今昔夢想   作:薬丸

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曹操視点。
三話更新しました。


48.少女の焦燥

 三人の背中を見送り、戸が閉まった所で私はため息をついた。

 

「駄目ね、心が揺れて仕方がない」

 

 動揺という不慣れな感覚に振り回されている。

 感情を制御出来ないとは、なんたる未熟。

 何故だ、あの時まで簡単に出来ていた物が何故出来なくなっている。

 

 ああ駄目だ、彼が言っていたではないか。

 変に意識をすると余計に泥沼に嵌ると。

 だがしかし、この感情をどう受け入れろというのだ……。

 

「ああもう!あの時から全てが噛み合わなくなった!!」

 

 ほんの二日前まで私は完璧だったのだ。

 あの恐ろしき頭痛を経験してから全てが狂ってしまった。

 

 

 

 始まりは二日前、城内から宝物庫の盗難騒ぎが起こった時に遡る。

 

 私達の努力が実り、急速に発展していく陳留だったのだが、あまりに事を急き過ぎた為に人手不足が許容量ぎりぎりまで来ている、そんな折だった。

 新たな人員は確保していたのだが、配置に手間取ってしまい、ほんの僅かな時間警備に穴が出来てしまった。

 その隙を見事に狙い打たれた。

 狙い澄ましたかのように機を狙われたので、私自ら調査に乗り出したのだが……侵入、物色、逃走は何もかもが杜撰で計画性は一切見られず、たまたま忍び込んだら兵もいないくて何故か上手く行った、ぐらいの場当たり的な犯行だったとすぐに分かった。

 警備に穴を出した自分の不甲斐なさと、たまたま忍び込もうとした時が最善だった盗賊の運の良さに歯噛みしつつ、被害報告のまとめをその場で受けた私は絶句した。

 盗み出された物の中に私が最も気にかけていた品があったのだ。

 

 運び込まれたばかりで入り口近くに置かれていた、狙いもなく勢いだけで侵入した盗賊だったので入り口周辺が一番被害を受けていた、そして気にしていた品が好事家に高くで売れる事の多い書籍だった。

 一つ違っていたら結果も違っていただろうに、折り重なる不運は見事に私の心を抉ってくれた。

 急増し続ける仕事にここ最近ずっと苛々していた私は、この時自身の中で何かがぷつんと切れる音を聞いた。

 気付けば仕事を放り出し、盗賊が逃げたとされる方向へと馬を駆る暴挙に出ている自分が居た。

 

 慌てて追いかけてきた春蘭と秋蘭の二人を引き連れて馬を駆ること数十分。

 陳留と最寄りの村の中間地点辺りで人相書きに酷似した三人組に追いつき、さあ後は首を狩るだけ、という状況にまで追い詰めた。

 

 怯える不細工な三人組に愛用の鎌を振り下ろす寸前、鎌が手からするりと落ちた。

 取るものも取りあえず馬を駆り、ここまでやって来たから疲労と汗で手元が狂ったか?

 そんな事態起こした事もないが、敵はただ怯えるだけで何もしていない。傍から見たらただただ私の過失だろう。

 私は気を取り直して落とした鎌を拾い、再び構えた。

 

 

 その瞬間、世界が割れた。

 

 

 自意識が芽生えてから初めて、私の喉から絶叫が迸った。

 想像を絶する痛みにそこら中を転げまわる。

 春蘭と秋蘭が慌てて近寄ってきて、私を抑えようとする。

 だが私の知る中でも最上級の身体能力を持つ二人の怪力を持ってしても抑えきれずに、何度も吹き飛ばしてしまったそうだ。

 その隙を見て盗賊達はさっさと逃げてしまった。襲いかかるのではなく逃げ去った所に盗賊の悪運を感じる。

 

 暴れ続けて数十分、頭痛はぱたりと消えた。

 唐突に始まり、唐突に終わった謎の頭痛。

 今では暴れまわった際に振り回した手足の痛みしか感じられず、あの痛みは幻痛だったのでは?と思うほどで、そこにまた違和感を感じる。

 

 とにもかくにも、春蘭秋蘭は私が頭を地面に叩きつけようとするのを抑えるのに必死だった事もあり、三人とも等しく疲労困憊になってしまった。

 逃げた盗賊の痕跡も私が暴れたせいで掻き消えており、捜査する気力と体力を無くした私達は盗賊の追撃は諦め、陳留に戻ったのだった。

 

 

 陳留に戻った私は疲労感からすぐに寝てしまった。まだ昼と言っても過言ではない内から寝るなど、ここ十年ではなかった事であり、仕事が山積している最近では在り得ない暴挙だった。

