別行動していた親父たちと合流し、モーターショーの展示品の数々を見物して回る。先に来ていた親父たちの説明もあり、わかりやすく快適なツアーを楽しんでいるうちに、帰る時間がやってきてしまった。
しかし……外に出ようとしたところで、何やら騒がしい事に気がつく。
人の流れが会場とは別の方向へ向いている。それに……
「何か、焦げ臭くないか?」
バイクを展示していた建物の外に出ると、原因はすぐに判明した。
「うわっ、先輩あれ!」
「すげぇ煙だな…」
「火事か」
かなり近い場所から天高くまで黒い煙が立ち上っている。
位置的に会場ではないが、路地を挟んで隣かそのあたりだろう。
って、おい!
「コリント! 双子が人混みに入った!」
「なぁっ!? ホントだいねぇ、どっち行った!?」
「こっちだ! 親父! 天田たちを頼む!」
双子を追って人混みに飛び込むコリントと俺、後ろからエレナとジェイミーもついてきた。
「すみません! ちょっと通して! 子供が!」
「すんません! マジすんません! ったくあいつら……」
「ガツンといってやらないとね……」
「あ~あ……あの子たち、後が怖いわね。タイガー、こっちでいいの?」
「大丈夫」
周辺把握で二人の位置は補足できている。
しかし火事場の方に向かっているため、周りにどんどん人が増えてきた。
おまけに狭い路地に入ると体格差で速度に差がつく。
「すみません! 通してください! もう少し……マイス! ルイス!」
「「タイガーだ!」」
「捕まえた! ……ふぅ。だめじゃないか、勝手に動いたら」
「タイガー! よかった、捕まえたのね」
「「つかまったー!」」
「へぇ~、楽しそうね~?」
「さんざん走らせやがって……ったく。覚悟はできてるな?」
「「タイガー」」
素早く俺の後ろに隠れる2人。
それを前に押し出す俺。
「もう逃がさねぇよ」
「言うことを聞けないならすぐ帰るって約束だったわよね」
保護者二人に引き渡された双子は、無言で肩を落としている。
「お二人さん、叱るにしてもここじゃ邪魔だから」
「……それもそうね」
「つってもどっち行くか……」
前後左右、どちらを向いても人の壁。
双子を追っているうちに、火事場にかなり近づいていた。
これでは抜け出すにも一苦労しそうだ。
「うっわ、酷いわね」
「ん? ああ……」
六車線の車道を挟んだ向こう側。
燃えているのは高層ビル。十七、十八階から火が出ている。
「……何でこんなに燃えてるんだ? 防火設備とかないのか?」
「私に聞かれても……」
「放火だよ」
「放火?」
俺とエレナの会話に割り込んできたオバちゃんが言うには、このビルは各階が貸しオフィスになっていて、火元は十六階。犯人はその階にある会社に勤めていた社員で、先月末にクビなったことを恨んでいたらしい。内部のセキュリティーにも詳しく、ただ侵入するだけでなく、ビルの防火装置を止めてから念入りに燃料を撒いて火をつけたと。
「さっき警察に連れていかれたけど、犯人の様子もおかしくてさ……何か変な薬でもやってんじゃないかってくらい、おかしな様子で叫んでたよ」
……リアンさんの話と関係があるのだろうか?
「でも火事が今日で良かったよ」
「と、言いますと?」
「その会社、今日は休みだったみたいでね。中には誰もいなかったんだそうよ。だからこそ犯人も狙ったようだけど」
「その上は?」
「十七階は同じ会社で休み。他は非常ベルが無事でね。従業員全員の無事が確認されてるってさ」
「そうですか」
被害にあった会社やビルの持ち主には悪いが、人的被害が出なかったのは幸いだ。
「……うん?」
「どうかした?」
「違和感が……」
なんだろう? ビルを見ていると何か気になる。
十八階あたり……? あの階が………………嘘だろ?
「タイガー? どうしたの?」
「ちょっと君、大丈夫なのかい?」
「人……」
「えっ?」
「人だ、まだ十八階に人がいる。通風口か何か、煙が大量に出てる場所の真下!」
「うそっ!? どこ!?」
「右から二つ目の小さな窓。その隙間から指先が出てる。たぶん子供……」
「何でそんなところに子供がいるのよ!?」
「俺が知るかそんなこと!」
ガラスが屋根瓦のように水平に重なったタイプの窓。
その隙間から小さな手が覗いている。人形などではない生身の手。
望遠能力がその手の弱弱しく生物的な開閉をとらえた。
生きている。見間違いでもない。確認されたんじゃないのかよ!?
