ご指摘もらい、今まで白の読み方を書いていなかった事に気付きました。単純に書き忘れです、三話に書き加えました。
白と書いて はく とお読みください。
「私と共に運命に負けてください」
謎の言葉だった。
しかし意味こそ分からないが、聞き捨てならない言葉だった。
「運命に負ける?貴方は何を言っているの?」
「疑問を呈するのも十分理解できます。ですが、恐らくここから言っていた方が収まりが良いのです。
今は私がそういう戯れ言を言っていたと、記憶の端に留めるだけで構いません」
「……もう、期待して損をしたわ。
ともかく貴方の願いは聞き届ける、貴方が負けろと言えば、ただ一度だけ撤退もしましょう。
けれど出来れば、事前に言ってもらえると助かるわね」
「ええ、善処します。きっと貴方なら、私よりも上手く負ける事も出来ましょう」
「良く分からないけれど、貴方は約束の履行を見届ける義務がある。という訳で、これからは私の傍にいなさいよ?」
「ふふっ、強引に持って行きますね。ええ、約束を守って頂くまで傍に控えさせて頂きましょう」
そこまで話し終え、私の意地がそろそろ限界を迎えそうになってようやく時が動き出すのを感じた。
春蘭と秋蘭が慌てて寄ってくる。
膝が崩れ落ちる間際、二人に肩を貸してもらってどうにか意地を貫き通す事に成功。ほっと一息である。
「戦闘の終わりからずっと、私は我が一の家臣の助けを待っていたのだけど?」
ここではっきりと、白は貴方達よりも優先する者ではないと序列を明確にしておく。
「申し訳ありません。謙信が曹操様の鎌を避けたあの時から、信じられない光景の連続でありまして」
「私達二人共、思考が停止したままとなっていました。まさか曹操様と互角、どころか上回るとは思いもよりませんでした。あのような武の極みを見せて頂き、お二方には武人として感謝の言葉しかありません」
「とはいえだ、謙信!武人としては尊敬するが、それだけだからな!私達こそが曹操様の一の家臣だ、調子に乗るんじゃないぞ!」
がおーっとばかりに吼える春蘭に笑いが溢れる。
謙信は穏やかに笑いながら、
「ええ、あくまで曹操様の傍に控えるだけです。一番になろう等とは思っておりませんのでご安心ください」
とはっきりと言い切られてしまった。
なんか癪ね。けどそれを追求するにはまだ距離があるから、今は仕方がない。
「剣を交え、言葉を交わした。今後は傍に控えるのだから、真名で呼ぶ事を許すわ」
「はっ、有り難き幸せ。華琳様も私の事は白とお呼びください」
今は取り敢えず、真名を交わすだけで良しとしよう。
「では白、何か望む待遇はあるかしら?」
「私は名を挙げる事が禁じられていますので、戦場に出る事と責任ある立場に就く事が出来ません。ですから華琳様の主治医の立場を欲したく存じます」
「謙信よ、それはどういう事だ?あの見事な剣技を戦場で披露する事が出来ないというのか?それは余りに勿体無くないか?」
「私は仙人でありまして、世俗に必要以上に関わると罰せられるのですよ」
「ふざけた事を、と言いたくなるが、謙信殿の並外れた治療術と武術はそう説明された方が納得いってしまうな」
「素性の明かせぬ怪しい者ですが、決して華琳様に仇をなす者ではありません。
少し時間を置く事にはなりますが、改めて話をさせて頂く機会もあると思います」
「ええ、その言葉信じるわ」
「もし華琳さまと我ら姉妹の信頼を裏切ったら、我が剣の錆にしてやるからな!」
「おや、夏侯惇殿も既に信頼してくれているのですね?」
「あっ、違うぞ、言葉の綾という奴で……ええい、ぽっと出のお前なんて誰が信頼するものか!」
「ああ、嫉妬と尊敬の狭間で悶える姉者可愛い……」
険悪になる心配をしていたけれど、必要なかったようね。夏侯姉妹と上手くいくなら、他の大体の者とも上手くやるだろう。
「ともかく、白の要望は分かった。貴方には私の主治医の任を与える。
以後城内外での行動制限を外し、街の外への移動は許可制とする。
しかし混乱が起きないよう貴方の情報が我が軍に行き渡るまでの間は単独行動を禁止する。出掛ける際は可能な限り夏侯姉妹どちらかをつける。
部屋は取り急ぎ用意する、準備が整い次第客室から移動してもらうわ。
と、こんな感じかしら」
混沌としだした雰囲気をまとめるべく、大きめの声で今後の方針を伝える。
