深海感染   作:リュウ@立月己田

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 提督は夢を見る。
1人の姉と1人の妹が、提督の鎮守府にやってきた物語。

 そして、提督は目覚める。
夢のような話を聞かされ、信じられない気持になる。
後悔だけが募る彼の前に、1人の艦娘の姿が現れた。



最終章

 提督は夢を見ていた。

 

 暗闇の中を漂いながら、艦娘たちと出会ったときの記憶が浮かんでくる。

 

 笑った顔を見せる者。

 

 悲しんだ顔を浮かべている者。

 

 自分自身を否定し、殻に閉じこもろうとする者。

 

 1人1人が個性を持ち、提督は忘れないように名前と顔をしっかりと記憶した。

 

 話をするうちに打ち解けあう。

 

 話をするうちに喧嘩になる。

 

 それでも、いつかは仲好くなると信じて、提督は話し、触れあい、笑いあった。

 

 

 

 心に傷を持つ艦娘が居た。

 

 その艦娘は妹のことが心配で、任務に集中できずに幾度となく失敗を繰り返した。

 

 痺れを切らした上官は、艦娘を解体しようとする。それを防ごうと、妹が上官に立ち塞がった。

 

 私が姉を苦しめている。ならば、私が消えれば姉は働ける。

 

 妹は、自らを解体するように上官に言う。

 

 それを知った姉は妹の解体を止めようと、無理矢理工廠に飛び込んだ。

 

 姉はボロボロになりながらも妹の解体を止め、上官を殴り飛ばす。

 

 その結果、上官は2人に航行に必要な艤装以外を持たせぬまま、遠い海へと送り出した。

 

 二度と鎮守府に戻ることが無いように、念を押して追い出したのだ。

 

 2人は身を寄せ合いながら海を行く。

 

 深海棲艦に出会った時点で、藻屑と消える。

 

 それでも、あんな場所に居なくて良いのなら――と、姉は妹を気遣いながら海上を駆けた。

 

 それから2人は暫くの後、願いと裏腹に敵と出会う。

 

 武装を持たない2人はなす術がなく、深海棲艦の攻撃を受ける。

 

 どれだけ回避を繰り返しても、いつかは追いつかれてしまう。

 

 航行に必要な艤装が悲鳴を上げ、燃料が底を尽きかけた時、2人は海の底に沈んでも一緒でいられることを幸せに思おうと、手を握り合って目を閉じた。

 

 

 

 運良く2人は近くを航行していた艦隊に助けられ、提督の鎮守府へとやってきた。

 

 2人は断ったのにもかかわらず、半ば強制的に修復は行われた。怪我を負った状態の艦娘を放ってはいけないと、提督自らが命令したと聞いた。

 

 しかし、姉はどうせ以前の上官と同じだろうと言い、妹と2人で深夜遅くに鎮守府から去ろうとする。

 

 そんな2人を見送るように、笑みを浮かべた提督が待っていた。

 

「いつでも帰ってきて良いからね」

 

 たった一つの言葉を渡し、提督は鎮守府へと戻っていく。

 

 なぜ何も聞かないのかと姉は問う。

 

 殆どの艤装を持たず、なぜ2人で海を渡っていたのか気にならないのかと。

 

 その問いに、提督は不思議そうに答えた。

 

「人には聞かれたくないことの一つや二つ、あるモノだろう? 僕だって誰にも話したくないことだってあるし、失敗を上げたらキリがないさ」

 

 そう言った提督は踵を返し、手を振りながら2人から遠ざかっていく。

 

 その後ろ姿に、2人は風に消されてしまいそうな声で呟いた。

 

「妹を……いじめないでくれますか……?」

 

「姉を……いじめないでくれますか……?」

 

 その言葉に、提督はしっかりとした表情で2人に頷く。

 

 決して、そんなことはさせない――と。

 

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 目を開いた先に、見知らぬ天井があった。

 

 小さい穴が規則的に並んだ白い色のパネル。

 

 周りはカーテンが引かれ、ベッドの上に寝ていることだけが分かる。

 

 頬には涙の跡があり、提督の袖で拭いながらゆっくりと上半身を起こす。

 

 身体がきしむような悲鳴を上げ、思うように動かすことができない。

 

 まるで激しい運動をした次の日みたいに、提督の全身を筋肉痛のような痛みが襲う。

 

