『運命と言うものがあるのだろうか? その運命とは誰が決めるもなのかと言う事は
例えそれが自分自身だとしても、俺には大きすぎることだということだ』
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「ナインとテンがしくじった。 情報を頂いておきながら、残念です」
「……いや、あのお方から勅命があったラクス・クラインだけでも始末できれば良い、フィーニスも動かす」
「了解しました」
ホンコンの一角。
自治政府の建築物であったが、それは表向きの顔であり、裏では別の勢力に情報を売る拠点基地となっていた。
――その一角で、戸惑いの表情を浮かべる陰があった。
先ほど上官からの通信の後、 信じられない情報が、画面に映し出されたからだ。
どうして、今なのか?
これが真実であるならば。
何か自分の知らない事象が発生しているのだろうか。
今は、まだマズイ。
――今は。
「キラ・ヤマト……」
動かねばならないと、陰は思った。
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ホンコンの高級中華料理店”サイオーボ”。
クルーゼとデュランダルはここで待ち合わせていた。
「”サンゾーホーシ”様は既にお待ちです」
中華風の衣服に身を包んだボーイが、クルーゼの為にデュランダルが用意していた会員名の事を言った。
ここは、地位や名前のある人が、素性を隠してよく使う店なのだ。
無論、会員制で選ばれた人間しか利用できない店である。
ボーイはデュランダルをクルーゼが待つ席に案内した。
そこは個室になっており、赤と金に彩られた、中国の宮殿の様な、けばけばしい壁紙と調度品で囲まれていた。
そんな中に、一人黒いコートに金髪にサングラスをかけて黙っているクルーゼは、ひどく浮いて見えた。
そこに、ダークスーツに赤のネクタイをしたデュランダルが並ぶと、二人はまるで映画の悪役にも見えただろう。
「やあ、遅くなってすまないね」
「……ああ」
些か不機嫌そうにクルーゼが答えた。
「密会に良く使っているのか?」
待たされたことと妙な名前で予約を取られていた事が、些か彼のカンに障ったようだ。
そういう冗談めいたことに、彼は意味を見出せないのだ。
(こういうところは、”彼”とは違うのだから、妙なものだ)
デュランダルは、クルーゼのそうした振る舞いに、ある人物を重ね合わせて――その感想は口に出さずに仕舞いこんだ。
デュランダルはボーイに”いつものコースで”と注文すると席に付いた。
ボーイは頭を下げてその場を引くと、個室の扉を閉めた。
そうして此処は密会の場所となる。
「名前で予約を取るわけにもいかないだろう? ――まあ、ここは客の秘密を漏らすような店では無いがね」
「――君はどんな名前で予約を取っているのだ?」
「ウォン・フェイフォン」
「……知らんな」
「カンフー映画は見ないかね? ウォンさん、と呼んでくれたまえ、サンゾー?」
デュランダルの人を煙に巻くような戯れを無視して、クルーゼは水さしからグラスに水を注いで、一口飲んだ。
クルーゼの無言の催促に、デュランダルは苦笑して本題を切り出した。
「……アイリーンが、亡くなったそうじゃないか」
「そうらしいな」
「彼女が居なくなっては、てんやわんやの大騒ぎだろう。 特に、オーブでは。 ――モルゲンレーテの大口顧客でもあったのだからね?」
「連合国もな……」
「”遺産”のありかはわかったかね?」
「いや……」
「アイリーンではなかったということか」
「――だが、時間の問題だ」
「と、すれば次はアラスカのヒエロニムスか。 彼の妻はバレル家の出身だからな」
「……いずれ、たどり着けるはずだ」
クルーゼは、サングラスを外して、デュランダルの目を見た。
デュランダルは顔色一つ変えずに、その瞳を見返した。
そして、ディスクを一枚懐から取り出して、クルーゼに差し出した。
「コレを君に……」
「なに……?」
思わず、クルーゼの表情が動いた。
「滅んだと思われたルーシェ家に生き残りの子供が居たらしい。 その子供が居た施設が」
「遺産の一端か!?」
「……ディオキアに施設があったらしいがね。 今はもう廃墟だそうだよ。その子も、また行方が知れないらしい」
「……」
クルーゼは無言でディスクを受け取った。
デュランダルはじっと、その様子を眺めていた。
そして、個室のドアをノックする音が聞こえた。
「さて、サイオーボの料理は君も気に入ると思うよ?」
デュランダルはボーイを招き入れながら、微笑んで、クルーゼに言った。
(なにせ……アル・ダ・フラガも好きだったのだから……)