「はっ、曹家当主曹操様の主治医という大任、全うする事をここに誓います」
「それじゃあ今日は疲れた、春蘭、浴室まで付き添いを頼むわ。
秋蘭、彼に城内の案内を大まかで良いので頼むわ。
そして彼には色々と迷惑をかけた、今回は特別に浴室を使う事を許可する。私達が出る頃合いを見て連れてきなさい」
「「はっ」」
少し回復してきたので自分の足で浴室に向かう。
私が鍛錬場を使う時は浴室を使う時なので、既に準備は済ませてある。
今日は色々あり過ぎた。お湯に浸かって一息入れよう。
春蘭に湯浴みの用意をさせ、二人で入る。
何時もならこちらからちょっかいを掛けるのだが、そんな気力もなく、気分でもなかった。
湯船に並んで沈む。疲れや余計なものが沁み出すような感覚で非常に心地が良い。
しばらくすると春蘭が躊躇いがちに尋ねてきた。
「華琳さま、謙信は一体何者なのでしょう?」
当然といえば当然の疑問に、私は浴室の天井を見ながら思考を巡らせた。
彼の事に関して分かった事は多いが、それ以上に分からない事も多い。
彼が話してくれるまで待つべきだろうか。だが彼についての情報を渡さなければ、今日の戦いに立ち会っていた二人は不審を抱き続ける。
それはきっと軋轢となるだろうが……。
「彼については分からない事が多い。憶測で判断出来る人物でも、判断して良い人物でもない。
だからここは彼が語るまでは待ちましょう」
「信用、出来るのでしょうか?」
「ええ、それだけは私が認める。だから今は、彼を信じる私を信じて頂戴」
「……分かりました、華琳さまの判断を信じます」
不満顔ね、念を押しておこうかしら。
「有難う。家族たる古参の皆よりも重用はしないし、貴方や秋蘭という目も付ける。
不安がらないでも大丈夫よ」
「はい!信じております!」
それからは言葉を交わすでもなく、千々切れそうな筋肉を春蘭に揉んでもらいながらお湯に浸かる。
「ふぅ、しばらくこのままでいたい」
動きまわった疲れと筋肉が解れる心地よさに溺れつつ、湯で温まった頭はだらだらと思考を続ける。
私は性別から変わっていたというのに、彼は四百年前とほぼ同じ容姿をしていた、とか。
もしかしたら彼は生まれ変わったのではなく、あれから生き続けてきたのかもしれない、とか。
彼の来世でまた会いましょうという言葉は、来世というものがあると知っていなければ出てこない、とか。
不老不死、理外の知識、最強の武、最新の医学、全てを兼ね備えた絶世の麗人って何それ、とか。
治療をしながらの一人旅は大変だったろう、とか。
白い衣は汚れやすいだろうに綺麗だったな、とか。
そういえば、白い衣については昔に聞いた事があるな、とか。
疲れるから否定もせずに垂れ流していた思考が、何かに辿り着くのを感じた。
私はその引っかかりを辿るべく、思考を加速させる。
いつか何処かで聞いたことがある気がする。それは、何時、何処でだ?
あれは……そう、そうだ。確か私が幼い頃に、お祖父様から聞いたのだ。
眩い白衣を着た絶世の麗人が大陸全土の才能ある子供を集めて私塾を開き、全ての生徒を心清らかに育て上げ、また生徒の望む知識に全て答えてくれる。
最後は生徒が歩みたい道に応じた知識を詰め込んだ本を授けるという話。
『なんとも夢物語のようです、本当の事ですか?』
と私はその塾の話をしてくれたお祖父様に正直な所を述べた。
『ああ、その私塾は確かに存在していたのだよ』
とお祖父様は穏やかに笑いつつ仰られた。
『私自身がそこに通っていて、人心掌握術の本をもらったのだ。あれから本は肌身離さず持ち歩いていてね、読んでみたいかい?』
と聞かれたので、私は大きな声で
『読みたい!』
と無邪気に答えたのだ。
昔読ませてもらったその本は残念ながらもう読めない。お祖父様の葬儀でその本はお祖父様に一番近い場所へ添えられていたからだ。
ともかく、そこに書かれていたのは人の心を解明した、とても美しい知識群だったと記憶している。一度見せて貰ったきりで、今では脳裏に薄っすらと残る程度ではあるが、それは今もなお私の知識と知識欲の根幹を為している。
そうして本を読み終えた私は、幼いながらに未知への探求欲の芽生えに興奮が止まらなかった。そしてお祖父様に自分もこの人にいっぱい教わりたい!と強く願ったのだが、お祖父様は困ったように笑って首を横に振った。
