執務室にいた提督は祈り続けていた。
彼の頭には考えたくない予想が巡り、大きなため息を吐く。
そんな中、一つのノックの音が鳴り響く。
この合図は、生か死か。
惨劇の終焉は……告げられるのか。
建物が大きく揺れる。
執務室にある机に向かい椅子に座っていた提督は、幾度となく響いてきた轟音と大きな揺れを身体に感じながら、祈り続けていた。
内線と1冊のノートで明らかになった事実により、雷の変貌した理由がほぼ間違いなく新型近代化改修であることが分かった。龍田もまたそれによって変貌し、整備室に暴れていると言う。
頼みの綱は天龍と秘書艦であるが、暁と響、そして電の変貌した姿を見た提督は気が気でなかった。あの3人は新型近代化改修を受けていないはず。ならば、どうして雷と同じように変貌してしまったのだろう。
提督の頭にはある一つの考えが浮かぶ。それは、漫画やゲーム、映画を少しかじっていれば思いつくようなこと。
その考えはあまりに馬鹿げている。だけど、辻褄が合ってしまうのだ。
もし、新型近代化改修によって雷や龍田が深海棲艦化したのならば、それは感染してしまうのではないのだろうか。
それじゃあまるでゾンビ映画のようだと、提督は頭の中から一蹴しようとする。しかし、どれだけ考えても、行き着く先はそこへと辿り着いてしまうのだ。
そして、それが間違いないと仮定して今後の結果を考えたとき、提督は絶望に打ちひしがれてしまうことになる。
艦娘たちが感染し、全員が深海棲艦と化したならば――
それは、あまりの恐怖。
海の上で脅威を振るう深海棲艦が、鎮守府を制圧することになる。そうなれば我が国の本土は、ついに侵略を許したことになってしまうのだ。
これはあくまで仮定の話。まだそうだとは決まった訳ではない。
だが、提督の心はすでに追い詰められており、助けを求めるように電話の受話器を持つ。
未だ来ない四十崎部長の情報と、もしものことを考え、提督は大本営に連絡を取った。
「……そうですか、分かりました。それでは至急、宜しくお願いします」
受話器を置いた提督は大きなため息を吐く。
四十崎部長は、雷の変貌によって提督が電話をした直後に出発したらしい。
ならば、既にここに着いていてもおかしくない時間なのにと、提督は壁の時計を睨みつける。
もしかすると、龍田が整備室で暴れている状況に感づいて、帰ってしまったのだろうか。
それではあまりにも無責任だと提督は怒る。仮にも軍人なのだから、多少の危険は承知の上だろう。自分が起こした責任くらいは、ちゃんと尻拭いをしろと言いたかった。
裏を返せば、それは提督自身にも当てはまる。もちろんそれが分かっているからこそ、腹立たしくて仕方がないのだろう。
怒りのぶつけどころがない提督は、何度も机を握り拳で叩きながら大きなため息を吐く。
そんな提督の耳に、扉をノックする音が聞こえてきた。
「……っ!?」
提督の頭には瞬時に、雷や暁たちが襲いかかってきたのを思い出した。それと同時に、扉に鍵を掛けていなかったことに気づく。
もし、感染したであろう艦娘がやってきたのならば、提督に抗う術は無い。
だが、わざわざノックをしたのだから、正常な艦娘なのかもしれない。
もしくは、四十崎部長が到着したかもしれないのだ。ならば、無視をするのはいささか問題があるだろう。
どれが正しいのか提督には分からない。考えれば考えるほど迷いが生じ、一歩が踏み出せないでいる。
しかし、そんな提督を全く気にしないかのように、扉はゆっくりと開かれた。
「だ、誰だ……っ!?」
机の後ろに隠れようとも思った提督だったが、身体より先に口が動いていた。
「へ……へへ、提督……無事だった……か?」
扉にもたれかかりながら執務室に入ってきた天龍は、よろめきながら床に座り込んだ。身体中に切り傷のような出血の跡があり、顔色は真っ青になっていた。
「て、天龍っ! そ、その怪我は……だ、大丈夫なのかっ!?」
慌てふためいた提督が駆け寄ろうとするが、天龍はそれをさせないように手の平を向けた。
「悪い……あんまり近づかないでくれると助かるんだが……」
「な、何を言っているんだっ! そんなに怪我をしているのに、放っておける訳が……」
「それはありがたいんだけどよ……」
天龍はそう言ってなんとか立ち上がり、息を荒く吐きながら苦笑を浮かべる。
「提督にうつらないとは……限らねえだろ……?」
