今昔夢想   作:薬丸

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早朝二話投稿です。


87.桃花村の価値

 翌日の朝、昨日豪快に呑んでいたツケを処理中の母には休んでいてもらい、私は卵と薬草の雑炊を作っていた。

 母が私の前で体調不良を見せたのは遥か昔、先生が来る以前の一年間だけだ。

 先生が母を治してからはすぐさま快方に向かったし、先生がいる間は村の人含めて体調が悪い人なんて出なかったから、なんか久しぶりの姿だった。

 決して良い思い出ではないが、今ではそんな事もあったね、と笑い合える話になっている。

 

「お母さん、出来たよー」

 

「んーありがとう、あー情けない姿を見せちまってるねぇ」

 

「あはは、むしろこうしてると色々実感できて嬉しいよ」

 

 厳格な母がハメを外すほどに嬉しかったのだとか、強い母が見せる弱さにちょっとどきどきしたりだとか、同じ立ち位置だけど以前とは状況の重さが違うだとか、色々と感じるものがあった。

 

「あとちょっとで動けるようになるだろうから、そうしたら昼ご飯の用意をしよう」

 

「うん、分かった」

 

 母の体調が戻るまで少しだけ看病し、その後は昼ご飯の材料の調達と仕込みを行う。

 笑いが絶えないこの状況に深い喜びと感謝を抱いて団欒を楽しむ。

 この温かさを抱いたまま、私は仲間となるだろう少女達の元に向かうのだった。

 

 

 

 元先生宅の扉を叩くとすぐさま反応が返ってきた。

 

「劉備殿、お待ちしておりました」

 

「おにぎりの匂いがするのだ! お漬物の匂いとお肉の匂いも!」

 

「すごいね、おにぎりの具まで当てちゃうなんて。という事で、お昼ご飯持ってきたから一緒に食べよ」

 

「何から何まで有難うございます」

 

「良いの良いの、気にしないで。お米はいっぱいあったから、沢山作ってきたよ。遠慮しないでがんがん食べてね」

 

「やったのだっ!」

 

 家に上がり、食卓に風呂敷を広げる。

 私の手の大きさで二十個程作った。私三個、関羽さん六個、張飛ちゃん十個ぐらいの計算。

 お茶を淹れ、歓談しながらおにぎりを食べる。

 張飛ちゃんはおにぎりを両手に持ってぱくぱくと食べている。その様子がとても愛らしく、すぐに食べ終えた私はずっと張飛ちゃんを見ながら微笑んでいる。

 私は今、遠い昔に先生が私に向けてくれていた表情をしているに違いない。

 

「劉備殿は、年下の子の世話などをされていたのでしょうか?」

 

「え、してないよ。旅に出るまでこの村では最年少だったし、私塾に入った時も同年代か年上の人とばかり過ごしていたけど」

 

「そうなのですか、それにしては張飛を見る目が柔らかかったような気がしますし、年下の扱いに長けておられるような気がするのですが」

 

「私が実際に小さい子と触れ合っていた訳じゃないけど、小さい子と触れ合う時の見本になる人がいたから、その人のおかげかな」

 

「ほう、そのような人物が……私塾時代にお世話になった学者先生ですか?」

 

「違うよ。盧植先生にも沢山の事を教わったけど、それでも謙信先生には敵わない」

 

「謙信先生?」

 

「私の根幹になった人だよ。難病を抱えていた母を癒やし、村の人を癒やし、私を含めた村の人達にいっぱいものを教えてくれた人。

 人の病気から木の病気まで何でも見抜いて治療して、お肉の燻製方法なんかの料理の知識を教えてくれて、桃の品種改良方法を手伝ってくれて、数学から医学からあらゆる学問を教えてくれて、馬術から剣術から呪術まで教えてくれたんだ」

 

「……その方は仙人様か何かですか?」

 