『割符が無ければ駄目なんだ。私の分は曹嵩を養子にする前に皇甫の家に渡してしまってね。伝を得る為にやったのだが、惜しい事をした。もし曹嵩の手に渡っていたら、次はお前の為に使うよう工作していただろうに。
あの傾国の美貌、森羅万象を語る知識、気高き精神と平等性、剣武の天才を転がす技量、あの人に触れるだけでこの世の広さと高さを知れた。聡明なお前が出会っていれば、きっとお前は龍になれていただろうにな』
遠い昔お祖父様との数少ない会話の中にあった一幕が、今鮮明に思い出された。
「あはは、何それ」
風呂に入り、思考を伸ばすままにしていたからこそ見えた荒唐無稽な答え。
「お祖父様が語っていたから、もうとっくに老いて隠れてしまっただろう、と勝手に思考から外していたわね。
しかしそうか、全てが繋がっていたのね。
張良は呂雉によって貶められ、中央にいられなくなった。そして彼は中央から飛び出して国を周り自身を高めながらも仲間達に忠義を尽くした。
そして四百年、各地に民話として残っているように彼は白き正義の味方として過ごし続けてきた。劉邦の意志を受け継ぎ、民を助け、教え、導いてきた。
お祖父様からの割符を受け取ったであろう皇甫嵩が、白の語った精神的外傷の治療を始めた事から、私塾も本当の事だったと知れる。
全ての起点は白であり、赤を支える白い色は全て彼に通じている」
「先程から何を小言で仰っているのですか?」
「彼の正体を勝手に想像していたのよ。けれどまさかのまさか、妄想で答えらしきものに辿り着くとはね。
宮中で伝わってる与太話であり、民間に広がるお伽話が真実の話だったとはね。
確か春蘭は白い衣をまとった正義の味方のお伽話、好きじゃなかったかしら?」
「ええ、力の振るい方の正しき形だと、今でも思っております」
「白き衣を纏って旅をして、民に困った事があればたちどころに万事解決。
飢えがあれば米を流通させ、不作があれば豊作になる方法を伝授し、病があれば自ら治療して、日照りがあれば川の治水をやってのけ、悩む者がいるなら全てに答えを示し、悪人がいれば尽く打ちのめす。
そんな常識からは考えられない事を全てやってのける正義の味方、それが彼よ」
「も、もしや、謙信は華琳さまが以前仰っていた正義の組織の一員なのですか?」
その言葉を聞いてぽかんとした表情で首を傾げる私に、春蘭は鼻息を荒げて詰め寄ってきた。
「以前白き者についてお伺いした時、そう仰られていたではありませんか!お忘れですかっ?!」
「えっと……あーそんな話を以前にしたような……
確か、正義の味方を引き入れましょうと真顔で詰め寄られた時にそう誤魔……推察したのよね」
あれ確か、私達が父から陳留を任された時の話だ。
『華琳さまのお祖父様が仰られ、民間にも噂が囁かれているのです、絶対にいます!手を広げて探しましょう!』
『今はそんな余剰人員いないし、そもそも老衰でとっくに死んでる。って全然聞かない……。適当に乗って話を逸らそうかしら。
えーと、そう、そうね!火のないところに煙は立たない、だから本当にいるのかも知れないわね』
『ですよね! 私達も腰を落ち着ける拠点が出来、手足となる人員も増えてきましたから、今こそ彼の者を探しだし、我らの力となって頂きましょう!』
『彼の者って……もし本当に白き衣の正義の味方がいるなら、それは恐らく白き衣という象徴を持つ、救世の意志をまとめた少数精鋭の秘密組織なのでしょうね。やっている事は手が広い癖に、噂の出処が散発的すぎる、実行期間から考えてもそれが妥当な推理よね』
『なんと、正義の味方は集団だったのですか?!』
『あくまで仮定よ。ってこんな仮定意味ないわ。
えーっと、ともかく! 彼らは秘密の存在だからこそ国に縛られず自由に活動できているの。だから無理に探そうとしては駄目。腰を落ち着けたとはいえ私達はまだまだ弱小勢力、今誘っては彼らの邪魔になってしまうだけよ』
とか言って誤魔化したのだ。
しかしまさか、そのお伽話こそが真実。春蘭の望みこそ正解だったとは、誰が予想し得るのか。
「なるほどなるほど、謙信の卓越した知識も武技も、かの正義の集団の一員であるのなら頷けます!」
「うーん、まあ仲良くなるのなら、そういう受け入れ方でも問題ないかしら?」
「ええ、仲良くしますとも!」
手のひらを返すような態度に頭が痛い……というかそろそろ逆上せてしまいそうだ。
