さい頃に学校で受けた予防接種のようだと感じた提督だったが、艦娘である雷にとってそのような記憶は無いはずだ。それなのに表情を曇らせて言葉が弱々しくなったのは、試験に対しての不安な気持ちがそうさせたのだろう。

 

 提督は今すぐ部長の手を掴んで止めたかった。しかし、ここまできて止めさせてしまえば中将と部長は確実に怒るだろうし、そうなってしまえば秘書艦や雷の気持ちはどうなるのかと考え、今すぐ胃に大きな穴が開いてしまいそうになるほど苦悩しながら、口を噤む。

 

「痛みはありませんから、緊張しないで下さい」

 

「わ、分かっているわ……」

 

 そう答えた雷であったが、額にはうっすらと汗が浮かび、表情は強張っている。部長は小さくため息を吐いてから、手に持った筒を雷の腕に押しつけた。

 

「……っ!」

 

 筒が腕に触れた瞬間、プシュッ……という音と共に、中のピンク色の液体が勢いよく消えていく。時間にして3秒もかからないうちに全ての液体が雷の腕の中に消え去り、部長は筒を腕から離して笑いかけた。

 

「なんともなかったでしょう?」

 

「そ、そうね……」

 

 雷は微妙な顔を浮かべながら部長に頷いた。言われた通り痛みは殆ど無かったけれど、得も知れぬモノが身体の中に入ってきた不安からか、違和感があるような気がする。

 

 しかし、そのことをここで話せば提督が不安がるかもしれない。いや、提督のことだからいきなり怒りだすかもしれない。そうなってしまえば部長や中将が機嫌を損ね、補給の件が上手くいかなくなる可能性がある。

 

 そうならないように、雷は我慢をした。提督のために自分の身体が役に立つのなら、少しくらいの違和感なんて気にもならないはずだと。

 

 そうして提督に向かい、雷はニッコリと笑みを浮かべる。自分は大丈夫だから。何の問題もないのだから――と。

 

 そんな雷の表情を見た提督は、思わず目頭が熱くなってしまうのを感じた。雷の違和感は分からなくとも、自分のために我慢してくれていることは一目で分かってしまう。自分が不甲斐ないせいで、自分が上手くできないせいで、こんなことになってしまった。全てを押しつけてしまったのにもかかわらず、それでも雷は笑ってくれている。

 

 だけどここで泣いてしまったら、雷はどんな気持ちになるだろう。秘書艦はどう思うだろう。

 

 提督も雷も、自分の思いを胸に秘めたまま無言で笑顔を見せた。お互いを気遣う気持ちがそうさせた。

 

 そして、秘書艦もまた己の思いを秘めたまま2人の様子をじっと見つめていた。

 

 執務室の中に居る全ての者が様々な思惑を抱えながら、暫くの時が過ぎてゆく……

 




次回予告

 新型近代化改修は雷を試験体として行われた。
時間が経ち、雷の変化を調べるために演習場に向かう。

 そして、新型近代化改修の効果を知ることになる……


 深海感染 -ZERO- 第二章 その6

 全ては一つの線で……繋がっている。


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