 それはたぶん違うのだろうけれど、似たようなモノなのだからどっちでも良いと、深いため息を吐いた。

 

 

 

 それから提督は、巡回してきた看護師によって2週間昏睡状態であったことを知らされた。どうしてここで寝ているのかという問いに看護師は答えず、後から来る人物に聞いてくれと告げて去っていった。

 

 そして30分ほど経った後、軍服に身を包んだ中年男性が提督の前に現れた。肩章を見れば男性の階級が少将であることが分かり、提督は何とか上半身を起こして敬礼をした。

 

 少将は提督の身体を気遣いつつ、ことの終わりを全て告げた。

 

 提督が気絶している間に、鎮守府内の艦娘は殆どが深海棲艦化したらしい。信じたく無かった仮説は間違っておらず、深海棲艦化してしまった者から直接的に攻撃を受けた艦娘は次々に感染していったのだと言う。

 

 後に新型近代化改修のデータを詳しく解析して分かったことなのだが、生きている時点では深海棲艦化はゆっくりと進み、生体反応を無くしてしまうと一気に感染は加速するということが分かった。

 

 まるでこれは映画であるゾンビと同じだと、少将は苦笑を浮かべながら提督に言った。

 

 その言葉に表情を険しくした提督に気づいた少将は失言であったと非を認め、深く謝罪をした。

 

 そうして鎮守府内に深海棲艦化した艦娘たちがあふれたのだが、提督が大本営に電話をした際に緊急事態だと伝えたおかげで、比較的早くに救援部隊が送り込まれた。

 

 海側から進行した複数の艦隊によって、鎮守府内を撒きこむ砲撃戦に発展し、かなりの時間をかけて鎮圧作戦は終了したと言う。その結果、鎮守府は大きな被害を受け、復旧するには長い月日が必要になるらしい。

 

 また、提督の電話を受けて鎮守府に向かった四十崎部長と中将は、落石に遭って車ごと海に落下し、遺体となって発見された。

 

 このような事態を起こしてしまった責任を問えないというのは残念であるが……と、付け足しつつも、少将は苦悶の表情を浮かべていた。

 

 これらを踏まえて新型近代化改修の研究は全面的に禁止し、全てのデータを破棄したらしい。

 

 少将はことが起きた発端と終わりを告げ終えると、提督が質問をした。

 

 

 

 秘書艦と天龍はどうなったのか――と。

 

 

 

 少将は暫くの間口を閉ざしていたものの、真剣な顔で問う提督に折れるように口を開いた。

 

 天龍は執務室近くの階段の踊り場で、爆発物によって爆死した。本人確認が非常に難しかったが、なんとか判断がついたと言う。

 

 そして秘書艦の姿は、未だ見つかっていないということだった。

 

 そもそも、かなりの砲撃戦が行われた鎮守府内の損傷は激しく、身体の一部すら残っていなかった艦娘も多かったらしい。

 

 現状では、資料にあった艦娘のリストの半分近くが未だ行方不明ということだが、生存は絶望的だと告げられた。

 

 その言葉を聞き、提督はベッドに拳を叩きつけて嗚咽を上げた。

 

 誰1人として救えなかったことを深く後悔し、涙を流し続けた。

 

 少将は、今回のことは運が悪かったと思うしかないと言葉を掛け、暫くは休暇を与えるので、ゆっくり休むようにと告げてから、部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 それから1週間が過ぎた。

 

 提督の身体には天龍による鳩尾への攻撃だけであり、怪我らしい怪我は一つも無かった。

 

 初めの数日はなまっていた身体を動かすのが大変だった提督も、今ではすっかり元に近い動きを取れるようになり、暇を持て余す病室から抜けだして海へと行き、ぼんやりと海岸線を眺めていた。

 

 目を閉じると、鎮守府に居た艦娘たちの笑顔が浮かんでくる。しかし、目を開ければその姿はどこにも居ない。

 

 もしあの時、四十崎部長と中将の誘いを断っていれば。

 

 その後悔が何度も提督を追い詰め、苦悩させた。

 

 秘書艦に進められたとは言え、最後に決めたのは提督である。あの状況で断っていれば提督の職を失っていたであろうとも、艦娘たちは今を生きていたはずなのに。

 

 後悔だけが募る提督は、目を閉じながら海に向かって秘書艦の名を呼んだ。

 

