深海感染   作:リュウ@立月己田

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 提督が起こした失敗を語る過去編の終結。
そして、新型近代化改修の影が歩み寄る。

 提督は部長から説明を受け、どのような対応を取っていくのか。
そしてその結果が、思いもしないモノへと歩んでいく。



第二章 その4

 

「はぁ……」

 

 書類を両手に持って机に向かっていた提督は、仏頂面を浮かべながら大きなため息を吐いた。大本営から届いた更なる資材補給の削減の通達書によって、今まで何とか遠征による補填で鎮守府の運営を賄ってきた方法にも、ついに限界がきてしまっていたのだ。

 

「やはり、厳しいですか……?」

 

「あぁ……今回の補給削減によって、完全に帳簿が真っ赤になるだろうな……。このままでは演習を行うことすら、難しくなるかもしれない……」

 

「そこまで……ですか……」

 

 提督は秘書艦に書類を渡し、頭を抱えて塞ぎこんだ。かける言葉が見つからなかった秘書艦は受け取った書類に目を通す。細かい文字で書かれた数字と、折れ線グラフが紙面を覆い尽くしているが、殆どの数字は赤く、折れ線は下方向へと急降下していた。

 

「やはり、大本営の指示に従って出撃をした方が宜しいのではないでしょうか……」

 

 恐る恐る進言した秘書艦だったが、提督は頭を左右に振りながら何度も大きなため息を吐く。

 

「指示されている海域には、新たな深海棲艦が現れたという報告があった。しかし、その能力はまだ解明されていないし、どれだけの敵が潜んでいるかも分かっていない。そんな状況で艦隊を出撃させるには、あまりにも危険過ぎる……」

 

 提督の言葉は理に適っている。しかし、聞き方によっては憶病とも取れるその発言に、秘書艦の心境は複雑であった。

 

 提督の奥病になった切っ掛けは、誰よりも秘書艦が知っている。あの事件の当事者であり、提督の未来を奪ってしまったという思いが、この場で発言することを戸惑わせていた。

 

 それでも提督が提督である以上、大本営の指示に従わなければならないのは当たり前のことであり、それを怠っているからこそ今のような逼迫した状況に陥っている。仮に提督が大本営の一番上に立つ人物ならばそうではないのかもしれないけれど、それは現実逃避というものだろう。

 

 提督の秘書艦である彼女の役目は、なんとかしてこの状況を打破する考えを導き出すことである。手っ取り早く思いつくのは提督を説得して大本営の指示通りに出撃し、成果を上げることで元の補給量に戻して貰う方法である。しかし、先程秘書艦が進言した時の返事を聞く限り、提督が頭を縦に振ってくれることは、まずあり得ないだろう。

 

 ならば次に取れる方法は、補給に頼らない鎮守府の運営方法を考えることだが、つまりそれは、引き続き大本営の指示を受け入れない姿勢を表すことになる。唯でさえ目をつけられている状態であるにもかかわらず、このままの方針を続けるのであれば、いずれ提督の職を失ってしまうかもしれない。

 

 そうなってしまえば、秘書艦が密かに秘めている目的を達することができなくなってしまう。折角ここまでやってきたのにそんなことになってはいけないと、秘書艦は強い意思を持って口を開いた。

 

「提督……お願いです。第一艦隊を出撃させてください」

 

 秘書艦は提督の顔をしっかりと見つめながら、キッパリと言った。決意を込めた瞳で訴えるように一つの瞬きもせず、じっと提督の瞳を見つめ続ける。

 

 そんな秘書艦を見つめ返した提督は、肩を落として大きく溜め息を吐いた。自ら招いたことに苦悩し、自ら決めたことで秘書艦を苦しめている。だけど、あんな失敗は二度としたくないし、させたくもない。葛藤する心が提督を更に苦しめ、もう一度大きな溜め息を吐くことになった。

 

「提督……」

 

 そんな提督を見て、秘書艦は落胆するように肩を落とす。言葉にはしなかったが明らかに拒否と取れる仕種に、秘書艦はため息を吐くことしかできなかった。

 

「………………」

 

「………………」

 

 重い空気が執務室に漂い、居心地が悪くなった秘書艦は空気を入れ替えようと窓を開けた。大して何も変わらないかもしれないけれど、じっとしていられるような気分ではなかったのだ。

 

「あら……?」

 

 片側の窓を半分ほど開けた秘書艦の耳に、聞き慣れない機械音が聞こえてきた。低く響く重低音は、どうやら車のエンジン音のようだ。

 

「誰かが……こられたのでしょうか?」

 

 来客の予定はなかったはず……と、秘書艦は本日のスケジュールを思い返す。そうしている間に、提督と秘書艦が居る執務室のある建物の入口前に黒塗りの車が停まり、後部座席から2人の男性が下りた。

