深海感染   作:リュウ@立月己田

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 暴走した雷が独房から逃げ出し、響は後を追った。
その頃、執務室で四十崎部長を待っていた提督に大きな音が鳴り響く。

 はたして、提督の運命は……


第四章 その7

 

 執務室で秘書艦の帰りを待っていた提督は、椅子に座ったまま両肘をついて手を組んでいた。

 

 雷のことで頭の中は一杯で、後悔の念が胸に渦巻き、張り裂けんばかりであった。

 

 なぜこんなことになったのか。

 

 全ては、大本営からやって来た四十崎部長の案に乗ってしまったからだ。秘書艦の助言があったけれど、最後に命を下したのは提督の意思である。

 

 大本営からの資材補充の削減が原因で、鎮守府を運営する為の資材が足りなくなっていた。

 

 しかし、元を正せば提督が過去の作戦失敗によって臆病になり、大本営からの命令に従わなかったからそうなったのだ。

 

 今考えれば、新型近代化改修を受け入れなくとも何とかなったかもしれない。

 

 失敗を乗り越えて、糧にして、より良い方法を模索して、大本営に逆らわずに鎮守府を運営すれば良かったのかもしれない。

 

 今更こうすれば良かったなどという考えをしても、既に手遅れであることは分かっている。

 

 提督も人間であるからこそ、こうして思い悩み、後悔しているのだが――

 

「それでも……僕は……」

 

 胸に手を当て、誓いを思い返すように目を閉じる提督。

 

 そして、あの時から頭の隅に引っかかっていた、一つの考えに光が差し込もうとしたとき、

 

 大きな音と共に、執務室の扉が開かれた。

 

 

 

 

 

 音に驚いた提督が目を開ける。

 

 そして扉を開けた者の姿を見た瞬間、まぶたは限界まで開かれ、言葉を失ってしまう。

 

「シれいカん……みーツけたッ……」

 

 満面の笑みを浮かべながら、雷は言う。

 

 身体に纏っている衣服だけではなく、手足にまでベッタリと付着した赤い液体。

 

 提督は『ソレ』がなんであるかは、すぐに分かった。

 

 生臭く、鉄錆のようなにおいが鼻につく。

 

 雷の衣服や肌の所々に、勢いよく噴き出した返り血を浴びたような跡が見える。

 

 誰の血かまでは分からない。だが、それ以前の問題だ。

 

 明らかに雷に付着している血の量は多過ぎる。それが例え複数の人間や艦娘のモノだったとしても、無事であるとは思えない。

 

 恐れていた以上のことが起きてしまった事実に、提督は何の言葉を放てず、身体を小刻みに震わせながら椅子に座っていた。

 

「ねェ、司令官……。ドうしテ演習場デ聞いタ、私の質問ニ答えナカったノ?」

 

 提督は答えない。

 

「ねェ、司令官……。ドうしテ私を独房ナンかに閉ジ込めたノ?」

 

 提督は答えられない。

 

「ねェ、司令官……。私ノ話を……聞いテル?」

 

「あ……あぁ……」

 

 これ以上黙っていると雷の機嫌を損ねかねないと思った提督は、小さく頷きながら返事をした。

 

「ソれジャあ……答エてよ」

 

「………………」

 

「司令官ハ私のことヲ、大切に思ッテくレているノヨね?」

 

「も、もちろんだ」

 

「司令官ハ私のことヲ、好いテくレているノヨね?」

 

「僕は……みんなのことが……」

 

「司令官ハ私のことヲ、愛しテくレているノヨね?

 

「そ、それは……」

 

「ソれハ……ナに?」

 

「それ……は……」

 

 どう答えて良いものかと迷った元帥は、言葉に詰まらせながら考えようとする。

 

 しかし、それを許さないと言わんばかりに――雷の表情が一変した。

 

「つまリ、司令官は私ノことが嫌イだッテ言うの……ネ?」

 

「ち、違う。そうじゃない……そうじゃないんだが……」

 

「じゃアなんナノッ?」

 

「そ、その……その姿が……あまりにも……」

 

 あり得ない。

 

 身体中を血みどろにした雷は、あまりにも異質である。

 

 そして雷の言動も、明らかに異質である。

 

「あア、コれノこと?」

 

 そう言った雷は、自分の身体を見ながらニッコリと笑う。

 

 なぜ、そんな状態になることをしてしまったのか。

 

 なぜ、そんな状態になっても笑っていられるのか。

 

「コれはネ、司令官ノためナの」

 

「ぼ、僕の……ため……?」

 

「ソうよ。司令官ノことが好きダッて言ウ、電のためデモあるンだけレド……」

 

「い、電……だって……っ!?」

 

「まァ、ソんナことはドウでも良イの。今大切ナのは、司令官ガ私のことを愛しテくれテいるカどウカなんダから」

 

「ど、どうでも良い訳が……っ!」

 

 そう言って、提督は机を両手で叩きながら椅子から立ち上がった。

 

