影時間
~タルタロス・16F~
チャージからの形意拳。
増幅した気を拳に集め叩き込む。
が、実際に行うのは難しい。
一撃、一撃と完全に威力の乗り切らない打撃がオーロラを揺らす。
そのたびに使い直すチャージによって、体力はともかく魔力がじわじわと減っていく。
しかしそれでも回数を重ね、そのたびに少しずつ改善を重ね。
やがて練習が実を結ぶ時が訪れる。
「ッ!!」
拳が接触した感触の確かな違い。
今までで最も大きく揺らぐオーロラの波紋。
突きこんだ腕から一瞬、ふっと全ての抵抗が消えた。
(貫いた!)
そう理解し、喜んだ次の瞬間。
腕に強い衝撃が走る。
「ぐぁっ!?」
「先輩!?」
「バウッ!」
「いってぇ……」
「大丈夫ですか!?」
「ああ……」
ちゃんと動くし、骨は大丈夫そうだ。
「壁は打ち抜いたように見えたのに。一体何があったんですか?」
「多分あれだよ」
たった今貫通させたはずのオーロラの壁。それが今は、
「直ってる……」
「一度打ち抜けた。それは間違いない。ただその直後に戻ったんだと思う。穴が縮んで塞がるみたいに……一瞬、腕を万力か何かで締め付けられたかと思った」
やっと貫通させてもこれか。やはり一筋縄ではいかないな……
腕を見ると、一部が内出血している。
「今日のところはここまでにしよう」
この壁を越えるためには、ただ貫通させるだけでは足りないらしい。
もっと大きな穴を開ける必要がありそうだ。
だけど、一度でもオーロラの壁を貫通させた。これは大きな進歩だ。
……
…………
………………
翌日
10月30日(木)
朝
~部室~
作曲データの内、学園祭で使う楽曲の候補を絞り込み、サポートチームへ転送。
後の手配はあちらに任せ、選んだ楽曲を歌えるようにドッペルゲンガーで脳内再生。
音楽を聴きながら畑の世話をしてから、明日撮影する動画用の料理を練習する。
……
…………
………………
放課後
~校舎裏~
内家拳の練習もとうとう最終日を迎えた。
しかし、今回は特別なことを一切しないようだ。
「内家拳は1日にしてならず、教えた事を反復していくのが大切なんだよ。君が一週間で大きな成長を遂げていることはもう分かっているからね。今後もさらに練習を続けて、もっと内家拳の真髄に迫ってくれ。
では最後の指導を始めよう。今日は“勁の伝え方”を重点的に教えていくよ」
先生は語った。
太極拳の練習では、体内の気の巡りを把握することを。
形意拳の練習では、体の動きと気の巡りを整え勁として発することを。
そして今日、八卦掌の演習を通して、勁を相手に伝えることを重点的に教えた。
多種多様の技法があるが、この3点が重要なのだと。
この3点を押さえているのといないのとでは大きく違いが出ると。
そしてこの3点は内家拳のみならず、ありとあらゆる武術に共通すると。
「君にはまだ先がある。これから君はさらに多くのことを学び、身につけていくのだろう。その時に私の教えを役立ててくれると嬉しいね」
「……ありがとうございます!」
黄先生に心から感謝しつつ、最後の練習を行った!
……
…………
………………
練習後
~部室~
最後の料理は、なんと“蛇肉のスープ”だった……
蛇は疲労回復にとても良い食材(当然種類と処理による)らしい……
勇気と度胸で蛇をさばき、スープを作って食べきった!