 そのまま寝続け、夕方に目を覚ました時、違和感を感じた。何かは分からないが、どうにも、どうしようもない違和感があった。

 

 言葉にすると、解放感や高揚感となる。普段であるなら良いと思える変化であった。

 だがあの頭痛となりふり構わず暴れまわった後なので、何か恐ろしい後遺症の前兆なのでは?と強い不安を覚えた私はすぐさま陳留で一番と名高い医者を呼んだ。

 医の街である漢中出身の老人で、確かな学問と経験を持って今なお実績を積み上げ続けている名医であり、私自身何度も世話になっている人物だった。

 

 夜も近いというのに、老先生は嫌な顔一つせずに私を診察しに来てくれた。春蘭秋蘭が念を押して頼み込むと、夜遅くになろうとも構わず、詳細に調べて上げてくれた。

 だが彼が出した結論は異常なし。

 体の至る所に傷はあれど、頭には何の障害も見られないと言われた。

 それは受け入れられる、あれから頭痛の兆候すら一切感じていないからだ。

 私は礼を言い、それなりの謝礼を渡して老先生を帰らせた。

 春蘭秋蘭は不満顔だったが、私はもう大丈夫だからと言って無理矢理に納得させた。

 

 とは言いつつ、間違いなく何かがおかしいと私も思っていた。

 起き抜けにはそれ程強くなかった解放感や高揚が、今では胸や腹の奥で異常なまでに高まっている。

 天の頂きに座し、あらゆる事象を俯瞰で見ているような、全てを超越した感覚がずっとある。

 

 そんなある種の全能感がじわりじわりと身体と精神を侵食していく感覚に恐怖を覚えた私は、傷だらけにも関わらず、夜中にも関わらず急遽湯浴みの用意をさせ、微かに震える身体を芯から温めて疲労を加速させ、寝床に潜り込んだのだった。

 

 

 翌朝、昨日よりも加速した心情に怖気が走った。

 

 孤独や孤高を感じる全能感に、熱が篭っていたのだ。

 全てを超越した感覚を存分に発揮したいという熱意が腹の底で蟠っている。

 

 私の意図しない感情に、段々と私が私ではなくなっていくという恐怖が渦巻くが、しかし安堵する部分もあった。

 その熱には覚えがあったからだ。

 私を覇王たらしめんとする原動力、幼少より胸の奥に感じていた謎の熱さと同じものだとすぐに気付いた。

 

 だがこの熱をどう発散させれば良いのか分からなかった私は、とりあえず普段通りを実践しようと逃げに近い考えをし、机に山を為している書類を手に取って仕事に没頭するのだった。

 

 

 日常的に行っていた仕事は熱を冷ますのにある程度の効果を発揮してくれたようで、何とか落ち着きを取り戻すことに成功した。

 そこからはひたすら仕事をこなす。

 平常時に比べて集中力も欠け、気も散っているのに、何故か何時もより仕事が速い。

 経験則で三日はかかるだろうと思っていた山を一日で片付けてしまった。

 苛々する。

 これではまるで今までの私が気と手を抜いて作業をしていたようではないか。

 

 苛々しだした気分を落ち着けようと一息つこうとして、扉がバタンと開いた。

 この城でそんな事を仕出かすのは春蘭か賊ぐらいの物である。

 一応椅子の横に備えてある短剣に手を伸ばすが、予想通り春蘭が入ってきた。

 

 短剣に伸ばした手を引っ込め、机の上で両手を組む。

 苛々を抑えるように両手をきつく握りこむ。

 他人に感情をぶつける無様だけは晒すまいと、出来るだけ優しく窘めようと口を開いた所で、春蘭が誰かを引っ張ってきている事に気が付いた。

 

 もう夜も近いというのに誰を……。

 そこで私は凍りついた。

 春蘭が連れて来た者が絶世の美人だったからだ。

 その美しさは天から舞い降りた天女と言っても過言ではない。

 ああ、これが私の追い求めた美そのものだ。

 私が死ぬ間際に焼き付けた究極の二つの美、その一つが目前に……。

 ……

 …

 はて、死ぬ間際とは何の事だ?私は何を考えている?