 雷の身体に付着している血が電のモノだと理解した瞬間、あまりにも衝撃過ぎる事実に提督の身体が反射的に動いたのだ。

 

 だが、その提督の動きが、雷の心境をまたしても悪化させてしまう。

 

「ソう……っ、ソうナの……ネ……」

 

「え……?」

 

「司令官ハ私ジャなくテ、電のことヲ愛しテいるノね?」

 

「い、いや……そんなことは一言も……」

 

「言ッタじゃナい……。電ノことをドウでモ良イ訳が無イッテ言ッタじゃナいっ!」

 

「それは違うっ! 僕は電が心配で……」

 

「心配デ心配でタまらなインでしョ!? 電のことガっ、電ノ身体がっ、電の心ガ……っ!」

 

 雷はその場で怒りを発散させるように地団太を踏み、大声で叫ぶ。

 

「電モ同じダッたっ! 司令官が気ニナるッテ、司令官を好キダッて、司令官を愛シてイルって……っ!」

 

 俯いた雷の目が、真っ赤な鈍い光を浮かばせる。

 

「ダかラ……ッ、だかラ私ハ……っ!」

 

 叫び声が止んだ瞬間、雷の動きもピタリと止まった。

 

 雷の顔が、ゆっくりと提督に向けられる。

 

 真っ赤な二つの目が、提督の目に向けられる。

 

 そして、雷は――この世のモノとは思えない笑みを浮かべて、大きく口を開いた。

 

「助けテクれルと言ッタ……電を、食ベちゃッタのニ……」

 

「……っ!?」

 

 予想だにしなかった雷の言葉に絶句する提督。

 

 しかし、雷は気にすることなく叫ぶように言葉を続けた。

 

「そウ、助けテくレルっテ電ガ言ったノっ! 私ノ願いヲ叶えテクレるっテっ! 仲ガ良いカラ、姉妹ダカら、ダから一緒ニ司令官ヲ愛せル方法を取っタノっ! チょうどオ腹も空イテいたシ、一石二鳥にナるっテ喜んデ食ベタのヨっ!」

 

「そ、そんな……なんてこと……を……」

 

「どウシて司令官ハそんナ顔をシテいるノ? 嬉シイでシょ? 嬉しクナいはずガなイワよネ? ダッテそうデシょウ? 私ト電の思いヲ叶えラレる方法ヲ取っテアげたノヨ?」

 

「そ、それは違う……そんなことで電は……っ」

 

「ナゼ? どウシて? 司令官ハ嬉しクないノ?」

 

「嬉しいはずがないだろうっ! 雷は……雷は妹である電を……手にかけたということが分かっているのかっ!?」

 

 提督の言葉を聞いて、雷はキョトンとした顔を浮かべた。

 

「そレガ……どうシたっテ言ウの?」

 

「……えっ?」

 

「司令官にハ、私が居レバあトは何もいラないデしょ?」

 

「な、なにを……」

 

「司令官ハ私を頼っテクれレば良いノ。私が司令官ノ望みヲ全部叶えテアげる」

 

「なにを……何を言っているんだ……っ!」

 

「司令官は何モ心配するコトはナいのヨ。私は大丈夫。私ハ強くナッたの。私が。私ガ。わたシが。わたしがわたしがわタしがワタしがワタしガワタシガワタシガワタシガワタシガワタシガワタシガワタシガワタシガワタシガ……」

 

「……っ!」

 

 壊れたCDプレイヤーのように同じ言葉を繰り返す雷に、提督は背筋を凍りつかせて押し黙った。

 

「全部、全ブ、ゼンブ叶えテアげル。どンなことモ、どンな命令モ、朝起キたときモ、朝ご飯ノときモ、みンナに任務を伝エるときモ、お昼ゴ飯のときモ、お昼寝ノときモ、おヤツの時間モ、演習ノときモ、晩ゴ飯のときモ、報告書ヲ書くときモ、夜戦のときモ、ベッドに入ルときモ、お休ミすルときモ、ぐっスリ眠っテいるときモ……全テ叶えテアげル」

 

 雷の真っ赤な目が提督を射殺すかのように突きつけられる。

 

「モちロンどンな願イであッテも私ハ嫌がラなイワ。司令官ガ望むナラ、どンなエッチなことデモシてアゲる。他ノ誰もガ嫌だっテ言ってモ、私ダケは司令官ノ望みヲ叶えテアゲラレれるノ」

 

「そ……そん……な……ことは……望まない……っ!」

 

「ドうしテ? ドうしテなノ? 司令官ハなにガ望みナノ? なニヲ望ムの?