しかし、スタッフさんのノリが罰ゲームだった気がしてならない……
「ちょっとはそういう意図あったでしょ」
「いやいやいやいや」
「全然ないよ」
「本当かな」
番組の締めとして、皿洗いをしながらこれまでのことを語り合う。
その中で軽くネタにしてやった。
しかしそれはあくまで軽く。
今日のことで一番話題になるのは“勁の伝え方”について。
「形意拳の拳の握り方。八卦掌の粘り着くような打撃。色々と学ばせていただきましたが、やっぱりポイントは共通して勁を相手に届けること。それができているかどうかで威力が増減してしまう。今日の練習で実感できました」
「横で見ていたけど、八卦掌も1日2日やっただけにしては上手だったよ。もっと対象に波を起こすように意識してやってみるといいよ」
「波……」
目の前にある、溜めた水に触れる。
水は触れた指に抵抗することなく、小さな波紋を生んで指を通す。
「そうだね……銃の威力がどうやって決まるか知っているかい?」
「基本的には口径、弾の大きさとか火薬の量ですね。あとは弾頭の形状でも体へのダメージの与え方が違います。
!……そうか、たとえば弾頭に窪みがあり、着弾の衝撃により体内でキノコ形に変形するホローポイント弾。衝撃を人体に伝えやすく、また肉体の損傷も大きくなるそうですが、それと同じなんですね!」
「君、詳しいね!?」
「ライフル弾には撃たれましたから。色々勉強しました」
「あー、それで……まあそういうことだね。貫通させるよりも、相手の中に広げる感じさ」
よく見れば掌も自然な状態では中心部がへこんだ形になる。
ホローポイント弾に近いかもしれない。
そのまま水面に掌をつけると、中心部に僅かな空洞が入る。
それを無くすように水面に手を押し付ける。
すると指先を水に入れた時よりも大きな波紋が生まれた。
しっかりと発勁した上で行え
「ぶっ!?」
「うわっ!?」
掌の先から、大きな飛沫が上がった!
「すみません! 濡れてませんか」
「大丈夫。袖だけだから」
「よかった。勁の伝え方について考えていたら、思いのほか力が入ってしまって」
「ハハハ、熱心なのはいいけど気をつけなよ」
スタッフさんにも笑われてしまい、なんだか締まらない終わり方になってしまった。
しかし勁の伝え方に波……これはあのオーロラの壁にも使えそうな気がする!
……
…………
………………
夜
~自室~
ベッドで横になり、携帯のアプリを起動。
――グループ名:影虎問題対策委員会――
影虎 “荷造り終わった”
会長 “おつかれー”
順平 “とうとう明日かー、影虎のなんとかプロジェクト参加が世間に知れ渡るの”
宮本 “俺たちは帰国後すぐに聞いたし今更だけど、また騒ぎになるよな”
影虎 “間違いない。というわけで俺は明日の夜から検査入院という名目で雲隠れします。
授業のノートとかよろしく!”
友近 “今度ラーメンおごってくれ”
岩崎 “勉強、教えてもらったほうがいいんじゃない?”
西脇 “言えてる”
高城 “私は美味しい物の方がいいかな。どこかにロケ行った時にでも”
山岸 “美味しい物といえば、この前ネットで見たんだけど……”
皆と楽しく雑談した!
……
…………
………………
翌日
放課後
~部室~
「楽しんでいただけましたでしょうか? 今日作った“葉隠流トマト鍋”のレシピは概要欄のURLからダウンロードできますので、興味のある方は作ってみてください! それでは“Tora'sキッチン”、次回をお楽しみにっ!」
八十稲羽の野菜を紹介するための動画撮影が無事に終了。
「今日も良い感じだったね。投稿した後のコメントが楽しみ」
山岸さんのテンションが珍しく高い。
動画編集とその評価がよほど嬉しいらしい。
勉強などもしっかりやっているようなので、何も言うべきことは無いが……
「あっ、そうだ葉隠君。この前のバイオリンの動画が好調なんだけど、あの“カントリーロード”と“情熱大陸”? 両方とも“作曲者さんの名前に聞き覚えが無い”、“新人さんなのか?”、“どこの誰なんだ”って質問がたくさん来てるよ」
「あれは例のプロジェクト関連でアメリカから取り寄せた曲だからなぁ……」
という設定。
前世から持ち越した曲は作詞・作曲者名はそのまま、アメリカに住む人物の作品ということにして向こうで管理(裏工作)してもらうことになった。
「あと他にも“勉強動画をもっと投稿して欲しい”とか、“格闘技系の動画をもっと見たい”、それに“パルクール同好会なのにパルクール動画は投稿しないんですか?”って感じで一杯質問のコメントがきてたの。
そういうコメントは簡単に分けてまとめておいたから、今後の参考にしようね」
「分かった。ありがとう」
まさかここまでハマるとは……
山岸さんには動画編集を任せ、俺は厨房の片付け。
その後、近藤さんが迎えに来るまで次回の動画内容について2人で打ち合わせを行った!