 

 首を傾げ、疑問を追いかけようとしたが、凄まじい速さで眼前に迫ってきた春蘭に考えが中断される。

 春蘭は私が仕事をしていた事を烈火のごとく怒っており、後ろに控えていた秋蘭も追従した。

 約束していた事でもあり、忠臣からの心遣いでもあったので、私は黙って聞き入れる。

 

 そして彼女について説明を受ける。

 医者として紹介された彼女は私の覇気を真正面から受け止め、更にはこちらを楽しませるような言葉を吐く。

 

 欲しい、と思った。

 何もかもが私の理想で、今すぐ力づくでも手に入れたいと理性が負けそうになった。

 だが私は知っている、彼女は力で屈服できるような相手じゃない。

 むしろ私が飲み込まれる程の威を持っている。

 そしてそれが更に愛おしさを強くする。

 

 だが、だがだが、だがだがだが、問題が一つ発生した。

 なんと彼女は男だという。

 呆然とした。

 けれど、今世の私は女だから、それも良いかと……。

 

 だから、私は、何を考えている?

 

 頭を振って混線している頭の中を空っぽにする。

 明日改めて診察をすると言われたので、これ幸いと距離を取る。

 春蘭と秋蘭に後の事を頼み、私はさっさと寝処に潜り込み、冷めぬ熱を無理やり抑えこみ、朝近くになってようやく寝入る事が出来たのだった。

 

 

 

 朝起きると、涙の跡があった。

 胸が苦しくなるような夢を見た気がするが、詳しくは思い出せなかった。

 ただ、私は何かに負けたのだ、という印象だけが残っている。

 私は生まれてこの方、負けを認めた事がない。負けても負けても這い上がって全てを上回ってきた。

 だが何故だろう、この敗北感だけはとても素直に受け入れられる。

 ……まあ所詮は夢、先のない話である。

 私はさっさとその事を忘れ、彼に言われた昼まで書類仕事に精を出すのだった。

 

 

 昼が来て彼に診察を受けている間、ずっと胸が高鳴っていた。

 恋する乙女のようだと思ったが、そこには少しばかり物騒な感覚が混じっていた。

 彼と言葉を、そして何より剣を交わしたいという想いが心の底から止めどなく溢れてくる。

 医者に剣を取れなど何を馬鹿な事を考えているのだ、と考えを一蹴し続け、診察は終わった。

 

 結果は異常なし。

 老先生と同じ診断結果だったが、彼の方がより理に適い、正確だった。

 春蘭秋蘭を納得させる為に並べ立てた全てが見事に的を射ていて、その精密な分析にはもはや恐怖を感じた。

 

 しかし身体は健康であっても、心因性による病気という可能性を示唆された。

 つい十年前に提唱され、最近ようやく実証結果が出てきた病状にも詳しいとは……この若き医師は何者なのだ?という疑問と、やはりどうしても手に入れたいという欲望がむくむくと湧いてくる。

 その後、彼をどうにか引き留めると画策しようとしたが、彼が精神的外傷の再現を手伝うと見事な医者根性を発揮してくれたので、明日明後日ぐらいまで猶予ができる。

 

 更に時間と好感度を得ようと思い、食事に誘う。彼は笑顔で応えてくれた。

 最上級の料理による持て成しは功を奏したようで、彼は終始微笑みながら食事を進めていた。

 

 食事の作法もため息をつきたくなるぐらいに完璧で、話の種として出した料理の話題も思った以上の会話となる。

 特にここ四百年の料理史はまるで見てきたように詳しく、この私が舌を巻き、口も出せずに聞き手に徹する他ない等、驚きと悔しさと喜びの入り混じる有意義な時間となった。

 とはいえ、あまりにそちらの話題が楽しく、また尽きなかったので、彼が何者かという追求があまり出来なかったのは不覚としか言えなかったが。

 

 食事を終えて別れると、より彼を求める欲求が増していると気付かされる。

 が、ここで早急に手を出すのは愚策だ。無理強いなどしなくても良いように、地道に好意を積み重ねていかねば。

 

 

 翌日、私達は頭痛が起きた状況再現を行うために陳留から少し離れた荒野に来ていた。

 連れてきた数人の兵を盗賊に見立て、それらしく当時の状況を再現する。

 だが何の変化も見られず、頭痛のきっかけは掴めず仕舞いだった。

 

 ならば盗賊に何か仕掛けられたのかも知れないと話をまとめようとした所で、彼がより詳細な情報を求めてきた。彼への信頼を表すため、胸襟を開いて情報を渡す。

 彼は何度か頷き、太平要術の書について詳しい説明を求めてきた。

 持ち主の望む事が書き記された本、としか聞いたことがなかったので、そのまま話す。

 彼はそれが怪しいと思っているようで、強い興味を示していた。

 

 まあ確かに、持ち主が望む事が書いてあるなら、私達を撃退する外法でも書かれていたのかもしれない。

 あれから何の音沙汰も無いという事は、あの時限りのものだったのだろうか?

