今昔夢想   作:薬丸

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改稿済み。


29.光陰矢のごとし

 日暮れからの座学については語る事は多くない。一年をざっくり表してしまおう。

 武術指導による反発は俺を知の人と思っていたからの事であり、元より期待されていた事を期待通りにやれば皆素直に学んでくれた。

 勿論訓練初日ははぶーたれていたが、良き将は軍事を後に引かないし、良き大人は憎きからも学ぶ。

 それでもぶーたれている人物には『お前達は孫策や孫権にそのような態度を見せて真似をさせたいのか?』と言うと態度を入れ替えてくれた。子供をだしに使う姑息な手段である。

 その後のそれらしいハプニングはと言うと、隙をついて寝ようサボろうとする生徒を叩き、探し、叩き、時たま飴を与えて宥めすかしたぐらいか。

 

 内容については張昭が学んだような医農工商を満遍なくという形態は取らず、より実用的な物だけをチョイスして教え込んだ。

 算術、戦闘戦術戦略論、要所だけの君主論、敵味方問わない人心掌握術、自己診断と応急処置の方法、謀略策略の仕掛け方守り方、嘘のつき方見抜き方、休息の効率的な取り方、調理の基礎、薬草の見つけ方等など、これから必要になりそうな事をとにかく詰め込んだ。

 こういう生活と軍事に絶対役立つ知識は皆貪欲に吸収してくれたのだが、数字が関わると途端に効率が悪くなる。戦闘に関するものならまだ学ぶ意欲を見せるのだが、政務に関わるようなものはもう駄目。

 何とか皆を政務がそれなりにこなせるレベルまで持って行けた。

 もっともっと勉学を!とせがんでくれた子もいたのだが、今回は全体の向上を目的にしていたので長所を育てる時間には足りず、彼女達の要望に応える事は出来なかった。

 フォローとして教えを請うてきてくれた良い子には、本と試作お菓子を時折プレゼントした。

 

 孫家の幼子二人、孫権と孫尚香は順調に良い子に育ってます。

 孫権は鍛錬するには早過ぎるので、フラッシュ暗算などで記憶力強化、対洗脳情操教育で人格の育成も完璧、囚われていても出来る簡単で効果的な運動と柔軟、人の考えの透かし方、休息の取り方、不安の克服方法等、教育の方面で出来る限りを行った。

 

 

 

 こうして瞬く間に一年は過ぎていき、最後の期日がやってきた。

 

 文官組である魯粛と張紘ですら武将を倒せぬまでも防御と逃げに徹せば時間を稼げるレベルにまで持って行けた。運動神経はからきしだったが、気の運用と読みを主軸に鍛えれば何とかなるものである。

 知の方面でも面倒臭がらなければ皆それなりの政務をこなせるレベルに達し、適性のある子はそのまま国の中枢に放り込んでも結果を出せるレベルに仕上げた。

 たまにいつもの学習ルーチンと勘違いしてぐだぐだする場面もあったが、最終的には十人の強者を育て上げれた。ほっと一息である。

 

 そして別れの時、皆はそれぞれに贈り物を渡し合い、今までの全てを忘れぬようにと固く誓いを立て、抱きしめ合っていた。

 何処かしらから、ようやく地獄から解放されると咽び泣く声が聞こえてきたが恐らく気のせいだろう。声がした方へ行ってみたが涙ながらに感謝されたし。

 

 俺は贈り物として手作りの和紙に皆を描いた物を人数分用意していた。紙なら折りたためるし、肌身離さず持っていられる。別れの写真は現代でも鉄板の贈り物だしな。

 皆は手渡された絵の緻密さと、なによりその紙の上質さに驚いていた。

 紙は国の専売で和紙を手作りしたとバレると何気にやばいのだが、最近紙の質が著しく落ちてるから高品質で長期保存可能な物は自力で用意する他なかったのだ。

 まあ、バレなきゃ問題ない。

 

 

 名残惜しいが、お別れの時間はやってくる。

 豪華絢爛な馬車が到着し、やたら偉そうな人間が一人降りて来た。

 袁家の誰々であるうんたらかんたらと従者に長い説明をさせていたが、一同聞いてなどいない。

 一応表向き盛大な歓迎を行ったが早々に切り上げさせる。お疲れでしょう、ささっ、館へ!と太守の館へ押し込んだ。

 

 一瞬白けた空気が流れたが、袁家の馬車前までさっさと移動して別れの続きである。

 太守を乗せてきた馬車はそのまま孫権と張昭を連れて行く馬車となる。

 袁家も乗る馬車に二人を乗せる事で体面上対等であると示し、各位の反発を防ごうという目論見なのだと張昭は言う。

 ずっと疑問だったのだ。『張昭は何故全ては袁隗の陰謀!的な方向へと持っていくんだ?』と聞いてみると、私ならそうするからと簡潔に答えられた。なるほど、同族嫌悪だったらしい。