……
…………
………………
夜
~某病院・病室~
「こちらが今日から一週間、葉隠様の過ごされる病室です」
「……やっぱり豪華ですね……」
近藤さんが用意していた病室は、なかなか大きな病院の特別室だった。
なんとお風呂とトイレはもちろん、広いリビングに冷蔵庫や小さなキッチンまで付いている。
「特別室って宿泊費が相応に高いって聞きますけど、いくらぐらいするんですか?」
「この部屋は一泊20万円ほどです」
「うわぁー」
「プロジェクトの必要経費として、本部が負担しますのでご安心ください」
相変わらず金の使い方がすごいな……でもそれに慣れてきている自分がいる……
「検査と撮影は明日からの予定ですので、今日はもうごゆっくりお過ごしください。明日は午前中に目高様と“ヘルスケア24時”のスタッフ様方、そして葉隠様の検査をする医師団の方々と顔合わせ。その後は検査と、忙しくなりますから」
「分かりました」
近藤さんはさらに数点の連絡と確認をすると、明日からの準備があるからと帰ってしまう。
自由といっても外出はできないし、土地勘もない。
超人プロジェクトの発表は日本時間の11時なので、まだ先だ。
……ネットは使えるそうだし、動画サイトの様子でも見てみよう。
「どれどれ……おっ、もう動画アップされてる」
山岸さんの編集で見やすく。さらに音楽や拍手などの効果音も足されている。
素人目に見ても動画のレベルが上がってきたな……コメントや評価も悪くない。
『今度は料理か』
『格闘技、ダンス、勉強、バイオリン、そして料理。趣味多すぎワロタ』
『家・庭・菜・園wwww材料から作るのかよwwww』
『大量に収穫できたから料理動画ってわけね』
『トマト鍋の汁だけでうまそう』
『メシテロ動画』
『動画のクオリティー高いな。特にここ数回』
『鶏肉入ってるけど、メインは野菜っぽい』
『プチソウルトマト、ヒランヤキャベツ、カエレルダイコン、開錠ムギ。
どれも聞き覚えのない種類だけど、どこかのブランド野菜?』
『概要欄に説明あるよ』
『つか調理の合間に挟まれる説明細かいな』
『薬膳とか栄養学とか、やっぱり日頃から体を気にしてるんですね』
『鍋はこの時期Good! それも体を温める具とか冷え性には嬉しい』
『大根は消化不良改善や風邪に効果あり、喉の炎症を抑える効果もある、か……
あんまり好きじゃないけど、風邪気味だし作ってみるかな……』
『え? キャベツが最後? 火は通るの?』
『キャベツそうやって食うのか(笑)』
『千切りキャベツを直前に鍋にぶち込んですぐ食ってる。これしゃぶしゃぶだっけ?』
『キャベツのしゃぶしゃぶとか珍しいな』
『元から葉が柔らかい品種だから煮込まなくてもいいと』
『程よく温めつつ、熱で栄養素を壊さないようにすばやく摂取するのね』
『野菜が多く食べられそうな鍋ですね』
『うまそう』
『飯テロ注意』
『具はあらかた食い終わったな。そうなると気になるのは……』
『キター!!! シメの食材!!!』
『開錠ムギの麦飯に、チーズ、パセリ、黒胡椒』
『トマトベースの汁と合わせてチーズリゾットか!』
『“とけちゃうチーズ”は便利だよね』
『汁を吸った香ばしい麦飯を半分溶けたチーズが包んで、パセリと黒胡椒がアクセントに……』
『ぐあああああ! 何て動画をちょうどいい飯時に出してくるんだッ!