「あはは、多分そうだと思う。十年弱付き合ってもらってたけど、ものすごい美貌は一切衰えず、盗賊を百人切っても真っ白な衣には汚れもつかなかった。なんというか、説明すると現実味のない人になっちゃうんだけど」

 

「すごいのだっ、やっぱり白い服を着てる人は違うな!」

 

「ふむ、確かに話を聞くとお伽噺に出てくるような人物です」

 

「そだねー」

 

 張飛ちゃんと関羽さんの言葉を曖昧に濁す。

 都で様々な伝手を頼って先生について調べてみたが……恐らく先生は……。

 

「どうされました?」

 

「あはは、何でもないよ……というか張飛ちゃん食べ終わるの早いね。けどちゃんと噛んで食べてるのは偉いぞー」

 

「飲み込んで食べちゃうと勿体無いからちゃんと味わって食べる、これすっごく大事」

 

「あはは、味わってもいるんだね。何にしろ良く噛むのは良い事だよ、摂取効率が全然違うしね」

 

「せしゅこーりつ? うん、良く分かんないけど良い事なら良かったのだっ!」

 

「うん、良いものは良い、今はその理解で十分。それじゃあ張飛ちゃんも食べ終わったし、ちょっと腹ごなしに行こうか」

 

「あれ、そっちの風呂敷に入ってる桃の匂いの何かは食べないの?」

 

「あはは、本当に鼻が良いなぁ。これはもうちょっと待ってね」

 

「うん、分かったのだー」

 

「張飛ちゃんは素直で良い子だね。それじゃあ昨日の場所……よりも少し奥まで行こうか」

 

「分かりました」

 

 そうして私は二人を連れ立って花咲き誇る桃園へと向かうのだった。

 

 

 均一に並んだ桃の木の森をしばらく進み、止まる。ここは私が生まれ直したとても大事な場所だ。

 桃の花びらを絨毯にして座り、風呂敷を広げる。露わになる顔ぐらいの大きさの徳利と小さな盃。

 徳利の木栓を抜き、中身を桃の木から削って作られた盃に注ぐ。

 途端に周囲を満たす花よりも濃い桃の匂いが鼻孔をくすぐる。

 

「桃の果実酒なんだけど、二人は飲めるかな?」

 

「私は問題ありません」

 

「飲む! それ絶対美味しいやつだから絶対に飲む!」

 

「あはは、お母さんに内緒で持ってきた秘蔵の奴だから、バレないようにちょっとずつね」

 

「それは、大丈夫なのですか?」

 

「大丈夫大丈夫、昨日結構飲んでやられてたから、お酒はしばらく見たくないだろうしね。それにこれについても知ってもらいたい事があるし」

 

「何かの意図があるんですね。ならば一献」

 

「頂きますなのだ!」

 

「私も改めて」

 

 そう言って三人同時にお酒を呷る。

 口に入れた瞬間に桃の香りと甘さが口に広がり鼻を抜け、喉元を過ぎる液体はかっと身体を温める。

 

「これは、すごいですね。私の持っていた酒の印象が真逆に変わる品です」

 

「甘くて良い匂いでかっとしてふわっとするのだぁ、もういっぱい!」

 

「良いけど、次の一杯で終わりだよ?」

 

「分かったのだー」

 

 そして張飛ちゃんはちびちびと舐めるようにお酒を飲みだす。

 その愛くるしい姿を微笑ましく見ていると、少し強めの風が吹いた。

 すると桃の花びらが風に舞い、視界を桃色の優しい色が覆い尽くした。

 桃の木、桃の花びら、澄み渡る青い空、見目麗しき無垢な少女達。

 目に映る全てが美しい。

 

「昨日も思いましたが、この美しさはあまりに圧倒的で眩い。桃源郷とはこのような場所を指すのでしょう」

 

 関羽さんが少し惚けたようにそう言った。

 

「私もそう思う。これ以上綺麗な景色は大陸中を探してもそうはないんじゃないかな」

 