その理由は、喉の奥に飲み込みながら。
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ドロップキックを受けて、意識を朦朧とさせていたディアッカを、二人は抱き起こして、その詫びに茶と中華まんをご馳走していた。
「いやー! 悪い! ミリィを助けてくれたのに! ごめん!」
「……」
ディアッカは、中国茶を飲みながら、ふて腐れていた。
(ひっさしぶりにグッとくる子を見つけたと思ったら、彼氏同伴かよ……)
しかし、ディアッカは蹴られた事とは別のことを考えていた。
「ごめん、痛かったよね? トール本気みたいだったし……」
「べっつにー。 死ぬかと思いましたけど」
口を尖らしながら、ディアッカはいった。
「いや、まあホントにさ……ところで、アンタ、この辺の人じゃなさそうだけど旅行?」
「……ああ、オーブの人間だよ?」
少し、濁した。
「オーブ、か」
ヘリオポリス崩壊の事を思い出して、トールもまた口ごもった。
トールが口ごもったのを見て、なんとなく、ディアッカも、彼らがこの土地の人間で無い事を悟った。
「あんたらは……?」
思わずディアッカも、トール達に質問を返す。
――自分たちと同じくらいの年齢のカップルが、まさかこの時勢に旅行だろうか?
「あ、あたし達は……」
「ハ、ハネムーンだよ」
ブッ!!
ディアッカは口に含んでいた茶を吐き出した。
「トール!」
ミリアリアが顔を赤くしてトールの頭を小突いた。
『ばか! ここはプラントじゃないのよ! 余計な事を言わないの!』
そして、トールにそのまま耳打ちした。
15で成人するプラントでは、婚姻統制で指定された条件をクリアすれば、入籍することも可能であった。
しかし、一般的なナチュラルの感覚からすれば、常識とは程遠い感覚だろう。
それはミリアリアも自覚していて、ディアッカが驚いた理由も理解していた。
「じょ、冗談だよ……東アジアから来たんだ」
トールもまた、自分が発言した事の意味に気付き、そっと撤回をした。
先ほどミリアリアが襲われた事もある。
このような場所で、自分がコーディネイターである事を明言するのは、得策ではないだろう。
「そ、そうかよ……なんか、折角のデートの邪魔して悪かったな」
「いや……」
「ごちそうさん、それじゃ俺はここらで退散するよ……」
「ま、待てよ!」
背を向けて行こうとするディアッカの手を、トールは引いた。
ディアッカは驚いて、トールの方を振り返った。 ミリアリアも、不思議そうにトールの顔を見る。
「……あのさ、良かったら、一緒にまわらね?」
「ハァ?」
ディアッカは困惑した。
自分の恋人を助けたてくれた恩があるとはいえ、元はと言えばナンパしようとしていた男を、折角のデートに邪魔させるというのだ。
「い、いや、カノジョさんと二人で廻りなって」
「いや、いいから!」
トールは、強くディアッカの手を引いた。
「うわっ!」
自分より背の低いトールに、思った以上に強い力で引っ張られたので、ディアッカは思わず体が倒れそうになった。
「ととっ!」
トールは慌ててそれを支えた。
そして、そのまま、こっそりとディアッカの耳に、
『いや……実は色々あってね。 アイツ……ミリアリアを元気付けてやりたいんだ。蹴飛ばしといて悪いけどさ、奢るし、な?』
と、耳打ちした。
『それはカレシの仕事だろ?』
『普段一緒に居過ぎると、こういうとき上手くいかないんだよ? な? あんたも一人で退屈だからミリィを誘おうとしたんだろ? 気を使うなよ!』
『はぁ?』
屈託の無いトールの笑顔に、ディアッカは怪訝な視線を向けた。
こいつは自分が下心を秘めて、カノジョに声を掛けたということを理解していないのだ。
(なんか、面白い奴……)
イザークやアスラン……ニコルとは違った意味でまた純粋である。
思えば自分の友人は、純粋な人間が多い。
真面目で、裏表の無い――自分がこんな風な皮肉屋なのに、なぜなのだろうか。
それはともかくとして、ディアッカは、目の前の男に、少なからず好感を抱いていた。
「……分かったよ。 ホンコンは初めてじゃねーし。よかったら面白いところ、案内するぜ?」
「マジか!?」
「ちょ、あんた達……勝手に」
「そうと決まれば、行くぜ! お二人さん?」
「よっしゃぁああ!」
「ちょ、ちょっと……!」
今度は困惑するミリアリアを置いて、ディアッカとトールは意気投合した。
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「そう、回る円をイメージするのだ、胸に火が灯り、背中に光が差し、頭上に太陽が昇る様に……」
