集積所から一直線に向かうと賊に見られた時に不自然さが出てしまうので、偶然を装う為に迂回しつつ向かう。そして要救護者達が見える位置まで移動してきた。
「大事なのは距離だから、皆逸らないでね」
「むぅ、作戦は理解しておりますが、やはり酷だ」
老人が二人、幼子が二人。後ろからやってくる黄色い津波から懸命に逃げている。
彼女達が感じる恐怖は相当だろうし、私達も相当の我慢を強いられる。
幸い黄巾賊は馬に乗っている者は少ない。恐らく正規兵が念入りに騎馬を潰したのだろうが……そこまでの力量がある隊を率いているのは一体誰だろう。
「劉備殿、まだか?」
考え事が今の場面と少し離れはしたが、機を見る事を休んでいた訳ではない。
注目すべきは黄色い津波より先行した数十の騎馬。集積所にいち早く戻って安心を得たいだろうに、速度は歩くよりも少し早い程度、人馬共に相当な疲労が溜まっているみたい。装備はまちまちで一応弓持ちもいるが数は少ない。
まだ気は抜けないが、策が成る可能性は高そうだ。
「劉備殿」
馬も駆る私達を目視すれば速度は上がるだろうが、それでもまだまだ距離には余裕がある。
「もう少し待って。大丈夫だよ、弓の範囲や四人が歩みを止めた場合でも大丈夫なように見計らってるから」
しかしこの光景を見て思う。
懸命に走り、生きるのに必死な四人の善人。
懸命に走り、生きるのに必死な数千の悪人。
どちらも同じ生命なのに、前者は救おうと息を巻き、後者は殺してしまおうと息を巻く。
「こんな状況を生み出す現状をこそ早く改めなければいけない、命の優劣をつけなくても良い世の中にしなくちゃいけない。平和な状態だったのなら、あの中の何人が人を害する者になるというのか」
「劉備殿、何か仰られましたか?」
「ううん、何でもないよ。それじゃあそろそろ向かおうか。私が先頭を走るから、速度を合わせてね」
「ようやくですな!」
そうして私達は要救護者の元に走るのだった。
「警戒しなくても大丈夫、助けに来たよ」
待機していた事など微塵も感じさせぬ笑顔で出会い頭にそう言う。
四人は惚けたように安堵の息を漏らし、腰砕けになってしまった。
そりゃそうだ、ここは平場で遠くまで見通せる。徐々に近付いてくる二千人の賊の姿がはっきり見えていたのだから相当な恐怖だったに違いない。とはいえここで止まっていたら飲み込まれる、早急に動かなくてはいけない。
賊数十騎も私達が要救護者と合流しようとしていると気付いてからは速度を上げていた。
「それじゃあ一人ずつ馬に乗せて早速動こう。私と趙雲さんは女の子を乗せて、手筈通りに」
「任されよ」
老人組は連れてきた人に任せてさっさと砦方面に逃げてもらう。
「二人には悪いんだけど、私と趙雲さんの馬は少し怖い目に合うかもしれない。でも私達を信じて」
「はわわ、ここまで来れば全てお任せします」
「あわわ、これでも軍師を志す者です。耐えてみせます」
小さく震えているが、その目と声はとても強い意志を感じる。
「そっか、じゃあ任される」
胸をぽんと一つ叩いて、気軽に言う。少し危ない橋を渡るので、今のうちに少しでも恐怖を取り除いてあげたい、と思っていたのだが。
「ぽよんって」
「ゆれたね」
凄まじい目で胸を凝視された。
緊張感が無くなったのは良い事だけど……
「えっと、とりあえず乗ってくれるかな? はわわの子、手を掴んで」
「ならば私はあわわの子ですな。さあ、もう百数えない内に追いつかれる、早く」
二人を馬上に引き上げ、私も趙雲さんも二人を懐に抱えるように固定し、一気に加速する。
ここに来てもう一つ確信を持てた、この距離で撃ってこないと言う事は精密に騎射できる手練はいない。何から何まで僥倖だ。
私は速度いっぱい出している風を装い、集積所近くの森に入るまでは適当に矢を放つ。
懐から「あの、矢の無駄では」と聞こえるが、こんな可愛げのある子と話したら表情が緩むに違いないので無視無視。
そして無事に歩兵集団とかなりの距離を離しつつ、騎馬隊を森へ連れ込む事に成功したのでここからが本番。
私は懐にしまってあった笛を取り出し、強く短く三回吹く。
すると後ろからぎゃっ、うわぁ等の声が響き始める。敵の注意が逸れた所で今度は真面目に弓を引く。
前に乗せたはわわの子が少し邪魔だけど、後ろに撃つのは難しいけれど、それで精密射撃が出来なくなるような軟な鍛錬はしていない。