 一言呟き、景色に見入る。無言の空間となるが、そこにはとても温かな空気が流れている。

 景色と雰囲気を堪能してしばらくの事、張飛ちゃんが舐めていた果実酒が無くなり、顔を上げたと思ったらそのまま仰向けになって倒れてしまった。どうやら酒精にあてられてしまったらしい。

 

「世界が回るのだー」

 

「阿呆、駄目だと思ったらすぐやめないか」

 

「途中からぐらぐらしてたけど、美味しくて止まらなかったのだ。全部は美味しいあれが悪いのです」

 

「あはは、二杯目をあげちゃった私が悪いね。お腹もいっぱいだし、良い気候だし、そのまま寝ちゃった方が良いかな?」

 

「んーん、寝ない、寝ちゃうの怖い。昨日よりももっと怖いのだ……」

 

「寝るのが怖い? 昨日何かあったの?」

 

 関羽さんが少し表情を曇らせ、ええ、と続けた。

 

「こやつは昨日、ここ最近の全てが夢幻なのではないかと怖がって一人で眠れなかったのですよ。

 今はお酒も入り、夢と現の境がより曖昧になってしまったのでしょう」

 

「えっと、ごめん、ちょっとよく分かんないや」

 

「ええ、劉備殿には分からない感覚でしょうな。私は……少し分かるのです。劉備殿との出会いから今この時まで、全てが眩しくて優し過ぎる。まるで現実味がありません。

 ここは死後の世界で何かの間違いで天国に来たとか、貴方が天女で気まぐれを起こして私達を桃源郷に連れて来たのだと言われても信じてしまいそうです」

 

 冗談のような言葉だが、雰囲気が異様に重かった。

 何故だろうと少し考え、思い至る。

 少女達の境遇からすれば、今の状況は恵まれすぎているのかも知れない。

 尋常ならざる使い手とは言え年端もいかない少女二人が旅をするのにはそれ相応の理由がある。

 そして旅に出た後も苦労しただろう。旅など熟練者たる先生と共にした経験しかない私には想像がつかないような事も多々あったに違いない。

 しかし今はどうだ。この国をどうにかしたいという同志と出会えて、学問を教えてくれる人がいて、しっかりとご飯を食べられて、家に呼ばれて歓迎されて、桃源郷のような光景の只中にいる。それはきっと二人の人生で数少ない経験であるのは間違いない。

 

「張飛ちゃん、ちょっと頭を拝借」

 

 私は張飛ちゃんの倒れ込んだ方へ移動し、彼女の頭を私の膝上に乗せる。

 

「柔らかいのだー」

 

「ふふ、大丈夫、これは夢じゃないよ」

 

「そうなのかなーなんか余計にふわふわしちゃってるのだ」

 

 張飛ちゃんの頭を撫でながら、私の決意を話そうと思った。

 

「私の夢と決意を聞いて欲しい。少し長くて退屈かもしれないけど、私の熱に触れて欲しい」

 

 そして私は話し始めた。

 

「外に出て情報に触れれば触れるだけ、この世の中の惨状を知った。

 天は恵みを忘れ、地は血と涙で荒れ果て、人は僅かな実りを奪い合って生きている、そんな辛く厳しい世の中が今の普通なんだって。

 ほんと、この村との差異に驚かされっぱなしだったよ。中でも人の差については驚きを通り越して怖くなった。

 天候不順は村にいても何となく知ってたし、土壌が荒れてしまっているのも問題にされてた、けれど村の人達に悪い人なんていなかったから。

 村を出て謙信先生に都まで連れて行って貰う間の半年間、盗賊を討伐して回っている間に愕然とした。

 人っていうのはここまで落ちられるのかってね。けどね、それは仕方のない事なんだって思いもした。誰かから奪わないと生きられないんだ、貧しさが人を貶めるんだって。

 でもそれですら間違った感覚だった。

 盧植先生は有名な人で、その門下生っていうのは結構な名声を得られたの。だからそこに通う人の大半は豪族や名家の人間ばかりだったんだ。その中で私は庶民だったけど、盧植先生自ら塾に招いた人物として一目置かれててね、人材確保の為に格上の人が家に招いたりしてくれたんだ。