カップ麺で適当に腹を満たしたのを残念に感じるじゃないかッ!』
『この動画を出したのは誰だッ!』
『この料理を出している店はどこだッ!』
『鍋食いてえ……まだ飯食ってないし、どっかで食えるかな……』
最後に向かうにつれてコメントが多くなっていく。
今回の動画も好評のようだ。
この時点でこの反響なら、霧谷君にも納得してもらえるだろう。
……
…………
………………
夜11時半
テキサスの時間は午前8時半。
病室のテレビには夏休みに起きた大事件の中心地となったホテルが映っている。
何を思ってか、コールドマン氏はあのホテルを記者発表の会場に選んだようだ。
超人プロジェクトの記者発表はコールドマン氏の挨拶から始まった。
彼がこのプロジェクトを立ち上げるに至った経緯。その思い。
さらに具体的な内容と協力する企業、プロジェクトの参加基準などが次々と語られていく。
世界的大富豪のコールドマン氏が発案し、多くの世界的企業が協賛するこのプロジェクト。
会場に集まった記者の注目度は相応に高いようだ。
質問も幅広く、真面目なものからジョークを交えたものまで飛び出している。
『Mr.コールドマン、あなたのプロジェクトは非常に魅力的です。この発表後には多くのスポーツ選手があなたのプロジェクトに応募すると思われますが、あなた個人はどのような人に栄えある1人目の参加者になってもらいたいですか?』
『1人目の参加者か……』
コールドマン氏は薄く笑う。
『それについてはもう少し後で話すつもりだったのだが、いいだろう。実は1人目の参加者はすでに決定しているんだ』
記者団から声が上がり、一斉にフラッシュがたかれる。
『応募受付はこの会見後からでは!?』
『もちろん応募は先ほど話した通りに受けつける。ただしプロジェクトにはトラブルがつきものだ。よって私は私自身がスカウトした一人の少年に、少し前から支援を始めていた。最終確認のためのテストケースとしてね。
そしてこのプロジェクトに私の意思が大きく反映されるのは、先ほどの説明でご理解いただけたと思う。その私の推薦で彼はテストケースから正式に一人目の参加者となる。もっとも彼は規定のテストを受けたところで軽く突破すると思うがね』
『“彼”とは一体何者なのですか!?』
『少年とおっしゃいましたが、歳は!?』
『どこでスカウトしたのですか!?』
『その少年の経歴は!?』
うわ……会場が騒然となっている。
テストケースとその必要性を先に話せば、もっと落ち着いた状況で説明できると思う。
それをあの人が考え付かない、できないなんてありえない。
Mr.コールドマン、わざと騒がせたな……
『私は数多くの部下に、世界中から私のプロジェクトにふさわしい人材を探させた。そして数多くの候補者の名前が私の耳に入った……彼はそんな中の1人でしかなかった。ある時までは』
もったいつけて名前を出さず、世間に公表できる範囲で俺との出会いを語る彼。
数ヶ月前にテキサスで起きた痛ましい事件。麻薬組織との銃撃戦。そこで撃たれた少年。
そこまで言えば殆どの記者が察したらしい。
『彼の名前は葉隠影虎。優れた運動能力だけでなく、その身を盾に幼い少女を凶弾から守る勇敢な心を合わせ持った高校生さ』
……予想以上にハードル上げてきやがった……
そこから先はまるで舞台のようで、すべてが予定調和の演出に見えた。
朗々と語るコールドマン氏と、歓声を上げてシャッターを切る記者たち。
画面に映る映像をしばらく無言で見つめた俺は、テレビを消してベッドに潜り込んだ。