 私ガ全て叶エテあげル。どンな願いデモ叶えテあゲル。こノ場デ死ねと言ウノなラ喜んデ死んデアげル。嬉々トしテ自爆しテアげる。他ノ艦娘を道連レニして、ミナゴロシにしテあゲル……」

 

「な……なにを言っているんだっ!」

 

「アぁ……そレと、大本営ノ奴らモ邪魔だカラ、先ニ始末しテオいタ方が良イワよね。

 そウすレバ、司令官の傍ニは私ダケガ残るデシょ? こレでハッピーエンド。後ハなンノ心配もイらなイ。誰モ邪魔ヲしなイ。うふ……うふフ……ウふフフフ……」

 

「雷……っ!」

 

 雷の言っていることの辻褄が合っていない。正気で無いことは姿を見た時点で分かっているはずなのに、その言葉によって提督は更に追い詰められていた。

 

「コレデスベテハ上手クイクわ。他にハナニモいラナい。司令官サエ傍にイテクれレバソレデ良いノ。私ハソれダケで嬉シイノ……」

 

「しっかり……しっかりするんだ雷っ! 雷は今、新型近代化改修の影響で……」

 

「ソウ……そうヨ。新型近代化改修ノオカげデ強くナレタの。司令官ヲ守ることガデキるよウニナッタの。

 そレニ、ナンダか身体ガ熱くテ、気持ち良クテ、胸ノ中に司令官ノことガイッぱイニナッテ……タマラナイノ」

 

「そ、それを治す為に、こちらに四十崎部長が向かって……」

 

「………………ナンデ?」

 

「もちろん雷の身体を元に戻す為に……」

 

「………………どウシテ?」

 

「あ、当たり前だろうっ! 妹の電に手をかけるなんてこと……許されるはずが……」

 

 そう――提督が最後まで言い終える前に、雷が右足で床を思いっきり踏んだ。

 

「……っ!?」

 

 とてつもない大きな音と衝撃が走り、提督の身体がビクリと震えあがる。

 

「嬉シク……なインだ……。ソウ……なンダ……」

 

 顔を天井に向けた雷は小さく呟き、再び提督の顔を見た。

 

「そレジャア、モう……いラナイ」

 

「……え?」

 

「私ノ言ウコトヲ聞イテクレナイ司令官ナンテ、司令官ジャナイ」

 

 ゆらり……と、雷の身体が揺れ動く。

 

「ダケド……電ノ望ミハ叶エテアゲル。私ノ望ミヲ叶エテクレタ、電ノ望ミ『ダケ』ハ叶エテアゲル……」

 

「な、なに……を……」

 

「一緒ニ……私ノオ腹ノ中デ愛シ合ッテ」

 

「……なっ!?」

 

「ソレジャア、イタダキ……マス」

 

 言葉を吐いた雷は身を屈めて床に手足をつけ、提督へと襲いかかる。

 

 その余りの速さに提督は身体をピクリと動かす間もなく、雷の開けた大きな口が目前へと迫っていた。

 

 声を上げることもできず、血みどろの雷に食べられる。

 

 自分が招いた結果によって呆気なく命は失われた――と、思われた瞬間だった。

 

 

 

 ズドンッ!

 

 

 

「ヒギィっ!?」

 

 鼓膜をつんざくような烈しい砲音が鳴り、遅れて提督が両手で耳を塞ぐ。

 

「ギィ、ギャアァァァァァァァァァァァァッ!」

 

 艦娘のモノとは思えないような悲鳴を上げた雷が苦痛の表情を浮かべ、床の上をのたうちまわっていた。

 

「間一髪……と、言うところでしたね」

 

 開かれた扉の前に、艤装を装着した秘書艦が立っている。その隣には、肩で息をしていた響の姿もあった。

 

「響さん。この鎖で雷の身体を、すぐに拘束して下さい」

 

「……了解」

 

 秘書艦の命令に頷こうともせず、起伏の無い言葉だけを発して、響は言われた通りに雷の身体を受け取った鎖を使って拘束しようとする。

 

「ナンデ……ナンデ私ノ邪魔ヲスルノヨォッ!」

 

「………………」

 

 響はなにも答えず、暴れようとする雷の身体を押さえつけながら、黙々と鎖を撒きつけていく。

 

 その顔は、あまりにも悲しげで。

 

 今すぐにでも、涙を流しそうで。

 

 吹けば倒れそうな、青白い顔を浮かべていた。

 

 その顔を見た提督は、雷の言ったことが本当であったと理解をし、

 

 小さく息を吐きながら、目を閉じて顔を伏せる。

 

「チクショウ……ヂクジョオォォォ……」

 

「………………」

 

 雷に、かける言葉が見つからない。

 

 響に、かけられる言葉が見つからない。

 

 己の犯した罪を悔みながら、提督は自らに問う。

 

 あの時、自分があんな選択をしていなければ。

 

 あの時、四十崎部長が持って来た新型近代化改修の誘いを断っていれば。

 

 

 

 こんなことにはならなかったのだろう……と。

 





次回予告

 雷を何とか抑えることができた。
だがしかし、すべてはまだ終わりではなく始まりに過ぎなかった。

 電の変わり果てた姿を前に、暁と響が独房に立つ。
後悔にまみれた響は叫び、暁が止めようとする……


 深海感染 -ZERO- 第五章 その1

 全ては一つの線で……繋がっている。


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