キングの下、二人だけの道場の中で、イザークは無我夢中で教えを受けた。
イザークが教えを受けたのは太極拳に似ていた。
だが、太極拳のそれとは、まず大きく構えが異なる。
太極拳は全ての動作が円を基準とするのに対して、キングの教えは掌を開き、片腕を前に突き出し、
日輪をなぞるような大きな円の動きの中に、時折天を突くような鋭い拳の一閃が光った。
「雑念を捨てよ。 周囲と一体となるかのように、動くのだ。 正しく体を動かす事は、万物を誤解なく理解し、受け入れる事だ」
キングの声が、自身の中に染み入るようにイザークは感じていた。
――理解し、受け入れる。
その言葉を頭で考えたとき、フレイとアスランの顔が彼の脳裏に浮かんだ。
「動きが硬いぞ、イザーク」
しかし、すぐさまそれをキングに咎められる。
イザークはまた、体を動かす事に意識を集中した。
しかし、イザークは先ほどから何度もそうした思考と動作を繰り返していた。
葛藤、葛藤、葛藤――。
無理もなかった。
自分が此処に来てしまったのは、フレイとアスラン――その二人が原因なのだから。
「我を持つな」
キングがそれを再度咎める。
「我をも受け入れれば、我が立つこともない」
「受け入れる?」
ふと、イザークは、言葉を漏らした。
そして、動作を止めた。
「たわけ! 止まるでない!」
トン、とキングがイザークの手を叩いた。
「!」
イザークは、再び体を動かし始めた。
(受け入れる……)
俺は、自分を果たして今まで受け入れていたのであろうか――。
受け入れるとはどういうことなのだろうか……。
頭の中に生まれた、命題。
それを解き明かさんとするように、イザークは体を動かす事に熱中した。
そうすることで、何かしらの答えが、自分の中に見つかるような気がしたからだった。
しかし――。
(……)
やがて、イザークは思考を止めた。
忘我の域である。
(ほう……)
キングはその様子を見て、思わず感嘆した。
(この少年は”オマケ”らしいが――なかなかだ。 少し危ういところがあるが――)
キングは、イザークの様子に満足そうに頷いた。
と、イザークは動きの中の――天を突く拳、直線の動作をしたところで、動きを止めた。
「あっ……」
イザークは、何かを掴んだかのようだった。
「どうかね? 自分の中の凝り固まって澱んだものを見た気分は」
「――激しい怒りと悔しさが俺の中にはありました。 でもそれは、俺が自分の弱さを認めなかったから」
「それがわかれば上出来。だが、分かっただけでは真に分かった事にはならん」
「……?」
キングの遠まわしな言い方に、イザークは分かりかねたような表情を浮かべた。
「修行の路は遠いということだ。 だが、忘れるな? 穏やかで澄んだ心、それこそ明鏡止水。 それを忘れて怒りや自我に取り付かれれば、哀しみだけが後に残る事になる」
「ハッ……」
――明鏡止水。
自分はアスランを目の前にして、心を穏やかにしていられるだろうか。
「自分と向き合うことだけではない。まずは在りのままを受け入れる事からはじめるのだ。 受け入れればそれは君の器の大きさとなるだろう」
そうすれば、コーディネイターにも劣る事はないだろう。
キングの言葉は、そう繋がるかのようだった。
「穏やかで澄んだ心――だからこそ、私も娘に”
「――師匠!?」
と、イザークはあたりを見回した。
明鏡止水――それがキングから受け取った言葉だった。
そこにはもう、キングの姿はなく、どれだけ探しても見つかる事はなかった。
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アイシャはバルトフェルドの帰りを待つ間、ホンコンの街を眺めていた。
『理想の器……
ずっと昔に、ダンテ・ゴルディジャーニから言われた言葉を思い返す。
「アンディ……」
バルトフェルドが、あの地獄から自分を救ってくれたのだ。
コーディネイト技術が禁止された後も、最悪な方法でその恩恵を受けようとした男達の欲望。
それにまみれた、希望の無い世界の中から自分を救ってくれたのが、アンドリュー・バルトフェルドだった。
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重苦しい表情で、バルトフェルドはドアを開けた。
社長室とプレートが書かれたその部屋の中、重厚そうな机と椅子に一人の男が座っている。
「よう、久しぶりじゃないか、アンディ」
中にいた白髪の眼鏡の男――ダンテ・ゴルディジャーニは笑顔で彼を迎えた。
「本当に、お久しぶりですね、社長」