 

「あ……あれは……」

 

「ん、どうしたんだ?」

 

 秘書艦のうろたえた様子に提督が気づき、背に向けて声をかける。

 

 振り向いた秘書艦は額から頬へと伝わる汗を気にもせず、小刻みに震える口をゆっくりと開いた。

 

 まるで、死亡する時刻を伝えにきた死神を見たような面持ちを浮かべ――

 

「だ、大本営から誰かが……いらっしゃった、みたいです……」

 

 秘書艦の声に提督の瞳は大きく見開かれ、すでに何度目か分からない大きなため息が執務室に響き渡った。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

「初めまして。私は大本営所属、深海棲艦戦略部の部長、四十崎(あいざき)と申します」

 

 秘書艦に連れられて執務室に入ってきた1人の男性が、提督に向かって頭を下げながら言った。

 

「この鎮守府を運営しております提督です。この度はいったい、どういったご用件で……」

 

「そんなことは言わなくても分かっているだろう」

 

 提督の言葉を遮るように、もう1人の男性が口を挟んだ。肩には提督よりも階級が高い『中将』の肩章が見え、明らかに威圧している口調とぶしつけな態度に秘書艦は眉を顰めたものの、反論すれば提督の立場が危うくなることは十分に分かっているため、言葉を飲む。

 

「大本営の指令を尽く無視する輩に対して、罰を与えるのは必定である。従って……」

 

「ちょっと待ってください。その件に関しては、本日付で送られてきた補給量の減少という形で話はついているはずです」

 

 仕返しとばかりに提督が中将の言葉を遮り、静かに笑みを浮かべた。目の前に居る中将よりも随分と年齢が低い提督であるが、過去の経験でいくつもの上官とやりあってきた彼にとってこの状況はピンチとすら思わずに、冷たい視線を向ける。

 

「む……ぐ……」

 

 案の定、提督に威圧された中将は押し黙ってしまう。そんな状況を見た部長は、不敵な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「噂に聞き及ぶ通りの人物ですね……。ですが、本日は貴方を救いにやってきたのです。宜しければ、お話をさせて頂きたいと思うのですが……」

 

「話……ですか?」

 

「ええ、決して悪い話ではないと思います。まずは聞くだけでも構いませんので……」

 

 下手に出る部長を良しと思わずに不満げな表情を浮かべた中将だが、提督の視線は未だに圧力が強く、口を開くことすらできなかった。

 

「分かりました。それでは、そちらのソファーでお話を……」

 

 提督はそう言って中将から視線を離し、秘書艦に飲み物を用意するように指示をする。

 

 威圧から解放された中将は胸を撫で下ろしながらため息を吐き、安堵するようにソファーに座った。両手の平にはびっしょりと汗が浮かび、心の中で提督を糾弾する気が完全に削がれていたことに気づかぬまま、助かったという思いだけが頭の中を埋め尽くしていた。

 

 部長はそんな中将の様子を見て、役に立たぬ上官だと見限るように息を吐く。そんなことも知らぬまま、道化師のように踊る中将の姿を想像した秘書艦は、クスリと小さく笑みを浮かべてから提督の命に従うため、執務室を出た。

 

 

 

 

 

「新型……近代化改修ですか……」

 

 部長から渡された書類に目を通した提督は、秘書艦が用意した紅茶を啜りながら呟いた。

 

「はい。私が所属する深海棲艦戦略部におきまして、新たな艦娘の強化方法として研究してきた物になります。この方法のもっともすぐれている点は、出撃や演習における資材が必要にならないことと、今までの近代化改修では不可能だった練度の向上が見込めるのです」

 

「なっ……! れ、練度まで上げられるのですかっ!?」

 

 提督は大きく目を見開いて驚きの表情を浮かべた。しかしそれも仕方のないことで、出撃や演習による経験を積まない限り艦娘の練度は向上しないと考えられていたからである。

 

 もし、部長が言うことが本当だとすれば、この研究によって資源不足に悩まされるだけでなく、危険な任務を行わずとも艦娘達を強化することができる魔法のような方法に、提督の胸の内が晴れるかに思われた。

 

「しかし、この研究にはまだ不完全な点がありまして……」

 

 提督の喜びを挫かせるように、部長は少し表情を曇らせて口を開く。

 

「マウスなどの実験結果を見る限り、何の問題も発生していないということは書面の通りですが、実のところ艦娘を使った試験はまだ行えていないのです」

 

「つまり、それを……?」

 

「ええ、貴方のお考え通りです。宜しければ、こちらの鎮守府にてこの研究の試験をさせて頂きたいと……」

 

「お断りします」

 