 

 そして孫権と張昭は涙を流しながら馬車へ乗り込む。

 孫策が二人に『自分らしさを決して失わないで、孫権は張昭を良く頼るように、張昭は身体を労るように』と言葉をかける。それに何度も頷く二人。

 そうして馬車は程なくして動き出した。

 

 別れは続く。

 長沙太守は寄越された馬車に乗ってきたあの偉そうな奴が引き継ぐ事になっている。

 もはや長沙に孫策と他の面子の居場所はなく、すぐさま袁家勢力下である江夏近辺まで向かうようにとの旨が伝えられた。

 南への抑え、長江の守護役、何かあれば中央にも届くベストポジションに置かれた訳だ。

 

 俺は皆が荷の確認と馬への荷積みを行っている最中、彼女らに何度も言い聞かせてきたアドバイスを口酸っぱく繰り返す。

 

「袁家の者と会う時は心が折れたように従順に振る舞え、落ち目の孫家に付き従ってくれた古参の兵を大事にしろよ」

 

 彼女達はうんざりしたように、

 

「はいはい、覚悟もしてますし、彼らはもはや私達の家族ですし大丈夫」

 

 と返してきた。

 

「正直お前らは我が強すぎてすぐに地が出そうで怖いんだよ、愛想つかされるなよ」

 

「そういう風に自己を確立させたのは先生ですし、それでどこかに行く兵には見限ってもらって結構」

 

 と強気に返され、俺はもういいと口を閉ざさるを得なかった。

 

 

 何だかあしらわれてしまった俺は皆から離れ、他に言い忘れ、渡し忘れがないかを考えていた。一度子供達と張昭相手にやらかしているので慎重を期さないと。

 頭を捻っているところへ孫策と周瑜がやってきた。

 

「ん、どうした?忘れ物か?」

 

「忘れ物と言えば忘れ物かなー」

 

 気心知れた口調で、悪戯げな表情で近寄ってくる孫策。いつぞやのおしとやかな子猫はいなくなって久しい。

 

「忘れ物というよりも忘れないための物なのですが」

 

 孫策の影に隠れるようにしていつもおどおどしながら俺と対面していた周瑜ちゃんは何処かに消え、冷静沈着で物怖じしない敏腕秘書みたいな仕上がりになった齢十三歳の周瑜さんがそう続けた。

 

 人格的に完成した二人を見ていると、遠い昔に何処かで見たような感覚に襲われる。

 破天荒な主人と生真面目で主人を支える忠臣。遠い遠い記憶にこんなやり取りを見ているような……。

 

「もう、先生ってば!」

 

 孫策の声に我に返る。どうやら少し振り返りすぎたらしい。

 

「また遠い目していましたね」

 

「すまんな、それで何を話してたっけ?」

 

「先生も一緒に来れないのが残念って話だったんだけど」

 

「袁隗のお膝元だと見つかる可能性が高くなる。危険だからやめてくれと張昭に釘を差されてるし、仕方ないさ」

 

「はい、それは仕方ないと諦めています。が、それは話のまくらで、本題は別にあります」

 

「ほぅ?」

 

「ちょっとお願いがあってね、真名の交換をしておきたいなーって」

 

「おいおい、それは皆がもう一度一堂に会する時にしようって決めただろ」

 

 辛く厳しい訓練の果て、何かご褒美が欲しいと言われた俺は各人の武器を調整した。

 本当なら自ずから鍛造した物を渡してあげたかったのだが、時間がなかった。

 まあ元々良い物だったから彼女達の成長に合わせるだけで十二分に名剣名槍の活躍をすると思う。応急処置で済ませていた南海覇王もしっかりと拵えた。

 文官組の二人には材料を厳選した手作りの筆とクッションを贈った。

 あー全員分プレゼントしたわーと思っていたが、張昭と孫権と孫尚香の物をすっかり忘れていた。相手をする事が皆よりも少なかったとはいえ、大失態である。

 孫権と孫尚香は欲しい物がはっきりしていたので、孫権には向こうで暇にならぬよう各種遊び道具とその説明書、孫尚香には大好きな動物達の絵と説明を載せた図鑑を別れの期日直前に仕上げてプレゼントした。ずっとむくれていた二人の笑顔が見れてほっとしている。

 

 しかし張昭の欲しい物だけは皆目見当がつかなかったので、俺は直球で欲しい物はあるか?と聞いたのだ。

 すると彼女は真名が欲しいと言ってきた。

 それを聞いた一同は、あっ、それ忘れてた、と言う感じの顔をしていたのが印象的。先生って一度呼び始めると惰性で呼び続けちゃうよね。

 俺としては真名を教えるのに何の躊躇いもないので張昭だけに耳打ちをして教えた。

 彼女の雷火という真名も預かり、二人きりの時は真名で呼び合いましょうねと言われたので素直に頷いたりもした。

 