「なんだ、軍を辞めて、またウチで広告マンとして働いてくれるのかい?」
「……ハハッ、冗談はよしてくださいよ」
ダンテは、表情を一変した。
「タカリに来たってワケか?」
「……協力して欲しいだけですよ」
「分かってるさ? お前は恩人だからな」
ダンテは、椅子に深く寄りかかった。
「だがな、軍隊をやっていて、本当にそれでいいのか? 例えば、コーディネイターを滅ぼしたって何も変わりはせんよ?」
「ですが、この戦争が終わった暁には、
「ハッ! 売春婦がこの世から無くなるか? 生まれの格差が無くなるか? それと一緒だ」
ダンテは、嘲笑した。
「協力はしてやるさ……だが、覚えておくがいい。 この戦争が終わったとて、何れまた、同じ事は繰り返されるさ。 アレだけ使わないと誓った核でさえ、使われたのだからな」
ダンテ・ゴルディジャーニはニヤリ、と笑った。
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「……君は?」
ニコルは目の前の不思議な少年に、きょとんとした。
その少年は、鋭く、怪しい目をしていた。
だが、不思議と人を引き付ける瞳だった。
「――シャニ」
その少年はぼそり、と呟いた。
自己紹介らしかった。
「弾いてくれない? もう少しだけ」
シャニはそう言ってニコルに演奏を促した。
「……はい」
ニコルは、優しく微笑んで、楽器屋のキーボードを弾いた。
シャニはじっと、その音に聞きほれていた。
(いいわ――)
その二人の様子を蚊帳の外にされてしまったジュリが見ていた。
最初はほったらかしにされて不満げなジュリであったが今は――。
(美少年同士というのも……すっごくイイ!!)
新しい何かに目覚めていた……。
それは啓発であったと言って良いだろう。
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「マ、マユラさ~ん!」
マユラは、指定された場所に来ていた。
待ち合わせの相手はメール友達のゲーマーの少年だった。
オレンジ色に近い頭髪をしている。
「感・激! こうして又ゲームできるなんて嬉しいです」
「そうね、一緒に遊べる機会なんて、そうそうないから」
はしゃぐ相手に適当に頷いて答えるマユラだったが、その表情は優しかった。
相手の少年は、その様子に何か期待をしたのか、パァっと顔を明るくした。
「なんか、オススメある?」
「あっ! ハイッ! この対戦格闘のバトルアニキⅢなんて推・薦! 激・熱!」
――アイツだったら、どんなデートだったろうなぁ。
ふと、マユラはラスティの事を思い出した。
でもそれは目の前の少年に失礼な気がして、今は彼とゲームを遊ぶ事に、マユラは集中した。
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ホンコンの街並みは昼の時刻を越えて夕方を迎えた。
夏には及ばない季節であり、日の暮れるスピードも早かった。
アスランとミーアは、ホンコンを一望できる展望台に来ていた。
クゥロン駅から程近い、スカイテラスである。
アスラン達はその一角の窓に二人で並んで景色を眺めた。
「わぁっ……」
既にビルの明かりが目立つ様になっており、十分に夜景が楽しめた。
ふと、アスランは自分たちの周りに人が殆ど居ないのに気が付いた。
戦争で、観光客も減っているのだろう。
だが、僅かながらに人は居た、恋人達だった。
情勢の事を思えば、もしかしたらそれらは、休暇中や、これから出征する兵士かもしれなかった。
だが、束の間の平和を謳歌しようとするその姿は、平時のときとなんら変わらない。
アスランは、隣に居る女性を意識せざるを得なかった。
(ンッ……?)
ミーアが、僅かながらに肩を寄せるのをアスランは感じた。
みると、ミーアは長袖ながら肩を出した服装をしているのに、アスランは今更ながら気が付いた。
緊張していて、彼女の服装の細かいところまで気が付かなかったのだ。
視線をちらりと移して、アスランは赤面した。
そして、夜景に眼を向ける。
――その様子にミーアは気が付いていて、くすくすと笑った。
「いかがですか?」
「ああっ、いえ、とてもかわいいです、その服」
「――夜景なんですけど?」
「えっ……あっ……」
しどろもどろになるアスラン。
必死に言葉を探した。
「その、ハロは……気に入っていただけましたか」
「えっ……?」
「ああいえ、夜景がきれいですね」
「ええ、こんなにキレイなの……人がまだこんなに生活できるなんて」
Nジャマーの影響で、夜景の見れる都市は、今は僅かながらにしかない。
――あなたのほうがキレイですよ?