 提督は部長にキッパリと言い放ち、書類を突き返した。自分が手塩にかけてきた艦娘達に、どうなるか全く予想がつかない試験なんかをさせる訳にはいかない。上手くいけばという考え以上に、霧の中の戦いが真っ先に頭の中に浮かび、2度とあんな思いをしたくないという気持ちが提督の息を荒らげさせた。

 

「……やはり、そのお答えですか」

 

「誰が何と言おうとも、この返事を変える訳には……」

 

「しかし、この鎮守府の運営状況はもうギリギリなのでしょう?」

 

「そ、それは……」

 

 部長の発言に提督は言葉を詰まらせる。大本営からやってきたのだから、補給を更に削られたことを中将や部長は知っている可能性は高い。合わせてこのタイミングで新型近代化改修の試験を持って来たことを考えれば、断れない状況をセッティングしたのは目の前に居る2人の仕業なのだろう。

 

「我々大本営の考えとしては、優秀な人材を切り捨てることはしたくない。だからこそこうして良い案を持ってきたのだが、何が不満なのだね?」

 

 中将の言葉に提督は歯を食いしばりながら、2人の見えない位置で拳を握り締めた。明らかに仕組まれているのは明白だが、ここで断れば提督の職は完全に失ってしまうだろう。

 

 提督に取って、役職にすがりつくつもりはない。だが、自分が居なくなることで、鎮守府に所属する艦娘達がどんな状況に追い込まれてしまうのかが心配でたまらなかった。

 

 後から配属された人物が、俺と同じように艦娘達のことを気遣ってくれるのなら安心できる。しかしその一方で捨て艦戦法等、自分には正気と思えない手を使う提督がいるのも聞き及んでいる。

 

 艦娘達のことを考えるのなら、自分が提督を放棄するのは避けなければいけない。だけど、得体の知れない試験によって艦娘たちの身に何かが起きてしまう可能性がある以上、安易に頭を縦に振ることができなかった。

 

 ソファーに座りながら頭を悩ませ苦しんでいる提督を見た秘書艦は、失礼を承知で声をかける。

 

「提督、一つ宜しいでしょうか」

 

「……なんだろう?」

 

「提督が心配なさっていることを、私は充分に理解しているつもりです。そのお気持は私達にとって非常に嬉しいのですが、未だにお応えできていないのではないかと苦しんでいます」

 

「そんなことは無い。君達は良くやってくれている……」

 

「いいえ。私達は提督に良くして頂いていますが、私達はその御恩を殆ど返せていません。できるならばその御恩を、ここで返させて頂けないでしょうか?」

 

「し、しかしそれは……」

 

 あまりにも危険である――と、提督は言おうとして止めた。今までの話を秘書艦は聞いていただろうし、理解せぬまま発言したとも思えない。秘書艦は提督が追い込まれている状況を見かねて、自ら人柱となると言ってくれたのだと理解した。

 

「なんとも微笑ましい光景ですが……一言宜しいですか?」

 

 鼻で笑うような仕草をした部長は、提督と秘書艦の間に入り込むように言葉を投げかけた。その表情は笑みを浮かべているのだが、明らかに不機嫌であると見えた。

 

「残念ですが、貴方では試験の意味が無いのですよ」

 

「なぜ……ですか?」

 

「貴方の練度はかなり高い。しかしそれでは、試験の効果が分かりにくいのですよ」

 

「………………」

 

 部長の言うことは理に適っている。提督の艦隊に所属する艦娘たちは日々演習と遠征を繰り返しているため、練度が異様と言えるほど高いのだ。

 

 しかしそれならなぜこの鎮守府を試験の場に選んだのだろう……と、考えるが、それは断れない状況を一番作り出し易かったのだろうと予想できる。

 

「分かりました。それでは、まだ練度が高くない艦娘のリストをご用意いたします」

 

「……っ!」

 

 秘書艦の言葉に驚いた提督は、すぐに発言を取り消させるために立ち上がって声を出そうとした。しかしそれよりも早く秘書艦は提督に向かって頭を下げて、動きを制止させる。

 

「お願いです……提督。御恩を、返させてください……」

 

 泣きそうな顔で話す秘書艦に提督は言葉を返すことができず、肩を落としながらソファーに腰掛けた。

 

 自身の考えが間違っていたのか、それとも間違っていなかったのか。その答えは一向に頭の中に浮かばぬまま、提督は大きくため息を吐く。

 

 その様子を見た中将と部長が満足そうな笑みを浮かべているのを気づきつつも、提督は歯痒い思いをしながら目を逸らすことしかできなかった。

 





次回予告

 秘書艦の言葉に何も返すことができなかった提督。
そうして四十崎部長に渡されたリストから、一人の艦娘が選ばれる。

 その艦娘もまた、悲しい過去を持っていた……


 深海感染 -ZERO- 第二章 その5

 全ては一つの線で……繋がっている。


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