 その様子に釣られてか、皆が真名を交換したいと言い出した。

 けどそれで教えてしまうと張昭のプレゼントが色褪せてしまうので、今度皆が集まったら教えると約束をしたのだった。俺としてはこんな些細な約束でも少しは未来の糧になるかなぁという思いもあった。

 

 と、そんな顛末があったので真名の交換は控えていたのだが……

 

「ふふふっ、今の私には切り札があるのだ!先生が知りたがってた南海覇王の来歴が昨日分かったの!」

 

「二人で頑張って書庫や家の伝を辿って調べたんですよ。この竹簡にまとめてあります」

 

 そう言って二人はじゃーんと言ってそれを差し出してきた。

 

「俺が気にしてたの覚えていてくれて嬉しいとか、わざわざ調べてくれてありがとうとか言いたいんだけど、交換条件にされちゃうと有り難みが半減する……」

 

「私も本当なら今までのお礼ですと素直に渡したいんですけどね」

 

「先生が感謝で物を貰うな贈るな、ただより怖いものはないんだぞって教えてくれたんじゃん!」

 

「巡り巡って俺が悪いのか?」

 

 かなり嬉しい筈なのだが、微妙に複雑な感情が混ざってきて自然とため息を吐いてしまった。

 ともかく彼女達の好意を拒否するという選択肢はないので竹簡を受け取る。

 

「俺の真名は白だ」

 

「私は雪蓮よ!」

 

「私は冥琳です」

 

 なんとも言えない表情の俺と、してやったり感を滲ませた満面の笑みを浮かべる雪蓮と冥琳。

 

「折角預けた真名だ、無事に再会した折には呼んでやってくれ」

 

「わかったわ、白」

 

「白さんも再会の日までご無事で」

 

「おう、それじゃあな。雪蓮、冥琳」

 

 そう言って脱力気味の俺は、準備が終っている他の面子へ二人の教育について釘を差しておこうと足を向けたのだが、腕を掴まれ止められた。

 なんだ?と振り返ると両頬に柔らかい感触がやってきた。

 ぱっと離れる二人の小悪魔。

 

「感謝には物ではなく礼と行為で返せ、だったよね」

 

「ですので礼と行為を今ここに」

 

「「ありがとうございました」」

 

 綺麗に不意打ちを決められてしまった。

 彼女達はそのまま自分の馬まで走って行ってしまう。

 俺はそれを呆然と見送るしか出来なかった。

 純粋な好意を嬉しくも思うし、いつかと同じような不意打ちをしてやられ、自身が四百年前から成長できていないようだと情けなくもなる。

 

「まさか道具と言葉を使って感情を揺さぶって隙を作り出すとは……。

 周瑜、歴史に違わぬ恐ろしき名軍師よ……」

 

 と雰囲気を作っていたら、ぱからぱからと複数の馬が近寄ってくる音が。

 

「のう先生殿、仲睦まじきをこの別れの場で見せつけてくれた意図、是非とも我らにご教授願たいのじゃが?」

 

「そうよねぇ、まだまだ未熟なあの娘達の策略にまんまと嵌められる先生ではないものねぇ」

 

「わざとか?!なら罪だぜっ!ウチの姫様達に何唾つけてくれてんだい、あぁん!」

 

 祖茂…お前マジで柄悪いって怖いって。

 あーくそ、皆がいるからと気を抜いていた俺が全面的に悪いんだが、恨むぞ冥琳!

 

 

 その後誤解を解くのに暫しの時間を要し、結局皆と真名を交換する羽目になった。すまん雷火、短い蜜月だった。

 しかしなんだかんだと騒がしく、最後まで涙のお別れとはいかないのがなんともこの面子らしい。

 俺はまた一人になる寂しさを抱えながら、皆の姿が見えなくなるまでその場に留まり、彼女達を見送ったのだった。

 

 

 さて、と一言発して切り替える。

 俺は俺で旅に出なきゃならん。

 今度は後の呉国となる場所を回って彼女達の戦力増強に奔走しようと思っている。

 

 袁家縁の者がいる長沙に長居は無用とさっさと抜け出す。

 そして晴れ渡る空の下、南に進路を取る。

 

 歩きながら雪蓮と冥琳から渡された竹簡を読む。

 中には南海覇王がどういった経緯で孫家に渡ったのか、またその名前の由来などが細かく記されていた。

 そしてその経緯の始まりの部分にあった名前を見て俺は満足した。

 

 建国の元勲であり救国の徒である彼の剣と魂は、今もなお折れず曲がらずしっかりと受け継がれているようである。




次回は孫策視点での十年ダイジェストになります。

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