「な、何を言って……」
「残念ながら俺も……暁たちと同じ運命になりそうだって……ことだよ」
「ま、まさか……っ!?」
天龍の言葉を聞いた瞬間、提督の頭が真っ白になる。
あくまであれは仮定だったはず。
感染なんて、起こるはずがない。起こって良いはずがない。
「なんとか龍田の後始末をつけられれば……と、思ったんだがな……。鎮守府内はヤツらであふれてやがるし、今もどんどん増えている……」
「そ、そんな……ことが……」
「残念だけど、俺も……もうやばいんだ……。身体中が熱くて痛いのに、何とも言えない気持ち良さがあふれてくるんだよ……」
「し、しかし……っ!」
「なぁ、頼むよ……提督。このままだと、俺はヤツらと同じになっちまう……。そうなったら、提督に何をするか分からねぇ。だから……だから、俺が俺でいられる間に……」
そこまで言って、天龍は薄らと微笑んだ。
これ以上言えば、提督を傷つけてしまう。
言葉にすることで、提督は戸惑ってしまうだろう。
これは、天龍なりの優しさであり、仕返しでもあった。
ずっと心の中に秘めていた思いを持ったまま、消えて逝くのなら。
せめて、提督の心の中に――少しでも残せるようにと。
「そんなことが……できる訳がないだろう……っ!」
提督がそう答えることを知っていた。
「ずっと……ずっと一緒にいた仲間なんだ……」
天龍も同じように考えていた。
「それなのに……なんで俺が……」
そして、弱音を吐くことも――分かっていた。
だからこそ、天龍は叫ぶ。今にも倒れそうな身体で、提督に向かって、大きな口を開ける。
「そうしなきゃ、この鎮守府は完全に沈んじまうんだよっ! 提督が……提督が生き延びられれば、やり直せれる機会はきっとくるんだ! それまで……頼むから生き延びてくれよ提督っ!」
大粒の涙を目に浮かばせ、顔を真っ赤にして別れを告げた。
これが一番良い手なんだと、自らに言い聞かせるように。
だけど本当は、違うのだ。
もっと一緒に居たい。ずっと、ずっと長い時間を同じ場所で過ごしたい。
龍田や仲間達と一緒に、提督から受けた恩を返したかった。
でも、もう遅い。
既に、やり直しはきかないところまできてしまっている。
ならば、1人でも多くの敵を倒し、提督の役に立ちたかった。
それなのに、天龍はこうして提督の前に居る。
怖い。
本当は怖いのだ。
提督の顔を見られずに死ぬのが怖かった。
提督が無事であるかを確かめたかった。
そして、それは実現した。
提督はまだ無事だ。
ならば再び戦場に向かい、提督の障害を叩き壊すべきだ。
それなのに。
分かっているのに。
天龍は、提督にすがるように願った。
自らを殺して欲しいと。
深海棲艦と化した自分を見て欲しくないと。
その前に、提督が知っている天龍のまま、死なせて欲しいと。
ただの我儘だということは分かっている。
だけど、最後に願うくらいは許して貰えるだろうと。
天龍は、提督に告げた。
「矛盾……していますね……」
耳に入ってきた言葉に、天龍と提督は驚いた。
「天龍さん、貴方の言っていることは矛盾しています」
執務室の扉を開けて入ってきた秘書艦は、天龍と提督の顔を見ながら繰り返すように言った。
「生きて……いたのか……」
「ええ、なんとか……と、いうところですけどね……」
秘書艦は腕にできた傷を庇いながら苦笑を浮かべ、再び口を開く。
「天龍さんの気持ちは分からなくもありません。ですが、その方法は完全に悪手だということが分かってらっしゃらないのですか?」
「………………」
図星を突かれたように、天龍は無言のまま怪訝そうな顔を浮かべた。
「深海棲艦化した艦娘たちは鎮守府内にあふれています。残念ですが、ここも長くは持たないでしょう」
「そう……だろうな。だから俺はここに……」
「どうしてですか? なぜ天龍さんは、全ての敵を倒さずにここに戻ってきたのですか?」
「そ、それはいくらなんでも言い過ぎだ。天龍はこんなになるまで傷を負いながらも……」
「それが当たり前でしょう。提督を守るために身を挺するのが、私たちの務めでは無いのですか?」
「そ、そんなことを僕は望んでいないっ!」
秘書艦の言葉に提督は首を振りながら叫んだ。だが、秘書艦は休まず口を開き続けた。
「ですがそれは、天龍さんがさっき言ったことなんです。提督が生き延びられることができれば、やり直せる機会はきっとくるのだと」