「エレナ、あの消防隊は気づいてるのか?」
「……気づいてなさそうね」
「叫べば届くか!?」
「叫ぶって……あれリアン伯父さんじゃない?」
上ばかり見て下に気づかなかった。
言われた方を見てみると、交通整理をしている警察官の中に彼の姿がある。
「間違いない!」
「電話してみる! 出てくれるかはわからないけど、はい!」
エレナが携帯をいじって俺にパス。
通じてくれ……!
「リアンさん!」
『エレ、タイガーか? 悪いが今は話している時間がない!』
「火事場の交通整理ですよね! 見える所にいます! それで」
「……人よぉおお! 人! あのビルに人が残ってるわよぉおお!!!」
突然隣から上がった絶叫。
見ればさっきのオバちゃんがカメラをあの窓に向けていた。
『今の声はなんだ!? ビルに人がいるとか聞こえたが!?』
「十八階にまだ生存者がいます。右から二番目の窓、そこから見えませんか?」
『ちょっと待て! ……』
リアンさんが近くに止まるパトカーの中から、双眼鏡を取り出して見ている。
『……! 確認した、すぐに通達する。用件はそれだけか?』
「はい」
『では切るぞ。協力に感謝する』
……これで人がいることは伝えられた。あとは救助を待つだけ……
と思っていた。しかし……
「あれヤバくないか?」
「ぜんぜん届いてないじゃない!」
野次馬が不安を口にした。
その言葉通り、救出は一向に進まない。
“十八階”というのがまずかった。現場にあるはしご車のアームは届かず、下の二階は既に火の海。非常階段は既にその中らしい。ヘリコプターによる救出が期待されているが、来る気配はない。
いったい何をやってるんだと、見ず知らずの相手に苛立ちがつのる。
そしてふと考えてしまった。
俺ならあそこまで行けるのに……
これまで影時間に幾度もビルへ登ってきた。
あのビルは手足の指をかけるには十分な凹凸がある。
窓の位置は右から二番目。
一度火や煙の少ない角から登り、張り出た部分を使って横移動すれば……
魔術を使えば可能。
十八階という高さは未経験だが、登ることはできるだろう。
しかし、危険が大きい。
高さに加えて火や煙。その動きを見るからして風も強そうだ。
電撃を防ぐルーンなら作ったな……あれを火に変えれば火も軽減できるか。
風と煙は多少気流を変えるくらいなら……やはり魔術があれば可能性は高い。
懸念は魔力切れだが、長時間でなければ行ける。
登りは良いが降りるときは? 人一人を連れて降りられるか?
先日パラグライダーの講習を受けたばかりだ。
固定具の構造も頭に入っているから体へ固定はできる。
……しかし確実ではない。
専門的な教習を受けた事の無い俺では、助けようとして殺すことにもなりかねない。
自分に固定できても、一緒に落ちるかもしれない。
それに、俺は“一週間以内に死ぬ”と宣告された身。
普段通りに過ごすしかないとはいえ、わざわざ危険を冒す必要はない。
そんな義務は俺には無い。
俺は首を突っ込むべきではないし、義務もない。
やってくる危険に立ち向かう事と、自分から危険に飛び込む事は違う。
「嘘だろ、おい……」
「どうしたんだ?」
「見ろよこれ!」
「事故? ……!! 近くじゃないか!」
「ヘリ、こっちに出てるみたいだ……これじゃ当分来れないんじゃないか……?」
……何だろうか。
この自分が理性的に考えた結論に感じる嫌悪は。
ドッペルゲンガーが暴走しかけている、というわけでもないのに。
だんだんと気分が悪くなってきた……っ……吐きそう。
「エレナ、悪いけどこれ持っててくれないか?」
「え? いいけど」
「トイレに行ってくる。ちょっと時間かかるかも。もし待てなかったら、車の方に行ってていいから」
返事を聞く前に、俺は動いた。
来た道を戻り、モーターショーの会場へ。
全力でその場を離れ、適当な公衆トイレに駆け込む。
「ウェッ……ゲホッ……」
お世辞にも綺麗とは言いがたい個室で我慢をやめた。
胃の中身を吐き出して、ようやく顔が上がる。
「……?」
壁に貼られたチラシが目にとまる。
ピエロを中心に、隅から隅までいかにも明るく楽しげに描かれた絵。
子供たちの絵はどれも良い笑顔を浮かべている。
……子供……助かるんだろうか?
もし救助が間に合わなかったら?
今からいけばまだ間に合うか?
気持ちが切り替えられず、意図せず壁にもたれかかってしまう。
……チラシのピエロと目が合った。
取り囲まれて、子供たちを楽しませている姿はどこか誇らしげ。
そんな笑顔が俺にはまるで嘲り笑われているように感じられ……
「…………」
気づけば黒い衣に身を包んでいた。