 

 

「はい、なんでしょうか……提督」

 

 

 

 声に振り返る提督のすぐ傍に、傷ついた身体で立っている秘書艦の姿があった。

 

「生きて……いたのかっ!?」

 

「はい。なんとか……って、感じですけど」

 

「本当に、大丈夫なのか!?」

 

「はい。榛名は大丈夫です」

 

 いつものように返してくれるその姿に、提督は小さく息を吐く。

 

 そんな提督を見ながら微笑んだ秘書艦は、ゆっくりと口を開いて語り出した。

 

 

 

 

 

 執務室を出た天龍と秘書艦は、建物内に徘徊していた深海棲艦化した艦娘たちを次々に撃破していった。

 

 かなりの深手を負っていた天龍であったが、最後の力を振り絞りながら艤装を振り回し、弾が切れるまで砲撃を繰り返した。

 

 しかし、敵の姿は徐々に増え、少しずつ2人は後退することを余儀なくされた。少しでも執務室に近づけないようにと、必死になって応戦した。

 

 階段に積み重ねられる艦娘たちの遺体をバリケードにし、弾切れを起こした艤装で直接殴りつける。それでも敵の数は減らず、もうダメかと思われた。

 

 そんな時、大きな砲撃音が遠くから聞こえると共に、建物が大きく揺れ動いた。割れた窓ガラスの隙間から外を見ると、海の方に複数の艦隊の姿があった。

 

 救援部隊が来てくれた。もう少し耐えきれば、提督を助けることができる。

 

 2人は気力だけで身体を動かしながら、戦いを続けた。

 

 飛来してくる砲弾の衝撃でガラスが割れ、身体に突き刺さりながらも拳を振り上げた。

 

 それでもなお増え続ける敵に、遂に天龍が崩れ落ちる。

 

 既に身体は満身創痍で、気を抜いた瞬間にヤツらの仲間になってしまう。

 

 天龍は笑みを浮かべながら別れの一言だけを残し、ヤツらが居る踊り場に向かって突っ込んだ。

 

 そして――魚雷を爆発させたのだと、秘書艦は言った。

 

 

 

 

 

「そう……か……」

 

 おおよそは提督も分かっていた。

 

 少将に質問したときに、天龍が爆死したことは知っていたからである。

 

 しかし、天龍の壮絶な最期を秘書艦から聞いた提督は、涙を浮かべながら海の方を見つめた。

 

「馬鹿……が……」

 

 提督は怒っているのではない。ただ、天龍が追い詰められたときにどうするかを予想した内容と、全く同じだったことに悔しくなってしまったのだ。

 

 秘書艦も提督の考えを読み取り、何も言わずに顔をジッと見つめていた。そして、提督が小さく息を吐くのを確認してから、話を再開させた。

 

 

 

 

 

 その後、爆発によって踊り場が半壊し、階段を上がってくる敵の数が減った。そのため秘書艦は1人でもなんとか執務室までの通路を確保し、提督を守り通すことができたのだと言う。

 

 いつしか飛来する砲撃は止み、窓の外には敵の姿が見えなくなっていた。秘書艦は肩の力を抜いて緊張を解いたのだが、救援部隊に深海棲艦化した艦娘だと間違われ、その場から逃げるように去った。

 

 後は、提督の身柄が救助されたことを遠くから確認し、秘書艦は身を隠したのだった。

 

 

 

 

 

 語り終えた秘書艦は提督に微笑みながら、ゆっくりと近づいた。

 

 全てが終わった。もう、心配することは無い。

 

 提督の目をジッと見つめる秘書艦が、口を開く。

 

「提督……お願いがあるのですが……」

 

 ほんの少し、上目遣いのように提督を見る。

 

「何かな……?」

 

 真剣な表情で、提督が問う。

 

「私と一緒に……

 

 そして、秘書艦は満面の笑みを浮かべて、こう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウミノソコニ、シズミマショウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秘書艦は提督の身体を包み込むように両腕で抱く。

 

 その目は、鈍い赤の色。

 

 怪しく光る2つの目が、提督の横顔に向けられる。

 

 そして、2人は海へと沈んでいく……と、思われた。

 

 

 

 

 

「……悪いが、それはできないんだ」

 