浅く蛇行して、撃つ瞬間に態勢を変えて、狙いやすい敵を選別すれば、騎手を撃ち落とすぐらいなら余裕だ。
「お見事」
蛇行している私より先を進んでいる趙雲さんが振り返ってにやりと笑っている。
集積所近くという事で適度に間伐はされているが、さすがに前を見ないと危ないと思うんだけど。
「あの、これって」
もう必死さを装う必要もなくなったので普通に答える。
「術中の内って事だよ」
「という事はもうこちらの集積所では決着が付いていて、二千の賊を潰す算段も整っているという事ですね?」
「へぇ、そこまで分かっちゃうんだ?」
「軍師を志す者ですので」
「軍師、か。今の私達に一番必要な人達だ、ねえもし良かったら私達の義勇軍を見に来ない?」
「……貴方ほどの逸材がこのような役割を与えられるほど、ここの義勇軍は人材は豊かという事ですよね。少し興味を」
「ああ違うよ、集積所を奪取した義勇軍の責任者は私」
「はえ?」
「逆逆、全くの逆、私以外の適材がいなかったからここまで来たんだよ」
「総大将が村人救出の為に、賊二千の前に出てくる?」
「口約束とはいえ、私の預かっている兵が約束をしてきたんだから守るのが責任者たる私の役目でしょう」
「しかし大事の前の小事では」
「責任者が知ったら、周囲が知ったら、もうそれは覆しちゃ駄目な契約になる。
それに貴方達はその約束を糧にこちらに向かってたんでしょう?
これだけ近くにいれば分かる、足の筋肉も痙攣してるし、靴から血の匂いもするし、衣服は乾ききっているのに塩の強い香りがする。
それにきっと貴方達だけだったら逃げられたでしょう? けどお爺さん達がいるから逃げなかった。どうにか一緒に救われようとここまで必死に頑張ってきた事も分かるよ。
なら報われないと」
「あぅ、あ、あの、ちょっとだけ、すみません」
そう言ってはわわちゃんは俯いてしまった。
ぐぅ、こうなると作戦とは言え一刻も早く救わなかった事に罪悪感が!
「おや、人誑かしが人を泣かせているではありませぬか」
集積所に近づくにつれて木々の間は整理されて走り易くなっている。すると趙雲さんは速度を落として私達と並走し、したり顔で話しかけてきた。
「ああもう、ややこしくしたがる人が来ちゃったな」
「邪険にしなさいますな。これでも胸を打たれているのですよ、私もこの子も」
「はい、貴方様はこれからの世に決して充足しない大事な資質をお持ちです。
それはあの曹操ですら持っておりませんでした」
「えっ、何でここで曹操の名前が出て来るの?」
「それは」
「あっ、ちょっと待って、そろそろ森を抜ける」
徐々に強くなる光が森の終わりを知らせてくれる。
後ろからの音はもうせず、振り返っても騎馬隊はすっかりその姿を消していた。待ち伏せでの奇襲が上手く行った、後始末も済んでいる事だろう。
「あわ、まぶしっ」
森を抜けた先、廃村を改造した集積所が見える。
そして、
「あっ、あれは先に行った!?」
森と集積所の中間地点には矢で貫かれた馬と死体が五つずつ置いてある。
「ああ大丈夫、あれは賊の死体を偽装させた奴だから」
私は見張り台に立っている黄巾に手を振って合図を送る。
すると見張りの一人が右手を上に挙げ、左手を横に伸ばして振った。
「変更なしか。それじゃあ集合地点に向かおう」
そして趙雲さんと連れ立って集合地点に向かう。
森を駆けて五分ほどするとそこには集積所から奪った物資が山のように積まれていて、奥には先に行ったお爺さんとお婆さんが即席の寝台に横になり、医術の心得のある義勇兵に診察を受けていた。
私達に気付いたようだが、疲労困憊と緊張の糸が切れた事で動けないらしく、頭だけ何度も下げて謝意を伝えてくる。私はそれに応えて笑顔で頭を下げる。
それを見てはわわの子はほっとした表情になり、すぐにはっとしたような表情になる。
簡易集積所を見渡して何かを吟味し、そして私に視線を向けてきた。
「持ち出すにしてもこんな中途半端な位置に捨て置くように……これはもしかして、火計の準備ですか?」
「あはは、すごい、さすがは軍師志望……いや、その敏さはもう軍師としての領域にあるね」
私は馬を降り、少女を地に下ろす。趙雲さんも同じようにしてもう一人の子を連れてきてくれた。
そして片膝をついて二人の少女を見る。
「ここは安全で、敵歩兵集団が罠にかかるまでは時間がある。
だから自己紹介をしておこう。私は劉備、理想の為に戦う事を選んだ者。
心優しい軍師達のお名前を聞かせて貰えるかな?」