 ともあれ呪いに詳しくない私達は手を打てない。

 都か何処かから呪術師を招いて話を聞いてみる、という事でこの件は諦めざるを得なかった。

 

 

 帰途についている間ずっと私は焦っていた。これで彼を縛る用事が全て終わってしまったからだ。

 彼をどうにか繋ぎ止めておきたい。けれど褒賞には興味が無く、患者を第一にする信念があり、旅をするのが生活の一部という彼に、私は提示できる何かを持っていない。

 どうすれば、何をすれば彼を繋ぎ止めておける?

 もっと会話がしたい、もっと一緒にいたい、彼と一緒に高みを見たい。

 焦燥に駆られた私は、気付けば心の底の熱が求めるまま、言葉を彼に投げかけていた。

 

「ねえ謙信、戻ったら剣を交えましょう」

 

 放った瞬間、私自身何を言っているのだと呆れ果てた。春蘭秋蘭、果ては盗賊役として連れて来た兵までが急に何を言い出すんだこの人は?と呆れと疑問が混じった表情をしていた。

 けれども彼だけは、

 

「ええ、真剣を交えましょう」

 

 とても嬉しそうに笑って答えてくれるのだった。

 

 

 

 

 一方その少し前。

 

「ねぇねぇ地和ちゃん人和ちゃん!今の見た?!」

 

「何を?って、また余所見してたの?!もうすぐ稼ぎ時なんだから早く準備終わらせないとなんだけど!」

 

「余所見してたのはちょっとだけだもん!」

 

「作業自体はしてたみたいだけど、何を見たの天和姉さん?」

 

「人和ちゃん、聞いてよ!今ね、一瞬しか見えなかったんだけど、曹操様が見えたんだよ!」

 

「ふぅん、確か昨日か一昨日も自ら出ていらしたわね、何かあったのかしら……」

 

「それでね、その後ろに白い服を着たすっごい綺麗な人がいたの!もうね、なんかね、びびびーって来たの!あれは絶対私達の運命の人に違いないんだから!」

 

「はいはい、何時もの何時もの」

 

「今回は違うの!間違いないの!」

 

「けど一瞬だけしか見えなかったんでしょ?」

 

「うっ、そうだけど……」

 

「それじゃあ見間違いかもしれないし、信ぴょう性薄いわね」

 

「うー地和ちゃんの意地悪!」

 

「はいはい、二人共それぐらいで、それじゃあさ、その人に私達の名前が届くぐらい今日は頑張りましょう?」

 

「うん、そうね、そうよね、お姉ちゃん頑張る!」

 

「あ、あのー、数え役満姉妹の三人ですよね?」

 

「あはっ、そうですよ♪何かありました~☆」

 

「ほ、本物の地和ちゃんなんだな!」

 

「オイラ達皆さんの歌の愛好家でやして、あの、取り敢えずこれ、受け取ってくだせぇ!」

 

「えっ、これくれるの?ありがとー」

 

「有難う御座います、今後の活動の励みにします」

 

「ちょっと急いでて今日の歌は聞けないけど、また聞きに来ますんで、そん時はお願いします!」

 

「なーんだ、ざ~んね~ん↓↓でもでもぉ、絶対また聞きに来てくださいね☆」

 

「も、勿論なんだな!」

 

「それじゃあ失礼しやす!」

 

 ……

 …

 

「お姉ちゃんね、今の三人何処かで見たことあるの、何処だったかなー?」

 

「人相書きが出回ってた三人組ね。はぁ、厄介事に巻き込まれたかしら」

 

「えー悪い人なの?えっと、何か本くれたけど、どうしよう~?」

 

「大人しく曹操様の所に持って行くのが良いわね。褒章も貰えるだろうし、交渉次第では兵や将、高官達の前で歌う許可が出るかもしれないわ。偉い人との縁が出来ると色々と都合がいいし」

 

「そうなんだー。なら私達の運命の人探索計画がいっぱい前に進むね!」

 

「……そんなの必要ないわ」

 

「地和ちゃん?」

「地和姉さん?」

 

「この本に書かれてある事を実践したらもっともっと速い!大陸中に数え役満姉妹の名が轟くわよ!」




改めて注意事項。
土日に改稿したものと最新話を二つ三つずつぐらいアップします。
全話改稿が終わるまでは話数のナンバリングが滅茶苦茶になりますが、ご了承ください。
遅くなってしまって申し訳ありませんでした。

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