 プシュッ……と、乾いた音が鳴り、秘書艦の身体が提督から素早く離れる。提督の手には小さな銃のようなモノが握られていた。

 

「何を……するんですか提督っ!? は、榛名を……榛名を見捨てるつもりなんですかっ!」

 

「違う……」

 

「じゃあどうしてっ!? 提督を助けるために必死で頑張って、傷ついて、深海棲艦になってしまって……それでも提督に会いたくて……ここまできたのにっ!」

 

「違う……違うんだ……」

 

「提督は……提督は榛名を……っ!」

 

 

 

「君は……榛名なんかじゃない」

 

 

 

「……っ!? そ、それは、榛名が深海棲艦化したからですかっ!?」

 

「もう、全部分かっているんだ。君は、元々榛名じゃない」

 

 提督の言葉を聞いた瞬間、秘書艦はぽかんとした表情を浮かべた。

 

「俺に新型近代化改修を進めたこと……この時点で不信に思うべきだった」

 

 秘書艦は黙ったまま答えない。

 

「龍田が書いたと言うノートに関してもそうだ。天龍が龍田を暫く見ていなかったのに、都合よく日記だけを見つけられるなんて、あまりにも出来過ぎている。大本営への用事に出ていたという話だが、それ自体が嘘だったの可能性の方が高い。つまり、龍田のノートは偽物で、龍田は無理矢理君によって新型近代化改修をされていたのではないかと考えられる」

 

 秘書艦は答えない。

 

「それじゃあ、どうやって新型近代化改修の注射を手に入れられたか。それも、秘書艦であった君が四十崎部長とメールのやり取りや書類の受け渡しをしていたから、その際に実験材料が増えると言えば向こうも飛びついてきたのだろう。

 そうやって手に入れた注射で、龍田を監禁した上で深海棲艦化させた。そして、雷のタイミングに合わせて解き放った……」

 

 秘書艦はニヤリと笑みを浮かべたまま、黙って立っている。

 

「多分、部長と中将を事故に見せかけたのも君の仕業だろう。ことが終われば2人に用はないし、注射を受け取っているのを知っている部長を消す必要性もあっただろう。

 それに何より、あのタイミングで事故があったことを当事者以外が知るべき手段は無い」

 

 しばらくして、秘書艦は笑い出す。

 

「クク……ソウカ。ソコマデワカッテイタノナラ、コノスガタモヨウズミダ」

 

 そう言って、秘書艦は元の姿へと戻った。

 

 黒く長い髪。

 

 上下の衣服も黒く、赤い目がキラリと光る。

 

 その身なりは紛れもなく深海戦艦。

 

 ル級の――姿だった。

 

「ダガ、ソコマデワカッテイテ、ナゼコウシテワタシトハナシテイルノダ?

 サキホドノチイサナジュウナンカデ、ワタシヲタオセルトデモオモッテイタノカ?」

 

「そうだな……確かにこんな小さな銃で倒せるとは思っていない。ただ、最後に話をしておきたかったんだ」

 

「ククク……ハナシヲスルタメダケニ、イノチヲサシダストハ。シバラクノアイダソバニイタガ、ココマデバカダトハオモワナカッタゾ」

 

 そう言って不敵な笑みを浮かべたル級に、後ろから声がかけられた。

 

「そうですね。提督は底なしの馬鹿ですけど、それでも大事な提督(ひと)なんですよ」

 

「……っ! キ、キサマハ!?」

 

 驚きの表情を浮かべたル級が振り返る。そこには、紛れもない提督の秘書艦である、榛名の姿があった。

 

「お久しぶりですね。あの時は散々な目に合わされましたけど、もうあんな失敗はいたしませんっ!」

 

 ル級に銃口を向けながら睨みつける榛名は、力の籠った声を叩きつける。

 

「アノトキ、タシカニシズンダノヲカクニンシタハズダ!」

 

「ええ、榛名は確かに沈みかけました。ですが、偶然あの場所に、遠征から大本営へと帰る為に潜水していた伊168さんがいたんです。

 伊168さんは必死で私を大本営まで曳航してくれて……それからドックに入った私は長い修理を受け、気がついたのは数日前のことでした」

 

「クッ……ソレデ、ワタシガキサマトイレカワッタコトヲシッタノダナ……」

 

「ええ、その通りです。まさか、私がいない間にこんなことになっているなんて……」

 

