手足を確認する衣擦れの音が大きく聞こえるほど静かな時間がどれくらい流れたのか、やがてオーナーが口を開いた。
「ねぇ葉隠君、あなたは自分の力について、深く理解しているわけではないのよね?」
「その通りです。」
「ならまず幾つか言っておきたいのだけれど、たった今あなたが使った力は、“魔術”じゃないわ」
? 魔術じゃない? どういう事だ?
「魔術というのは技術。ただ扱うモノが科学的な力でないだけで、科学と大きな差はないの。人や自然に満ちる力について知識を蓄え、それらを操る技術を学び、研鑽し、連綿と受け継がれた“技術”の集大成……それが“魔術”。
でも貴方が使った力はもっと原始的で理屈や技術の欠片もない力、だけど技術では不可能なはずの結果を実現してしまう、根源的ともいえる力……自然や魔術の法則を超えた、いわゆる“奇跡”と呼べるものだと思うわ」
話がおかしな方向に大きくなった……
「貴方がドッペルゲンガーと呼ぶ存在は“奇跡”を行使できるようになった一因ね」
「俺も関係があるとは思っていますが、オーナーはどうして?」
「私はそれを“幽体離脱”に近い状態だと思うの……魂は肉体に残したまま、あなたの肉体と精神のエネルギーで構成されているようね。強いエネルギーの塊を感じるわ……
はっきり言って、本来なら非常に不安定で危険な状態になるはずなのだけど……」
オーナーは言いよどみ、俺とドッペルゲンガーを交互に見て改めて口を開いた。
「なんだかおかしな事になっているわ」
「それはどういう事でしょうか……?」
「普通の幽体離脱だと肉体と抜け出た魂(幽体)がへその緒のような一本の糸で繋がっているのだけど、貴方たちの間には無数にあるのよ……まるで魂と肉体を糸で縫いつけたみたい。とても安定していて、手先や足先までビッシリと繋がっているわ。
……この糸が切れると幽体離脱した人は死ぬと言われているけれど、貴方は数本切れた位じゃなんともなさそう」
オーナーが言うには幽体と肉体が深く繋がりすぎているという。そのために特異な作用があり、“奇跡”を行使できるようになったのかもしれないとの話だ。
「でも、それは決して良いことばかりではないと私は思うの。こういう霊的な繋がりを利用した呪いに“牛の刻参り”というものがあるのだけれど、聞いたことないかしら?」
「藁人形で有名なやつですよね」
詳しくは知らないが、それだけの知識でもよかったようだ。
「あれは道具を用意して正しい作法に則って行うことで、対象と縁を繋げた藁人形を介して呪いを送るのよ。逆に言えば道具と作法が揃わないと効果が無いのだけれど……貴方の場合は常に深く繋がっているから……
霊視をして予想しただけで確証はないけど……と自信なさげに忠告されるが、俺には心当たりがある。俺は服にするから攻撃がペルソナに当たるのは自分に当たるのと同義。体に傷が付かないだけ良いと考えていたが、まさにオーナーが言った通りだ。ペルソナは攻撃を受けると召喚者にダメージがフィードバックする。
それを見ただけで予測したオーナーに驚きを隠せずにいると、まだ沈黙していた江戸川先生が聞く。
「いやはや、影虎君は予想を遥かに超えてきましたねぇ……私には二つ聞かせてください。このさい経緯は置いておいて、貴方は得た力を今後どう使うつもりですか?」
「生き延びるために使います」
考える必要もなく、口から自然に答えが出た。
その早さにか? それとも内容にか? 先生は数秒間動きを止める。
「…………聞きたい事が増えました。それはどういう意味でしょうか? 生き延びたい、その言い方ではまるで」
「……ただ学生としての生活だけを送れば、俺は卒業する前に死にます。江戸川先生は母から聞きましたよね」
ここで質問は一時中断。オーナーは知らなかったため、先生から確認を兼ねた説明が行われる。しかし流石はオーナー、驚くほどに理解が早かった。
「予知夢、そう……貴方は自分の“死”を見ていたのね」
「して影虎君。その予知、ずばり精度は?」
「少なくとも今日までに見た予知は全て的中しています」
腹を決めたからだろうか? 淡々と言葉が出る。
「そして死亡原因ですが……八年前の九月にこちらで起こった爆発事故、それと同じ事が再び起こされようとしています」