「だ、だから、僕1人が生き残ったからと言って……」
「提督、よく聞いて下さい」
提督の言葉を遮った秘書艦は、有無を言わさぬ目で睨みつけた。
「私たちは、もうダメです。深海棲艦化した艦娘たちに傷を負わされた以上、助かる見込みはありません」
「それはまだ分からないだろう! 四十崎部長がここに来れば、何とか治す方法が見つかるかもしれない……っ!」
「いえ、それは不可能です」
「なぜだっ! なぜそんなことが分かるって……」
「四十崎部長は、お亡くなりになりました」
「なっ……!?」
秘書艦の言葉に、提督は驚きの声を上げた。
「ここに来る途中の峠の道に、大きな岩が塞がっていました。破損した車のパーツが落ちていたことと、大本営から車で移動する時間を考えれば……まず、間違いありません」
「そ、そんな……っ!」
「そして、そこにはこれが……ありました」
そう言って差し出したモノに、今度は天龍が驚きの声を上げた。
「こ、これは龍田のハンカチじゃねえかっ!」
「おそらく……四十崎部長の車を狙った際に、落としたと思われます」
唖然とした提督と天龍に、秘書艦は首を振りながら言葉を続ける。
「ですが、今大事なのは理由を考えることではありません。提督を如何にして助けられるか……それが一番の目的ですよね、天龍さん?」
「……そう、だな。その通りだよ」
小さく息を吐きながら天龍は頷いた。自らの願いを打ち砕いた秘書艦に恨みこそあったモノの、一番大事なことを思い出させてくれたのもまた、事実なのだ。
「このまま執務室に籠城しても、私たちのどちらかが変貌してしまえばそれで終わりです。かと言って、扉の前で防衛してもいずれは同じことでしょう」
「仮にバリケードを作ったとしても、深海棲艦化した艦娘の力は生半可じゃねえ。衣服や艤装による衝撃の緩和は失われているみたいだが、提督の力でどうこうできるレベルじゃねえだろうな」
「ならば、私たちが打って出るしか……道はありません」
「や、やめるんだっ! そんなことをしたらお前たちは……っ!」
提督は声を荒らげて2人に言う。
しかし、天龍も秘書艦も提督に笑みを向けるだけで、言葉を返そうとはしなかった。
「天龍さん、申し訳ありませんが、付き合ってもらえますか?」
「やられっぱなしのまま終わっちまったんじゃあ……情けないからな。良いぜ、地獄の果てまで付き合ってやるよ……」
そう言って、天龍は最後の力を振り絞って背筋を伸ばした。
「待て、2人ともっ! 行くなっ、行くんじゃないっ!」
「悪ぃな提督、撃てとか言っちまってよ。けどさ……その詫びといっちゃあなんだが、もうひと花火、あげてくることにするわ……」
そう言った天龍はニッコリと笑みを浮かべた後、提督に近づいて鳩尾に拳を叩き込んだ。
「うぐっ……て、天龍……っ……」
耐えきれない衝撃を受けて、提督は床に倒れ込む。
「……天龍さん、これを」
そう言った秘書艦は懐に手を入れ、魚雷を3本取り出した。
「おいおい……戦艦のあんたがこんなモノを持っていたなんて……意外にやり手だったりするのか……?」
「さぁ、どうでしょう。それは、生き延びられたらお答えします」
「へへ……それじゃあ、最後まで生き延びなきゃいけねぇってことか……。そいつは厳しいが……厳しいほど燃えるじゃねぇか……っ!」
2人はコクリと頷いて、執務室の扉を開ける。
意識が遠ざかっていく提督は、何とか2人を止めようと手を伸ばそうとする。
しかし、提督の願いも虚しく扉はゆっくりと閉められ、
深い闇の底へと落ちていった。
さて、深海感染 ―ZERO― は次話でラストです。
提督は昏倒し、その後どうなったかが語られます。
もしよければ、展開や謎を考えてみてはいかがでしょうか。
誰が、何のために鎮守府を陥れたのか。
生き残った者はいるのかどうか。
切っ掛けはなんだったのか。
全ては一つの線で繋がっています。
次回予告
提督は夢を見る。
1人の姉と1人の妹が、提督の鎮守府にやってきた物語。
そして、提督は目覚める。
夢のような話を聞かされ、信じられない気持になる。
後悔だけが募る彼の前に、1人の艦娘の姿が現れた。
深海感染 -ZERO- 最終話
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