 榛名はル級を睨みながら、大粒の涙を流す。

 

 自らが沈みかけ、そして自らの代わりに化けた深海棲艦によって、帰るべき鎮守府を壊されてしまった悲しみが、何度も榛名の心を締めつけた。

 

「ル級……最後に教えてくれないだろうか。今回の新型近代化改修の研究は、お前の仕業なのか?」

 

 キョトンとした表情を浮かべたル級は、再び笑みを浮かべ直す。

 

「ソレハ……ジブンデシラベルコトダナ!」

 

 そう言って、ル級は拳を提督に振り上げた。

 

「させませんっ!」

 

 榛名はそれよりも早く、ル級に向けて35.6cm連装砲から砲弾を発射する。轟音と爆風が上がり、提督に被害が及ばないように、榛名は自らの身体を盾にした。

 

 砲弾によって吹き飛ばされたル級は海面に叩きつけられた。身体には大きな穴が空き、ゆっくりと沈んでいくにもかかわらず、その顔は笑みを浮かべていた。

 

「ドウセ、イツカハオマエタチモ……。ククク……タノシミニマッテイルゾ……」

 

 水泡がブクブクと水面に浮かび、ル級の姿は完全に見えなくなった。

 

 

 

 

 

「終わった……のか……」

 

 今度こそ、本物の秘書艦に提督は問う。

 

「はい、全て終わりました……」

 

 ニッコリと笑みを浮かべた榛名が、提督に向かって頷いた。

 

 それを見た提督は肩の力を抜き、海を見つめ大きく息を吐いてから呟いた。

 

「そうか……それじゃあ、俺の役目もここまでだな……」

 

「どうして……ですか?」

 

「どうしてって……鎮守府も潰れて、皆も死んでしまったんだ。責任を取らされる形で、俺は退役させられるだろう。

 それに、俺はもう疲れたんだ……」

 

「いいえ、そうじゃありませんよ、提督」

 

 榛名は提督の顔を見つめながら、口を開いた。

 

「提督には榛名がいます。疲れたなんて、言わせないです」

 

「いや……しかし、それでも……」

 

「みんなのことが忘れられないからですか?」

 

「それも……ある」

 

「ですがそれでは、提督は納得できるのですか……?」

 

「………………」

 

「それじゃあ、この指輪はもう――いらないのですか?」

 

 榛名は左手の薬指を提督に見えるように差し出しながら問う。

 

 今まで、一度たりともつけてくれなかった指輪を見て、提督は目を大きく見開いた。

 

「このまま何もしないで終わるつもりですか?」

 

「だがしかし……僕にはもう……」

 

「さっきのル級の言葉……気にならなかったのですか!? もしかしたら、また同じことが起きるかもしれないんですよ!? みんなのためにも、みんなの命を無駄にしないためにも、提督が立ち上がらなくてどうするんですかっ!」

 

 榛名は真剣な表情で提督に叫びながら、ボロボロと涙を流す。

 

「お願いです提督……っ。榛名を……榛名をもう、一人にしないでください……っ!」

 

 提督が退役すれば、榛名と別れることになる。

 

 それは、ネックレスにして胸にかけていた指輪の誓いを、無にすることになる。

 

 ル級にやられ、長い時間修理の為に見知った艦娘や提督と会えず、やっと直ったと思ったら、全てが消えていた。

 

 霧の中の戦闘で榛名が沈みかけさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。それが提督の指揮でそうなってしまったのだったとしても、自分を許せることができるレベルではない。

 

 提督はネックレスから外した指輪を左手の薬指に通し、榛名の気持ちを受け止めるように優しく抱きしめた。

 

「すまん。榛名の言う通りだ」

 

「てい……とく……」

 

「俺がするべきことはまだ沢山ある。あの時、榛名たちを危険な目に合わせてしまってから俺は臆病になって、安全な道ばかりを選んでいたんだ。

 そしてそのツケが降りかかってきた時……俺は逃げてしまった。自分に言い訳をして、甘い誘いに乗ってしまったんだ」

 

「で、でもそれは、提督のせいじゃなくル級が……」

 

「そうじゃないんだよ、榛名。最後は自分で決めた。だから結果、鎮守府は壊れ、帰る場所もなくなってしまった。そして今俺は、最後の一人さえも離そうとしていた……」

 