「はわわ、あの、私の名前は諸葛亮です。水鏡塾で多くの勉学を修めました。
この荒れ果てた世を少しでも良くしたいと思い、塾を出ました」
「あわわ、私の名前は鳳統です。諸葛亮と同じく水鏡塾の出です。私は主に軍学を学びました。
私は私の才能がこの世にどこまで通用するのかを試したく思い、塾を出ました」
馬に乗せる前に強い意志を感じた。
馬に乗せている最中に深い洞察と温かい優しさを感じた。
馬を降ろした現在、その在り方の尊さを感じている。
「良いな、すごく良い、私は貴方達が欲しいと心の底から願う。その才覚、人格、夢の全てに惚れ込んだ。貴方達の持つ輝きを余す事無く世に出したいとも思う。
だから私達と一緒に来ない? しばらく私達を見て駄目だと思ったら、一時の止まり木だったと思って忘れてくれて構わないから」
「あの、その、私は貴方には助けられました。だから貴方の理想の一助となるのに何の躊躇いがあるでしょう」
「有り難い言葉だけどその言葉は受け取れない。恩義から私の理想を叶えたりしないで、貴方は貴方の理想を叶えて欲しい。
私だけの理想なんて独り善がりな物に過ぎないし、王を立ててその人の理想を叶える今までのようなやり方じゃあまた破綻する。
誰かを先頭に置いて、その人の背中に夢を預けて押すんじゃなく、皆が隣にいて、同じ方向にあるだろうそれぞれの理想を叶える為に手を取り合って頑張るの。
だから一助なんかじゃない、私と共に来てくれるなら、一緒に理想に向かって歩んで欲しい」
そして両手をそれぞれの方へ差し出す。
私の全身全霊の勧誘である。もしこれで共感も信頼感も生まれないのならきっぱり諦めよう。
……ああでも機会があれば後二回ぐらい勧誘しても……いや、未練が過ぎるかな。
「はわわ、はわ、ああ」
すると少女はさめざめと泣き出した。
「これほどまでに求められたのは生まれて初めての事です。それが仁義に寄り添う人であるのが何よりも嬉しい。
私は貴方の隣で自身の理想を叶えます。預けて支える等と楽はしません、貴方にも楽はさせませんので、どうぞ宜しくお願い致します。
私は諸葛亮、真名を朱里と申します」
「私達の身なりを見て、それでもなお膝を付いて歓迎を示してくださる方が今の世にどれだけおられるでしょうか。
貴方の理想にも、理想との向き合い方にも共感致します。
ですがまだ私は真名を預けられません。この戦いの行く末を見て判断したく思います」
「ふふ、ならば私もこの作戦の是非を見てから真名を預けるか決めるとします。私の勘が此処こそが決め所だと囁いておりますゆえ」
「ありゃ、これは緊張しちゃうね。しかも結構悪辣な作戦だから諸葛亮ちゃんも言葉を翻しちゃう可能性もあるかもなぁ。
だからすごく失礼なんだけど、諸葛亮さんの真名も今はまだ受け取らない。この作戦が終わるまでの間に私についてもう少し考えて、改めて決心がつくのならそこで受け取らせてもらうね」
「早々に受け取っておけば縛れたものを。本当に貴方はお人好しだ」
にやりととても趙雲さんらしい笑顔を頂いたので、ちょっと意地悪を言ってみる。
「それじゃあ向こうがざわめき出したから決行の時間だ。
趙雲さんが残ってくれれば二人も心を落ち着けて待っていられると思うから、居残りね、決定」
「おおっと冗談ではありませぬ。先程も言いましたがここが貴方の見極め所なのです、ここで行かねば何処に行くというのですか」
「はいはい、けど私に付いて来るというのなら、もう何処へも行かせないよ?」
「ほう、大した自信ですな」
「あはは、そういうのとはちょっと違うんだけどね。じゃあ行こう。
火を使ったり乱戦になるから二人は守備を厚くしてるここで待ってて。
後、古参の信頼できる人を付けるから、今回の作戦とか私の事とか仲間の事とか、聞きたい事があればその人に聞いて。全部正直に答えるよう言っておくから」
ここからはただの殲滅戦、軍師志望とはいえ少女達には些か刺激が強いので待っててもらう。
そして話を聞いてもらって、そこで判断してもらおう。
「分かりました。あの、ご無事で」
「有難う、気を引き締めて向かうよ」
負ける気どころか傷付けられる気も一切しないが、少女を安心させる為に笑顔で気遣いを受け取る。
では久々の盗賊狩り、存分に勤しむとしよう。
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