「一応言っておくけれど、確認も取れていない与太話の類よ。それじゃあ話はお終い、長湯をし過ぎたわ」
私は立ち上がり、脱衣室に向かう。
慌てて春蘭が付いて来るが、何やらそわそわしている。
「あの、この話、秋蘭にしてやっても構いませんか?」
「……推論に仮説を重ねた話だから、話半分に聞くよう、また他言無用を貫くようにと前もって言うなら、秋蘭にだけ話して良いわ」
「はっ、有難う御座います!」
そして脱衣室で着替えを済ませて外に出ると、水差しを持った秋蘭と白が向こうからやって来た。
「あら、用意が良いのね」
私と春蘭は礼を言って水をもらう。
「どうだったかしら、私の城は?」
「はい、建築物としての有用性、兵の練度、兵の配置等、素晴らしい点が幾つもありました。格別感嘆の声をもらしたのは資料庫です。蔵書の質も量も素晴らしいですが、編纂途中の資料には特に目を奪われました」
「そう、そこは今最も力を入れている所だから、褒められると素直に嬉しいわ。
では白、私が設計した自慢の浴室を存分に味わいなさい。春蘭は兵の鍛錬結果をまとめたら謙信を迎えに来て、客室まで案内して上げて。
秋蘭は私と共に文官の所に行きましょう」
「「はっ」」
そして秋蘭と共に筆頭文官の元に向かっている途中、白の様子を仔細聞く。
「あら、普通に案内しただけなのね、色々と聞き出すかと思ったけれど」
「色々と話は聞きましたが、私の理解を超える事を至極まともなように答えるのです。私には何が嘘で何が真か見分ける事が出来ませんでした。結果、途中からはただの会話と案内をするだけになっていました」
「そう、まあ仕方のない事ね。秋蘭、会話をした感じ彼をどう思った?」
「理知的で、機微に聡く、謙虚である。なんと申しますか、出来過ぎなのに自然体で……正直に言うと好感触でした」
秋蘭とも上手く付き合っていってくれそうだ。
この二人に認められるなら、他の部下とも良好な関係を築けるだろう。
良かった良かったと一人で納得していると、秋蘭が足を止めた。
私も足を止め、振り向く。
「華琳さま、一つ伺いたい事がございます」
そう秋蘭は切り出してきた。
とても真剣な表情と声に、私も気を引き締める。
「何かしら?」
秋蘭はしばし逡巡していたが、意を決したように切り出した。
「……華琳さま、貴方は何者ですか?」
ああ、やはり私の愛する姉妹には隙がない。
春蘭も気になっていたであろう疑問、しかしあの子はわざわざ聞いてこない。春蘭は良くも悪くも私に対して許容的過ぎ、強くなられたのなら良い、と自己完結したのだろう。
その代わりに秋蘭が冷静で客観的な目を持っていて、私と姉を良く補助している。
とても良い均衡だと思う。
「あの者の事は分からないと諦め、放置出来ます。華琳さまが信用なさるなら信用もしましょう。彼が自身を語るまで待ちもしましょう。
ですが華琳さま、私は姉者と違い、貴方について分からない事を許容出来るほどの器を持っておりません。
華琳さまが見せた急激な変化、以前よりも強大な覇気、研ぎ澄まされた剣技、彼と通じ合うような言葉、何れも私達には理解できませんでした。
ですので改めて聞かせていただきたいのです、華琳さま、貴方はどうなってしまわれたのですか?」
どうなってしまった、か。正直私はこれといって変わったと思っていない。
覇王の記憶があろうとも、私は私である。そのような些末事で揺らぐような自我ではない。
「……今の貴方に、私はどう見えるのかしら?」
「外見も内面も、先ほど言った以外の何か変わったとは見受けられないのです。ですが、私には測りようもない巨大な何かになってしまわれたと思えて仕方がないのです」
ふむ、秋蘭を持ってして言い知れぬ変化か。これは案外直感的な春蘭の方が良い答えを導き出すかもしれない。
まあ私が言える事は、私は変わっていない、一皮むけて成長した、それだけだ。
過去の覇王の記憶と魂を引き継いでいようと、私は私である。
過去の彼とは夢と力の方向性が全く違うのだから、混合する事もない。
「そう、なら答えるわ。
私は私、曹家当主曹孟徳、真名を華琳。覇道を歩み、覇王へ至る者。幼き頃から何も変わっていないわ。
けれどそうね、彼との邂逅で少なからず成長したのは認めるわ。
お祖父様の言葉を借りるなら、私は究竟を知り、龍と成ったのよ」
お風呂でリラックス中にはっと思いつくことありません?
次回更新は来週の土日になります。