「「!!」」
俺の言葉に、二人は目の色を変える。
「そういう事でしたか。影虎君のトラウマに岳羽さんとの話、そしてこのドッペルゲンガー、すべて繋がった気がしますねぇ」
「岳羽さんというのが誰かは知らないけれど、桐条グループが関わっているのね」
時間をかけて説明をしていくつもりだったのに、一足飛びに理解されてしまい驚きを隠せない。
「その通りです。でも何故……」
「何故も何も、当時桐条グループの総帥の座に座っていた桐条鴻悦という男が、魔術に強い興味を持っていたという話は有名ですからねぇ」
江戸川先生は当たり前の事を言うようにあっさりと話す。しかし俺はそんな事は知らなかった。
「有名といっても私たちみたいな人々の間での話よ。事件当時はインターネットのサイトでも頻繁に名前が上がっていたわ……一般の人が容易に見られるようなサイトではないけれど」
「総帥が魔術に傾倒しているというのは、桐条グループにとって醜聞だったのかもしれません。それとも彼の思想が原因でしょうか? 一般の人が聞けるような場所ではまったく噂されませんねぇ」
「その思想と言うのは“終末思想”ですよね?」
「あら、それは知っていたのね。思想は個人の自由だけれど……彼はその思想に取りつかれて日に日に言動が怪しくなっていたらしいわ。あとは、そうね……聖書から“ヨハネ黙示録”を度々引用していたとか」
「彼は財力に任せて他者を押しのけるように書物や物品を買いあさり、自ら破滅に向かっていた……だから我々の間では悪い意味で有名なのです。事件当時は様々な憶測が飛び交ったものです
しかしあの事件が再び起こるとなると……むむむ……」
「原因は何か分かるかしら?」
「このドッペルゲンガーと同じ“力”に関する実験です」
俺はペルソナと当時桐条エルゴノミクス研究所で行われていた実験について、知りえる事を説明した。その結果、二人は静かに憤慨する事になる。
「ペルソナに召喚器ですって? そんな、機械の力で魂を無理に体から弾き出すような真似を……できたとしても、そんな事をしたら
「桐条鴻悦は大金をはたいて買い集めた書物の意味を、ついぞ知ることはなかったのでしょうねぇ……それにしてもあの事故にそんな真相があったとは……」
「問題はその実験に関わった研究者がまだ生きていて、実験を完成させようとしている事です」
「対策はあるのかしら?」
「実験が完成しないように妨害するなど、色々と考えていますが……その時が来るまでは動くに動けない状態です。下手に動くと予知した情報が無意味になりかねません」
「なるほど……では私から最後の質問と提案をしましょうか」
江戸川先生はそこで言葉を一度切る。
勿体をつけられ、俺が質問と提案が気になった頃。
「……影虎君、君は私たちに何を望みますか?
ですが予知という情報の優位性を保つためには、我々が勝手に動くわけにも行きません。できる限り吟味に吟味を重ねて行動に移すべきでしょう。君もこれまでそうやって来たはずです……今まで一人でよく耐えました」
その言葉を聴いた途端、目元に熱を感じた。
「だから……『求めよ、さらば与えられん』……君が必要だと考え、欲するものがあれば相談なさい。私はそれに、私に可能な範囲で応えましょう」
「それなら私も協力するつもりだから、忘れないで頂戴ね?」
俺はその言葉に明確な答えを返す事ができず、ただただ机を涙で濡らした。
「落ち着いたかしら?」
「はい、すみません」
「いえいえ。それで? 何か私たちに協力できる事はありますか? まぁ、私が教えられる事は知識くらいです。……今だから言いますが私、魔術は使えないも同然なのでオーナーのような力は期待しないでください」
「えっ、そうだったんですか?」
「私はまだこの世界に入って日が浅いのです。知識だけは蓄えられましたが、技術の方は修行中なのですよ……ヒヒッ……」
変な薬を作っているから、使えるのかと思い始めていた……でも、俺がまず江戸川先生に求めたいのは魔術ではない。
「江戸川先生には、怪我や病気などの緊急時に治療をお願いします。俺は桐条系列の病院にかかる事ができません」
「そういえば言っていましたねぇ、ペルソナ能力の素養を勝手に調べられてしまうと。……いいでしょう! 私が君の主治医になりましょう」