「提督……」

 

「もう逃げるのは辞めだ。こんなに僕のことを励ましてくれる榛名を見捨てたりしたら、罰が当たるなんてレベルじゃ済まされないからな」

 

「提督っ! 榛名は、榛名は……」

 

 提督は榛名の口元に指を立てて言葉を遮った。

 

「そこから先は、俺に言わせてくれ」

 

 榛名は涙を拭い、コクリと頷く。

 

「榛名、これからも俺と一緒に、ついて来てくれるだろうか?」

 

 指輪を交換し合った愛しき秘書艦に向けて、提督は問う。

 

 その問いに答えるように、榛名は微笑みながら口を開いた。

 

 

 

「はいっ、榛名ハ大丈夫デす」

 

 

 

深海感染 -ZERO- 完

 




 まずは最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


 今作品はミステリーとして執筆いたしました。
私の技術がまだまだ至らず、秘書艦=榛名(実際にはル級)というミスリードを起こすところが上手くいっていなかったかもしれません。
所謂「叙述トリック」ですが、いきなりやろうと思っても難しいということが分かりました。
ですが、めげずに色々やっていきたいと思います。


 さて、今話で深海感染 ―ZERO―は終了です。
今後はひとまず艦娘幼稚園の復帰を目指して執筆途中であり、今月の20日を目途に頑張っております。
また、6月中旬のイベントに向けました艦娘幼稚園スピンオフ作品も仮執筆完了となりましたので、イベントに落選しない限りは頒布できると思われます。
確定致し次第、なんらかの方法でお伝えいたしますので、宜しくお願い致します。



 初の書き終えたミステリー作品でしたが、まだまだ拙いところなどが多く、お目汚しをしてしまったかもしれません。
ここまで読んで頂いた方々に感謝をし、宜しければ評価や感想を頂けると嬉しいです。

 また、本文のみで分かり難かった――と言う方に向けて、説明や補足を下記に簡易的ではありますが載せておきます。
参考になれば幸いです……が、ラストの部分に関してはご想像にお任せ致します(ニヤリ


 それでは、次の作品は艦娘幼稚園にてスピンオフシリーズ「しおい編」をお送りする予定です。
機会があれば深海感染もシリーズ化……なんてことがあるかもしれません。
一応、伏線はまだ残してありますので(下記にチラッと裏話?


 では、またお会いできるのを楽しみに。



 リュウ@立月己田



<補足説明>


■時系列&ネタばらし

・霧の中の進軍(第二章)にて、戦艦ル級に撃破された榛名が大破し海の中へ。
 ル級が変装し、摩耶たちに助けられる形で鎮守府へと潜入する。


・プロローグで埠頭に立っていたのは榛名……ではなく変装したル級。


・四十崎部長が新型近代化改修を鎮守府に持ち込み、雷が試験体となる。
 龍田が四十崎部長の帰り際に声をかけるも、練度の高さから試験体にならないと思われて冷たくあしらわれる。
 →つまり、龍田はこの時点で正常。
  その後、秘書艦の榛名に変装したル級が龍田を言いくるめて新型近代化改修の試験体に。
  ル級が四十崎部長に「新たに試験体が見つかったときのために」と言って、注射を手に入れていた。


・雷に対して深海棲艦が攻撃しなかったのは仲間だと思ったため。
 つまり、新型近代化改修は……


・雷が変貌し、提督は四十崎部長に電話をかける。
 部長と中将は車で鎮守府に向かう最中に落石によって死亡するが、落石を起こした実行犯は榛名に変装したル級。
 (天龍が遠征から帰ってきて龍田が居ないと提督に話した後、急いで崖へと向かって実行)
 鎮守府の騒ぎを収拾させないためと、龍田を感染させた経緯を提督に知られないために暗殺。


・龍田の日記はル級が用意した偽物。
 また、ハンカチに関してもル級が龍田から奪って用意していた物。



■余談

・最終話の提督の夢

  天龍と龍田の過去。提督との出会いです。
  天龍は次第に提督に恋心を持ち、五章その6で語られました。
  龍田は天龍を思うその気持ちが感染によって悪い方向へと進み過ぎた結末です。


■裏話

・雷:行方不明

・摩耶、鳥海:生死不明

・榛名の最後の台詞:判断は委ねます。

 何が言いたいか――分かりますね?

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