 あっ、盧植先生が私を塾に入れてくれた理由は私の母親と知り合いだったからで、私がとんでもなく優秀だったからという訳じゃないから、そこの所よろしくね。

 と、少しずれちゃった。

 まあ半分は豪華な家で後ろ盾たる家の力を見せる為、豪勢な晩餐を一緒に頂いたりしただけだったんだけど、数件終わってる所があってね。いやー人食い虎に少女を食べさせている場面を見ながら食事を取らされるとは思わなかったなぁ。しかも私以外の観客が笑いながら食事をしてるのが本当に終わってた。

 そこで人が落ちるのは貧しさだけじゃないんだと知ったよ。

 だから私はこの世界は変わらなきゃいけないって強く思って、私自身は心技体を改めて鍛え直して、後は信頼できる人を選りすぐってはそこから人脈を切り開いて準備を整えた。私が少しでも世界を変えられるように、州牧やそれに比する官位を得られるようにってね」

 

「それが、貴方の決意ですか?」

 

 関羽さんの真摯な言葉と眼が私にぶつかってくる。

 私はそれをしっかりと受け止めて言う。

 

「官位と領地を得、法をもって民を変える。その為には権力も武力も必要で、貴方達も良ければそれに力添えして欲しい」

 

「……それは」

 

「と思ってたんだけど、その決意も変わっちゃった!」

 

「えっ」

 

「この村に帰ってきて、初心を忘れてたって気付いた。

 皆の弛まぬ努力と献身によってここは悪意を遠ざけている、それが外に出て一番感動した事だったと思い出したんだ。

 ここの桃は年を経る毎に美味しくなっているの。品種改良を続け、美味しくかつ他よりも安定した収穫が出来る。

 桃の他にも付加価値の高い物を作ってる。桃を香木として使った畜産牛の燻製とか、酒精を強めたり熟成させた桃の果実酒を付けたりと常に工夫もしてる。

 一度村を出た人達は私財を払って外との伝手を繋いで情報を集めてるし、ここに来る商人や衛兵の口止め料を払ったりもしてる。

 この場所が割れないように街道近くにわざわざ隣村を作って貰って、そこでここら周辺には何も無いとか盗賊が根城にしているとか欺瞞情報を流したりもしてる。

 自分達がやれる最高の行動をして、それを認めさせる努力も欠かさない。村人同士を繋ぐのはこの村を皆で守ろうっていう基本的な思い。

 行動、交渉、信頼、たったそれだけを突き詰めた結果が目の前の最高の桃園。

 そして私はこの村に誇りを持ってる。それを思い出したからこそ目標を変えた。

 私の中にあるこの理想を皆に知って貰う。それがこの素晴らしい風景と、この風景を作っている仕組みを知っている私がやらなきゃいけない事なんだ。

 私は理想を語って理想の国の基礎を作る。その道中には味方となる人も敵となる人もいるだろうけど、あらゆる枠組みに関係なく、皆には私の理想に触れて変わってもらう。そして私が途中で倒れたとしても、誰かが私の理想の一欠片でも形にしてくれる事を願うんだ。

 長々と話したけれど、この桃園を大陸の普遍の光景とする、要約すればそれが私の決意と目標、嘘偽りなき本心だよ」

 

 傲慢で独善的な宣言で、しかも熱がこもり過ぎて上手く言葉に出来ていない部分もある。

 けれどこれは私の本心だ。この本心を貫けるなら、私は決して屈折する事も屈服する事もないと断言できる。

 後はこの心に二人がどう反応するかだ。

 押し付けがましいと言われるだろうか、意味がわからないと言われるだろうか、ついて行けないと言われるだろうか。

 少し怖いが、彼女達の言葉を待つ。


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