「ありがとうございます。部を作った時にも話したので、代わりと言ってはなんですが、意識とオーナーの協力があれば毒物や薬の副作用も無効化できそうなので……」
「ほう……なお良いですねぇ……分かりました、君の健康は私の全身全霊をもってサポートすると改めて誓いましょう。安心なさい、これでも私は患者の
なんとも頼もしく、そして同時に不安を感じる返事を頂いた。だけど先生の薬は意外と、ちゃんと効く。いらない副作用が高確率でついてくるけど、ポズムディで治せるなら安心だ。
「江戸川さんは治療、なら私はやっぱり魔術の指導になるのかしら?」
「お願いします。それからこの前のオニキス、あれもペルソナに関係する物なので、今後手に入り次第買い取りをお願いすると思います」
「フフッ、それは私にも利があるわね。楽しみに待っているわ」
「あとはペルソナの力に関しても手探り状態だったので、何でもアドバイスをいただけると助かります」
「アドバイスねぇ……ペルソナの力は魔術と同じエネルギーを使っていたから、魔術でエネルギーの扱いを覚えればペルソナの力も気を失わずに使えるかもしれないわね。試しに基礎を積み重ねるといいわ。ペルソナに役立たなくても魔術には役立つから」
「瞑想ですか」
アナライズの真価に気づいた日にも試したが、いまいちコツが掴めない。
それを相談すると、オーナーはこんな提案をしてきた。
「だったら葉隠君、お店で占いをやらない? 江戸川さんから前にタロットカードをあげたって聞いたわ。それを使って、サービスの一環としてここで占いをすればいいのよ」
「占いが訓練になるんですか?」
「タロット占いも自身や他人の内面に問題や解決策、本当の姿と様々な事柄を探っていくでしょう? 真剣にやれば瞑想と同じよ。特別な事は考えなくていい、真摯に占う相手と目的の事を考えて答えを出せばいいの。カードという手がかりがあるから、そちらの方がやりやすいと言う人もいるわね」
占い……そういえばゲームセンターの占いでペルソナの魔力が上がったっけ? ……あれ? 本当に訓練になるのか!?
「分かりました、やらせてください」
「それなら明日から始めましょう。詳細は後で詰めておくから、明日はタロットカードだけは持参してね。小さくなるけど看板も用意して……あ、値段は一回五百円からでいいかしら?」
「お金取るんですか!? 占い師未経験ですよ、俺」
「ウフフフ……心配ないわよ、町の占い師は結構アルバイトの人が多いから。それも未経験者OKの求人で雇われた人だったりね。値段もそれを考慮して相場よりだいぶ安いわ、初めは占い師見習いとして始めなさい。
ただし人からお金を貰うのだから適当ではダメよ。仕事として、責任を持って占いなさいな。場所代として少しは貰うけれど、占いのお代はお給料に加えるから頑張ってちょうだい。そうすればお金も稼げて精神のエネルギーを操る基礎訓練もできる。一石二鳥じゃない」
オーナーはどんどんと俺が占いをする方向に進めていく。
俺の経験なんて山岸さんと桐条先輩にインチキ占いをやった程度なんだが……
戸惑っていると、江戸川先生の追い討ちが加わった。
「ヒヒヒ……影虎君、もう逃げ道はなさそうですねぇ。ついでに肉体のエネルギーを操る訓練に、気功をやってみませんか? 気功でしたら辛うじて私が教えられますが。健康のためにも良いですしねぇ」
そして俺は
「………………やります! 未来のために! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」
二人の暖かい視線を受けながら、全てをやる事に決めたのだった。
影虎は多くの事を二人に話した!
しかし神と転生の話、未来の出来事については話さなかった!
影虎は二人の協力を取り付けた!
影虎は支援者を見つけた!
江戸川が影虎の主治医になった!
江戸川の薬を飲む機会が増えた!
影虎は心おきなく宝石を売れるようになった!
影虎はアルバイトで占い師を兼業する事になった!
影虎は気功を学ぶ事になった!
江戸川先生とオーナーは、特別課外活動部で言うと物語前半の幾月。
名探偵コナンで例えると博士のポジションです。
影時間やタルタロスでの実働要員ではありません。