そんなありふれた殺し文句がアスランの脳裏に浮かんだが、ついぞ喉から出ることはなかった。
「ミーア……」
アスランは、名前を呼び捨てにしてみた。
「はい?」
ミーアが、アスランの瞳を見据える。
「いえ、素敵なお名前ですね……」
しかし、言葉が続かず、照れ隠しに、そんなことを言ってしまった。
「……そうでしょうか?」
「たしか、どこかの国の言葉で、湖、という意味でしたでしょうか」
「ええ、よくご存知で……父が、つけてくださりましたの」
「お父さんが……」
アスランは言葉に窮した。
と、そんなアスランの様子を見て、今度はミーアが言う。
「アスランというお名前は……どういう意味ですの?」
「……古い言葉で、夜明けとか、獅子という意味だそうです」
「まあ、強そう」
くすくすと、ミーアが笑った。
今の目の前の少年は、そんな風には見えなかったからだ。
「父が……つけてくれました」
それは、真実だった。
本名であるアレックスはありふれた名前であった――聞けば、父であるパトリックの家系にあった名前だというが。
だが、偽名であるこの名前……母によれば”アスラン”は、父親が思いを込めてつけたのだという。
今思えば、この名前に父が何を託そうとしたか、何を期待したかは、分かる気がする。
それは重荷でしかなかったが。
「素敵なお名前ですこと」
ラクスは、アスランに近づいた。
「……!」
次の瞬間、アスランは眼を見開いた。
小さく形のよい、彼女の唇が、目の前にあった。
そっと、アスランはミーアの生身の肩に触れた。
ミーアはさらに体を寄せてきた。
アスランは、ミーアの肩を抑えたまま硬直する――。
アスランは躊躇うが、その美しさに、彼女の両肩を抱いてしまおうかと考えた。
だが、アスランにはそれを行うことができなかった。
唇の感覚すら分からなくなるような、眩暈のしそうな一時――。
そのまま、長い時間が過ぎた。
「ハァッ……」
熱っぽい息が、アスランの口からこぼれた。
暫くの間、アスランはミーアの顔を見れなかった。
しかし、呼吸を整えた後、ミーアの方を向きなおす、が。
「ン……?」
アスランは、奇妙なものをみた、険しい顔した、ミーアが、自分の後方を眺めている。
気分を害してしまったのだろうか――そんな風にも思ったが、それが検討外れであることをアスランは次の瞬間には理解していた。
自身も背後を振り返る、そこには――。
「行きましょう」
ミーアがアスランの手を引いて駆け出す。
アスランの背後には、フードをした少年と、帽子を深く被った少年が居た。
「――ソキウス・テン、目標を発見。 オーブの姫、ラクス・クライン」
「ソキウスナイン了解、
「了解、フィーニスと合流し、排除する」
「――傍らに居たものはアークエンジェル・クルー。 コーディネイターの報アリ、ナチュラル協力者とみなし、無力化」
「無力化後、限定解除許可。チェッカーを使用し、特定因子を計測後処遇について決定」
「了解――」
二人の少年は、駆け出したアスランとミーアを追いかける。
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ホンコンの街中をぶらり、と歩いていたキラは、カガリへのみやげ物をあれこれ買い集めていた。
きっと彼女なら、こういうところに来たがったろうな、と思うと、キラは少しだけ自分自身の人間的なところを自覚できた。
戦いの最中、自分は自分を忘れることが多い。
――特に、アスランを前にしては。
それは、自分で決めたことなのだが、何か自分が自分でなくなってしまうような気がして、恐怖も抱くところであった。
モビルスーツという器が、そうさせているのだろうか。
と――そんなキラの目の前に。
「!?」
何か、見えた気がした。
「今のは!?」
見知った、姿が見えた気がした。
あの後姿――彼女は――!
キラは慌てて、その陰が見えた方向へ駆け出した。
そして、眼に映ったのは。
(えっ……!?)
二人の少年に追われる、ラクス・クラインと、アスランの姿だった――。